OBR1 −変化− 元版


089  2011年10月02日11時


<野崎一也>


 少しの沈黙の後、「じゃ」と一也は京子に声をかけた。優子も、「羽村さん、さようなら」と続く。京子は答えなかった。黙りこくったまま、二人に背を向け、雨に濡れる農道を歩き出す。
 そんな京子の背中を眺め、「俺らも行こうか」と、一也らが踏み出した瞬間。
 京子が、ばっと振り返った。振り向きざまに発砲する。コンバット・マグナムの銃口は、黒木優子に向けられていた。
「うわっ」
 優子の代わりに一也が悲鳴を上げた。

 銃弾は、優子にも一也にも当たらなかったが、一也の拍があがる。
「は、羽村?」
 驚きの声を押し出した。
 京子はこれを無視し、ポケットから何やら取り出し、一也と同じく立ち尽くしている優子に投げつけた。いつの間にか足の強くなっていた雨の中、ひらひらと舞う、紙片のようなもの。
 空中でキャッチすると、それは、一枚のポラロイド写真だった。
 焦点がぼやけているが、被写体は分かる。刃物を振りかざした優子の姿だった。

 飛びのき、優子と距離を取る。農道のアスファルトの隙間にできた水溜りに足を突っ込んでしまったが、泥汚れを気にしている場合ではなかった。
「黒木! あんた、騙まし討ちしたろ!」
 京子が声を張り上げる。
 そして、もう一発撃った。今度はしっかりと構えていたので反動に負けることはなかったが、弾は外れ、雑木林の向こうに消えた。
「アタシ、そういうの、大っきらいなんだ!」
 手加減無しの怒声だった。

 この写真は、優子が尾田美智子を騙しうちしたときに、美智子が撮ったものだった。
 その後、京子が拾い、その周辺の状況から事実を悟った。
 『この子、死に際に抵抗したんだ。藤谷のバカを倒したんだ。正々堂々、戦ったんだ……』京子が結城美夜の亡き骸に言った台詞だ。
 また、ゲームに乗るつもりであることを公言して憚らなかった(はばからなかった)。
 京子は正々堂々と戦うことを好む。美智子を騙まし討ちした優子は、京子の逆鱗に触れたのだ。

 と、斜面の向こうから、マシンガンの連撃音が聞こえた。
「え、え、え?」
 突然の事態の連続に、一也は戸惑い声をあげた。京子も斜面に目線をやっている。
 優子の判断が一番迅かった(はやかった)。いつの間にか取り出していた小振りの包丁を握り締め、京子に飛び掛る。
 一也はとっさに京子と優子の間に割って入っていた。
 包丁の切っ先が、一也の左腕を切る。赤い血が、ぼとぼとと流れ落ちた。それを見た京子が、「黒木ぃ!」怒声を吐き、優子に掴みかかった。
 さらに叫ぶ。
「選べ!」
「え?」
「アタシか、矢田か、選べ!」
 そう、銃声は、啓太の危険を知らせるものかもしれなかった。こちらも緊急だが、斜面の向こうで行われているに違いない戦闘も急を要する。
 京子に加勢しているうちに、啓太が死んでしまう恐れがあった。

 少しの間をあけて、一也は走り出した。
 ぼろぼろと涙がこぼれた。
 なんで、なんで! なんで、俺たちが、こんなに辛い選択を迫られるっ?
「うわぁぁぁっ」
 戻りたい。振り返って京子に加勢したい。そんな思いを振り切るように、一也は叫び、斜面を駆け上がった。


 

<残り06人/32人>



<三井田政信>


 三井田政信もまた、駈けていた。一也が見上げた斜面の上に広がっていた木立の中、ざざざと音を立てて茂みを走り抜ける。
 頭に巻いていた白地のタオルは解かれ、耳にかかる髪が露出している。
 ひょろりとのっぽの体躯、目じりの下がった細目、にやけた口元。
 数時間前から降り続ける雨が、角島だけでなく、政信の身体を濡らし冷やしていた。
 ディパックを背負い、右手にはワルサーPPK9ミリを持ち、左肩にかけたショットガンを左手で保持している。

 背後からまた銃声がした。
 また安東和雄が発砲したのか、それとも矢田啓太が反撃したのか。
 同じバスケットボール部に所属し、仲のよかった矢田啓太の安否はそれなりに気にかかったが、それよりも、先ほど聞こえてきた女の声の方がもっと気になった。
「黒木! ……だまし討ち……ろ!」
 ぶつ切りに聞こえた怒声。
 誰の声か判別つかなかったが、黒木優子の名前は聴集できた。
 黒木優子が、戦っている。それは、多いに興味を惹かれる事実だった。

 昨日の夜、彼女を襲った。重原早苗を殺した彼女の隙を見て、ショットガンを突きつけた。
 途中、色仕掛けに騙されそうになったが、結局は圧倒的な有利を取り、勝利を確信した瞬間。彼女が洗剤の入ったペットボトルを持ち出した。
「ねぇ、青酸ガスって知ってる?」
 今となっては、彼女の言葉は嘘であったと確信している。
 しかし、あのときは、彼女に騙された。
 政信は、自分の頭は悪くないと自認している。
 普通ならば、彼女の嘘を看破できたはずだった。だけど、騙された。
 それは、プログラムという事態、やはり政信も平素な精神状態を持っていなかったからだったろうし、彼女が必死だったからだろう。
 そう、黒木優子は必死だった。
 身体を使い、持てる知識を振り絞り、ときには嘘もつき、必死に生きようとしていた。

 世界のカケラ。
 好きな漫画に出てきた一節を、再び心の中で復唱する。
 近未来の中南米。テロ組織と戦う主人公たち。時には相手方の兵士をも、殺す。とある場面、戦闘の後、敵の兵士の死体を前に主人公の少年が思考する。
 ……僕がまだ小さかったころ。世界は僕のものだった。15歳になった今、自分は世界が作ったカケラの一つでしかない事に僕は気付き始めている。僕はささやかで、なんの力もない。でも、もし、僕が死ねば世界は確実に「カケラ」の一つを失う。僕はまだ、世界の一部でありたい。壊れてちらばってしまいたくない……

 俺はまだ世界のカケラでありたい。
 お嬢には世界のカケラでいて欲しかった。政信は、他のクラスの『彼女』たちを思い浮かべ、同じクラスで一時期付き合っていた野本姫子(木田ミノルのトラップにかかり、死亡)の顔を思い浮かべた。
 そして、黒木優子。彼女にもまだ世界のカケラでいて欲しかった。
 彼女は、いま戦っている。そして、次の危険も迫っている。
 安東和雄も、例の声を聞いたようだった。
 少し前に和雄らを見かけた。どうしようかと考えている間に、安東が発砲したのだ。矢田啓太は最初の時点で傷ついていた。十中八九、彼が勝つだろう。
 その後、安東は声が聞こえた方向に走るに違いない。
「まーた、どっかで会えるかもなぁ。……お互い、死ななければ、他の誰かに殺されなければ、きっと、どこかで会えるだろうなぁ。……そしたら、もう一度、真剣勝負しよーぜ」
 十数時間前に黒木優子に向けた言葉。真剣勝負うんぬんも本当の気持ちだが、いまはただ生きている彼女に、まだ世界のカケラである彼女に会いたかった。

 剣のような葉を持った熊笹を掻き分け、進む。
 視界が急に開けた。斜面を見下ろす形、数十メートル下に、二人の女子生徒がもみ合っているのが見えた。一人は華奢な中背、もう一人は大柄だった。
 羽村、か。
 即座に、彼女たちを識別する。優子と争っていたのは、羽村京子だった。

 と、側方に人の気配がした。
 見やると、10メートルほど離れた位置に、野崎一也が立ちすくしていた。腕から血を流している。また、茂みから突然飛び出してきた政信を見て驚いたのだろう、目を見開いていた。
「啓太っ」
 一也が叫ぶように言う。
「啓太を、知らないかっ」
 わりあいに大人びた少年だった彼にしては、焦りの色が強い語調だった。
 彼と矢田啓太は親しかった。銃声を聞いて安否を気遣っているに違いない。
「あっち」
 政信は、後方の木立を指差した。
 言った瞬間、銃声が聞こえた。これは、安東たちではなく、優子と京子だった。遠目に、組み敷かれた優子の肩口から血が滲んでいるのが見えた。
 時間がない。
「俺は俺で忙しい。ま、健闘を祈るっ」
 言った後で、間抜けな台詞だと思った。ひひゃはっ、下卑た笑いを放った。
 一也は「ありがとっ」と一言、茂みを掻き分け、木立の中に駈け入った。



 さて……。政信は、ふっと小さく息をつくと、ショットガンを構え、斜面を二十メートルほど駈け降りた。斜面に貼りつくように作られた畑、そのあぜ道に古い柿の木があった。その陰に身を隠す。
 優子たちは、舗装されたアスファルト敷きの農道でもみ合っている。
 舗装されていると言っても甘いため、方々が欠けていた。
 次第に強まってきている雨に、道から泥が滲み、彼女たちは泥だらけになっていた。
 その脇には、農機具が詰まれた軽トラックが見えた。トラックの荷台に狙いを定め、ショットガンを発砲する。びりりと空気が揺れ、激しい銃声とともに、紅い火花が銃口から飛び出した。同時に、かかかっと金属音が響き、荷台の方々に穴が開いた。
 しっかり構えて撃ったのだが、仰け反ってしまう。
 すばやくポンプを動かし、次の弾を装填(そうてん)した。役割を終えた空薬きょうを排出する。

 突然のことに、京子と優子が短く切った悲鳴をあげた。
 二人の視線が、政信に突き刺さる。
 政信は、優子の視線だけを受けた。二人の視線が絡み合う。一瞬開けて、政信は、うん、と小さく優子に頷いて見せた。そして、今度は、二人にショットガンの銃口を向けた。
 優子は極めて的確に政信の意図を読み取った。
 そう、政信には今のところ彼女たちを撃つつもりはない。殺すつもりなら最初から軽トラックなど狙いはしない。ショットガンは……、優子を補助するものだった。
 言葉で伝えたわけではない。
 しかし、彼女は、政信の意図を引き寄せ掴みとった。

 京子が避けようと身体を伏せた、瞬間。
 優子が懐から大きなはさみを取り出し、京子の背中に馬乗りになった。そして、右手を京子の首筋に回し、いっきに切り裂く。京子の首のあたりから血が噴出した。

 ひひゃはっ。得意の下卑た笑いを飛ばす。
 やっぱ、お前、かっきーよ。サイコーだね。
 雨に濡れた赤茶けた髪、そばかすだらけの頬、一重の瞳、決して美しい少女ではない。はっきり言って、今まで政信が付き合った『ベイビーちゃん』たちに比べるべくもなく、地味な顔立ちだ。
 しかし、彼女は輝いて見えた。
 それは、やはり彼女が必死だったからだろう。生きることへの執着心が、彼女を美しく輝かせていた。
 サイコーだ。こんな女、見たことねぇ、や。
 この気持ちはなんだろう。恋なんかではない。それだけは言えた。『ベイビーちゃん』たちに抱いた感情とは、あからさまに違う。野本姫子に抱いた感情とも。だけど、なんだか、いい気分だった。


 京子は絶命しなかった。首筋というよりは胸元にあたる部分を傷ついている。
 あの辺りを切り裂かれても、よほど出血しない限りは死にはしない。再び、優子は京子に組み敷かれた。持っていたはさみを落としてしまう。
 仕方がない。
 政信は、もう一度発砲した。今度は、先ほどよりも近い位置を狙った。
 激しい音とともに、アスファルトが砕け散る。
 前面の黒木優子、背後の三井田政信。どちらを相手するか、それとも逃げるのか、判断を迷ったのだろう。京子の動きが一瞬止まった。

 これを、優子は見逃さなかった。
 仰向けの体勢のまま、脇に落ちていた黒い傘を右手で地面に立て、保持する。
 そして、開いた左手で京子の制服の胸元を握り、ぐっと京子の身体を前のめりに引き寄せる。
 果たして、傘の先が京子の左目に突き刺ささった。
「ひぎゃぁぁぁっ」
 京子が絶叫した。
 膝を落とし、中腰の体勢で、優子の身体を蹴り上げる。さほど力は込められなかっただろうが、みぞおちに決まり、優子が内臓物をげぇと吐き出した。

 京子も優子も立ち上がった。
 京子が片目で狙いを定め、優子に向け発砲しようとする。
 と、京子が「つっ」と小さく叫び、指先を押さえた。見ると、彼女は指に傷を負っていた。傷が痛んだのだろうか(死に際の結城美夜がつけた傷だった)。
 押さえながらも引き金を引いたらしいが、無理な体勢からだったため、狙いははずれた。
 機を見た優子が、拾い上げていた裁ちばさみを両手に持ち替え、京子の額、ちょうど眉間のあたりに、叩き込むように突き刺した。
 ……信じられない話だが、京子は即死に至らなかった。
「ち、くしょおおおおおっ」
 京子は、農道に仁王立ちし、火山の噴火のような怒声をあげた。空気が振動したように感じた。
 まるで獣の咆哮だった。
 雨足の強まる角島に、彼女の叫びがこだまする。

 しかし、これが羽村京子の最期だった。
 ゆっくりと白目を向き、彼女はどうっと仰向けに倒れた。雨水と泥と彼女の血があたりに飛沫し、悪趣味なポップアートを描いた。



<羽村京子死亡、残り05人/32人>


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バトル×2
野崎一也
同性愛者であることを隠していた。矢田啓太を探している。
羽村京子
荒れた生活をしていた。一也とは昔馴染み。
黒木優子
積極的にプログラムに乗っている。優勝して、普通の生活に戻りたい。