<仲谷優一郎>
午前10時、仲谷優一郎は雑木林に囲まれたサイクリングロード
を、びくびくと周囲をうかがいながら歩いていた。
エリアとしてはCの3になる。このあたりは高台になっており、柵を越えた急な斜面の向こうに、会場を南北に走る線路が見下ろせた。
朝から降り続けていた小雨はすでにやんでおり、ぬかるんだ地面のあちこちに水溜りができていた。気温もあがっており、湿気が多分に含まれた匂いがした。
昨日から変わらない、制服、ブレザー姿。爆弾が内臓された首輪が、光を反射する。
右腕は肘から下がガラス化したままなので、動くときに少しバランスを取りにくい。
また、先ほど受けた牧村聡美の『痩せ行く男』
の影響も残っていた。
ただし、こちらに関しては、太り気味だった頃に比べて格段に身体が軽く、影響が残っていて良かったといえた。
と、20メートルほど先の藪に人影が見えたような気がして、ぎょっと立ちすくんだ。
人影らしきものは、藪の中へ消えたようだった。
一瞬間捉えた背格好から、女子生徒だったと見当をつける。……野口志麻だろうか? 『痩せ行く男』によって痩せ細っていた彼女の姿を思い浮かべ、ぶるると胴震いをする。
騒ぎに乗じてキャンプ場の管理棟を出た時点で、野口志麻とは離れ離れになっていた。
すくみそうになる脚を必死の思いで進める。あてなどないのだが、管理棟から少しでも離れたかった。
志麻と自分が出た後、管理棟には鷹取千佳と佐倉舞、牧村沙都美の三人が残ったはずだった。
突如争いを始めた彼女たち。その後放送がないため、事の顛末が分からなかった。舞と沙都美は死亡。千佳だけが生き残ったことを、優一郎は知らなかった。
あの状況で、一人も死ななかったとは思えない。
おそらく誰かは命を落としたのだろう。
仲良さそうだったのになぁ。
普段の教室で見ていた彼女たちの様子を思い浮かべ、眉を寄せる。
太りじしでしっかり者の鷹取千佳、小柄で少々きつい性格だった佐倉舞、のっぽでクールな牧村沙都美、そして、あの場には来なかったが、可愛らしい容貌で大人しい井上菜摘(死亡)。
彼女たちは体型も性格もバラバラだったが、いつも楽しそうに笑いあっていた。
友人の少ない優一郎には彼女たちの関係が羨ましく映ったものだった。
優一郎は自己主張の苦手な大人しい少年だった。
人付き合いも苦手。万時に不器用で、勉強も運動も遅れがち。その性質が災いし、程度の差こそあれ、絶えず虐めを受け続けてきた。
誰かに虐められる。疎まれる。馬鹿にされる。軽んじられる。
小学生の頃は自室でよく泣いていた記憶がある。情けなくて悔しくて寂しかった。
しかし、人とは不思議なもので、中学に上がる頃には、環境に慣れてしまっていた。ああ、そういうものなのだな、と自分を納得させてしまっていた。人には持って生まれた順位があり、自分は下位なのだ。だから仕方が無いのだ、と。
全てを諦めれば、少しだけ楽になれた。
もちろんストレスがなくなったわけではなく、その解消は、過食に現れることになったけれど。
そんな優一郎だったが、中学三年のときに一大決心をした。
……自分の過去を誰も知らない場所で一からやり直そう。
遠い土地の高校に進学しようと考えたのだ。
近いエリアの高校には、同じ中学の人間が多数進学するので、生まれ変わることが出来ない。だから、遠い土地を目指した。
両親は地元で商売をしているので土地を離れるわけにはいかなかったし、そもそも人間関係がうまく行っていないことを彼らには話していなかった。
そして、全寮制のぶどうヶ丘高校に入学。
実は、ぶどうヶ丘高校の特殊性を、入学するまで知らなかった。
優一郎にしては勢いに身を任せていたし、両親はあまり教育熱心ではなく、息子の進学先に注意を払わなかった。
入学してから、プログラム優勝者を積極的に集めている学校だということを知り、愕然としたが、すでにとき遅かった。だが、ぶどうヶ丘高校での生活は拍子抜けするくらい平穏なものだった。
体育授業を学科で済ませることができ、苦手な運動をしなくてもよかったし、和野美月(死亡)など全くといって勉強をしない生徒もいたので、コンプレックスを感じる場面が少なかった。
部活は美術部に入った。
不器用な優一郎だけど、絵を画くことは昔から好きだった。今までに友達らしい友達もおらず、外に遊び出ることもなかったので、自室で絵ばかり描いてたものだ。
美術部では、同じクラスの秋里和も一緒だったので、彼と友達になれた。
優一郎は相変わらず自己主張は苦手だったけれど、和も大人しいタイプだったので、気後れせずにすんだ。
寮では、粗野な性格で、プログラム優勝者であると公言して憚らない高熊修吾(死亡)
が同室だったが、虐めのようなものは受けなかった。
修吾のような不良タイプの生徒は、優一郎にとっては征服者でしかなかったので、最初、不思議で不思議でたまらなかった。だから、今思えば非常に卑屈なことだが、一度、どうして何もしてこないのか聞いたことがある。
このとき、彼は一瞬きょとんとした顔を見せた。
その後「ばっかじゃねーの」一笑に付し、「ルームメイトなんだから、上手くやってこうぜ」と優一郎の肩を叩いてきた。
曰く、「高校にもなって学校でいきがってどうするよ」ということらしい。
修吾が校外で色々と悪さをしていることはよく知られていたし、皆、同室の優一郎は彼から虐めを受けているものと思っていた。
しかし、修吾はルームメイトとしてごく普通に接してきたし、開けっぴろげな性格の修吾は、男同士でするような下世話な話すらしてきた。
友達の少なかった優一郎はそのような話をしたことがなく、最初は戸惑ったものだ。
だけど、馬鹿話ができることは嬉しかった。
大方の予想に反し、優一郎は修吾と良好な関係を持てていたのだ。
だから、修吾の死は悲しかった。もう彼の豪快な笑い声を聞くことが出来ないのだなと思うと、悲しかった。
ぐすりと鼻をすすり上げる。
もし優勝することが出来たら、修吾を生き返らせてあげようと思う。
クラスでは、他に秋里和と親しくしていたが、修吾ほどには心を許していなかった。
もちろん、心配ではある。
和はあまり身体が丈夫ではない。心臓か何かを悪くしているはずだった。精神的にも肉体的にも追い詰められるプログラム、彼の負担は相当なものだろう。
そして、修吾を殺したのは、深沼アスマであり、アスマは和の幼馴染だ。
修吾と和、アスマの友人二人と接点があっただけに、優一郎はアスマとはそれなりに親しくしていた。
アスマは不思議な男だった。
通常は屈託なく笑うごく普通の少年なのだが、和と一緒のときは、子どもっぽく、和に依存して見えた。ときにはひどく怯えていることもあった。
しかし、修吾と一緒のときは、驚くほど残忍な表情を見せる。
ころころと印象の変わる、不安定さ。
その不安定さを修吾は楽しんでいるようだった。「あいつはなかなか面白い素材だ」。そんな風にも言っていた。
でもさ……。高熊くん、その深沼に殺されちゃったじゃんか……。
信頼していたはずの友人に殺された修吾の悔しさを思い、優一郎はふっと肩を落とした。
ややあて、思惑から現実に引き戻される。
どんよりとした灰色の空、濡れた地面に木々。夜から何度か銃声を聞いた。殺し合いは確実に始まっている。鷹取千佳らも殺しあった。
殺しあう。殺しあう。たった一人になるまで。
……たった一人になるまで? 優勝することが出来たら? この僕が?
自虐めいた笑みを浮かべる。
自分のような人間が生き残れるわけがない。
きっと誰かに襲われて、たいした抵抗もできないまま死ぬんだ。
自然に、脚が茂みに向いていた。
歩いているうちに、あたりは雑木林に覆われてしまっていたが、雑木林を抜ければ崖があるはずだった。先ほどサイクリングロードが崖に接近している場所を通った。
崖は相当な高さで、落ちれば命はないものと思えた。
優一郎は、崖から飛び降りて死ぬつもりだった。
あの高さだ、確実に死ねるだろう。
少しの高揚と、深い恐怖に包まれながら、針のようになっている熊笹の群生をかきわけ、歩く。灰色のズボンが露に濡れ、重くなった。足取りの重さは物理的なものだけが原因ではないだろう。
雑木林
を縫いながら思い浮かべるのは、修吾の負けん気の強そうな顔だった。
彼はどうしようもない乱暴者だったが、優一郎自身に暴力を振るってくることはなかった。
中学時代、高熊くんと一緒の学校だったら、どうなっていただろう? そんな風に考えたことがある。
手を出されたのかもしれないし、出されなかったのかもしれない。
ただ確実にいえるのは、彼とまともに話をするような機会はなかっただろうし、ましてや友達になどなってなかっただろうということだ。
全寮制の学校に、ぶどうヶ丘高校に進学してよかった。強く、思う。
高熊修吾のような、真逆の位置にいる人間と親しくなることができた。
影響を受けることができた。
『人には持って生まれた順位があり、自分は下位なのだ。だから仕方が無い』中学時代に、己を誤魔化していた卑屈極まりない文言。
修吾のおかげで、檻から出ることができた。少しだけ自分を解放することができた。
修吾はプログラム優勝者で、人殺しだ。彼をクラスメイトの多くは遠巻きにしていた。
優一郎自身も当初は恐ろしくてたまらなかった。
しかし、時間が経つにつれ、修吾よりも中学時代のクラスメイトたちのほうが怖かったと思うようになった。
そう、優一郎にとっては、生き残るために仕方なく人を殺した修吾よりも、退屈しのぎに自分を虐めたかつてのクラスメイトたちのほうがよっぽど怖かったのだ。
ぶどうヶ丘高校での生活は、優一郎が人生の中で得た初めての平穏な日々だった。
その日々が、プログラムによって脆くも崩れ去ろうとしている。
高熊くんは死んだ。みんな、欲望のままに殺しあっている。
嫌だ。僕は嫌だ。誰も殺したくないし、誰にも殺されたくない。……だから。だから。
邪魔になる横枝をぱきりと手折り、前へと進む。折った枝から青臭い匂いがした。
死のう。このまま死ねば、ぶどうヶ丘高校での楽しい思い出と一緒に死ぬことができる。
*
腐葉土で敷き詰められた柔らかい地面を、震える足で踏みしめながら進む。
そうしているうちに、崖下から吹き上げられる冷気だろう、肌にひやりとした風があたるようになってきた。そして、唐突に藪が切れ、4畳ほどの空間に出る。
前面も左も藪になっており、右手もそうだった。
その右手に、制服姿の女子生徒がいた。物音に気がつき、ゆっくりと顔をこちらに向ける。
……村木さんだ。
日ごろかけていた丸縁眼鏡がどこかに飛んでしまっているし、髪も振り乱れているが、地味な丸顔、そばかすの目立つ頬、それは確かに、クラスメイトの村木春奈
の姿だった。
眼鏡、どうしたのかな……。いや、そんなこと、どうでもよくて。
異様な光景だったからだろう、先に些細なことに注視が行ってしまった。
声を掛けようとして躊躇した。優一郎にとっては『異性に声をかける』という事柄さえも大仕事なのだ。
なんとか声を絞り出し、訊く。
「そ、それ、どうしたの?」
「き、きちゃダメ!」
これに、春奈が慌て顔で答えた。
彼女は、逆立ちの状態だった。地面に盛り上がった節くれだった太い根に腕を絡ませ、『空に落ちないよう』必死に堪えてるようにも見える。
「えっ」
ときすでに遅く、優一郎は一歩脚を踏み出したところだった。
とたん、身体が浮き上がる。何かに掴まる余裕もなく、そのまま、5メートルほど上がったところで、浮き上がるペースが落ちた。
「え、え、えっ」
身体の向きを変えようとしたはずみに、空中に横倒しになる。高い位置にあるはずの枝が目の前にあった。見上げた空が少し近くなっていた。
そして、自分よりも少し高い位置に、春奈の眼鏡が浮かんでいた。
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