OBR1 −変化− 元版


094  2011年10月02日12時


<安東和雄>


 安東和雄 は、仰向けになり、切れ間のでき始めた曇天をぼんやりと見つめていた。
 三井田政信が撃ったショットガンの散弾の多くは防弾チョッキに沈んだが、カバーしていない部分にはもちろん被弾していたし、着弾の衝撃や貫通した弾丸により相当のダメージを負っていた。
 そして、先ほどのトラック爆破。
 幸い、攻撃のためにトラックの陰から飛び出していたためか、ガソリンタンクとは逆手にもともといたので爆発の影響を少しでも免れたのか、表面的なダメージは少なかった。
 しかし、脳か神経の大事な部分を破損したらしく、右半身が完全に付随になっている。
 左半身はかろうじて動かせる程度。血も流れ続けている。
 絶望的な状況。痛覚が麻痺しているのは、せめての救いだろうか。

『さーて、放送を始めるぞー』
 お馴染になった鬼塚の声で放送が始まった。
 腕時計を見ると、12時を少し回っていた。規定時間よりも遅れている。
 なぜ遅れたのか疑問に思ったが、今は放送の内容を追うことのほうが重要だ。身体の自由が利かなかったので、頭の中で、午前6時時点の生き残り人数の13人から引き算をした。
『まずは、6時から12時までに死亡したお友達の名前だー。……ええと、多いなぁ。西沢士郎くーん。藤谷龍二くーん、結城美夜さーん、坂持国生くーん、永井安奈さーん、鮫島学くーん、羽村京子さーん、矢田啓太くーん、三井田政信くーん』
 鬼塚教官はここまでをいっきに読み上げ、一旦沈黙を落とした。
 そして、幾分トーンダウンした声で『黒木優子さーん』と続ける。
 常に傍観者然としていた鬼塚だが、携帯電話を通して関わりのあった優子の死だけは傍観者の立場から語れなかった結果だった。

 そんな事情を知らない和雄はもちろん疑問に思った。しかし、それよりも何よりも。
「残り……二人」
 和雄の薄い唇から重要な事実が漏れると同時、『はい、残り二人だー。安東ー、野崎ー。よく頑張ったなぁ。互いの健闘を称えあって、いいラストバトルにしてくれー』鬼塚の放送が響いた。
 胸が熱くなる。
 ついに。ついに……、残り、二人。
 しかし、和雄はすでに銃の引き金を引くこともナイフを握ることも出来ない身体になっていた。出血もひどく、いずれはショック死することは目に見えている。
『続いてこれからの禁止エリアだー。13時からFの4−。15時にHの6、17時にJの3−。通常放送は、これが最後かなぁ。頑張れよー』
 続いて流れた追加禁止エリアに、ふっとため息をつく。
 ……神様とやらは、つくづく意地悪なようだ。
 13時からFの4。このエリアだ。後数十分でこの区域は禁止エリアに設定される。


 痺れている左腕を懸命に動かし、ズボンのポケットから一枚の写真を取り出した。
 幼い男の子が二人、夕日に暮れなずむ街をバックに笑顔で写っている。
 和雄と弟の俊介の幼い頃の写真だった。撮ってくれたのは母親だったと記憶している。どういうわけか、兄弟二人の写真を撮りたがったのだ。

 和雄は両親を交通事故で亡くしている。
 ヤクザ崩れで何かと言えば暴力を振るった父親と、水商のストレスのはけ口をやはり子どもへ向けた母親。それぞれに親の資格はなく、彼らが死んだとき、和雄は泣かなかった。
 それからの運命は、和雄に暖かく緩く、弟の俊介には冷たく激しかった。
 両親ともに親族との付き合いを失っており、引き受けてくれる者はおらず、結果、幼い兄弟はそれぞれ別々に施設へと送られた。和雄は「慈恵院」という、全国あちこちにあるカソリック系の養護施設に。弟の俊介は、幼児施設を経て国立の孤児院に。
 その後、和雄は安東家の目に留まり、養子になった。
 名士を気取る安東家のパフォーマンスの一つでしかなく、愛情は与えられなかったが、当たり前の生活は、慈恵院でも安東家でも受けることが出来た。
 実親が死んでからの生活の方が幸せだったぐらいだ。
 しかし、俊介は違う。
 公設の養護施設の劣悪さは、有名な話だ。選手防衛軍兵士の養成所と化しているという噂すらある。

 ……そんな環境に、たった十歳の子どもがいる。弟が、オレが唯一愛情を感じる存在がいる。
 金。このプログラムで優勝すれば、一生涯の「生活保障金」が手に入ると聞く。
 オレがこのゲームに勝てば、金が手に入る。
 オレは安東の家から出ることが出来る。プログラム優勝者の息子など安東の家からすれば払い下げだろう。たとえ家に帰ることが出来ても、体よく追い払われるに違いない。
 ……これはチャンスだ。
 オレたち兄弟が、特に今も辛い毎日送っているはずの俊介が幸せをつかむチャンスだ。
 だから、オレは殺した。
 生谷を殺した。佐藤を、筒井を、西沢を、矢田を……。

 矢田啓太のことを思うと、少し胸が痛んだ。
 最初は戦略上必要だと思い行動をともにしただけだったが、プログラムを経て、少なからず恩義や一体感のようなものを感じていた。
 その啓太を撃ったときは動揺したし、止めを刺すことも出来なかった。……結局は死んだようなので同じことだったが。
 人を殺すことには、もちろん禁忌を感じる。弟のためだと思えばこそ、耐えることが出来た。
 しかし、和雄は分かっていた。
 ……結局のところ、オレは死にたくないから戦っている。
 そう、それが正しい。だけど……。
 弟の俊介のためにそれからの兄弟の生活のために、優勝を目指したい。
 この気持ちも、偽りのない事実として和雄の中に存在していた。



「安東っ」
 突然、誰かの怒声が落ちてきて、和雄の思考が中断された。
 見上げると、すぐそばに野崎一也が立っていた。
 上半身裸という姿。左の肩口に血の滲んだ包帯を巻いており、左腕にもシャツらしきものを巻いている。肩口の傷は時間が経っているようで止血していたが、腕の傷は真新しいらしくシャツの布地をこえて流血していた。
「啓太を……、啓太をっ」
 一也が呪詛の言葉を吐き、持っていたコルト・ガバメントを構えた。
 矢田啓太と彼は親しかった。死に際の啓太と会い、事の顛末を聞いたのだろう。
 ……ここまで長かったが、最期はあっけないものだな。和雄は、ごくごく冷静に、急速に近づいてきた死を受け止めていた。
 最後の一人となることを切望し戦ってきた和雄。今までに何度も、『最後の戦い』を想像してきた。少なくとも激しいものになるだろうと、予測してきた。
 実際、おそらくどのプログラムでも最後の戦いは激しいのだろう。
 しかし、和雄には戦うだけの力が残っていなかった。

 ラストバトル。鬼塚は、『いいラストバトルにしろ』と言った。
 悪いな。
 和雄は思う。
 悪いな、オレはただ殺されるだけだ。バトルでも何でもない。ただ殺されるだけだ。ラストバトルには……、ふさわしくないのかもしれない。

 一也が引き金を引く。ばん、と爆竹のような撃発音があたりに響いた。弾は外れ、雨にぬかるんだ地面に飲み込まれた。
 思わず目を瞑っていた。心拍があがる。
 じきに第二撃が来る。
 そう思うと、震えが増した。
 しかし……、5秒経っても、10秒たっても、第二撃は来なかった。
 怪訝に思いながら目を開くと、和雄以上に震えている一也が目に入った。雨に濡れたせいだろう、いつもは額にかかっていた前髪をオールバックにしている。切れ上がった瞳、薄い唇。あらわになった額には、脂汗が浮かんでいた。
 恐怖に歯を鳴らしているのは、和雄ではない。圧倒的優位な立場にあるはずの一也だった。

 ……どうして?
 疑問に思う。そして、この瞬間、分かった。
「うそ……だろ?」
 思わず口をついて出る言葉。追いかけてくる思考。
 お前、誰もまだ殺していないのかよ!
 数メートル離れた畑に横たわる黒木優子の死体を見る。
 彼女は、少なくとも尾田美智子を殺している。おそらく、他にも数人のクラスメイトを屠った(ほふった)のだろう。そして、優子は、片手を前に突き出すような形でうつ伏せに倒れていた。
 口にはさみの刃を咥えたまま絶命していた。
 負傷した身体を押し、自分を殺そうとし、思い半ばで潰えた(ついえた)に違いない。
 何が彼女をそうさせたのかは分からないが、執念を感じた。

 オレだって……。オレがここまでくるまでにどれだけの血を流してきたと思う? 何人のクラスメイトを殺したと思う?
 切れるような後悔と、そう言った思いが薄れていくことに対する恐怖感。もうまともな人間には戻れない。オレは殺人者だという思いと戦ってきた36時間。
 その間、お前は誰も殺さずにいたのか?

 実際には、一也も負傷していた。ここまでに何かしらの戦闘は経験してきたのだろう。だけど、決定的に和雄とは目の色が違った。
 ……野崎の目は、人殺しの目じゃ、ない。
 心の底から羨ましいと思った。彼はまだ誰も殺していない。その事実が羨ましく、そして憎かった。
 ふっと、一日目の昼、神社の境内にいる野崎一也を見かけたことを思い出す。あのときから丸一日。二人がすごした時間は、ここまで違ったのか。

 ここで、もう一つ重大なことを思い出した。
 禁止エリア。この区域はあと数十分で禁止エリアとなる。
 思い出した瞬間、和雄に悪魔的な考えが落ちてきた。
 ……逃がしてやろう。
 このままこの場を離れれば、お前は誰も殺さずに優勝できる。……だけど、お前は耐えられるか? 言い訳を見つけた自分に耐えられるか?
 クラスメイトを殺して生き残れば、「彼らの分も生きよう」と思える。
 だけど、誰も殺さずに、禁止エリアに任せて生き残ったら?
 「実際には誰も殺していないんだ」言い訳は立つ。でも、言い訳は言い訳に過ぎない。「死んだ彼らの分も生きよう」とは思えないに違いない。
 人を殺した罪悪感に駆られ続ける人生よりも、言い訳しながら生きていく人生の方が、より重いのではないか? より惨めなのではないか?

 自分は負けるが、同時に彼の人生を殺すことができる。絶好の復讐だと思った。
「もうすぐ……、禁止エリアだ」
 痺れる声帯を絞り上げ、囁くような声で言った。
 お前をオレよりも下に落としてやる。人を殺したことよりも、もっともっと惨めな気持ちにさせてやる。さぁ、逃げろ。自分の手を汚さずに、生き残ってみろ。そして、誰よりも惨めな人生を生きろ。

 和雄の言葉に、野崎一也がはっとした顔を見せた。腕時計と、禁止エリアをチェックしていたらしい地図を交互に見る。よろけるように、一歩後じさった。ぬかるんだ地面から泥水がとぶ。
 その後息を呑み、目を瞑った。彼の顎先がぶるぶると震えていた。
「……くっ」
 迷いを振り切るように、頭を振った。踵を返し、背を向ける。
 これを、和雄は悠然と見つめていた。
 さぁ、早く。早く、逃げろ。
 しかし、一也は振り返った。
 一瞬の間を開けて、また背を向ける。振り返る。何度も何度も同じことを繰り返す。噛まれた下唇から血が流れ、迷いと戦っているのが分かった。

 和雄は少し驚いていた。
 てっきり逃げ出すのかと思っていたのだ。
 彼の優勝は決まっている。このままこの場を離れれば、禁止エリアが対抗馬を片付けてくれる。いや、禁止エリアがなくても失血死することは目に見えている。
 自分の手を汚さずして、優勝できるのだ。
 ……それなのに。それなのに、逃げないのは、どうしてだろう?



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安東和雄
孤児院育ち。優勝し、生涯補償金を手に入れ、弟と暮らしたい