<陣内真斗>
真斗は井上菜摘の亡骸を抱えると、診察室の隅に置かれていたロッカーの中に押し込んだ。菜摘が小柄だったせいもあって、難なく収まる。
智樹がこの診療所に向かっているのならば、そろそろ着いてもいい頃合いだった。菜摘を隠す必要がある。
菜摘を抱えたことで、血が真斗の身体にべっとりと移っており、ロッカーや床にも血糊が残っていた。
これでは菜摘を隠した意味が無い。
また能力を使うか……と構えたところで、ふと思いつき、政府から支給された飲料水のペットボトルをあける。そして、真斗は軽く深呼吸してから、能力を発動させた。
先ほどと同じく、各所に付着していた菜摘の血液が浮かび上がる。
薄暗い診療室に、いくつもの紅い水玉がふわふわと浮く。いっそ幻想的といってもいい光景だった。そのうちの適量を、あいたペットボトルの中に詰め、残りは水場のシンクに流した。
菜摘の身体からはまだ多少の出血があるので、ロッカーの床に毛布を敷いてある。支給武器の包丁は刺したままにしておいた。抜けば出血量が増え、毛布では吸いきれないだろう。 前回のプログラムでは、不用意に包丁を抜き、大量の血を浴びたものだ。
……これも、学習か。
皮肉めいた笑みを浮かべ、眉をひそめる。
遅れて、ほっと息をついた。頬が緩む。
まだ、人の死を茶化すことに不謹慎を感じることが出来る。眉をひそめることが出来る。
真斗に支給された指輪は、能力名を『ブレイド』
という。すでに何度か使われた通り、血液を操れる。
力を込めればある程度の硬度、粘度を持たせられるが、刃物状にするなど殺傷能力を付加するほどの固定力はない。また、新鮮な血液のみ操作可能で、時間が経ち乾いたものは操れない。体内にあるものも使用できない。
攻撃性に欠ける能力ではあるが、その分応用力があると真斗は考えていた。
銃が支給されたとしても、反動等でうまく使えないのなら、刃物が支給されたほうがいい。
指輪に関しても似たようなものだ。
例えば、菜摘が支給された『ガラスの塔』。
殺傷能力としては『ブレイド』よりも高いが、この能力を使うには相手に接触する必要がある。接触可能なほど近づくのなら、わざわざ能力を発動しなくても、刃物や銃器を使ったほうが手っ取り早い。
その点、『ブレイド』は中距離型で使い勝手がよかった。
ここに来る前に、自分の身体に軽く傷をつけ、その血で実験してみたのだが、5メートルは血液操作を維持することができた。
もちろん、距離を延ばすためには、それ相応の精神力や体力が必要だったが。
銃器が効果を失う距離と同じ5メートル。おそらく、同じ働きによって5メートル以上は能力が維持できなくなっているのだろう。
欠ける攻撃性は、使い手の知恵や、刃物や銃器など他の武器でカバーすればいい。
そして、真斗は、この能力を使いこなせる自信があった。
ちなみに、通常の支給武器は双眼鏡で、包丁はここに来る途中にあった民家で入手したものだった。
*
と、「あんたが、死ねばよかったんだ! ……を返してよ!」不意に、雷鳴のような怒声が頭の中で踊り、真斗は顔をしかめた。
それは、懸命な努力で封印し、やっと薄れてきたはずの記憶だった。
プログラムから帰ってしばらく、真斗は、鈴木由梨絵
という20歳そこそこの若い女性に執拗に付きまとわれた。
由梨絵は、妹をプログラムで亡くしていた。
だけど、彼女の妹を真斗が直接殺したわけではなかった。そもそも彼女の妹が死んだプログラムと真斗が参加したものは別だった。所属していた学校も違う。真斗は全くの無関係だったのだ。
当然のことながら、何度も弁明したのだが、すでに物狂いになっていた彼女は、聞き入れてはくれなかった。
ただでさえプログラムで体験した死闘のショックが残っていた。
彼女の存在は、真斗の大きなストレスとなったものだ。結局、彼女は官営の精神病院送りになったのだが、それまでの一月ほどはまさしく地獄だった。
あの人、まだ生きているかな……。
ふと思う。
あまりに的外れな責めだったせいか、由梨絵に恨みめいた感情は持っていなかった。今では可哀想な人だったとさえ思っている。
しかし、由梨絵が退院したときのことを思うと、身震いするような恐怖を感じる。
官営病院のいい加減な治療で由梨絵が正常な精神を取り戻すとは思えなかった。
もし、彼女が医師を謀り、退院してきたら? ……間違いなく真斗のもとに彼女は現れるだろう。
由梨絵は真斗を指差し、叫ぶのだ。「こいつは、プログラム優勝者だ!」「妹を返せ!」そのとき、真斗の平穏は音を立てて崩れ落ちる。
学校を移り、住処を移り、やっとのことで維持してきた日常が。
真斗にとって由梨絵は爆弾のような存在だった。
敵機から投下される爆弾。
一年前はその爆弾から逃げ惑った。幸い直撃を受けることはなかったが、その爆風に煽られ傷ついた。そして今は、彼女は地下に埋まった不発弾として真斗を脅かす。
いつ爆発するのだろうか? いつ彼女は自分の前に現れるのだろうか?
理性では分かっている。
官営の精神病院の環境の劣悪さは有名な話だ。まともな治療はなく、看守や医師の暴力により命を落とす患者も多いと聞く。華奢で身体が弱そうだった彼女が長く持つとは思えなかった。もう死んでいてもおかしくない。
いや、死んでいてくれとすら思う。
彼女には同情はする。妹を理不尽に失った悲しみを誰かにぶつけなくてはおられなかったのだろう。その矛先がたまたま自分に向いただけの話だ。
変わらない冷静さで真斗は分析する。
しかし、感情問題として、恐怖心は残る。彼女には死んでいて欲しい、恐怖の源は消えてなくなって欲しい、そう思うのは無理もないことだった。
また、妹の死を悼んで狂った彼女を思うとき、自然に姉の亜希子を思い出すことになるのは、辛いことだった。
例え同じ立場になったとしても、亜希子は狂わないだろう。プログラムから帰った弟に近づこうとしなかった彼女が、どうして弟を思い狂うことが出来るのか。
だが、亜希子と鈴木由梨絵の差は、二つの兄弟姉妹がそれまで築いてきた関係の差だと真斗は知っていた。
由梨絵とその妹は、仲のよい姉妹だったのだろう。だから悲しみに耐えられなかった。
比べて、真斗と亜希子の関係は淡々としたものだった。
決して仲が悪かったわけではないし、共働きで忙しかった両親に代わって真斗を育ててくれたのは、彼女だった。だけど、真斗が中学に上がる頃にはすっかりよそよそしくなってしまっていた。
亜希子を怨むのはフェアではない。近い関係を築かなかった自分が悪いのだ。
ああ……。
真斗は苦笑する。
俺って嫌になるほど冷静だ。
もっと、自分本位になれたら、と思う。そうすれば、鈴木由梨絵を恨み、姉の亜希子を恨み、少しは楽になれた。
いや、生きることに関しては、自分本位か。
プログラムに乗った自分を振り返り、井上菜摘を殺した自分を振り返り、真斗は苦笑を深める。「どうしてみんな簡単に殺しあうんだよ!」「オレ、政府が憎いよ。なんで、オレたちがこんなこと……」真斗が前のプログラムで殺した室田高市が、会場で吐いた言葉だ。
彼は政府に憤りを感じ、ゲームに乗ってしまったクラスメイトたちに憤りを感じていた。
真斗は、高市と同じように憤りを感じることは出来ない。
それは、真斗が『簡単に殺しあう』側の人間だからだった。
こんな不合理な制度をしいた政府には一言二言文句を言ってやりたいが、だからと言って倒したいとは思えない。
もちろん、平和な日常を壊されたことには多少の憤りを感じる。
鈴木由梨絵による崩壊はずっと恐れてきたが、まさかこのような形で再度壊されるとは思っても見なかった。
どうして殺しあうのか?
……そんなの、生きたいからに決まっている。誰だって死にたくない。俺だって死にたくない。だから、俺は前のプログラムでクラスメイトを殺した。井上菜摘を殺した。
しかし、真斗は気がついていた。
殺す理由としては、死にたくないから、でいい。だが、それとは別に生きる目的が必要だった。
前回は、恋人の遠藤沙弓に会いたい一心で戦った。
しかし、今回同じ目的を使うことはできない。彼女とはすでに終わっている。生にしがみつく力の源に彼女を当てることなどできるはずもなかった。
では、何を目的にすればいいのか?
……何もなかった。
家族との関係はすでに終わっている。姉や母が自分の再優勝を望んでいるとは思えない。将来の強い夢もない。元々ただ漫然と生きていた。生き残ってやりたいことなど何もない。
だけど、生きたかった。
自分には生き残る価値がない。……だけど、生きたい。
開き直りに近い感情。
「目的を探す必要が……、あるな」
ぽつりと、一人ごちた。
と、目の前が陰った。
月に雲がかかったのかな、と窓を見る。そして、真斗は大きく目を見開いた。
「ひっ」
短く切った悲鳴が自らの耳を突く。
窓の外に人影が見えた。
月の光をバックにしているので誰か分からないが、とりあえず大柄な男子生徒だと判別はついた。また、その誰かは木材のような物を振りかざしていた。そのまま木材が窓に打ち付けられる。
とっさに両腕を顔の前でクロスさせ、眼球だけは守った。ガラスが割れる激しい音とともに、破片が真斗の身体を傷つける。
心臓が早鐘を打った。
破った窓から入ってきたのは、堀田竜だった。高熊修吾と親しかったのに、深沼アスマが修吾を殺すのを補助した彼。間違いなくゲームに乗っているだろう。
慌てて患者用の丸椅子を両手に抱え、脚を竜に向ける。菜摘を殺した後、新たな武器を確保しておかなかった自分を叱咤する。
武器の確保、退路の確保、基本じゃないかっ!
丸腰の真斗を見、竜がにやりと笑った。
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