OBR2 −蘇生−  


045  2004年10月01日12時00分


<鮎川霧子>

 
 午後12時過ぎ、霧子たちは自転車集積所 にいた。エリアとしてはBの3になる。サイクリング用の自転車を貸し出している施設で、土肌の広場に20数台ほどの自転車が並べられており、隅に小さな管理小屋があった。
 管理小屋には鍵がかけられていたので、小屋の前にあった木製のベンチに仲谷優一郎 を寝かしている。
 深沼アスマに殴られ気絶してから、一向に目を覚ます気配がない。
 先ほどの崖からそれほどの距離があったわけではないが、ここまで運ぶのには多少苦労した。どこかで指輪の影響を受けたのだろう、優一郎の身体はこの短期間にやせ細っており、軽くなっていた。それがなかったらもっと苦労したに違いない。

 霧子は小屋に背を預けた格好で立っており、アスマと秋里和 は座り込んでいた。
 合流してからずっと、三人は一度も睡眠をとっていなかった。
 当然のことながら霧子は交代で見張りをして休むことも考えたのだが、和はともかくとしてアスマの目の前で眠ることなどできそうにもなく、提案できずにいた。
 日ごろから仲良くしていたアスマと和は片方が休めばいいようなものだが、アスマの精神状態が不安定でそうもいかないらしい。
 今も、頭を抱えて「神様、神様」と、神の名を呼び続けている。
 和はそんなアスマを柔らかく抱きかかえている。
「仕方なかったんだよ、これはプログラムだもの。アスマが高熊くんや堀田くんを殺したのは、仕方のないことだったんだよ」
 アスマを慰める和。
 どうやら、和はアスマをフォローしなれているようだった。
 二人が幼馴染であるということは、元から聞いていた。
 和は不安定なアスマをずっとフォローしてきたのだろうか?

「神様、許して、神様」
 続くアスマの嘆願。
 アスマは、堀田竜を追い込み、「助けて」という言葉を引き出した上で絶望感を与え、殺していた。他にも高熊修吾を殺している。人を殺したことに恐怖を感じるのなら、神に祈るのなら、あんなにも残酷に殺すことなどないのに。霧子は眉を寄せる。
 と、霧子自身も深い恐怖を感じた。
 堀田竜の死に様を思い出したのだ。脚を砕かれ、頭を銃で撃たれて死んだ竜。
 嫌だ、と思った。あんな風に死にたくない、と思った。
 真斗への恨みを除けば、特に目的なく生きてきた。普段から「いつ死んでもいい」とは思ってはいたが、その死は安らかであるべきだ。竜のように苦しんで死にたくなかった。恐怖に呑まれながら死にたくなかった。
 生き残るためには……、クラスメイトを殺さなくてはいけない。気絶している優一郎は他愛もないだろう。アスマはあの通りだ。和も覇気のあるタイプではない。まず、和を殺し、次いで、アスマ。そして、最後に気絶している優一郎。
 霧子は、きれいに整地された駐輪場の地面を踏みしめ、支給武器の小刀をぎゅっと握り締めた。
 そして、遅れて、何を考えているんだと、ぞっとした。
 私は、何を考えているんだ、と。

 耳の奥で、「陣内の立場になって考えてみろよ。誰だって死にたくなんかない。あいつは、まっとうな権利を主張しただけだよ」木ノ島俊介のたしなめるような声が響いた。事情を知った俊介がいさめてきた台詞だ。
 あの時は反発しか感じなかった言葉が、胸に痛い。 
 続く、「仕方なかったんだよ、これはプログラムだもの。アスマが高熊くんや堀田くんを殺したのは、仕方のないことだったんだよ」先ほどの和の言葉。
 陣内真斗は生きる権利を主張しただけだ。彼がかつてのクラスメイトを、室田高市を殺したのは、仕方のないことだった。
 私の大事な人を殺したのは、仕方のないことだった。
 
 ……こうして誰かを足蹴にしてでも生きたいと思うまでは、こんなことは考えられなかった。
 いや、と頭を振る。
 いや、心のどこかでは分かっていたことだ。心のどこかでは、陣内真斗が室田高市を殺したのは仕方のないことだと分かっていた。ただ単に。……そう、ただ単に、認めることができなかっただけだ。
 実際にプログラムに巻き込まれ、真斗と同じ立場になった霧子の心には、確実な変化が訪れていた。
 プログラム優勝者への、陣内真斗への同調。

 霧子はもう一度頭を振った。
 ダメだ、ダメだ。
 自分を叱咤する。
 この一年、真斗に復讐することだけを考えてきたのだ。そして訪れた、プログラムという絶好の機会。彼を合法に殺すことができる。彼に、室田高市と同じ思いを、同じ恐怖を味あわせることができる。
 それに。そう、それに、もう一つ、残っている。
 陣内真斗が憎い理由が、もう一つ、残っている。
 室田高市を殺したことに対する憎しみは、同じ立場になった今、心の同調に上書きされつつある。 憎しみ自体は消えることはないが、仕方のないことだったと思いつつある。しかし、もう一点。もう一点、霧子には、真斗を憎く思う理由があった。

 それは、真斗が「詰まらなそうに生きていた」こと。
 城井智樹ら仲間もいるのに、霧子は、真斗が声を上げて笑うところを見たことがなかった。楽しそうにしているところを見たことがなかった。
 部活もしていない。何か賭けるものが、目標があるわけでもなさそうだ。
 何をするわけでもなく、ただ漫然と生きる。
 では、なぜ、お前なのだ。
 では、なぜ、お前は生き延びたのだ。
 室田高市なら。彼なら、あんな風に生きはしない。
 高市は、バスケットボールの選手になりたいと言っていた。それが駄目なら体育教師になりたいと言っていた。いつも笑っていた。エネルギーに満ち溢れ、毎日を精一杯生きていた。 
 もし、彼が生き延びたのなら、授かった生を大切に生きたはずだ。クラスメイトたちの死を無駄にはしなかったはずだ。
 なのに陣内は……。



 と、寒気を感じた。気配を探ると、アスマと視線が合った。中背、耳にかかる赤茶けた髪。一重の細目。
 あんなに弱っていたのに、いつの間にか復調したようだ。アスマは、クスクスといたずらっ子のような笑みを投げ、目を細めた。そして、八重歯を覗かせ「ねぇ、殺して見せてよ」囁きにも似た甘い声を出した。
「え?」
「仲谷を殺して見せてよ」
 軽く首をあげ、「鮎川さん、プログラム優勝者なんでしょ? ね、殺して見せてよ」ごくごく何気ない口調でただ事ではないことを言う。
 プログラム優勝者だと語ったのは身を守るための嘘だ。実際には誰も殺したことなどない。
 戸惑いと焦りを顔にださないようにし、押し黙っていると、
「アスマ! ダメだって言っただろっ」
 和が鋭く割り込み、助け舟を出してくれた。
「ああ、そうだったっけねぇ」
 アスマがさらりと返す。
 合流したときは和がアスマの付属品に見えた。堀田竜を殺した直後からアスマが崩れ、次第に和がリードとフォローをするようになった。そして今またアスマが主導を握りつつあるようだ。
 
 なんだかいびつな力関係だ。

 ベンチに寝かされた仲谷優一郎をちらと見下ろす。アスマに殴られてからずっと気絶したままだ。
 仲谷を? 人を殺す?
 背筋のあたりがひやりと凍える。つい先ほど彼らを殺して生き残りたいと考えたのに、実際に手を下すと思うと身体が震えた。
 どうしよう。どうしよう。
 優勝者であるという嘘。もっともらしく見せるためには、何気ない表情で、仲谷を殺さなくてはいけないのだろうか?

「あ、鮎川さん」秋里和に声をかけられた。
 ほっと息をつき、いつの間にか立ち上がっていた和を見やる。
「ちょっと話が……」
 焦り声の後、「駄目だからね。仲谷は僕の大切な友達だからね」アスマに釘を刺す。
 和の物言いに、霧子はヒヤリとした。 
 今はそれほどでもないが、弱ったときのアスマは驚くほど和に寄りかかっている。それは、独占欲にも繋がるだろう。友情の独占。女同士ではよくあることだ。それが煩わしくて、霧子は極力一人で過ごすようにしてきたぐらいだ。男にだって、同じ感情はあるだろう。こんな言い方をして大丈夫なのだろうか……。
 見ると、案の定、アスマの顔には暗い表情が足されていた。
 和もそんなアスマの気持ちを察知してはいるのだろう。
 駄目だという表現は、危害を加えるなという意味で使っているに違いない。

 アスマには聞かれたくない話のようだ。和に連れられ、少し離れた木陰へと進む。
 和は昔の事故で足を悪くしてしたということで、右足を引きずっている。枯葉が、がさりがさりと音を立てる。腐葉土がかき混ぜられ、錆のような匂いがあたりに漂った。
 と、後ろから、「和ちゃん、また裏切らないでね」やけに含みのあるアスマの声がかかった。
 裏切らないでね?
 まるで、過去に和が裏切ったことがあるかのようだ。
 横目で和を見る。
 和は案外平気な顔をしていた。どこか達観しているようにも見える。そして、「そのことも含めて、話すから」と穏やかな声で言った。


   
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鮎川霧子
真斗と親しくしていたが、プログラム開始時に真斗を睨みつけた。
前のプログラムで真斗が殺した少年と何か関係があったらしい。