<陣内亜希子>
数家教諭 は会議中だったため、少し待たされた。
保健室
の引き戸を開け、現われたのは、20代後半に見える若い男だった。スリムな長身で、日に焼けた甘い顔立ちをしている。柑橘系のコロンの香りも纏っていた。いかにも女子生徒に騒がれそうなタイプだ。
扉をきっちりと閉め、中に入ってくる。
一瞬間おいてから、「フジオニ……」と喉にかかったいがらっぽい声を落とす。
これに、深沼ミライ
が「いえ、今は母方の姓で、深沼です。先生に副担任していただいてる間に変えたはずですが」冷ややかに返し、数家教諭に一歩近づいた。
「あ、ああ、そうだったな……」
数家はじりじりと後じさり、戸に背をつける。
空調が聞いているのに、脂汗をかいており、ハンカチでぬぐった。
この様子を、ミライが不遜な態度で見やる。
自分や三田村に見せる飄々とした雰囲気とは全く違い、亜希子は少し戸惑った。
フジオニ、藤鬼とでも書くのだろうか、変わった苗字だ。
しかし、どこか耳に覚えのある名だった。
知り合いや芸能人の類ではないような気がする。
記憶を探ろうとしていると、数家教諭の視線がこちらに向いたので、ぺこりと頭を下げ、「陣内亜希子と申します。こちらは、遠藤沙弓さん」名乗った。
「陣内……。では、真斗くんの?」
「はい、姉です。沙弓さんは……親類です」
真斗と沙弓の関係を馬鹿正直に話すこともないと思ったので、誤魔化しておく。
ここで、ぶるると振動音が鳴り、「ひゃっ」と沙弓
が飛び上がった。数家も驚いたらしく、びくりと軽く肩を上げた。
沙弓が慌てた様子でポケットから携帯電話を取り出し、確かめる。
可愛らしく儚げな容貌にかかわらず、その実強肝な彼女にしては珍しく取り乱している。
それだけ、緊張しているということか。
「すいません」と頭を下げ、保健室を出て行く。
先ほども長く話していたようだったが、違う相手だろうか。
真斗の中学時代、どうしてこの陰気な弟とと思ったくらい、明るく社交的な彼女のことだ、メールや電話を交わす友人も多いことだろう。
ふと、新しい恋人かな? と勘繰る。
彼女なら言い寄ってくる男も多いに違いない。
いや、と頭を振る。新しい相手がいるのなら、わざわざ来てはくれないだろう。
沙弓に気をとられている間に、会話が進んでいたようだ。
「それは……、無理だよ」
数家が何やら渋っている。
「今日なら、パソコンルームも空いているでしょう。先生のIDとパスを教えてくださるだけでいいんですよ。後はこちらでやりますので」
数家が壁時計をちらりと見た。
「と、とにかく、今は会議中なんだ。戻らなくては……」
ミライは「仕方ありませんね」と引いて見せ、半拍置いて「脅すようなことになって、申し訳ないんですが……」とぼそぼそと数家に耳打ちした。
一瞬ほっとした雰囲気を見せていた数家の表情がさっと青ざめる。
「おまっ、どこでそれを……」
「教えていただけますね?」
「……分かった」
ひどく情けない表情で、数家が頷いた。
「とりあえず、今は戻らなくてはいけないから……。次の、休憩時間に……」
「ご協力、ありがとうございます」
亜希子から説明会等の話も質問してみたが、芳しい返事はなかった。
去年もそうだったな、と思う。
去年も政府からの通知だけで、プログラム中は学校からは何のアクションもなかった。プログラム終了後に学校で合同蔡があったが、優勝者の父兄が参加できるわけもなかった。
数家が去ってから「いったい……」とミライに訊くと、「ああ、あの人、僕が在学してた頃、女子生徒に手を出してたんですよ。まぁ、あーいうのは病気ですからね。きっと今もやってるんだろうなと思って、鎌をかけてみたんです」
「はぁ」
「学校にばらされたくなかったら……ってね。案の定、手出してたみたいで、あっさり陥落です。人間、弱みなんて持つもんじゃありませんね」
痛快、という表情だ。
あからさまに数家を嫌っており、見下している。ミライは倫理的にどうこうで腹を立てるタイプではないだろう。在学中に数家と悶着でもあったのだろうか。
「それで、何を頼まれたんですか?」
「あれ、聞こえませんでした? えーとですね。プログラムを使ってトトカルチョが行われてるのは、ご存知ですか?」
重要な事柄をさらりと話す。
噂のレベルでしかないが、確かにそんな話は聞いたことがあった。
「あれは……本当に?」
「ええ。それでですね、その関係のwebページがありまして。定期的に、途中経過なんかが載るんですよ」
ミライの言葉の意味に気がつくまで少しの時間が必要だった。
「……えっ」
驚く亜希子を、ミライが薄い笑みを浮かべながら見ている。
これは……反応を楽しまれている?
先ほど数家を脅すときも、わざと一歩ひいて油断させてから手駒を見せるようなことをしていた。随分と悪趣味な性格だ。
「もちろん、一般人はアクセスできないようになっているんで、専用のIDとパスが必要なんですよ。で、数家先生にご協力願おうかと」
台詞の後半、顔色が暗くなった。
そういえば、彼の弟も今回のプログラムに巻き込まれているという話だ。
やはり、心配なのだろう。
「まぁ、今の時点で死んでいるのか、生きているのか。それくらいしか分からないんですけどね……。それでもよければ、一緒に見ましょう」
陰りのあるため息をつく。
「心配ですか?」
プログラム優勝者の弟の安否を気遣えない己を自虐する問いかけだった。
当然心配しているという答えが返ってくると思っていたのだが、ミライは腕を組み、「うーん」とうなった。
そして、「男兄弟が一般的にそうだかは知りませんけど、うちは元々ちょっと遠い感じなんですよね。だから、心配で心配でたまらない、ってことはないです」と率直に語った。
また心を読まれた。
「だから、あなたも自分を責めないで下さい」
声がでなかった。
そんな亜希子を、優しげに三田村が見ている。
彼女はプログラム優勝者の娘を亡くしたと言っていた。そして、「どう接していいのか分からないうちに自殺してしまった」と。彼女も、娘が生きて帰って来たときは戸惑ったのだろうか。
と、突然、思い出した。
「藤鬼? ……あの、藤鬼?」
亜希子の呟きに、ミライの表情がさっと消えた。
珍しく、彼の視線が泳ぐ。
ややあって、ミライは肩をすくめると、「やっぱり……思い出しちゃいましたか。そうです、あの、神崎の殺人鬼です。まぁ、仕方ないですね。どこまでご存知です?」堅い口調で問いを投げてきた。
−09/17−
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