<佐倉舞>
「……こ、これ、何よ?」
自分の声が情けないくらいに震えているのが分かった。
声につられたのか、野口志麻が顔を上げたので、彼女の顔の造作がはっきりと視覚できるようになる。彼女の双眸は暗く落ち窪んでおり、頬はげっそりとこけ、顎のラインが鋭くなっている。
……痩せている。
それも、過度に、だ。
昨夜から疲労はたまっているし、まともに食事も取っていない。それを考慮しても、これは異常だった。
喉を押しつぶしたような悲鳴が後方で響いた。「ま、舞、それどうしたのっ?」千佳の惑い声が続く。そう、鏡に映った自分の姿もまた志麻と同じく痩せ細っていた。
つい一時間ほど前にトイレにたったときに鏡を見たが、普段どおりの容貌だった。
いったい、いつ、こんなことに? と、驚愕を重ねる。
よく見れば鷹取千佳や仲谷優一郎も痩せているが、彼女らはもともと太りじしだったため、それほど変化していなかった。先ほど来、舞の視界には千佳と優一郎しか映っていなかった。だから気がつかなかったのだろう。
背後で布ずれの音がした。振り返ると、沙都美が立ち上がるところだった。暖炉を背にした彼女は眉を寄せ、ふるふると肩を震わせていた。両の拳はしっかりと握られ、強く力をこめている風だ。
黒縁眼鏡が光を反射するので目の色の表情は分からない。しかし、舞は確信した。
……こいつだ。
こんな異常事態は、指輪の能力によるものとしか考えられなかった。問題は誰がやっているのかということだが、沙都美を見れば一目瞭然だった。
「……あんた、なのね?」
舞の確認に被せるように、「千佳……、笑ったの?」沙都美が掠れた声を押し出してきた。
「え?」千佳が反問する。
「笑ったの?」
繰り返し、沙都美は忌々しげに続ける。「友達面してた陰で、私のことを笑ってたの? ……この私を?」
「な、何言ってるの?」
「誤魔化さないで!」
手加減なしの怒声だった。千佳が、一回り小さくなった肩をびくりとあげる。
「思ってたのに。……友達だと思ってたのに!」最後には涙声になっており、あのプライドの高い沙都美が? と舞は目を見張った。
それだけ裏切られたショックが大きかったということか。
沙都美は、千佳だけを見ていた。ほかのメンバーにはまったく注視がいっていない。
生き残るためには、千佳の存在は邪魔だった。沙都美と千佳の争いは、仕掛けた舞としては、してやったりというところだが、肝心の沙都美の指輪の能力が全体に影響を及ぼすものであったことは計算外だった。
でも、こんなしょぼい能力じゃなぁ。と眉を寄せる。
痩せさせる? だからどうした。最初は驚かされたけど、考えてみればたいした能力じゃない。比べて、千佳は銃を持っている。反撃に出られたらひとたまりもないはずだ。
ここは、千佳を助け、彼女に恩を売るべきか? ……いや、千佳を助けても、彼女はアタシを選ばない。彼女が生き返らせるのは、家が金持ちの和野美月だろう。アタシを生き返らせても、アタシの家からはたいした謝礼は出ない。
どちらにつくべきが考えあぐねていると、「あ……」痩せて頬の肉が取れた仲谷優一郎が、舞の顔を指差してきた。その指先はぶるぶると震えており、目は大きく見開かれている。
アタシも痩せてる? 分かってるよ、そんなの。
煩わしげに優一郎を見やり、鏡に視線を向けた瞬間、「ひぃっ」舞は自分の喉からこぼれ落ちた悲鳴を聞いた。
症状が進行していた。
顔や腕の肉がすっかり削げ落ち、骨が透けて見えそうだった。視線を落とすと、手の甲に血管が浮き出て見える。身体から水分も抜けたようで、喉がからからに渇いてきた。
舞は、中学時代に保健体育の時間に見せられた映像を思い出した。過剰なダイエットに注意を促すことを目的にしたもので、拒食症に陥った少女の姿も映していた。骨と皮だけになった自分の姿は、まさにその少女のそれだった。
棒のようになった脚では身体を支え辛くなり、テーブルに腰掛ける。
見ると、野口志麻も似たような状態だった。舞と志麻はもともと痩せ型だ。千佳や優一郎と同じスピードで痩せても、ダメージが大きいのだ。
半ばパニックになりながら、「やめて!」声を荒げる。思いがけず掠れた声になり、さらに惑った。
「沙都美! 馬鹿なことはやめな!」
千佳も叫ぶように重ねた。もともとの体型が体型だからだろう、彼女はまだそれほど痩せて見えなかった。
このままでは、沙都美が千佳を殺す前に、自分がやられてしまう!
たいしたことがないと判断したのは間違いだった。驚くほどの速さで、身体中の肉が奪われていく。同時に体力や筋力も失われていくようだった。
そんな舞の脇を、沙都美がゆったりとした歩調で通り過ぎる。
彼女は、千佳だけを見ていた。憎憎しげな視線。
「千佳、私を笑ったのね?」
沙都美は、嫌々と首を振りながら後じさる千佳の右腕をぎゅっとつかんだ。すると、つかんだ場所を基点に、千佳の腕から一瞬にして肉が消え、枯れ木のようになった。
千佳が喘ぐような悲鳴を漏らす。
「……直はね、その部分にだけだけど、効果が大きく出るの」
そう宣言する沙都美の顔色は真っ青だった。額に汗も滲んでいる。
当然だろう、これだけの能力だ。多大なエネルギーを消耗しているに違いない。
「『痩せ行く男』。
能力は……体験している通り。周りの人間を少しずつ痩せさせることができる。変化は、少しずつ。即死させるような能力じゃぁない。だけどね……」
ここで沙都美は一旦台詞を止め、今度は千佳の左腕をつかんだ。
「だけどね、こうして触って……直に能力を流し込めば……」
これから何が起きるのか予測できたのだろう、「やめて……お願い……」千佳が涙交じりに懇願したが、沙都美は聞き入れなかった。
無意識に目をそむけていた。恐る恐る視線を戻すと、千佳の逆手も痩せ細っていた。
胴体の肉はまだ残っているので、角の取れた四角形の身体から枯れ木のような両腕がにゅっと伸びた、異様な容貌になっている。彼女の唇からはあぶくのような唾液がこぼれ、細くなった顎を伝い床に落ちており、身体はがくがくと震えている。
見やる舞の身体も震えていた。
よかった。と心の底から思う。沙都美の怒りの矛先が千佳に向いてよかった。
本来なら、自分があの能力を受けていたはずだった。
千佳が噂を撒いたとばらさなかったら、沙都美は千佳についていっただろう。途中までは三人一緒に行動できたとしても、最終的には沙都美は千佳を選び、自分を殺そうとしたに違いない。
その際に指輪の力を使われていたら……、あの醜い姿を晒していたのは自分だったのだ。
突然、ざざと雨の音が聞こえてき、冷たい空気が舞の頬を撫でた。湿っぽい匂いが鼻腔をくすぐる。
出窓が開いており、雨音と外気が漏れ入ってきていた。どうやら雨が降り出したらしい。そして、開いた窓の枠に足をかけているのは、仲谷優一郎だった。やはり、その横顔は痩せこけている。優一郎はそのまま外に逃げ出して行った。野口志麻
も後を続く。
優一郎や志麻には、千佳を守る義理はない。
妥当な判断だろう。
ならば自分もと、細く折れそうな手足を懸命に動かし、出窓のところまで来たところで、ばたんっと大きな音を立てて窓が閉まった。同時に雨音も遠くなる。
慌てて窓を押し引きするが、びくともしない。差込錠は上がっているのに、窓が開かないのだ。
沙都美の能力により抜かれた力を懸命に振り絞り、木作りの椅子を振り上げ、脚で窓を殴りつける。しかし、窓ガラスは割れなかった。鈍い衝撃だけが返り、腕が痺れる。
こんな安っぽい施設の窓が耐性ガラスであるはずがない。何かの力で守られているのだ。
「な、なんで?」
激しい焦燥感と恐怖感。心臓が強い力でぎゅっと鷲掴みにされたようになり、眩暈と吐き気がした。パニックに陥りそうな中、懸命に頭を回転させ、舞は状況を理解する。
「ちきしょ、誰がやったっ?」
『黄金の七人』と逆の能力によるものとしか考えられなかった。
正確な能力のほどはわからないが、どんな鍵も開けることが出来る自分の指輪の能力とは逆に、閉じ込める能力が発動しているのだ。
誰の? ……そんなの決まっている。
表に出た仲谷優一郎か野口志麻のどちらかが、舞たちもろともに沙都美を封じようとしているに違いない。
恐怖に身体が強張り、声を出すことすら叶わなくなったのだろう。千佳は逃げ出そうともせず口をぱくぱくと動かすだけだった。
都美はそんな千佳の左わき腹の辺りに手を置く。
……ずっと低い音が鳴ったような気がしたかと思うと、千佳の左体側の肉が消えた。衣服で覆われている部分だが、それでも変化は目に見えて顕著だった。彼女の巨体を覆いぱんぱんに膨れていたはずの布地がたわんでいる。スカートも緩み、ずれ落ちそうになっていた。
と、振り返り、舞に視線を向けた沙都美がぽつりと言った。
「ごめんね、舞。もうすぐ終わるから、ちょっとだけ我慢してて」
「え?」
「すぐに、この女を始末するから」
この言葉を聞き、舞はほっと胸をなでおろした。
沙都美は千佳を捨て、自分を選んだのだ。愚直な女だが、このプログラムで生き残るには誰かとコンビを組んだほうが有利であることは理解してるらしい。そして、そのパートナーとしてアタシを選んだ。
思い通りの展開に、舞は、満足げな笑みさえ浮かべる。
だが、千佳を見やった舞ははっと息を呑むことになる。
いつの間にか千佳に生気が戻っていた。座ったまま壁に背を預け、両手で銃を構えている。眉間に深いしわがより、眉が釣りあがっていた。そこには、沙都美に負けない憎悪が滲んでいる。
「沙都美っ、後ろ!」
舞の叫びに被せるように、「よくも、こんな姿に!」千佳の呪詛の言葉とともにだんっと鈍い銃撃音がこだました。至近距離、弾は外れることなく沙都美の腹に沈み、ぱっと赤い血が飛散する。火薬の匂いも散った。
しかし、同時にばきりと骨が折れる音がした。ぐううと呻き、千佳が左腕を逆手で支えている。沙都美の能力で痩せ細った腕では発砲の反動を支えきれず、左腕の骨が折れたのだろう。銃は千佳の手を離れ、からからと床を滑った。
「ああ……」
一瞬戻っていた千佳の生気が再び失われる。心が崩れ落ちたのが分かった。
千佳の勝機は失われた。あるとすれば指輪の能力だろうが、千佳に指輪を操る精神力や体力が残っているとは思えなかった。
……沙都美の、勝ち、だ。
そして、それは、舞の勝利でもあった。
直接能力を受けた千佳ほどではなかったが、舞もまた肉と力を奪われている。座り込むことすらできなくなり、床に身をゆだねたが、唇の端をいびつに歪め、笑顔を無理に作った。
思う。
勝者は、笑うべきだ。
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