<安東和雄>
和雄の疑問は、次の一也の一声で氷解した。
「啓太をっ」
憎しみを込めた瞳で彼が見つめてくる。コルト・ガバメントの銃口が震えていた。
和雄は、一也が啓太のことを好いていたとは知らなかった。だから、友人である矢田啓太を殺された怒りはこんなにも深いのかと驚愕する。
遅れて、「もし、オレが、俊介を殺した奴と同じような形になったら?」と思った。
たった一人の肉親を、オレが唯一愛情を感じる存在を殺した奴と。
仮定の話なのに、胸がかっと熱くなった。
「なんで……。なんで、俺たちが殺しあわなきゃならない!」
一也の唇から嘆きが漏れた。
彼の言葉にデ・ジャブを感じる。
なんだろう? どこかで聞いたような言葉だ。
この疑問はすぐには解けず、代わりに普段の教室で詰まらなそうにしていたり楽しそうにしていたりした彼の顔を思い出す。
普通の生徒で、とくに目立つ能力があるわけでもなかったし、グループの中心になるようなタイプでもなかった。
和雄は、野崎一也のグループの中では、クラス委員長の鮫島学とはそれなりに交流があった。おそらくもって生まれた雰囲気が自分と似ていたからだろう。
一度、学が野崎一也をさして「アイツ、何か、悩み……コンプレックスがあるみたいなんだ」と言っていたことがある。
そのとき学は、口をへの字に曲げていた。
友人が悩みを打ち明けてくれないことへの不満を感じていたようだ。
基本的にクールだが友情話めいたことに弱い彼らしい言動だった。
結局、学は、このプログラム中に一也から「同性愛者である」というカミングアウトを受けた。彼は、喜びを噛み締めながら、「そんなこと」と言う台詞で一也を力づけたのだが、それは、和雄の与り知らぬ話だった。
悩みを抱え、退屈な日常に飽き、その中で見つけた少しの幸せに笑う。
野崎一也は、弱さと強さの両方を持った平凡な人間だった。
相手が勝手に死んでいくのだから、本当ならば、何もせずに放置しておけばいい。そうすれば、生き残ってから「人を殺した」という事実に押しつぶされなくてすむ。
野崎一也だって、分かっているはずだ。
分かっているからこそ、何度も背を向けているのだ。
だけど、結局、彼は逃げなかった。彼は真正面から自分自身と戦っていた。友人を殺した者への憎悪と人を殺すことへの禁忌、その狭間(はざま)で戦っていた。
一也を見上げ、和雄はふっと笑みを浮かべた。
彼の心の天秤が見えたような気がした。
理性と感情を左右の測り皿に乗せた心の天秤が。彼の天秤は感情に傾いていた。和雄は、そんな彼のことを少しだけ好ましいと思った。
……仕方ないな、オレと同じ場所に引きずり込むだけで、許してやるよ。
と、唐突に思い出したことがあった。
……ああ、そうか。生谷高志だ。
『なんで! なんで、俺たちが殺しあう必要がある!』和雄は、一日目の朝、佐藤君枝と一緒にいた生谷高志を殺した。そのときに彼が叫ぶように言った台詞だった。
『なんで……。なんで、俺たちが殺しあわなきゃならない!』そして、野崎一也が漏らした言葉。
生谷高志。野崎一也の親友だった男だ。幼馴染で付き合いも長かったと聞く。
もう一度、笑みを浮かべた。
お前ら……、仲がいいにもほどがあるな。
単純に、純粋に羨ましかった。
そして、矢田啓太を撃ったときに、自分も似たような台詞を心の中で叫んだことを思い出した。
本当に、どうして、オレたちが殺しあわなくちゃいけないんだろう。
死にたくなかった。
弟の俊介にもう一度会いたかった。世話になった安東家や慈恵院のスタッフにお礼を言いたかった。両親には殴られたことには文句を言いたかったが、弟との写真を、笑顔の写真を残してくれた母親にはお礼を言いたかった。この写真が、和雄をどれだけ力づけてくれたことか。
そして、やっぱり死にたくなかった。
どうして、殺しあわなくてはいけないのだろう。
生谷高志には「分からない」と答えた。それから二十数時間経った今も、分からなかった。
和雄はゆっくりと口を開いた。とっておきの一撃を見舞う。溜めていた打撃を与える。
これも、『バトル』だ。そう思った。
「オレは……、生谷を殺したぞ」
あまりのショックで、事実を飲み込むまでに時間がかかったのだろう。やや遅れて、一也の双眸(そうぼう)が紅く燃え上がった。銃を持つ手の震えが収まった。
オレは、お前の大切な友達を二人も奪った。どうだ?
憎いだろう。いいぞ、そのまま、オレを撃て。
結局のところ、彼を陥れようとしたのか、それとも背中を押したかったのか。これも、分からなかった。ただ、認めてやろうとは思った。
死ぬのは怖いし、ここまで来て負けるのも悔しい。だけど、仕方ないな。認めてやるよ。……野崎、お前が優勝者だ。
半付随にもかかわらずぶるぶると震えていた和雄の身体がおさまり、かろうじて自由が利く左手の平が、ゆっくりとこぶしを握り始めた。
見えない何かにつかまるかのように。しがみつくかように。
和雄が最期に聞いたのは、コルト・ガバメントの銃口から発せられる撃発音ではなく、悲鳴にも似た一也の怒声だった。
<野崎一也>
熱は疾風のようなスピードで一也の身体から去っていった。少しの時間を置いて、人を殺したという認識が、足元から駆け上がっていく。
認識は刃物のような形状をしており、一也の神経を切って行く。立っていられなくなり、雨に濡れ濃灰色(のうはいしょく)になった地面に、膝と手のひらをつき、四つん這いの体勢になった。
やがて、それすらもままならなくなり、震える身体を地面に委ねた。
ゆっくりと目を瞑り、開く。銃を握り締めたまま、胸の辺りを数度、叩く。黒木優子に切りつけられた腕の傷がじんじんと痛み、流れる血が地面を紅く染めた。
失ったものは大きく、そして得たものも大きかった。
……生き残った。
喜びは感じなかった。ただ、寂しかった。もう高志たちと会えないことが、ただ寂しかった。
身体を丸め、爪を歯でかりかりと噛む。遅れて、爪を噛む癖を生谷高志が持っていたことを思い出した。
安東は、高志を殺したと言った。そして、啓太も殺した。
俺は、仇を討った。……違う。死にたくなかっただけだ。俺は死にたくなかっただけだ。
自分を誤魔化すことができない、圧倒的な現実がそこにはあった。
ふっと息をつき、安東の亡骸に目をやる。撃った弾は彼の喉元に命中していた。
また、倒れこむ和雄の手に、何か紙片のようなものが握られていた。横たわった体勢のまま手を伸ばし、取り上げてみると、それは一枚の古ぼけた写真だった。
見なければよかった。即座に思う。
なぜなら、写真には、夕焼けの町並みをバックにしたよく似た幼い兄弟の姿が映っており、その隅には、『弟と』と白いサインペンの書き文字があったから。
また、写真の裏には政府官営の孤児院の名前と住所が書いてあった。
自分語りをするタイプではなかったため、伝え聞いた話でしかないのだが、安東和雄は幼い頃に両親を亡くし、孤児院を経たあと、養い親の元にいたらしい。
これは、そのときに離れ離れになった弟との写真なのだろう。
彼を絶対の悪だと思いたかった。
高志を殺した、啓太を殺した、クラスメイトたちを殺した絶対の悪だと思いたかった。感情のない殺人機械だと思いたかった。
しかし、彼には大事なものがあった。
俺が高志や啓太、学を思うように、安東も弟のことを大事に思っていた。
安東は悪魔でもなんでもない。大事なものがあり、何かを支えにしないと立っていられない、自分たちと同じ当たり前の人間だった。
和雄の顔を見つめる。彼は目を見開いて絶命していた。死してなお、紅く充血した瞳で一也を見ていた。その瞳には、憎悪は感じられない。代わりに、挑むような視線を投げつけてきていた。
何を挑まれているのだろう?
そう思った瞬間のこと、唐突に視界がブラックアウトした。
闇が身体を包み込む。冷たい風がひゅっと一也の顔をなでた。
漆黒の闇、その奥に紅い炎が滲むように浮かんで見えた。くすぶり続けるトラックの炎だろうか、それとも和雄が投げかけてきた意識の炎だろうか。
それが何であるか確かめる間もなく、一也は気を失った。
<安東和雄死亡・野崎一也優勝。残り01人/32人>
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