<陣内真斗>
一瞬時間が飛んだようになった。目を開くと、堀田竜がこぶしを組み合わせ、腕を振り下ろしてくるところだった。
慌てて、真斗は身体を回転させる。
竜の拳は、診療室の床に沈んだ。素手で殴っただけにもかかわらず、床板が割れ、クレーターのような穴があいた。木っ端と埃が宙を舞う。
身体ががくがくと震えはじめた。息があがる。頭に受けていたら、即死だったろう。前のプログラムで見た、頭を割られて死んでいたクラスメイトを思い出す。あんな風に死ぬのはごめんだった。
「誰がっ」
叫ぶ。
力を込めて、叫ぶ。
「誰が、死ぬもんか!」
仰向けの姿勢のまま膝を折りたたみ、勢いをつけて竜の腹を蹴り上げた。
竜は仰け反り、バランスを崩す。その顔には苦痛が滲んでいた。蹴られた腹を押さえる両手。甲は痛々しく傷ついている。
……これで分かったことがあった。
竜の能力、『アストロボーイ』。
腕力を強化する能力。そのパワーは、短い間に嫌というほど体験した。しかし、それだけのもののようだ。単純に攻撃力のみが強化され、力を振るう身体の防御力は強化されていない。
素手で床板を砕くほどの力だが、その力に竜自身の身体がついていっていないのだ。
これは、彼と戦う上での重要な情報だった。
と、「真斗っ、右を見て!」と智樹の指示が飛んできた。
言われたとおり、右側を見るが、何もない。
いったい何だ? 思った瞬間、右肩のあたりの床の上に、一丁の銃が出現した。今まで何もなかった空間に。
『トランスポーター』、
智樹の能力により送られた銃だった。真斗は智樹の能力を知らなかったので驚いたが、惑っている状況ではなかった。
銃を取り、竜に向ける。
ちょうど再び組み敷かれようとしているところだったので、至近距離で銃口を竜の顔に突きつける形となった。
竜の双眸が見開かれ、焦燥と恐怖が満ちた。
引き金に指をかけ、そして、力を込めようとしたそのとき、雷光のようなものが真斗の身体を突き抜けた。
これじゃ、殺してしまう!
はっとして、銃口をあげた。その拍子に引き金に力が加わり、重い反動とともに銃弾が飛び出した。銃の向きがずれたため、弾は竜の上腕を抜けるに終わり、診察室の壁にめり込んだ。
同時に、がたんと大きな音が響き、出入り口をふさいでいたロッカーが取り除かれた。
智樹と俊介が、入ってくる。
竜の判断は早かった。ちっと舌を打つと、踵を返す。そして、撃たれた肩をかばいつつ、入ってきた窓から逃げ出していった。
*
「大丈夫……じゃないよね」
竜に折られた腕を支えながら起き上がった真斗を抱きかかえ、智樹が不安げな声を押し出してきた。
「いや、これぐらいで済んだだけマシなほうだ」
横たわるロッカー、崩れた薬品棚、打ち砕かれた窓に、床。
ベッドは傾ぎ、衝立は倒れている。燦々たる状況の診察室を見渡し、真斗はふっと息をついた。
攻撃だけに特化し、直接的に拳を振るうと自ダメージを受けてしまうようだったが、目を見張る破壊力を持った能力だった。
話したとおり、腕の一本だけで済んだのは幸いと言えた。
竜は間違いなくゲームに乗っている。生き残りの有力候補だろう。
互いに生き残れば、どこかで再戦する可能性は大いにある。彼を倒す絶好の機会を逃したのは、あまりにも痛かった。顔を突き合せるような至近距離で銃を向けたのだ。ちゃんと引き金に指をかけていれば、今頃床には竜の死体があったはずだった。
だけど、殺せなかった。
これからのことを考えると、自分が人を殺すところを智樹に見せるべきではなかった。出来る限り、非戦であることを装ったほうがいいだろう。
遅れて、真斗は顔をしかめた。
それは、今考えたのは後付けの理由にすぎないことを、自身がよく知っていたからだった。
竜の顔面に照準が合っていた銃口をはずしたとき、自分が何を考えたか。
……単純に、自分が人を殺すところを智樹に見られたくなかった。ただ、それだけだった。
いけない。
真斗をとりあえずベッドに寝かせた後、部屋の様子を呆然と眺めている智樹の背を見、首を振った。
いけない。
どんなタイミングで命を落とすやもしれないのだ。現にさきほどの竜との戦いは、いつ死んでもおかしくなかった。
冷静に、冷酷に、相手を殺さなければならない。それなのに……。
智樹の存在が自分にとってのアキレス腱になっていることを、真斗は自覚する。
いけない、このままじゃ、いけない……。
と、「さっき、ためらった……?」ぽつりと小さな呟きが落ちてきた。
声のした方を見ると、俊介がいた。真斗の顔をまじまじと見つめてきている。信じられないものを見た、表情がそう語っていた。
ああ、と今度は真斗が呟く。
やはり、木ノ島は知っている。
俊介が何に驚いたのか。
それは、プログラム優勝者である自分が人を殺すことにためらいを持ったことにだろう。つまり、彼は、自分がプログラム経験者だと知っているのだ。
真斗は目を瞑り、ぎゅっと眉を寄せた。
木ノ島はもう智樹に俺のことを話してしまったのだろうか。いや、それなら智樹の顔を見れば分かる。だけど……。
おそらく今の時点ではばらされてないと思われたが、先を考えるとばらされない保障はなかった。
目を瞑ったまま拳を強く握り、決意した。
殺さなくては。……智樹にばらされる前に、木ノ島を殺さなくては。
「神様、神様……」
井上菜摘の亡骸を整えた智樹ががくがくと震えながら、呟いている。この理不尽な現状から救って欲しいのか。ただ単に心のより所にしたいのか。
真斗は小刻みに震える智樹の背を見つめながら、ふっと息をついた。そして、ゆっくりと目を開き天井を見やる。
板天井には、先ほど堀田竜の手から滑らせた木材が刺さったままだった。
……神様とやらは、どうして俺を裁かないのだろう。こんなにも罪深い俺を。
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