<坂持国生>
一也が和田みどりの死を見届けたその少し前、坂持国生は、漁具倉庫に身を潜め、ぼんやりと考え事をしていた。
国生には、戦意が基本的にはなかった(基本的というのは、もちろん、襲われたら抵抗するぞという意味だ)。
武器としては、拳銃、コルト・ガバメントモデル45口径を支給されてはいるが、自分の細腕で反動に耐えられるか、自信はなかった。
いったい、どうしてこんなことに……。
プログラムに巻き込まれた身の上を呪う。
「バチが……、あたったのかな」
うちの一族は、バチ当たりなことをずっとしてきたのだ。ここに来て、そのツケがまわって来たに違いない。
国生はそう思った。
ツケの代償は一族の未来を担う若い命。……そう、俺の命だ。
坂持家は、香川県のとある地方の名士だ。変な言葉だが、官僚の家系とでも言うのだろうか。親戚一族のそれぞれが、県政府あるいは市政府の要職についていた。
その中でも国生の父親は、とびきりの変り種だ。いや、だった。
国生の父親は、香川県で行われるプログラムの進行を担う仕事をしていたらしい。
生徒たちを会場に導き、説明やその後の進行を担う。反吐の出るような仕事、通常の感性を持っていたのなら心が壊れてしまうような仕事だったが、国生の父親は喜々としてこなしており、時には進行役自ら生徒を「間引く」こともやっていたようだ。
しかし、国生が2歳のときに父親は死んだ。
プログラムの進行中に対象クラスの生徒に殺されたのだ。
母親は、葬儀の席で「主人は、お国のために立派に使命を果たしたのです」と言ったらしい。
人つてに聞いたその言葉の意味を理解したのは、ずいぶんと経ってからだった。
両親は国粋主義者だった。母親も概ね同じ考えの持ち主で、夫の死後も国生たち姉弟(上に姉がいる。本当は父親が死んだ時、母の腹の中にはもう一人弟がいたのだが、母は父の死のショックから流産してしまっていた)に「英才教育」を施した。
姉は元から父の影響をえていたので、何の疑問も抱かずにその狂った調教を受け入れていた。
姉が中学三年生になったときに言ったセリフ。
「ああ、やっと、プログラムに参加できる歳になったわ。私、お国のために戦うわよ」
それから数年たった今でも、国生の耳に焼き付いてはなれない言葉だ。
国生はそんな環境で育ったにも関わらず、母親や親戚一族の影響から逃れ育つことが出来た。それは、ひとえに今世話になっている伯母のおかげだった。
伯母は、父方の親族の中では異質の存在だった。
つまり、国粋などという言葉からは遠い一般的な思想の持ち主だったのだ。
周囲からは県政府官僚の妻になることを勧められたらしいが、伯母はそれを蹴り、普通に恋愛し普通に結婚した。
今は、脱サラした夫と神戸でパン屋を営んでいるごくごく普通のオバサンだ。
国生はこの伯母から「普通であること」の大切さを学んだ。
「国ちゃんは国ちゃんの人生を生きなきゃダメだよ」
葬儀の後、伯母が幼い国生に言った言葉。
思想統制のひかれたこのご時世では危険思想とも捉えられかねない言葉だったが、母親の「お国のため云々」よりも深く国生の胸を打つ言葉だった。
母親と姉とは中学2年の春までを一緒に過ごした。
伯母が国生を神戸に招いてくれたのだ(姉のことは諦めていたようだ)。
招く理由は、国生の病気。国生は生まれつき肝疾患を持っており、定期的な通院を余儀なくされていた。
伯母はここに目をつけ、「都会の大学病院の進んだ治療を受けたほうが、国ちゃんの為になるよ」と母親を説得してくれた。
国生自身も勿論頑張った。
「僕、早く身体を丈夫にして、お国の役に立つようになりたいよ」
なんて歯の浮くようなセリフまで言ってのけ、国生は自由を得たのだ。しかし、その結果、兵庫県のプログラム対象クラスに選ばれる偶然を引き当てることとなってしまったのだが。
ほんと、ウチの家系はよくよくプログラムに縁の深い家系のようだな。
国生はそう思い、苦笑する。
*
と、人の気配を感じ、国生はひゅっと息を呑んだ。
誰かの足音が、倉庫の扉の向こうからしたのだ。そして、がたがたと扉を動かす音が続く。倉庫は表鍵だが、中からつっかえ棒をしてある(入るときは、窓が開いていたので、そこから入った)。
大丈夫、扉が開かないのだから、すぐにどこかに行く。
自分に言い聞かせ、必死で落ち着かせていると、大きな音がして、木戸の一部が破られた。穴からは、何かとがった金属製の物の先端が見えた。
ツルハシの先だ。
怯えながらも見当をつける。
港に来る途中、工事現場があった。そこに土のついたシャベルやツルハシが残っていた。おそらくあのうちの一本だろう。
もう一度、ツルハシが打ち付けられ、穴が広がった。そして、その開いた穴からぬっと手が伸び、つっかえ棒がおろされる。
なんで、そこまでして!
国生は慌てて、物陰に身を隠す。
同時、 扉が開いた音がし、その誰かが入ってきた足音がした。続く、何かを拾い上げる気配。
銃を構えようとした国生の脈がどきりとあがる。
手元に銃がなかった。
隠れるときに、入り口付近に置き忘れてしまったのだ。
くっくと含み笑いがしたかと思うと、その誰かがいきなり銃を撃った。国生がいるあたりに着弾したが、幸い、船の部品だろうか、錆び付いた鉄板の後ろに隠れていたおかげで、その凶弾に撃ち抜かれることはなかった。
しかし、思わず上げた声を聞き分けられてしまったらしい。
「……坂持か?」
呼んだのは、よりにもよって楠悠一郎
だった。
いわゆる不良グループの一人で、札を二枚三枚つけても十分に釣りのくる荒れ者だ。
見えはしなかったが、国生は悠一郎がいぎたなく笑う様を思い描いた。「なんだ、ネズミか。楽勝だな」そんな悠一郎の声が聞こえたような気もした。
「ネズミ」は国生のあだ名だ。青白く、中学三年生にしては未発達な身体がチョロチョロとしたネズミのようだからだ。
口の悪い生徒たちに影でそう呼ばれているのを国生は知っていた。
隠れていた鉄板はすぐに蹴り上げられ、国生は悠一郎と対面してしまった。
悠一郎はややバタ臭いところもあるが、一般的な目から見れば顔のいい部類に入る男だった。
しかし、昨晩からの疲労のせいだろう、頬はげっそりとこけており、すっかり乱れてしまった長い髪と相まって男っぷりをすっかり下げてしまっていた。
その目だけがギラギラと光を帯びており、そして、国生の予想通り悠一郎は笑っていた。
いや、笑おうとしていたと言うべきか。
優位に立つために余裕を見せようとしていたのだろう。その笑いはぎこちなく、こめかみの辺りがピクピクと波打っていた。
「なぁんだ」
これ以上ないぐらいに切羽詰った状況の中、国生はほっと息をついた。日頃の所業から冷酷にクラスメイトを撃つのかと思っていたが、案外気の小さな男だったらしい。
これで、身体を縛っていた何かがスッと解け、国生は自由を得た。
支給された水入りのペットボトルを握り締め、悠一郎めがけて駆け寄る。その様を見、悠一郎が慌てた様子で銃を撃とうとした。
しかし、国生は頓着しなかった。
恐らく身体のどこかに当たるんだろうけど、その時はその時。致命傷じゃなけりゃ、なんとかなる。
我ながら呆れた無謀振りだったが、自分のそういったところが嫌いではなかった。
身体は、たしかに、弱い。ものすごく、弱い。だけど、心まで弱まってたまるもんか!
撃たれた弾丸は国生の頭の上を通り過ぎ、積み上げられた網や紐の塊の中に飲み込まれた。その衝撃に埃が舞う。
今だ!
ペットボトルを悠一郎の腹に思いきり突きつけた。
プラッチック製でしかないペットボトルは歪み、中の水が溢れた。
とうてい武器にはなりえないはずだったが、勢いがあっただけに衝撃は大きかったらしく、悠一郎の顔が苦痛にゆがみ、口からあぶくのような唾液がこぼれ落ちた。
また、落とした拳銃はカラカラと床をすべり、倉庫の端に置かれた重機の下に入り込んだ。
「て、てめぇ」
ここで、悠一郎の表情が変った。怒り。格下と見ていた相手に不意を付かれたことに対する怒りに、悠一郎の瞳が紅く濃く燃えていた。
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