OBR2 −蘇生−  


044  2004年10月01日11時00分


<城井智樹>


 色仕掛けを諦めたらしい彩華が持ち場にもどったのを確認してから、
智樹 はふっと息をついた。
 びっくりしたぁ。でも、やっぱ、彩華っていい身体してんなぁ。胸でかすぎ。
 いたって正直な感想を思い、んっと伸びをする。
 大分復調したらしく、身体が楽になってきた。
 人一人瞬間移動させるというのは
、『トランスポーター』 の限界に近いのだろう。気をつけなくてはいけない。
「信頼……か」
 彩華が考えたとおり、智樹は信頼という言葉に特別な思い入れがあった。

 智樹は高校一年のときに一度高校をドロップアウトしている。
 それは、その当時付き合っていた女の子の死が原因だった。
 彼女とは中学時代からの付き合いで、高校も同じだった。高校ではクラスも同じになり、喜び合ったものだ。しかし、入学して間もない7月、彼女は自らこの世の幕を引いた。

 その日は日曜日で、彼女は女友達と買い物にでていた。
 前夜23時頃、智樹は彼女と電話で話している。いつもと変わらない、おしゃべりな彼女だった。
 当日の午前9時、彼女は彼女の母親と一緒に朝食をとっている。
 嫌いなトマトがサラダに出て無理やり食べさせられたので、彼女はちょっと不機嫌になったが、母親が夜は彼女が好きなおかずにすると言うと機嫌を直して家を出た。
 買い物は女の子三人でした。
 三人ともごく普通の高校生なので、お小遣いの範囲で手に入る安価なアクセサリーを買った。
 買い物のあとは、カフェでお茶をし、夕方には別れ、家路についた。カフェでは、彼女たちがご贔屓にしていたアイドルの話題で盛り上がった。
 午後18時頃、乗り換えの駅で、彼女は中学時代の友達と偶然出会い、少し話をしている。
 その友達はアルバイトの帰りだった。彼女は、友達に「私もバイトしようかな。でも、うちの親うるさいしなぁ」とこぼした。
 午後18時23分、部活が終わった智樹が「部活終わったー」と他愛もないメールを送り、それに彼女も「おつかれー。じゃぁ、また明日学校で」と他愛もない返信をしている。
 午後19時ちょうど。最寄駅を出たそばの本屋で、彼女は英語の問題集を買っている。
 遺品の財布のなかからそのときのレシートが出てきてわかったことだ。彼女が好きなミステリー作家の新作が近くに発売されることになっており、彼女は、その発売日を店員に確かめて店を出た。

 そして、午後19時20分頃、彼女は
陸橋 から飛び降り、下道を走っていた車に轢かれ、死んだ。

 夕刻、人通りはまだあり、彼女が飛び降りる様子を何人もの人間が目撃している。
 いきなり。本当にいきなり、手すり柵を乗り越えて飛び降りたらしい。
 目撃者たちは、誰も彼女のそばにはいなかったと証言している。つまり、飛び降りは彼女の意思によるものだった。
 
 彼女は飛び降り、死んだ。
 これは事実だ。そして事実には必ず理由がある。人が陽に当たれば影ができるように、理由があるはずだった。
 しかし、分からなかった。
 いくら調べても、彼女には死にたくなるような理由が見当たらなかったのだ。
 成績は中くらい。昔からそれくらいの位置だったので、高校になっていきなり位置が下がったということもない。部活はしていなかったので部活関係の悩みもない。両親との仲もクラスメイトとの仲も良好。もちろん、智樹とも仲良くやっていた。

 彼女はあまりマメな性質たちではなかったので、ちゃんとした日記はつけていなかったが、時折、手帳のカレンダーにその日あったことをメモのような形で書き込んでいた。
 メモはそれぞれ短いものだったが、彼女の赤裸々な内面が現われていた。しかし、そこにも死の理由が見えない。
 彼女はその日買ったアクセサリーを智樹に見せたいと友達に語っていた。
 中学時代の友達にはアルバイトをしたいと言った。
 英語の成績を気にして、問題集を買った。
 全て、未来へ向けた行動だ。彼女は先を見ていた。手帳にはこれからの予定も書かれていた。
 なのに、死んだ。

 後になって、もしかしたら、彼女自身にも分からなかったのかもしれないと思った。
 ただ単に、死にたくなったのかもしれない。単純な質だったから、普段から死にたくなるほど悩んでいたのなら、周りに気がつかれていないはずがないのだ。
 しかし、どちらにしても、同じことだった。
 どちらにしても、自分が彼女に信頼されてなかったという事実は変わらなかった。
 彼女は、携帯電話を持っていたのに、死ぬ瞬間、自分に電話をかけてこなかった。
 付き合っていたのだ。信頼していたのなら、声を聞きたいと思うだろう。死に理由があるのならば、打ち明けてくれただろう。

 彼女とは、思っていたほどにはつながっていなかった。彼女には信頼されていなかった。
 そう思うと、なんだか力が抜けた。
 学校では、恋人を自殺させてしまった智樹の立場は微妙だった。彼女の死の原因がはっきりしないだけに、智樹が何か酷いことをしたのではないかと見る向きもあったのだ。
 彼女の死によって喪失感でいっぱいだったし、クラスメイトの好奇の目、非難の目が煩わしかったので、智樹は学校に行かなくなり、自主退学した。


 そのまま喪失感に浸りながらすごしていたが、やがて「このままではいけない」と思い直し、フリースクールであるぶどうヶ丘高校に入りなおしたのだ。
 二度目の高校生活は楽しかった。
 彼女のように好きになれる女の子はいなかったが、部活をし、勉強をするのは楽しかった。
 同室の真斗は妙に老成したところのある皮肉屋だったが、気はあった。
 人と距離が近い智樹とは正反対に、真斗は他人との間に壁が何重もあり、決して心のうちを見せてくることはなかったので、それは寂しくもあったが、「まぁ、三年付き合うんだし、少しずつ親しくなっていくだろう」と思っていた。
 やがて新しい彼女ができて、幸せにやっていくんだろうと思っていた。
 死んだ彼女への想いは既に過去のものになっていた。
 ただ、「どうして彼女は死んだんだろう。どうして彼女は自分を信頼してくれなかったのだろう」という思いだけは消せていなかったが。

 しかし、智樹が描く未来は、プログラムによって打ち崩されていた。
 真斗たちが休んでいる洞窟を背に、切り株に座ったまま、ぶるると震える身体を両手で抱きしめる。
 洞窟は雑木林の中、草木の生えた斜面に口をあけていた。
 木々が視界を防ぎ、見通しはあまりよくないので、気を抜けないが、藪が密集しており、誰かが近寄ってくれば掻き分ける音がするだろう。
 昨日から汗をかいたままにしているので、衣服が汗臭い。シャワーを浴びたいな、と、こんなときにのん気なことを考え、そして、真斗の台詞を反芻した。

 プログラム説明のとき、「北は診療所、南は銛王駅」真斗はこう言った。
 真斗から待ち合わせを提案してきた。
 あの慎重で人を寄せ付けない真斗が、自分だけを信頼してくれた。
 それが嬉しかった。
 死んだ彼女はギリギリのところで自分を信用してくれなかった。しかし、真斗はギリギリのところで自分を信用してくれた。
 まぁ、打算はあるのだろうが、あの真斗がと思えば嬉しくてたまらなかった。
 だから、真斗の言葉に「ありがとう、信用してくれて」と返し、涙を目に浮かべたのだ。だから、智樹が真斗を裏切ることなんてありえない。彩華の誘いに乗るだなんてありえない。

 


 と、背後から洞窟を歩く足音がし、智樹 の思考は中断された。
 真斗か俊介のどちらかしかいないと分かっているのだが、緊張に身体が強張る。

 びくびくしながら振り返ると、現われたのは、陣内真斗 だった。洞窟内は冷えるのか、私服のジップアップシャツの上に制服の上着を羽織っている。
 洞窟と外の明暗差に慣らすためか、眼鏡の奥で切れ長の瞳をぱちぱちと瞬かせてから、真斗が口を開く。
「そろそろ、定時放送だし、放送聞いて禁止エリアとかチェックしたら、見張りを交代するよ」
 真斗はもう洞窟の入り端だったが、声が空間に響いた。
「大分身体戻ったみたいだから、大丈夫だよ」
「いや、中途半端だとこっちが困る。しっかり休んでくれ」
「紅一点の私の体調は気にしてくれないのね」
 矢阪彩華 がわざとらしくいじけた声を出すと、「あなたがもう少し可愛らしい女性なら、保護の対象にはなるんですが」と真斗が冷たくあしらった。
「私くらい女性らしい女性もいないはずなんだけど、な」
 立ち上がり、くびれた腰に手を置き、華やかで艶のある笑みを見せた。
 どこかで拝借したらしいつなぎの作業服に身を包んでいるが、その成熟したプロポーションかえって強調されていた。自身もその身体が男の目を引くことを十分に承知しているのだろう。
 そんな彩華を一瞥し、真斗は「下品な女は嫌いだと言ったはずですが」と言い放つ。

「智樹と違って、お子様なのね」
 彩華がぐすんと鼻を啜り上げる真似をした。
 まるで智樹と彼女の間で何かがあったみたいな彩華の台詞に、「ちょっ。真斗っ、何もないからね!」と焦り声をあげる。
 真斗はこれにぴくりと眉を上げた。
「ええ、年増で百錬練磨のあなたや智樹と違って、僕はお子様ですから」
 いつの間にか、自分まで引っ括ひっくるめられている。
 実際に言い寄られはしたが、きっぱり断ったのだ。真斗は分かってはいるだろうが、後でちゃんと否定しておこうと、智樹は心に決める。
「後、僕は可愛らしい女性なら保護するとといったはずですが……。残念ながら、お子様の僕の感性では、あなたにはそんな形容詞をつけれませんね」
 可愛らしい、というところを強調している。
「その、保護ってあたりが、女性を対等に見ていない証拠ね」
「子を産む女性には一定の敬意を払っているつもりですが」
 一定というあたり、真斗らしい。
「まぁ、いいわ、子どもは背伸びしたがるものだしね。そのわざとらしい丁寧な口調とか、子どもらしくて好きよ」
 キツネとタヌキの化かしあい、という風情である。

 なんか、変な感じだな。
 二人の会話を聞きながら、智樹は苦笑した。
 言葉だけを追うと刺々しい会話だが、案外気があっているようにも見える。
 
 この状況で余裕あるなぁ、とよくよく見ると、二人とも表情に緊張の色は出ているし、抜かりなく、あたりも見渡している。
 やたらと頭を使いそうな会話は、恐怖を紛らわせるためにしているのか、ただ単にそういう会話になってしまっているだけなのか……。
 そうこうしているうちに、定時放送が始まった。
 新たな死亡者は、佐倉舞、牧村沙都美、野口志麻、村木春奈の四人だった。女子生徒ばかりだ。
 これで、生き残りの女子生徒は、目の前にいる彩華と、鮎川霧子、鷹取千佳の三人だけになってしまった。
 追加禁止エリアは、13時からF1、15時からE4、17時からE5で、とりあえず近場には追加されないようだった。

 放送も終わったので、休息を取ることになり、洞窟の奥へと向かう。
 ふと立ち止まり、後ろを振り返ると、真斗と矢坂彩華がまだやりあっていた。
 真斗はずっと井上菜摘のラブコールを無視していた。
 なんであんな可愛い子と付き合わないんだろうと不思議だったのだが、確かにごく普通の女の子な菜摘では、あんな会話はできないだろう。
 内面を話すことのない真斗のこと、はっきりと聞いたわけではないが、過去の経験から女性不信に陥っている様子もあった。井上菜摘と付き合わなかったのは、そのせいもあるだろう。
 とりあえず、女性とあんな風に会話している真斗を見るのは初めてだった。
 ちょっと、いい傾向だな。
 そう考え、微笑んだあと、自身が何の場にいるのか思い出し、智樹は身体を震わせた。


   
−09/17−


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城井智樹
真斗と同室。運動部を掛け持ちするスポーツマン。
『運び屋(トランスポーター)』
触れた物質を瞬間転送できる。