<堀田竜>
竜は緊張した面持ちで朝陽を見やった。
アスマの陰から秋里和と鮎川霧子が出てきたときは驚いた。アスマと幼馴染の和はともかくとして、鮎川霧子も一緒だとは思っても見なかった。
聞けば、彼女はプログラム経験者らしい。「アドバイザーとして同行してもらっている」とアスマは言っていたが、単純に興味がわいただけだろう。
アスマの高揚した顔は、修吾に近づいてきた頃のものと同じだった。
竜は、鮎川霧子とはほとんど話したことがなかった。
孤高を気取っているわけではないのだろうが、彼女はクラスメイトと交わることに消極的だった。女子生徒でも、かろうじて同室の井上菜摘(死亡)と親しかったぐらいだ。
男子生徒では、先ほど戦った陣内真斗と多少親しかったようだったが……。
それにしても、驚いた。鮎川のやつ、プログラム経験者だったんだ。
彼女の凛とした横顔をそっと眺める。
霧子は和とアスマからやや離れた位置に立ち、唇の端を噛み締めている。霧子がプログラム経験者であるというのは、アスマに取り入るための方便だったが、もちろん竜は気がついていない。
アスマはいつになく多弁だった。聞いてもいないことをぺらぺらと喋る。
話をそのままに信じるのならば、まだ誰とも戦っていないらしい。衣服に汚れも返り血もついていないので、これは本当だろう。
また、彼らは他の選手を目撃していた。村木春奈。切り立った崖の上にいるのをちらと見ただけで、声をかけたりはしていないらしい。
春奈は地味な女子生徒だ。アスマの興味は引かなかったのだろう。
「堀田くんは、どうだったの?」
この傷ついた身体で「誰とも戦っていない」などと言えるはずもなく、また適当な嘘も思いつかなかったので、そのままを答えた。
「へぇ、じゃ、陣内くん、プログラムに乗ってるんだ」
アスマが目を輝かせながら、歌うような口調で言う。
井上菜摘の死を聞いた割には、霧子から悲しみは見えなかった。その代わり、陣内真斗の名前には大きく反応した。顔色が変わり、彼女らしからぬそわそわとした落ち着かない雰囲気が続く。
……鮎川、もしかして陣内のことを?
見当外れの推測をしながら、竜はアスマから一歩離れた。
彼の手には一丁の銃、コルトハイウェイパトロールマンが握られている。
銃器の類が効果を失う5メートルの間隔をキープしておく必要があった。
この銃は秋里和の支給武器で、アスマ本来の支給武器は一冊のノートだった。見せてはもらえなかったので、中に何か書いてあるのか、それとも白紙なのかは分からない。
鮎川霧子の支給武器は、おそらく手に持っている小刀だろう。
指輪については話題にすら上らなかった。
先ほど能力を使い枕木を折り取った場面を見られているので、こちらの能力は想像がつかれているはずだ。出来れば、あちらの能力を聞き、立場を同等にしておきたいところだが……。
と、竜は足元に何か気配を感じた。
はっとして目線を落とすと、そこには制服を着た一対の腕があった。何もないはずの空間に黒い歪みのようなものがあり、そこからにゅっと腕が出ているのだ。歪みは直径50センチほどだろうか、楕円を崩したような形だ。
出ているのは、肘から先の部分だけ。上腕はなく、肘から先だけが空間の歪みから姿を現している。
「えっ?」
先に疑問を感じ、疑問を口にだしたところで、恐怖が追いついてきた。
すくみそうになる脚を懸命に動かし後じさろうとしたが、その腕が竜の右腿の辺りをぎゅっとつかむ。
足をつかまれた確かな感覚に、竜は短く切った悲鳴を上げた。その悲鳴に続くように、右脚が意図なく跳ね上がる。突然のことだったのでバランスを保てなかった。背中から地面に仰向けに倒れこむ。
「え、え、え?」
繰り返す疑問符。
困惑をよそに、右足がぴんと伸びたかと思うと、空を蹴り上げた。さらに左右に振り子のように揺れる。馬鹿げたことに、脚の自由がきかないばかりか、感覚までもが失われていた。
右腿から下が、まるで他人の身体のようだった。
歪みと腕はいつの間にか消えていた。
倒れた姿勢のままアスマを見上げると、彼は微笑んでいた。細い目じりが下がり、薄い唇の端から八重歯が見える。
マズイ、人を傷つけることを喜ぶときのアスマだ。
竜が身構えると同時、アスマの前に歪みが出現した。時を同じくして、仰向けになった竜の右上腕2、30センチ上の空間にも、黒い歪みが現れる。
竜とアスマの目前に出現した、二つの歪み。
アスマは、自分の前の歪みにゆっくりと手を差し込んだ。指先、手首、肘下……、順に歪みの中に飲み込まれていく。そして、それに伴って、竜の前の歪みから彼の腕が現れた。今度はアスマの手が竜の左腕を握る。
すると、脚の感覚が戻り、左腕の感覚が失われた。
唖然とする間もなかった。竜の左腕が軽く旋廻したかと思うと、勢いそのままに自身の腹を殴りつけたのだ。ぐううと呻き、身体をくの字に折り曲げ血を吐く。
上目遣いにもう一度アスマを見上げた。先ほどと変わらない表情、違うのは肘から下が消失していることだけだ。そして、そばに控えるように立っているのは、秋里和だ。
単純な性質だが決して頭は悪くない竜、遅ればせながら状況を理解した。
アスマと和のコンビネーションだ。
空間の歪み、小型のワープホールのようなものを作るのが、和の指輪の能力。
触れた相手を操るのが、アスマの能力。
アスマは和が作ったワープホールに腕を通すことで空間をショートカットし、近づくことなく竜の身体に触れ、自身の能力を発動させたに違いない。
この二つの能力は相性がいい。和には直接的な殺傷力はない。アスマは相手に近づく必要がある。それぞれの欠点を見事に補い合っていた。
上半身を起こし、目を見開いていると、
「さっすが、堀田くん。カンがいいね」竜が状況を理解したことに気がついたのだろう、アスマが感心したように言った。
「僕は君の事を決して侮ってないよ。高熊くんなんかよりも、よっぽどやっかいだ」
アスマはぎゅっと眉を寄せ、力を込めた。
すると、自由が利かない竜の腕が拳を握り、今度は自身の左太ももに打撃を加えた。
「ああっ」
あまりの痛みに、我が事ながら情けない悲鳴をあげる。
鈍い音がした、おそらく骨が折れたのだろう。
思わず瞑ったまぶたをこじ開けると、目の前に拳の握り山が見えた。
「まさか……」
顔面を殴らせるつもりだ!
恐怖に慄然
とする。
とっさに首をかしげ、かろうじて避けることができたが、操られた腕が竜の後背に流れ、その程度が人体の限界以上だったため、ぼきりと左肩の骨が折れた。
「能力」のんびりとした口調でアスマが言い放つ。
「え……」
「君の能力、腕力強化、かな? ちょっと発動させてみせてよ」
やはり、枕木を折り取る場面は見られていたらしい。
だが、言われるまでもなかった。幸い残った右腕は利き腕だ。手ごろなサイズの石を握り、アスマめがけて投げつけた。無理な体勢ながらも、人間技ではありえないスピードで石は空間を裂く。
正確にコントロールする余裕などなかったため、投げた石はアスマを掠りもせず、彼の後ろの防風林に当たった。
石は樹木を貫通し、次の防風林にめり込んだ。これも一種銃弾だ。銃器の類が効力を失う5メートルの制限にかかったのか、単に威力がそこで尽きたのか。
それでも驚いたらしい。アスマが目を大きく見開いた。
「すっごいね」
はっとしたが、遅かった。
三度出現した歪みを利用し、空間をショートカットしたアスマの手が竜の右腕に触れる。竜の右腕が意図なく自身の右腿を殴りつけた。ぼきっと大きな鈍音がすると同時に、腿から下の感覚がなくなる。
恐る恐る視線を落とした、その瞬間、竜は凍りついた。
「う……わ」
こぼれ落ちる驚愕。そのがっしりとした太ももにぼこりと穴が開き、折れた骨が制服のズボンから立っていた。血が吹き出ている。血よりも赤い肉が見える。
霧のような血が竜の顔面にもかかった。遅れて、脚に感覚が戻り、痛みが追いついてくる。
今度は悲鳴すらでなかった。あまりの痛みに地面を転がりまわる。
腕力を強化する『アストロボーイ』を発動させたまま操られてしまったため、通常では考えられないダメージを負ってしまった。
慌てて能力を解除する。
左腕、両足は折れ、右腕は操られている。四肢をもがれたも同然だった。
痛くて苦しくて辛かった。
今まさに自分が死に掛けていることに恐怖する。
死ぬのか? オレはこんなところで死ぬのか?
出血からか、痛みからか、恐怖からか、がくがくと身体が震えた。
重傷を負い、芋虫のように地面を這い蹲る竜に、アスマの抑揚のついた歌うような声が落ちてくる。
「……祈りなよ」
……始まった。遠のきそうになる意識のなかで、そう思った。
いつもの、アスマの芝居がかかった儀式。
「神様に、助けてって祈りなよ。そしたら、助けてあげる」
「たす……」
思わず従おうとした心を、竜は叱咤した。
敵の思い通りになってどうするっ。
歯を食いしばり、激痛に耐える。
集中した。先ほど解除した能力を再び発動させる、アスマの操る力に対抗する。
「あああっ」
かいあってか、右腕の主導権が竜に戻った。
アスマは、少し驚いたような顔をした。
よしっ、負けるもんか!
もう一度適当な大きさの石を握り締める。そして、今度こそアスマに命中させようと振りかぶったそのとき、竜は唖然とした。
……アスマの表情が変わっていた。興奮した面持ち。きらきらと光る双眸。高揚したほほ。
「すごい、すごい、やっぱ、君はすごいや」
手を叩いてさえみせる。
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