<野口志麻>
「春奈!」
野口志麻は、厳しい声をあたりに響かせた。名を呼ばれ、びくりと肩を上げた村木春奈
を見つめ、「……こっちに来なさい」命令する。
しかし、春奈はぶるぶると首を振るだけだった。
手斧を持ったまま腕を組み、足先でいらいらと腐葉土の地面を叩く。
私の春奈が言うことを聞かない!
春奈をかばうように前に立つ仲谷優一郎
を睨みつける。
取るに足らない男だ。不器用で内向的。
牧村沙都美の『痩せ行く男』の影響により身体がほどよくシェイプされているが、もともと運動能力に欠けるうえ、宇江田教官の『ガラスの塔』により片腕がガラス化している。たいした武器ももっていないようだ。
物の数にも入らない。
しかし、春奈は彼を選んだ。
あってはならないことだ。
優一郎が春奈に何事か囁いた。青い顔をした春奈が頷きを返す。
これが、志麻の逆鱗に触れた。
「私の春奈と内緒話なんかするんじゃないよ!」
圧倒的な疎外感。志麻は大きく手斧を振りかぶった。狙うは、優一郎。
と、優一郎と春奈の姿が消えた。
「えっ」
振りかぶった手斧の落としどころが消え、立ち尽くす。
がさり、前方で何か音がした。
前方は藪になっているが、隙間は多くあり、見通せる。音のした方向では誰もいなかったし、草木も動いていなかった。
がさがさと藪を掻き分ける音が続く。
遅れて、気がついた。
目の前の風景がおかしい。なんだかのっぺりとしているし、どこか歪んで見える。木々の肌の質感も変だ。空間に、奥行きもない。
そう、まるでこれは絵のようだ。
手を伸ばすと、たしかにそこに見えない壁があるようだった。
手斧を横殴りに流すと、手元に何か柔らかいものを切り裂く感覚が走った。びりりと音がし、景色が「破れ」、ぐらりとゆれた。そして、そのままふっと消え、同じ景色がこんどはちゃんと見えた。
その15メートルほど先、雑木林の間を、春奈と優一郎が駆けている。
「指輪かっ」
謀れたくやしさにぎりぎりと歯を食いしばる。
どんな能力か正確なところはわからないが、目の前に偽物の風景をつくり、目くらましされたのだ。
駆けている優一郎が振り返り、ぎょっとした顔を見せる。
「ちくしょう!」
呪詛の言葉を吐き、志麻は二人の後を追った。
「二度はないよ!」
足元にまとわりつく下生えに嫌悪しながら、先を駆ける優一郎の背に牽制する。
実際、もう騙されない自信があった。先ほどはいきなりのことで騙されたが、同じように偽物の風景を壁にされても、あの程度ならすぐに違和感を持てる。
志麻は怒っていた。村木春奈が言うこと聞かないことに、腹を立てていた。
春奈は大切な友人だ。だから、春奈は私の言うことを聞くべきだ。志麻はそう考える。
昔からそうだった。志麻は、そのときどきの一番の存在を、自分の支配下に置きたがった。そうすることが相手にとっても幸せなのだと、信じて疑わなかった。
友達、恋人、家族。
もちろん、それぞれ意思を持った人間だ。志麻のきつい束縛を嫌い、みな離れていった。
家族との関係も上手く回らなくなり、全寮制のぶどうヶ丘高校に行くことになった。
入学早々、担任の数家教諭と関係を持ち、彼が一番となった。
しかし、志麻としては珍しく、彼女から関係を絶った。
数家は見てくれだけの男で、中身はなく、また、今までにも、また志麻との交際中にもほかの生徒に手を出しており、志麻にとっては支配するに足りない男だったのだ。
そして、格好の相手が同室にいることに気がついた。
村木春奈。素直な性格で、志麻の「好み」だった。志麻が数家にのめりこんでいる間に、鷹取千佳(生存)らと親しくなっていたが、同室と言うこともあり、すぐに引き寄せることが出来た。
仲良くなってからは、志麻のペースだ。「この髪型のほうが似合うよ」「眼鏡にしなよ、きっと似合うよ」少しずつ、志麻の好みに彼女を変えていく。
逆らえばペナルティを与える。
最初は冷たい態度を見せ、不安を与える。寮は二人部屋だ。相手との関係をまずくすれば、即生活に響く。春奈は、志麻の言うままに動くしかなかった。
その春奈が、自分の言うことを聞くべき存在の春奈が、逆らった。
無茶なことなど言っていない。
仲谷優一郎などと一緒にいるよりは、自分と行動をともにしたほうが安全に決まっている。
志麻の支給武器は手斧で、優一郎は絵の具セットだった。キャンプ場の管理棟で互いに調べあった。間違いはない。また、男女の差はあるが、運動能力も優一郎よりも自分のほうが高いだろう。
さらに、指輪の能力も。
志麻の指輪の能力名は、『パニックルーム』。
優一郎が推察したものとは少し違い、閉まった扉や窓を固定する能力だ。密室状態にしてからでないと意味はなさず、扉や窓が開いた状態では固定できない。耐性も高まり、多少の打撃では破られることはなくなる。
使い方は大きく分けて二種類。敵対する相手を閉じ込める。立てこもった建物に能力を及ぼし、外敵から身を守る。
学校舎や病院棟など大きな建物全体は無理だが、一軒屋くらいなら、完全に閉じることができるとのことだ。
自分には矛となる手斧があり、最強の盾である『パニックルーム』がある。
春奈と二人、どこかに隠れておき、ほかの選手が殺しあうのをやり過ごせばいいのだ。このプログラムでは最終的には二人生き残れる。恐ろしいけれど、三人目は自分が殺し、二人で生き残る。
優一郎を威圧するために、何気ない口調を装ったが、もちろん人を殺すのは怖い。だけど、殺されるのはもっと怖い。
優一郎たちは藪の深いところを縫っていたので、一瞬一瞬姿が消え、油断するとまかれてしまう危険があった。
目を凝らし、彼らの所作を追う。
と、急に空気が軽くなったような気がした。
目の前に少しの空間が広がり、そこに優一郎と春奈が赤土の地面に膝をついている。どちらかが転んだのか。
チャンスだ。
駆けるスピードはそのままに、手斧を振りかぶる。
唐突に、足元に違和感が走った。地面を駆けてる気がしない。おうとつのない、のっぺりとした板の上のようだ。
一体何が? 惑った志麻の背後で、誰かの声がした。
「いいんだね?」
仲谷優一郎だ。
……背後で? 目の前にいるのに?
振り返ると、3メートルほど先に、同じ体勢をした、もう一組の仲谷優一郎と春奈の姿があった。
「いいんだね?」
優一郎が同じ台詞を春奈に向ける。春奈は目を伏せ、頷いた。何かしらの決意が見えた。
「……春奈?」
思いがけず気弱な発声になった。
違う、こんなの私の声じゃないと、「春奈っ」強い口調で言い直す。声に釣られ、春奈が顔を上げる。二人の視線と視線が絡み合った。
「……ごめん」
春奈が視線を外す。すると、これが合図だったかのように、足元が空を切った。
「えっ」
驚き、足元を見ると、地面が透けていた。はるか下方にもう一つの地面が見えた。先に見た優一郎たちも消えていく。
落下の前兆。全身が総毛立ち、背筋を冷たいものが駆け上がった。
そして、理解する。
これも偽物だったのか!
先ほどとは比べ物にならないくらい精密な「風景画」だった。振り返ると、優一郎と春奈が崖の切っ先にいることがわかった。そして、自分は、崖から数メートル進んだ空。
「あ……」
歩を進める。しかし、足先はずぶりと沈み、体勢が前のめりに崩れた。
右手を上げ、春奈に差し伸べる。
「たす……」
助けて、と、声に出す間もなく、志麻は落下した。
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