<野崎一也>
また捕まるよ、というのは、彼の経歴を踏まえたコメントだ。
学は一度、思想統制院
送りになっている。
思想統制院は、危険思想、反政府心を抱く者への教育機関だ。
学に直接的な反政府心はないはずだが、海外サイトへのアクセスを注視されたようだ。
大東亜共和国における情報通信ネットワークは、大東亜ネットと呼ばれるイントラネットだ。
基本的に国内のみに制限されている。
ただ完全に遮断されているわけではなく、外交を担当する省庁など一部の公的機関では通信可能だし、輸出入を生業とする企業なども政府監視下の元、接続を許されている。
一般人の国外通信は禁止されており、違反者は裁かれる。
しかし、技術や知識のある者は海外との通信が容易のため、政府からしてみればいたちごっこの状態のようだ。
実は、一也も一時期統制院に詰められている。
一也にも反政府心はないのだが、何を咎められたのか、送られてしまった。
出来て間もない制度のためか、捕縛対象が定まっておらず、一也のような冤罪も多かった。結局、二人ともすぐに放免されている。
学とは三年になるまでクラスが一緒になったことが無く、統制院に送られた時期もずれている。同じクラスになるまで話したこともなかったのだが、統制院絡みで関心をもたれたのか、学から声をかけてき、次第に親しくなった。
「楽しみだなー」唐突に高志が話をかえる。
「何が?」
「明日からの修学旅行」
「ああ」学がふっと笑う。一也たちが所属する兵庫県神戸市立第五中学校の三年生は、明日から九州に修学旅行に行くことになっていた。
「やだねぇ、そのシニカルな笑い。若者なんだから、も少し人生を楽しまないと」
高志が口をとがらせ、「俺なんかさ、尾田さんに告るんだ、ぞ。これぞ青春」宣言する。
「前から言ってるけど、ほんとにするのか」
呆れたように学が言う。
「こんなの嘘ついてどうするんだよ。修学旅行の夜。ムードばっちりじゃん」
「……無謀な」
「酷い」高志が泣きまねをする。
尾田陽菜
は、小柄でくりくりとした瞳が印象的なクラスメイトだ。可愛らしい容貌をしており、大人しい性格。当然のことながら、男子生徒の人気が高い。
確かに無謀と言えば無謀だった。
「野崎は?」学にふいに話を向けられ、どきりと脈を上げる。
「え?」
「その手の話聞かないけど、そのへんどうなんだ?」
目が泳いだ。
事情を知っている高志が「サメこそ、どうなんだよ。ぜんぜん、ないじゃん」助け船を出してくれる。
「俺に見合う女が出てきたら考えるよ」
本気で言ってそうなところが、プライドの高い彼らしい。
「わ、感じ悪い」
軽口をたたき合う二人を眺め、軽く笑う。
そして、部屋の片隅、コンポの前に視線を送った。あの辺りが、矢田啓太郎の定位置だ。いつもあのあたりに、長身の彼が穏やかな笑みを浮かべて座っている。
啓太郎は、最近あまりこの部屋に来なくなっていた。
部活だったり塾だったりを理由にしているが……。
……気づかれたかな。
心の中でため息をつき、軽く目を瞑る。
一也は同性愛者だ。
子どもの時から自分の性志向が他人と違うことに薄々は気が付いていたのだが、中学に上がった頃には自分が同性愛者だとはっきり自覚した。
なかなかに重い事実で、一時の一也を悩ませたものだが、最近になって少しだけ受け入れることができるようになっていた。
インターネットの世界を通じて、同じ悩みを持つ者がいることを知ったこともあったが、一番大きいのはやはり、この古くからの友人、生谷高志のおかげだろう。
自分が同性愛者であることをおそるおそる明かしたとき、高志は軽く笑って「やっぱ、お前って変ってるわ」と言ってきただけだったし、それ以降も変ることなく接してくれた。
気持ちの悪さも感じたはずなのに、それまで通りでいてくれた。
そして今、一也の胸の大部分を占めているのが、友人の矢田啓太郎だった。
彼のおっとりとした笑顔は、秘密にささくれた一也の心を癒してくれる。
もちろん、彼にその心のうちを明かしてはいないし、気取られないよう、細心の注意も払っているのだが……。
見抜かれたのかもしれない。
ぞっとするような想像だった。
啓太郎はノーマルだ。思いが通じるなどと言った夢物語は信じていない。
言えば今まで通りの友人関係ではいられないだろう。高志のようには行かない。
また、彼が秘密を守ってくれる保証もなかった。
人のよい彼に話したところでおそらくは問題にはならない。そう思う。また、そういう人柄に惹かれたのだ。
しかし、一抹の不安はぬぐいきれない。
……もし啓太郎が誰かに話したら?
可能性に身震いする。
そうしたら、周囲から爪弾きにされ、当たり前の学生生活は送れなくなる。
とてもじゃないが、明かせない。
尾田陽菜に告白すると息巻いている高志をそっと見やる。
正直に、彼がうらやましかった。
また、好いている相手を信用できない自分が嫌になる。
自己嫌悪。それは、一也に古くから着いて回るフレーズだった。
ベッドに仰向けに寝転がり、天井をひと睨み。
電灯のシェードは、木材と布を組み合わせたもので、一也のお気に入りだった。
これは、学のつてを通して手に入れたものだ。
このメーカーは大東亜共和国が敵性国家としている国に籍がある。
敵性国家の製品輸入には制限があり、そもそも一般人には、国外企業とアクセスする手段はない。価格はそれほどでもないが、本来は手に入らない代物だった。
どうやって手に入れたのか深くは訊かないでおいたが、違法な手段を用いたのだろう。
「携帯電話、新しいの手配しようか?」
シェードを見つめる一也に、学が小声で言う。
一也の携帯電話もスマートフォンタイプで海外製だ。やはり学から格安で入手した。
「いや、いいよ。今のも、ぜんぜん使いこなせてないし」
学は新しいもの、高性能なものを好む。
国内製品では飽き足らず国外に手を伸ばしているのもその性質ゆえだ。
学のつてで手に入れた一也の携帯電話も処理能力が高いが、言った通り、その性能は活用できていない。
「そりゃ、サメくらい色々やるんなら、最新機種が必要なんなだろうけどさ」
「そか」
学は肩をすくめて返してきた。少し誇らしげだ。
部屋の窓から夜空が見える。都会の空のこと、街の明かりが邪魔をしていてやや不明瞭ではあるが、星や月が白く浮かんでいた。
何気なく腕時計で時間を確認すると、21時だった。
修学旅行の集合時間は明日の8時半だ。あと半日ほどしかない。それまでに啓太郎と顔を合わす心の準備をしなければならなかった。
気が重い。
だけど、会いたいという気持ちもあった。
ぐるぐると回る思考。
やがて、「ああ、なんか……青春っぽい」と苦笑いを一つ。
この様子を、ベッドの端に座った学が不思議そうな顔で見下ろしてきた。
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同時刻、瀬戸内のある小さな島、山陰にひっそりと佇む石碑の前に、一人の男がいた。
歳は20代後半、すらりとした長身。
濃紺のスーツを着込んでおり、風にネクタイが揺れる。
黒ふち眼鏡の奥の、つり上がり気味の瞳。あごひげを蓄えている。
やや長い髪には明るいブラウンの染色が入っていた。片耳には幅広のイヤーカフス。メタリックな素材を折り曲げただけに見えるシンプルなデザインだ。
男は、大きな花束を両手で抱えていた。
砂利を敷き詰めた地面に片膝を突き、花束を石碑にささげ、ゆっくりと立ち上がる。そのまま空を見上げると、折り重なった梢の先に、薄い夜雲に覆われた月が見えた。
本土から見た月とは違い、その黄は、禍々しいほどに鮮やかだ。
何人の人間の血を吸ったらあんな色になるのか。
そんな風に思った男は、ふっと皮肉めいた笑みを浮かべた後、軽く肩をすくめた。そして、後ろ手でひらひらと石碑に手を振り、どこかへと歩を進めていった。
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