OBR1 −変化− 元版


093  2011年10月02日11時


<黒木優子>


 貼りつくように畑が作られている斜面を駆け上がる。
 遅れて「しまった」と舌を打った。逃げる方向そのままに斜面を上がったのだが、雑木林に比べて圧倒的に遮蔽物が少なかった。
 斜面の先に見える、木立。
 あそこまで行けるか? そう思った瞬間のこと。
 ぱららららっ。
 振り続ける雨に重く水を含んでいたはずの畑の土が舞った。
 うめき声を上げる。吐き出されたマシンガンの弾のいくつかを足に受けたようだった。政信も被弾したらしく、二人して畑の中に転がり込んだ。

 後じさりながら振り返ると、15メートルほど後方、トラックの辺りに黒いジップアップシャツを着込んだ安東和雄の姿が見えた。
 と、三井田政信が立ち止まり、優子に背を向け、膝立ちの体勢をとった。
 両手でショットガンの銃身を支えている。優子の前にショットガンの後背部が突きつけられた。
 彼は何も言わなかった。だけど、分かった。
 政信の後ろに回り、しゃがみ込む。そして、ショットガンの引き金に手を添えた。手に被弾した政信はもう銃を握れない。優子には反動の強いショットガンを操れない。ならば、二人で撃つしかない。
 優子が引き金を引き、政信が銃口がぶれないように銃身を支える。これしかないのだ。

 安東はこれを見、トラックの陰に身を隠した。
 狙うは……、ガソリンタンク部分。トラックは打ち捨てられた様子ではなかった。農作業に現役で使われていた風だ。ならば、ガソリンは残っているに違いない。
 政信に身を寄せ、彼の背に胸をつける。暖かかった。この数分間の激しい戦闘のせいか、部活で鍛えているさすがの彼も、肩で息をしていた。
 つい先ほどまでは政信の背中を狙っていた。なのに、当たり前のように彼との共闘を受け入れた。
 なんで?
 自分の行動に疑問を感じた。
 雨の匂いに混じって、政信の血と汗のにおいがする。政信と溶け合うような感覚。心臓の音がリンクする。二人で一つの呼吸を取る。
 何なんだろう、これは?
 今度は、あまりの心地よさに、疑問を感じた。
 ひひゃはっ。
 政信の背が笑った。
「なんか、いいね、こーいうのっ」
 合図だった。優子が引き金を引くと同時、ショットガンが咆哮した。びりりと空気が振動し、火花が銃口から伸びた。

 安東もトラックから飛び出していた。
 優子たちの意図に気がついたのではなく、攻撃のためだった。ショットガンと時を同じくして、マシンガンも火を噴く。放射状に撃たれたその弾は、彼女たちの身体の上を渡った。
 遅れて、空気が膨らんだ。轟音と爆風が、ショットガンの反動とマシンガンの銃撃で倒れこもうとしてた優子たちを襲った。



 少しの空白の後、優子は閉じようとする瞼(まぶた)を押し上げ、目を開いた。
 三井田政信と寄り添うようにして、畑の中に倒れこんでいる。政信は目を閉じていたが、死んでいるのは分かった。側頭部が割れて生きている人間なぞ、いない。
 即死だったゆえか、政信に苦悶の表情はなかった。
「なんか、いいね、こーいうのっ」
 先ほどの彼の台詞。あのときは、背を向いていたので見えなかったのだが、おそらくこの表情をしていたのだろう。
 口元ににやけた笑いを浮かべていた。

 悲しさは感じなかった。ただ、半身を奪われたような気がした。

 身体は起こせなかったが、トラックの方向を見やることは出来た。
 トラックは無残な姿を晒していた。雨のためだろうか、炎に包まれているというわけではないが、フロントガラスは崩れ落ち、ガラスが辺りに散らばっている。荷台はゆがんでいる。
 また、タイヤが二つ爆ぜ(はぜ)、煙を上げる車体を傾けていた。
 そして、その脇に、安東和雄が倒れているのが見えた。
 死んでいるのか、気絶しているのか。

 狂おしいほとの痛みに耐えながら、身体を確かめると、手足の他、下腹部に新しく穴が開いていた。馬鹿みたいに血が流れ出ている。
 これは、助からない。
 ぞっとするような推測のあと、ふと、目の前に携帯電話が落ちているのが見えた。
 倒れた拍子にポケットから転げ落ちたのだろう。
 『質問権つき携帯電話』。優子の支給武器だ。残る質問権は、三つ。そのうちの一つが『嘘』になる。
 雨に銀色の光を返している携帯電話の本体に手を伸ばした。
 二つ折りのボディを開け(ひらけ)、電源を入れる。液晶パネルやダイヤルボタンにオレンジ色の光がともった。ボタンを操作し電話をかけると、一瞬の沈黙の後、呼び出し音が続いた。
 自分のことながら、理屈に合わない行動だった。
 電話をかけるよりも他にすることはいくらでもある。
 だけど……。
『はい、鬼塚ぁ』
 出た。

「三つ目の……、質問」
 痛みに耐え、声を押し出す。
「……私、間違ってた? ね、私、間違ってた?」
 ぶしつけに質問を繰り返した。
 最期に、知りたかった。友達を、クラスメイトを、殺して回った自分が正しかったのか、間違っていたのか。
 回線の向こう、鬼塚がはっと息を呑むのが分かった。沈黙を返してくる。
 じりじりと背が焼けるような時間が過ぎていく。ピピピ……。鬼塚の声の代わりに、何か電子音が聞こえた。スイッチを押すような音が続き、電子音が途切れる。
 腕時計を見ると、ちょうど正午になるところだった。
 6時間ごとの放送のために、アラームを使っているのだろう。

 鬼塚の沈黙は、放送のために準備でもしていたのか?
 私の質問を無視して、奴は放送をするのか?
 そう思った瞬間のこと。回線の向こうから鬼塚の声が響いてきた。
『……間違っていたよ』
 はっきりとした声だった。そして、最初の説明のときのからかい口調とはうって変わった、真面目な語調だった。何かを悼んでいるような、語調だった。

 ふっと、優子の胸が熱くなり、瞳が滲んだ。
 感じたからだった。鬼塚が『嘘のカード』を使ったと感じたからだった。
「嘘、なのね……」
 疑問ではなく、ただの呟きとして、言葉を地面に落とした。
『さぁ、な。好きなように受け取ってくれ』
 鬼塚が答える。
 やはり、ゲームを楽しむような響きが消えていた。仮面を剥ぎ取ったのか、それとも、この数十時間の間で彼の中で何かが変わったのか。

 鬼塚のことなど、何も知らない。
 だけど、彼は、私の質問を無視することなく、答えてくれた。業務よりも、私を選んでくれた。
 それだけで十分だった。
 彼が嘘のカードを使ったのだと思うには十分だった。
 痛みの中、ふっと笑みを浮かべる。「わざわざ嘘のカードを使わなくても」と思ったからだった。彼のキャラクターは把握していないが、おそらく茶目っ気のある人物なのだろう。
 想いが半ばで潰えた羽村京子らクラスメイトたちからすれば、自分は正しい存在ではないのだろう。しかし、鬼塚は認めてくれた。もしかしたら、三井田政信も。
 自分は正しくはない。だけど、間違ってもいなかった。
 もちろん、鬼塚が『嘘のカード』を使ったか否かは、彼にしか分からない。しかし、少なくとも優子は使ったと感じた。真実がどこにあろうとも、それは彼女にとっては大切なことだった。


 仰向けの姿勢、空を見上げる。
 いつの前にか、雨は上がっていた。なおも厚い濃灰色の空に、切れ間が見えた。切れ間から零れ落ちる太陽の光。その光が優子を射した。と、光を背に、二人の少女が姿を現した。尾田美智子と、和田みどりだった。
 ふわり、宙に浮いている。幻影の二人。美智子もみどりも制服姿で、どこにも傷を負っていなかった。そして、柔らかな微笑をたたえていた。

 数ヶ月前、「もし、プログラムの対象クラスになったら、どうする?」と何の気なしに彼女たちに聞いた。
 美智子は「私は、戦えないよ。友達と殺し合いをするなんて考えられない」と答えて見せた。彼女の言葉に嘘はなかった。
 あのとき、私は、「私も」と返した。私の言葉は嘘だった。私は美智子を殺した。
「ごめん……、美智子」
 優子が呟くと、美智子はそのままの表情でううんと首を振った。
 その横に浮かぶ和田みどり。
 彼女はあの質問に「私は、戦う。襲われたら身を守る」と返していた。
 ……みどり。あなたは戦ったの? 心の中で尋ねると、みどりはゆっくりと首を振った。
 そう、仲良し三人組、私だけがゲームに乗ったのね……。

 彼女たちは、目を細め、もう一度首を振った。そして、手を差し伸べてきた。
 いいの? ……こんな私と一緒でいいの?
 問うと、二人は頷いた。
 浮かび上がる。自分が、傷ついた身体から離れようとしてるのが分かった。

 と、ここで、彼女たちの後背に、三井田政信が姿を現した。耳にかかる髪、目じりの落ちる細目、通った鼻筋、薄い唇。政信もまたきれいな顔をしていた。
 しかし、その表情は険しかった。
 いつも緩い笑いを浮かべていた彼がほとんど初めて見せる、厳しい顔。
 表情そのままに、すっと、政信の腕が上がった。彼の指差す方向を見やると、安東和雄の身体がぴくりと動くところだった。
 安東は、まだ生きている。
 唾液をのどに落とす。その拍子、抜けかけていた魂が身体に戻った。
 落ちていた裁ちばさみを口にくわえ、ずるりと身体を動かす。
 身体中が痛くて熱くてたまらなかった。

 生きなければならない理由なんて、ない。
 痛みをこらえながら、数時間前に思ったことを再び思う。
 ……もちろん、私が死ねば親や兄弟は悲しむだろう。別のクラスの友達も悲しんでくれるだろう。だけど、それだけだ。何かやり残したことがあるわけでもないし、将来への強い夢があるわけでもない。
 自分が生き残るべき人間だと、傲慢に思うことも出来ない。気が狂ってしまったわけでもない。
 だけど。だけど、私、生きたい。
 私……、もっともっと生きたい。
 生きて、普通の生活を、今までどおりの地味で何の刺激もない生活を、送りたい。ただ、それだけだ。 『私さ、優勝しても、そのままでいたいんだ。変りたくなんて、ない。特別になんてなりたくない。今まで通り。今まで通り、ふつーの生活をさ、送りたいんだ』 越智柚香を殺す前に彼女に言った台詞。こればかりは、嘘偽りのない優子の本当の気持ちだった。

 そして、そのためには、諦めるわけにはいかなかった。
 腕を伸ばし、土をつかみ、這う。畑の上に、優子が流した血の道が出来た。
 腹部を、それまでの比にはならない痛みが襲う。
「ああああっ」
 はさみの刃を噛んだ歯と歯の間から、潰れた叫び声が漏れた。叫ぶことで、生きていることを、まだ生きていることを確認した。
 諦めてなんか、やらない。生きてやる。最後の一人になってやる。ごめん、美智子、みどり。私、まだやらなければならないことがある。ありがとう、三井田。やるべきことを教えてくれて。

 優子が向かうのは、安東和雄が倒れている方向だった。
 彼女は逃げなかった。力を振り絞った。凄まじいほどの執着心。優子は、最後の最後まで生きることに執着した。最後の一人になろうとした。
 土塊に爪が割れても、狂おしい痛みに襲われても、失血から気が遠のいても、それでも彼女は地面を這った。
 残り、5メートル。
 安東和雄の身体に刃を刺しこむまで、残り5メートル。黒木優子は、そこで力尽きた。


 やがて、和雄が目を覚ました。目前までに迫っていた危機を知り、彼の顔には、驚愕の表情が乗り、やや遅れて安堵の表情が乗った。
 そして、放送が始まった。まるで彼女の死を待っていたかのようなタイミングだった。

 

<三井田政信、黒木優子死亡。残り02人/32人>


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バトル×2
黒木優子
積極的にクラスメイトを殺している。優勝し、普通の生活に戻りたい。
三井田政信
いい加減な性格。黒木優子を一度殺そうとしたが、機転を利かされ退けられている。
安東和雄
孤児院育ち。優勝し、生涯補償金を手に入れ、弟と暮らしたい。