OBR1 −変化− 元版


088  2011年10月02日10時


<野崎一也>


 細く濃い密度の高い雨が、角島を濡らしつづけていた。
 一也と羽村京子が進む農道のアスファルトも、艶を増している。
 エリアとしては、Fの4にさしかかった所だった。この辺りは、南の山のすそ野が迫ってきており、右手には雑木林が続いている。左手は少し急な斜面になっており、張り付くように畑が作られていた。左手も、畑を越えると木立が広がっている。
 やや見通しが悪く、注意が必要だった。

 身体がやたらと重く感じるのは、疲労が溜まってきているせいか、着込んだ制服が水分を含んでしまったせいか。
 一也は、濡れた前髪が額に貼り付き煩わしいので、両手の平でかきあげ、後ろに流した。
 そして、首からさげたパスケースについた水滴をぬぐった。透明のパスケースの中に入れてある地図をじっと見つめる。政府の極秘ページ、トトカルチョ用のページに載っていた『午前5時時点の所在地』。その情報によると、矢田啓太は、その時点ではEの6エリアにいたようだった。
 しかし、そのエリアは二時間前に禁止エリアに指定されていた。
 当然移動しているはずだ。
 問題は、東西南北どの方向に移動したかだが、これは、ある程度目測がついていた。
 Eの6の周りのエリアは、西側以外は、遠巻きな部分もあるがみな禁止エリアに囲まれている。何か目的でもない限り、西に移動したとみていいだろう。
 つまり、いま一也らがいる方向だ。

 一也はこの辺りでそろそろ東に移動する必要があった。
 うまく行けば、西に移動しているであろう啓太とかち合うことが出来る。
 しかし、誰にも出くわさないように隠れながら移動しているはずだから、遭遇の可能性は低い。ある程度の目星はついているものの、あても無く捜し歩くことには変りはなかった。
 自分がどれだけ無謀なことをしているか、あらためて自覚し、一也は表情のメートルを落とした。

 そんな一也を見て、羽村京子が「なに、しょぼくれてんだよっ」肩をパシリと叩く。
 制服姿の彼女もまた、雨に濡れている。
 艶やかな(あでやかな)カーブを描いていた髪が首筋にまとわりついていた。
「……俺さ、そろそろ行くよ」
 搾り出すように一也は言い、少し黙ってから「あのさ、一つ訊いていい?」と続けた。
 怪訝な顔をしている京子に、「羽村はさ、どこに行こうとしてるんだ? 目的は?」真顔で問い掛ける。プログラムという状況下、いったい何の用事があるというのか。

 これに、京子は笑いを返してきた。京子らしい豪快な笑い声だった。
 そして、「ちょっと、楠の死体でも見に行こうかと思ってさ」と、思いがけない答えを言い放った。
「楠の?」
 間髪入れず反問する。
 不良グループのリーダーだった楠悠一郎は、昨日の夕方の死亡者リストに入っていた。先ほどまで一緒にいた坂持国生の話では、彼を襲ったものの、返り討ちに合い死亡したという。
 悠一郎と京子は、一時期付き合っていた。
 別れたにしてもかつての恋人の亡き骸を確かめたいと思う、その心はわかる。
 しかし、こう言っては失礼だが、そんな細やかな心情は京子にはそぐわないように感じた。

 疑問符を浮かべた一也に、京子は言い足した。
「アタシ、馬鹿だからよく分からないんだけどさ、楠の死体を見てみたいんだ。んで、あのバカの死体に蹴りの一発でもいれてやりたい」
「それは……」
「ん? たいした意味はないさ。ただ、そうしたいだけ」
 京子は言い切った。
 黙っている一也を尻目に、京子は独り言のように続ける。
「あいつ、ひどいヤツだったからね。プログラムに巻き込まれる前から、ろくな死に方しないと思ってたけど……」
 死者に向けるには、手加減無しの批評だった。

 ここで、京子はくっくと笑った。そして、きっと前を見据え、繰り返した。
「アタシ、あいつがどんな馬鹿な死に方したのか、見てみたい。んで、蹴っ飛ばして、付き合ってる間にひどい目にあった文句をいいたい」
 ただそうしたいだけ、と言いつつも、理由らしきものを話す。似たような台詞を繰りかえす。要領を得ない京子だったが、彼女の気持ちはなんとなく分かった。
 まだ、好きだったのかな……。
 一也は、ややバタ臭いが整っていた悠一郎の顔を思い浮かべた。
 同性愛者の一也、悠一郎も恋愛の対象となりうるのだが、粗暴で自己中心的な悠一郎は、はっきり言って願い下げな相手だった。
 楠にいい所なんてないと思ってたけど、なんか、あったのかなぁ。
 ただの乱暴者としてしか認識していなかった悠一郎。そんな彼の亡き骸に何事かを伝えたいと思う女の子(「女の子」という表現は、彼女には似合わないが)が、ここにいる。
 それは、何がしかの意味を感じることだった。彼への認識を変えるには十分な事実だった。

 そして、気がつく。
 楠悠一郎の死体がある漁具倉庫は、南の集落にある。南の集落には、一也の幼なじみであった生谷高志(安東和雄が殺害)の亡き骸が眠っているはずだった。
 坂持国生が高志の死体を見ており、おおよその場所は聞いていた。
「俺も、行こうかな。高志の死体、みたいし」
 ぶつ切りの台詞を落とすと、京子が声を張り上げた。
「ばっかだね。思いつきで話すんじゃないよ」
 彼女の剣幕に驚き、目を見張る。
 そんな一也を睨みつけ、京子は続けた。
「アタシたちに時間はないんだよ。アタシ、馬鹿だからよくわからないんだけどさ。選ばなきゃいけないんだと思う」
「選ぶ……」
「そう、二つは駄目だ。二つとも選ぼうとしたら、どっちも叶いやしない。きっと、そうだ」
 京子のきっぱりとした声が、霧雨に濡れる角島に響く。
 彼女は繰り返した。
「アタシ、馬鹿だからよく分からないんだけどさ、きっとそうなんだ」

 「アタシ、馬鹿だからよく分からないんだけどさ」これは、京子の口癖なのだろうか、合流して以来、何度となく聞いた言葉だった。
 しかし、言われてみれば、たしかにそうだ。どちらか一方を選ぶ必要があった。
 そして、選ぶべきは、当然啓太だった。
 一也は死んでしまった高志に心の中で手を合わせる。
「ごめん、高志。俺、啓太を選ぶよ」
 幼なじみの高志。その存在は、もしかしたら啓太よりも大きなものかもしれなかった。だが、彼は既に死んでいる。今は、生きている啓太を捜すべきだった。今この瞬間にも命を落とそうとしているのかもしれない、啓太を選ぶべきだった。
 残酷な選択。一也は、そんな選択を迫る運命が、政府が憎いと感じた。



「じゃ、俺、啓太を捜しに行くよ」左手の斜面を見やり、一也は言う。
 振り返り京子に手を振ろうとしたら、「待て!」と京子が鋭く一声した。その視線は、右手の雑木林に向いている。女性にしてはがっしりとした身体は、ぴりぴりとした緊張感に覆われていた。
「羽村……?」
 一也が問うと、「誰か、いる」と低く抑えた声を押し出してくる。
「なっ」京子に遅れて、一也に緊張感が走った。

 農道の脇に停車してあった農作業用の軽トラックの陰に、二人して駆け込んだ。
「どこ?」
 トラックの荷台の陰から高木低木の入り混じった雑木林に視線をやり、一也は尋ねた。坂持国生から譲り受けたコルト・ガバメントのグリップを握りしめる。
「あのへん」
 京子が、コンバット・マグナムを差し向ける。雑木林の緑がいちだんと濃くなったあたりだ。厚い雲に覆われて陰っているので、暗闇はより濃くなっている。しかし、昼間のことではあるので、誰かがいるのは分かった。
 ここから20メートルほど離れているだろうか。

 あちらから声をかけてきた。
「黒木っ。私、黒木優子よ!」
 両手をあげ降伏のポーズを取りながら雑木林の茂みから出てきたのは、制服姿の黒木優子だった。
 優子は、慎重な足取りで近付いてきた。
 一也らと同様に、緊張感が見てとれる。どうやら右肩に怪我をしているようだった。
 怪我をしているということは、少なくとも一度は戦闘を経験しているということだった。そして、生き残っている。また、トトカルチョ用のページの情報では、午前5時の時点で彼女は一人だった。
 手放しでは信用できない。

 いや、でも、まさか彼女が……?
 一也は判断を迷う。
 優子とは、普段割合に親しくしていた。高志が、優子と仲のよい尾田美智子(優子が殺害)のことが好きで、果敢にアプローチしていた。休みの日に、グループで遊びに行ったこともある。
 さばさばとした気性の、話していて気持ちのいい女の子だった。
 また、一也自身も肩に怪我をしている。それは、藤谷龍二に撃たれたものだったが、今の時点で一也がプログラムに乗っているわけではない。
 優子の危険性を知らない一也が、「彼女も同じようなパターンなのでは?」と思ってしまうのも無理はなかった。

 もちろんポケットやバッグに忍ばしている可能性もあるのだが、見たところ、銃や刃物は所持していないようだった。
 スポーツバックを肩掛けしており、持ち手の間に黒い傘を挿している。
 あれが彼女の支給武器だろうか、それとも、どこかの家で拝借したのだろうか。
「羽村……」
 京子を見やると、彼女は今まで見たこともないような険しい顔をしていた。
「信用して、お願いっ」
 軽トラックの向こうから優子の悲壮な声が聞こえる。

 人間的には、信用はできるような気がする。しかし、合流する意味はあまりなかった。
 一也にも京子にも確固たる目的がある。そのどちらにも彼女は邪魔だった。
 それに、今の時点で信用できるとは思っても、将来的には分からない。午前6時の時点で生存者は10人少々だ。人数が減ったときに彼女がどう言う行動を取るか……。
 (まだその後の放送がないので、すでに残り6人となっていることを一也は知らない)

 しかし、ここで一也は思った。
 もしかしたら、啓太と会っているのかもしれない……。
「俺、啓太のことを彼女に訊きたい」
 なお鋭い視線を向けている京子に、押し出すように言う。
 京子は、眉をあげ沈黙を返してきた。そして、ふっと息をつき、立ち上がると「黒木、両手を上げたままこっちに来なっ」と声を張り上げた。握るコンバット・マグナムの銃口は、優子に向いたままだ。

 農道脇のぬかるんだ地面を避けながら、優子がさらに近付く。それに伴い、互いの緊張感が増した。
「信用してくれてありがとう」
 信用したと言った覚えはないのだが、優子は念を押すように言った。
 彼女なりのペースに巻き込みたいのだろう。
「俺たち、これから別行動なんだ」
 一也が告げると、優子は戸惑った表情をした。
 すでに5メートルほどの距離まで近付いている彼女の動きに注意しながら続ける。
「俺、啓太を、矢田啓太を捜してる。どこかで見てないか?」
 一也の問いに、優子はほっとして見せた。
「さっき、あっちで見たよ」
 彼女が指差すのは、農道の西側の斜面だった。
「ほんとに?」
 一也の声に喜びの色がつく。

 一也は、優子の視線が自分の持っている銃に向いていることに、気がついていなかった。
 彼女は実際に啓太と会っている。しかし、それは昨日の夕方のことだった。尾田美智子を殺そうとしたときに間に割って入ったのが、啓太だったのだ(中盤戦2)。
 それからかなりの時間が経っている。優子は近時の啓太の居場所を知っているわけではない。
 それなのに彼女が「あっちで見た」と語ったのは、一也を騙し、彼と同行するためだった。
 普段親しくしていなかった京子よりも、一也の方が接近しやすいと考えたのだ。
 重原早苗のワルサーPPK9ミリは三井田政信(生存)に奪われてしまい、優子は銃を持っていなかった。勝ち残るには、銃がいる。優子は一也のコルト・ガバメントを狙っていた。

「私、案内するよ」
 優子が言う。
 危険極まりないが、啓太の情報は魅力的だった。
「じゃぁ、お願いしようかな。羽村とはここでお別れだね……」
「ああ」
 短く切った返答を京子がした。その視線は依然厳しい。



<残り6人/32人>


□□  バトル×2 1TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
野崎一也
同性愛者であることを隠していた。矢田啓太を探している。
羽村京子
荒れた生活をしていた。一也とは昔馴染み。