<井上菜摘>
診療所は、北の集落の中ほど、エリアとしてはBの2にあった。
古びた平屋建ての木造家屋で、敷地の隅には小さな畑があり、その奥に鶏小屋も見える。いかにも片田舎の診療所、という風情である。
細い引き込み道を擦るような足取りで進みながら、井上菜摘
はほっと息をついた。
着いた。とにかく、着いたのだ。
茶色地のブレザーの制服姿、首筋のあたりで左右に分け結んでいる髪は振り乱れているが整える余裕はない。丸まった鼻先、ぱっちりと大きな瞳、ちいさく座った口元。白く艶やかな肌。
その足を覆うのは真新しいスニーカーだ。
目覚めたとき脇に置いてあったディパックの中からでてきた代物で、サイズはあっていた。
おそらく春の身体測定か何かを元にサイズをあわせたのだろう。
……北は診療所、南は銛王駅。
陣内真斗が、友人の城井智樹に言った台詞だ。
その言葉に誘われ、菜摘は診療所を目指していた。
友達、鷹取千佳らは、別の場所に集まっているはずだった。
菜摘も誘われた。
しかし、目覚めた後に菜摘が選んだのは、待ち合わせも何もしていない真斗だった。
夜の薄雲に覆われた月を見上げなら、菜摘は思う。
……千佳たち、絶対あとで殺しあう。
もともと信頼しあった仲ならば争いは起きないのかもしれない。仮に命を落とすとしても、他のクラスメイトに襲われて死ぬのかもしれない。だけど、うわべだけの仲良しグループが集まったって、その先にあるのは崩壊だけだ。
それは、経験からくる確信だ。
菜摘は、プログラム経験者だった。
前のプログラムでは、女の子ばかり5人集まって小さな家に隠れた。
誰にも襲われず、禁止エリアにもかからず、残り10人を切ったとき、争いが起こった。
突然、グループの一人が銃を持ち撃ちはじめたのだ。前触れなどなかった。少なくとも菜摘には感じられなかった。
その少女が乱心したのか、それとも隠していた牙をむき出したのか。今でも分からない。
まずはその少女に一番近い位置にいたクラスメイトがあっけなく死に、次いでもう一人が撃ち殺された。さらにもう一人。
当然菜摘にも銃は向けられたのだが、幸いと言ってよいのかこの時点で弾切れし、肉弾戦となった。菜摘は無我夢中で応戦した。
そして、気がついたら菜摘はその少女を絞め殺していた。
その後、他の生き残りたちが同士討ちを演じ、菜摘は優勝者となったのだ。
だから、菜摘は知っている。いつか鷹取千佳たちが、殺しあうことを。
そして、たとえ菜摘が生き残ったとしても、喜んでくれる者などいないことを。
二年前、菜摘の父親は、プログラム会場から戻ってきた彼女を強く抱きしめてくれた。菜摘を抱きしめるその腕はぶるぶると震えており、「よく、戻ってきたね」そう言って彼女の頭をなでてくれた母親の手もまた震えていた。
このとき、菜摘は「ああ、私が生きて帰ったことが、震えるほどに嬉しいんだ」と、喜んだものだ。擦り切れそうな身体と心をかかえながら、喜んだものだ。彼らと一緒に、身体を震わしたものだ。
だけどそれは、菜摘の思い違いだった。
彼らが震えていたのは、わが子の生還を喜んでのものではなかった。
娘が人を殺して帰ってきたという事実に恐怖し、震えていたのだ。
しかたなかったのだと、クラスメイトを殺さなければ自分が死んでいたのだと、菜摘は幾度となく彼らに訴えた。しかし、伝わらなかった。彼らは、ただ恐れおののくだけだった。
肉親ですらこの状態だ。他人はもっとひどかった。
親戚。先生。違うクラスの友達や、部活の仲間たち。近所のおばさんおじさん。
誰もが菜摘を遠巻きにした。決して近寄ろうとはしなかった。
「私、やりたくてやったわけじゃない!」
血を吐くような彼女の叫びも、クラスメイトの命を踏み台にして舞い戻ってきたその事実が作り出す壁を破ることはできなかった。
やがて相応の準備期間を経て他府県に強制移住され、新しい生活が始まったが、両親と彼女の関係には変化はなく、彼らは彼女を腫れ物のように扱うだけだった。
家族や周りの者たちの変わりようにひどく傷ついていた彼女は、結局、約一年を部屋の中に閉じこもって過ごした。
人と関わることが恐ろしく、そして煩わしかった。
私なんてこのまま誰の目にも触れずに死ねばいい。そう思った時期もあった。
だけど、半年たち、一年たつうちに、だんだんと前に進む勇気が出てきた。このままじゃいけない、と思えるようになってきた。
だから、政府の関係者がぶどうヶ丘高校の話を持ってきてくれたとき、菜摘は一も二もなく飛びついた。
ぶどうヶ丘高校はその特殊性から、他の生徒たちも大なり小なり個々の事情を抱えていることが推察されたし、事実そうだった。ぶどうヶ丘高校の中にいれば、自分は特別だと思わずにすむ
。……もちろん、プログラム優勝者だとは、誰にも、鷹取千佳らにも、同室の鮎川霧子にも、話すことなどできないのだが。
前のプログラムから、菜摘は人と関わることにひどく臆病になっていた。
周囲の者の変化に、彼女はひどく傷ついてたのだ。
その菜摘が恋をした。
相手は陣内真斗。愛想の悪い男で、千佳らには「あんな暗いののどこがいいの?」などといわれるし、同室の鮎川霧子もあまり好ましい顔をしない。
特に霧子にははっきりと「あいつはやめときな」と言われたことがある
めったに菜摘に干渉してこない彼女にしては珍しい台詞だったが、とにかく好きだった。
だから、危険を推して真斗の元を目指してたのだ。
もちろん、真斗とて安全ではない。むしろ、千佳らよりも危険だった。彼女たちが最初からゲームに乗ることは無いだろうが、真斗ならありえることだった。
個人主義で、同室の城井智樹以外はほとんど寄せ付けない真斗、彼がゲームに乗ったとしても不思議ではない。
だけど、会いたかった。
……もともと真斗に注目していたわけではない。
むしろ、最初に目に付いたのは城井智樹だった。彼は入学当時から明るかったが、どこか陰もあった。その陰は、菜摘が抱えるものと同種のように思えた。
彼も何かに傷つき、人と関わることに怖がっている。怖いのを必死で堪えて、無理をして無理をして明るく振舞っている。
菜摘の目には、智樹がそう映った。
しかし、驚くほど早くに、智樹は自然に笑えるようになっていた。
なぜか?
それは、同室の真斗のおかげだった。
もともと無愛想で人付き合いの悪い真斗が、どこまで意識して智樹を支えたのは分からない。
だけど、智樹が笑えるようになったのは、真斗の存在によるところが大きいように思えた。
ぶどうヶ丘高校は全寮制で、二人一部屋のため、同室の生徒同士で仲良くなりやすい。その中でも真斗と智樹は特に親しくしていた。真斗という友人の存在が智樹の救いとなったのだろう。
と、診療所の建物の陰から一人の男子生徒が姿を現した。
菜摘の小さな胸がジャンプする。中背の痩せた体躯、闇に溶けそうな漆黒の髪、眼鏡のレンズが月の光を返す。それはたしかに、陣内真斗
だった。
持っているのは拳ほどの大きさの石だ。窓を割って中に入るつもりなのだろう。
まずは、迷った。
声をかけて大丈夫だろうか。陣内くんは、ゲームに乗っているのだろうか。
前のプログラムで銃を乱射した友人の顔が頭をよぎる。
陣内くんは、あの子のように、口元からあぶくのようなよだれをたらし、真っ赤に充血した目で銃を撃ったあの子のように、襲ってくるだろうか?
ごくり、震える喉に唾液を落とす。
怖い。
だけど……。
そうこうしている間に真斗が窓を割った。闇夜に思いのほか大きな音が響く。
「ひゃっ」
驚き、思わず声を上げてしまった。
この声に反応した真斗がばっと振り返った。その手には小振りの包丁が握られている。
「陣内……くん」
恐る恐る声をかける。
真斗の顔には緊張感だけが張り付いており、次の行動が読めなかった。
救って欲しかったのかもしれない。
菜摘の存在に気がつき、身構えている真斗を見つめながら、彼女は思った。
智樹と同じように、自分も救って欲しかったのかもしれない。闇から、絶望の底なし沼から、救って欲しかったのかもしれない。
だから、菜摘は叫ぶように言った。
「好き、なの!」
ずっと言いたくても言えなかった台詞を胸の奥から搾り出した。
これに、真斗の表情が緩んだ。ふっと眉をあげ、皮肉めいた笑いを返してくる。
「こんなときにのん気な話だな」
真斗の返答に菜摘の顔が耳まで真っ赤に染まる。たしかに真斗の言う通りだった。生死をかけたこの状況で、色恋の心配をしてどうなるというのか。
そんな菜摘を見やり、真斗がくっくと声を上げて笑った。
しかし、その声は小さく波打っていた。制服のズボンの裾が震えているのは、風のせいではないだろう。
そう、彼だって怖いのだ。
「さて、お嬢さん、これからどうしましょうか」
答えは分かってる。だけど、一応聞くのが礼儀だね。そんな顔で真斗が訊いてくる。
「一緒に……。いい?」
菜摘も震えていた。真斗に殺されるかもしれないという恐怖と、断られることを恐れる感情が菜摘を震わせていた。
もう一度、真斗が笑った。
「いいよ。でも、自分の身は自分で守ってくれよ。オレはオレのことで精一杯だ」
菜摘も笑った。まだ身体は強張っていたので、引きつった笑いになったが、とにかく笑った。
そして、智樹が笑えるようになった理由が分かったような気がした。
彼の突き放したような物言い。真斗は、自分のことは自分でやれという。ヒロインと再会したヒーローの台詞ではない。いっそ冷たいと言ってもいいような言葉だ。
だけど、それは裏を返せば、自分の足で立て、という意味だ。
誰かに守られるんじゃない。誰かに救われるんじゃない。
自分で自分を守るんだ。自分で自分を救うんだ。
ほんの少し前に、真斗に救って欲しいと思った自分を、菜摘は恥じた。
そして、胸が熱くなった。彼の些細な言葉が、菜摘の中で勇気となった。
だから、診療所の中に入り、他に侵入者がいないことを確かめ、診療室にとりあえず落ち着いたとき、菜摘は言った。
「わたし……、二度目なの」と。
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