OBR2 −蘇生−  


014  2004年10月01日03時00分


<陣内真斗>


 ややあって、真斗は強い吐き気に襲われた。
 水場に駆け寄り、腰を折り、胃の中身をシンクにぶちまける。口腔に酸味が広がり、それでまた吐いた。
 ひとしきり吐いた後、顔を上げ鏡に映す。
 無骨な黒縁眼鏡の奥の上がり気味の三白眼、薄い唇、小振りの鼻。そこには、多少青ざめているものの普段とさほど変わらない真斗がいた。
 動悸もおさまりつつあった。

 鏡の向こうで真斗の口元が歪み、苦笑いの表情を浮かべた。
 ……もう、自分を取り戻した。
 殺したというのに。人を殺したというのに、動揺はものの2,3分。俺は、もう自分を取り戻している。
 いや、動揺はしている。しかし、それは、人を殺した事実に対してではなく、人を殺したのにもう平然としている自分に対してだった。
 前はどうだったろう、と前回のプログラムのことを思い浮かべる。
 一番最初に殺したのは、ほとんど話したことも無かった女子生徒だった。彼女はいきなり物陰から襲ってきた。死への恐怖に耐え切れなかったのだろう、半狂乱になっていた。
 もみ合ううちに握っていた銃の引き金を引いてしまい、その弾丸がその少女の胸に命中し、あっけなく絶命した。
 あのとき、真斗には殺意はなかった。むしろ、正気に戻そうと、説得の声をかけたものだ。
 彼女を殺したときは、相当に動揺した。

 だけど、今回は違う。驚くほど早くに、落ち着きを取り戻した。
 ……殺したのに。俺を好きだという女の子を殺したのに。だけど、俺はもう平気だ。
 慣れたからだろうか? 
 それとも。それとも、もう、俺はまともじゃないんだろうか?
 さらに前回と決定的に違うのは、相手が無抵抗であったことだ。戦う意志などなかったことだ。
 
 菜摘がプログラム優勝経験者であることを明かされたときは、本当に驚いた。あまりの驚愕に、自身もまた経験者であることをぽろりと漏らしてしまったぐらいだった。
 そして、嬉しかった。自分ひとりではなかったと思えたことが嬉しかった。
 彼女は二人で生き残ろうと言った。本心を語るならば、相当に心動いたものだ。彼女が思い描いたささやかな将来を、真斗もまた思い描いていたのだ。しかし……。


 鏡の向こうの真斗に新たな表情ができる。泣き笑いの表情。ひどく情けない表情だ。
 倒れこんでいる菜摘の亡骸を一瞥いちべつし、真斗はひとりごちた。
「君が……俺を好きじゃなかったら、俺なんかのことを好きじゃなかったら。沙弓のことを思い出させなかったら」
 遠藤沙弓とは学年は一緒だったが、クラスが違った。
 だから、彼女はプログラムには参加していないし、死んでもいない。
 前のプログラムでは、生き残り彼女と再会したい一心で戦った。
 積極的にゲームに乗ったわけではないが、少なくとも誰かと戦うときは常に彼女のことを思い出し、それをエネルギーとした。しかし、優勝し舞い戻った真斗を、沙弓は受け入れてはくれなかった。
 だから、真斗は信じられないでいる。
 恋愛というものを信じられないでいる。
 詰まるところ、菜摘もまた信用できなかった。
 そして、怖かった。彼女を心から信じてしまいそうな自分が怖かった。彼女の想いを受け入れてしまいそうな自分が怖かった。

 彼女に引き寄せられ、自分もまた彼女のことを好きになってしまったら? 
 その後、彼女に裏切られたら? 
 沙弓のように裏切られたら?
 そうしたら、もう自分は思考停止してしまうかもしれない。彼女のなすがまま、殺されてしまうかもしれない。 

 急に、智樹に会いたくなった。
 彼ならば、信用できる。彼とならば、一緒に戦うことが出来る。
 真斗は、はっきりと戦う意志を固めていた。
 ……そのためのパートナーとして菜摘を選ぶべなかったということだ。
 すでに、クールに割り切ることが出来る自分に嫌気すらささなかった。あるがままに、自らの判断を受け入れる。
 そして、中学時代の親友、室田高市の顔を思い浮かべた。
 前回のプログラムで殺した親友の顔を。顔の造詣が双子のように似ているわけではないが、智樹は、持った雰囲気が高市とそっくりだった。入学以来、そのことに悩まされてきた。
 彼と一緒にいると、自分が過去にしたことを嫌でも思い出さされる。
 最後の最後、高市を裏切り、彼を殺した己の汚さを。罪の深さを。
 だけど、単純に、純粋に会いたかった。

「智樹、俺は井上菜摘を殺したよ……」
 鏡に映る自分に智樹の姿を重ね、真斗は語りかける。左右真逆の彼にはすでに表情はなく、うつろな瞳が眼鏡の奥で澱んだ光を放っていた。

      

−井上菜摘死亡 14/17−


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陣内真斗
プログラム優勝経験者。優勝後、家族と関係を保てなかった。告白してきた井上菜摘を殺害した。