OBR2 −蘇生−  


003 プロローグ  2004年9月30日08時00分


<陣内真斗>


 午前8時過ぎ、真斗は靴箱の前にいた。
 履いていたスニーカーを脱ぎ、上履きに替える。
 今日は制服を着てきた。茶色地のブレザーに灰色のズボン、男子のネクタイはモスグリーンだ。ぶどうヶ丘高校は、華美にならない程度の私服も許されていたが、制服を着ている者が多い。
 割合に可愛らしいデザインをしており、女子には特に人気が高かった。
 真斗が制服を着ることが多いのは、単純に、私服を選ぶのが面倒だという理由だけだったが。

「よっ」
 木ノ島俊介きのしま・しゅんすけが、声を掛けてきた。
 切り詰められた短髪。全体に色素が薄く、髪も瞳も太い眉も茶色がかっている。彼も真斗と同じく痩せ型だが、頭一つ背が高かった。俊介は、ジーンズに青地のパーカーという姿だ。
 真斗は、プログラム優勝者であることが露見することを恐れ、あまり人と関わらないようにしている。彼とは、智樹繋がりだった。
 智樹と同じサッカー部にしており、二人は親しい。
 俊介は寮では隣の部屋だが、最近よく真斗たちの部屋にやってきていた。
 一学期は顔見知り程度の付き合いだったが、二学期に入り急激に親しくなってきている。
 のん気な智樹と比べ、俊介はどこか鋭い雰囲気を持った男だった。油断ならない。どんなタイミングで自分がプログラム優勝者と知れるやもしれなかった。
 俊介は、「これ、ありがとな」と一冊の本をディバックから取り出した。
「あ、寮の部屋に持ってきてよ」
「そ、か」
 俊介が頭をぽりぽりと掻いた。
 これも、俊介を油断ならないと思う理由の一つだった。
 ミステリが好きだと言い、国内外のミステリ好きで本棚をその種の本で埋めている真斗から、よく本を借りていくのだが、彼の部屋にはそういった書籍のたぐいがない。図書室を利用している様子もなかった。
 彼は、気がついているのかもしれない。ミステリ好き推理小説好きだという話は、オレに近づくための嘘なのかもしれない。
 ぞっとする推測だった。
 ただその場合、プログラム優勝者に積極的に近づこうとする理由が見えなかったが……。

「朝練習は?」
 平然を装いながら訊くと、「今日、日直だから早上がりしてきた。じゃ、急ぐから」と返ってきた。
 靴を履き替え階段を駆け上がる俊介の後ろ頭をぼんやりと見送り、ふっと息をつく。
 智樹にはそれなりに心を許しているので、そこまで疲れないのだが、俊介と話すと、その緊張感からか、後でどっと疲れが来る。

 と、「おはよっ」後ろから声がかった。
 振り返る前にそれが誰だか分かった。声の持ち主を認識すると同時に、疲れの度合いが増す。
「今日も、あっついねぇ」
 そう言いながら額の汗をぬぐっているのは、井上菜摘いのうえ・なつみだ。
 ちょうど肩を越えるぐらいの長さの髪を、首筋のあたりで左右に分け結んでいる。丸まった鼻先、ぱっちりと大きな瞳、ちいさく座った口元。白く艶やかな肌。
 控えめな大人しい性格で、真斗としてはそれなりに好印象を持っていた。
 しかし……。
「あのさ、放課後、ちょっと話があるんだけど」
 あたりに誰もいないことを確かめてから、菜摘が口を開く。

 ああ、とうとう、来たか……。
 彼女に気づかれないよう、真斗はそっとため息を落とした。
 菜摘は、真斗に好意を寄せてきていた。直接的に言われたわけではないが、雰囲気で分かった。
 それより何より、智樹に真斗のことを相談していた。秘密にしておいてと言われていたようだが、智樹が口を滑らしたのだ。あのとき智樹は一瞬しまったという顔をし、「ごめん、これ、オフレコにして」と言い、そして「いいなー、井上可愛いじゃん」と羨ましそうな顔していた。

 好かれるというのは、悪い気分ではない。
 それが、菜摘のような可愛らしい女の子なら尚更だ。
 誰かに好かれるということは、優勝者であることを隠し通せているということだ。優勝者と知ってあえて近づいてくる者などいないだろう。
 菜摘が近づいてくる度、真斗の心は少しだけ軽くなる。
 ああまだバレていないと、ほっと胸をなでおろすことができる。
 しかし、今の真斗には、重荷でもあった。
 菜摘ともし付き合うことになったら、彼女と深く関わらなくてはならない。
 そうすると、自身がプログラム優勝者であることがバレてしまう恐れがある。また、プログラムが原因で、かつての交際相手、遠藤沙弓と別れたことも少なからず理由となっている。好きだの嫌いだのと言っても、結局のところ他人は他人なのだ。
 もちろん、真斗とて16歳の男だ。
 交際相手は欲しいし、女を抱きたいとも思う。
 だが、そんな欲求よりも、プログラム優勝者であることが露見することに対する恐怖心が上にあった。

 優勝時のガイダンスで偽名や整形手術も可能だと言われていた。
 あのときは意地を張ってしまったのだが、今となっては、整形はともかくとして変名ぐらいはしておけばよかったと後悔している。


「あー、今日は夕方用事あるや。またにしてくれる?」
 極力淡々とした口調で答える。
 用事などなかったが、嘘も方便だ。
 それならここで告白、などと思われては敵わないので、「先行くね」と手を振った。

 教室につくと、すでに数人の生徒たちが登校してきていた。わいわいと騒がしい。
 菜摘はその中で一際騒がしい集団の中に行き、「おはよー」と声を掛け合う。主流派というか、クラスの中心になりやすい女子のグループがあり、菜摘はその中の一人だった。
 太った体躯、最大寸の制服の布地をぱんぱんに膨らませた鷹取千佳たかとり・ちかが、菜摘の耳元に口を近づけ何事か囁く。千佳がこのグループのリーダー格だ。
 菜摘が暗い表情で返すと、「えっ、そうなの?」と驚いた顔をし、真斗の方をちらっと見た。
「……陣内くん」
「彼女……いるんじゃ?」
「……菜摘は可愛いから……大丈夫」
 ぶつ切れに聞こえてくる彼女たちの会話。
 煩わしかった。誰かに好かれるということは、その周囲の者の視線をも浴びると言うことだ。
 極力目立たず平穏に過ごしたい。
 真斗の思いは、天に届かない。思いとは裏腹に、俊介や菜摘、千佳といった存在が周りにちらつくのは、人を殺した罰なのだろうか。
 ……ちょっと、大げさか。
 自嘲気味に真斗は笑った。



「今日は、和野が欠席か」
 出欠を取った担任の数家忠宣かずいえ・ただのぶ教諭 が、和野美月の机に視線を落とした。30そこそこの若い教師で、見目がよく、女子生徒の人気が高かった。実際、数人の生徒からアプローチを受け、手を出しているという噂だった。
 まぁ、よくある話だ。
 世間的社会的には大問題なのだろうが、真斗はとくに嫌悪感を持っていなかった。
 教師だって男だしな。
 皮肉めいた笑みを数家に向ける。
 今のところ、もしそういう機会が巡ってきても、身体の傷を気にして、女の子と関係を持つことが出来ない真斗からすれば、羨ましい話だったので、若干の羨望は混じっている。
 数家は、少し青ざめた顔をしていた。

「矢坂、和野はどうした?」
 数家が、教室の中ほどの席に座る矢坂彩華やさか・あやかに声をかけた。寮は名簿順に二人一部屋なのだが、一人部屋を使っている女子が一人いるので、女子8番の彩華と9番の美月が同室だった。
 彩華が艶やかな栗色の髪をかき上げながら、「きっと部屋で寝てますよー。いつものことじゃないですか」 言い放った。
 美月は素行があまりよくなく、夜遊びにも執心だった。
 ホストに入れあげ、親からの仕送りのほとんどをつぎ込んでいるという話だ。
 彼女は北陸の片田舎の出身で、家は資産持ちらしい。ふんだんな小遣いとともに、都会に送り出す。親心は見えなかった。

 そして、同室の彩華も派手な振る舞いが目立ち、美月と一緒になってよく街に繰り出している。
 彩華は、雰囲気美人とでもいうのだろうか、決して整った顔立ちをしているわけではないのだが、身にまとう雰囲気が艶やかで、ぱっと人目を惹く女だった。
 ただ違うのは、美月が遅刻欠席の常習犯で学年上がりに必要な単位の欠如が明らかであるのに対し、彩華はしっかりと出席日数を稼いでいるという点だ。
 まぁ、文字通り稼いでいるだけで、出てきても授業のほとんどは寝て過ごしているようだが。
 年齢は二十歳とのことだ。フリースクールという特性上、彼女のような生徒もいる。

「じゃ、寮から……ってことになるのかな」
 次に数家からこぼれた言葉は、おかしなものだった。
 どういう意味だ……?
 首をかしげていると、数家が教卓の引き出しをあけ、大きなマスクを取り出した。風邪をひいたときにつけるような布製のものではなく、軍事訓練で使われそうなしっかりとしたものだった。脇に小さな酸素ボンベがついている。
 そのマスクを見た瞬間、真斗の背筋に冷たいものが駆け上がった。
 一年前、中学三年生の秋、学年旅行に向かうバス。そのバスに睡眠ガスが撒かれたとき、運転手や担任の教師がつけていたのと同じものだったからだ。

 嘘だろ、おい……。

 思わず立ち上がる。
 と、ガラリと戸があき、数人の男が入ってきた。
 迷彩模様のコンバットスーツに、ブーツ、頭にはヘルメット。ひと目で 専守防衛軍の兵士だと分かった。ライフルを肩がけし、消火活動で使われそうな大きなホースを抱えていた。そのホースから、シューと音がし、白い煙のようなものが噴出した。
「きゃっ」
 隣の席に座っていた女子生徒が、驚きのあまり椅子からずり落ちる。
 椅子が倒れる音を耳に残しながら、真斗は眠りに落ちた。

 

−17/17−


□□  バトル×2 2TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
陣内真斗
私立ぶどうヶ丘高校一年。プログラム優勝者であることを隠している。