OBR2 −蘇生−  


013  2004年10月01日02時00分


<井上菜摘>


 診察室は割合広い作りになっていた。待合室から続く入り口の正面に、白いカーテンがかかった大窓があり、その手前に木の机が見えた。
 入って左手の壁はすべて薬品棚で覆われており、右手にはベッドが二つ並んでいる。
 島民が避難してからそれなりの時間が経ったはずだが、消毒薬の匂いは強く残っていた。

 デスク前の回転椅子に腰掛けた真斗 の顔には、驚愕の二文字が張り付いていた。
 当然だろう。
 目の前にプログラム経験者がいるのだ。人殺しがいるのだ。
 菜摘 は後悔していた。
 浮き上がった心のまま、言わなくてもいいこと言ってしまった。言うべきではなかった。
 しかし、次に驚かされるのは菜摘の番だった。
 なぜなら、真斗の薄い唇から「君も……だったのか」という言葉が漏れ落ちたから。彼はすぐにはっとした表情を見せ、ちっと舌を打った。意図せず、思わず口に出てしまったのだろう。
「君もって……。まさか」
 腰掛けていた診察室のベッドから勢いよく立ち上がり、真斗と正面から相対する。彼は、左手で口元を覆っていた。鼻にかかった人差し指がぶるぶると震えている。
「陣内くんも?」
 真斗はぷいと横を向いたが、それは、肯定だ。

 ああ、まさか、こんなことがあるなんて!

 菜摘の身体に歓喜が満ちる。
 同じだった! この人も同じだった! 同じように死地をさまよい、同じようにやっとの思いで生きて帰ったんだ。ぶどうヶ丘高校に来たぐらいだ、きっと家族ともうまくいってない。
 同じだ。きっと、この人は私と同じ苦しみ、悩みを抱えている。
 ……分かり合える。私たち、絶対分かり合える。
「二人で……」
 真斗に近寄り、彼の身体を抱きしめる。真斗の体温が伝わり、埃と彼の汗のにおいがした。
 二人で、生き残ろう。
 このプログラムは、二人、生き残れる。二人で生き残って、二人でひっそりと暮らしましょう。
 胸が熱くなった。
 ずっと、この世でたった独りだと思っていた。
 ぶどうヶ丘高校の特殊性から考えれば、自分と同じように優勝経験をひた隠しにしている者がいて当然なのだが、どういうわけか、菜摘にはその思考が抜け落ちていた。
 ……高熊修吾はあまりに自分とかけ離れていたため、仲間だとは思えなかった。
 おそらくは、それだけ絶望が深かったということだろう。プログラムから帰ってからの孤独が深かったということだろう。
 しかし今ここに、同士をみつけた。

 思った。
 もしかしたら、陣内真斗に惹かれたのは、彼の中に自分と同じものを見つけたからではないだろうか。
「ずっと、ずっと、苦しかった……」
 うわごとのように菜摘は言う。
 ずっと、ずっと、苦しかった。怖かった。人殺しの自分が生きてていいのか……。でも、死ぬのはやっぱり怖くて。陣内くんも、そうだったんだよね? 苦しくて怖かったんだよね? 私たち、同じだったんだよね?
 いつしか、泣いていたらしい。
 頬を伝う涙を、真斗の指先がそっと拭った。
「ありが……」
 ありがとう、とお礼を言おうとした菜摘の言葉がぐっと詰まった。
 熱い、胸が熱い。
 視線を下げると、胸の辺りに包丁が突き刺さっていた。赤い血が飛び出し、彼と自分の身体を染めている。
「え?」
 疑問符がこぼれ落ちる、そして後を追ってごぼりと吐血した。
「どう、して」
 肺を傷つけられたのだろう、ひゅーひゅーと喉から音が漏れた。

 違ったのか。一瞬、彼と結びついたような気がしたが、それは錯覚だったのか。

 『あいつは、やめときな』同室の鮎川霧子の言葉だ。
 ……彼女は、私よりも彼をよくしっていたということだろうか? 
 彼女に見抜けた本性に私は気づけなかったということだろうか?

 しかし、真斗に刺された今も、菜摘は彼のことが好きだった。
 弛緩する身体に叱咤し、右手をあげた。
 いつの間にかもとの無表情に戻っていた真斗の頬に手をやる。彼の頬と眼鏡レンズにべっとりと血の跡がついた。
 ついた血を見て、ふと思う。
 わたし、助からない。なら……。なら、彼の身体に何かシルシを残したい。わたしという存在のシルシを。わたしがあなたのことを好きだったというシルシを。
 衣服、露出した肌、眼鏡のレンズ、真斗の身体あちことに菜摘の血がついていた。
 服は着替えられるとしても、肌や眼鏡についた血は洗ってもおちにくい。少なくともこのプログラム中は彼とともにあることができるだろう。
 崩れ落ちながらも満足げに微笑む菜摘を見、真斗が怪訝な顔をした。
 ややって、はっとした表情を見せ、自分の頬に手をやった。
 菜摘の意図がわかったのだろう。
 ……でも、もう遅いよ。わたしのシルシはあなたに残る。

 だがここで、菜摘は目を見張ることになる。
 真斗の身体についた血が、衣服や眼鏡についた血が、ゆっくりと浮き上がったのだ。宙に浮かぶ、赤い水滴。血は、ふわふわと空を移動し、診察室の隅にあった水場のシンクに落ちた。
「そ、そんな……」
 血痕の消えた真斗の頬に三度手をやる。
 やはり血は浮き上がり、今度は床に落ちた。落ちる血液を目で追う。すると、彼の左手に指輪が見え、この不可思議な現象への疑問が解けた。
 指輪。指輪の能力だ。

 無意識に、自分の左手の指を逆手でさすっていた。指先にごつごつとした感触が走る。そう、彼女の指にも、指輪がはめられている。
 説明書の表書きには『ガラスの塔』 とあった。
 この指輪は、説明のときに宇江田教官が使ったものと同じものだ。ちなみに、もう一つの支給武器はガラスクリーナーだったが、役に立つとは思えなかったため、すでに捨てている。
 宇江田が能力を解除したあともガラスが残っていた仲谷優一郎のことを思い出す。
 教官の口ぶりでは、仲谷のように影響が残る人は珍しいようだった。
 ……陣内くんは、どうだろう?
 真斗の右手首を握り、祈るような気持ちで力を込める。
 光を放ち始める彼の右手。当然真斗は身をよじり逃げようとしたが、菜摘に抱きしめられ、また壁に押し付けられた体勢だったため、ワンテンポ遅れた。

 血がだめなら……。

 次第に意識が遠のいていく。
 指輪の力を使うエネルギーは多大で、傷ついた身体には負荷が大きすぎたのだ。
 ああ、あたし、死ぬ……。シルシを、彼にシルシを……。

 視界が暗くなり、何も見えなくなる。いち早く視覚が失われたのだ。
 ……それは、彼女にとっては、幸いなことだったのかもしれない。なぜなら、彼女が死ぬよりも先に、ガラス化は解除されてしまっていたのだから。

    

−井上菜摘死亡 14/17−


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井上菜摘
可愛らしい容貌。真斗を好いていた。プログラム優勝者だった。