OBR1 −変化− 元版


086  2011年10月02日09時


<永井安奈>


 坂持国生を殺した永井安奈 はほっと息をつくと、居間を出、上階の様子をうかがった。
 まぁ、とりあえずは、大丈夫そうだ。
 ひょいと肩をすくめ、居間へと戻る。
 居間は騒然としていた。
 中央に置かれていたソファセットは乱れ、部屋の方々に赤い血糊がべっとりとついている。そして、ピアノの脇には胸を挿された国生の死体。流れる血が、カーペットの上に血たまりを作っていた。

 安奈は、抜かれていた弾をジグ・ザウエルに込めなおした。国生の亡き骸に刺さったままだった包丁を抜く。栓になっていたようで、血が吹き出、彼女の顔を赤く濡らした。
 顔をしかめ、ディパックからタオルを取りだし、顔や手足など露出した部分についた血をぬぐった。
 赤くそまった制服は脱ぎ、修学旅行の自由行動で着るつもりだった私服に着替える。
 程よく色落ちした古着のジーンズに、青地のパーカー。ラフな格好が好きな彼女のお気に入りだった。ジーンズは国外製品。最近になって外国製品が流通しだしたとはいえ、まだまだレアだ。
 当然、高価で、彼女の裏の「バイト」がなければ手に入らない品だった。

 居間の壁にかけられた小さな鏡に姿を映し、血糊が残っていないか、確かめる。
「よし」
 頷き、包丁をジーンズのベルトにはさみ、ジグ・ザウエルを右手に握った。
 一口大に切られた梨を、カーペットの上から拾い上げる。
「毒……」
 口に出した言葉の意味が後から追いついてきて、震えた。
 まさか、梨に毒が仕込まれていたなんて!
 梨は、吾川正子の支給武器だった。『秋の味覚セット』。ふざけた名前だと思っていたけど、もっとふざけたものが含まれていたなんて。
 もう一度胴震いし、吾川正子の顔を思い浮かべた。
 あの、喘息持ちの、顔色の悪い女。あいつ、毒入りだってことを黙ってやがった。
 アタシ、梨やぶどうを食べた。この梨だって食べようとした。
 ちょっと運が悪ければ……。転がっていたのは、アタシだったのかもしれない。

 国生の亡き骸に、そっと視線を落とす。
 彼もまた私服姿だった。ジーンズにトレーナーという簡素な姿。その胸には、生々しい傷跡がつき、血が今も流れつづけている。
国生が苦しみだしたときは、困惑したものだ。
 もともとは、自分のことを好いているらしい鮫島学の嫉妬心を煽り、国生と争わせる作戦だった。
 安奈は、今まで極力「殺人者」にならないよう気をつけてきた。それは、優勝後の精神状態を考えてのことだった。だから、迷った。
 しかし、絶好のチャンスだと思い直し、包丁を握りしめたのだ。
「楽に、してやろうと思ったのに」
 国生に向けた言葉。あれは、安奈自身に言い聞かせるものでもあった。
 アタシは、あの子をもう苦しまなくていいようにするんだ。アタシが坂持を殺すのは、坂持のためなんだ……。
 でも、もちろん本音は違う。だから、「ごめんね、アタシ、死にたくないんだ」と続けた。
 建前だけを言い聞かせても、心をコントロールすることはできない。建前5割、本音5割。この匙加減(さじかげん)が大切なんだ。

 坂持の死体は隠しようがない。
 委員長が降りてきたときに、どうあがいても、この状況に説明をつけられなかった。
 ……なら、先手必勝。
 右手にジグ・ザウエルを持ち、左手に梨の乗った皿を持つ。ポケットの中にはスタンガンも入っていた。ベルトには包丁。
 銃に毒にスタンガンに包丁。
 これ以上ないぐらいに武装できていた。しかし、相手は「あの」委員長だ。安奈は緩みそうになる気を締めなおした。鮫島学は、運動神経がよかったし、何より頭が切れた。決して油断できない相手だった。
 安奈は、居間から出ると、二階へと続く階段を睨みつけた。



 二階には三室あった。

 どの部屋に学がいるのか分からないので、とりあえず手前の部屋から慎重に確かめた。
 一部屋目には可愛らしいぬいぐるみが至る所においてあり、部屋主は女の子のようだった。二部屋目は夫婦の寝室。そのほとんどをキングサイズのベッドが占領している簡素な部屋だった。
 どちらにも人の気配はなかった。
 残すは最後の一室。鮫島学は、ここにいると見ていいだろう。
 安奈は部屋の前に立ち、ドアをジグ・ザウエルの銃把で二度叩いた。とんとん、と乾いた音が廊下に響く。……反応はなかった。
 眠っているのだろうか?
「委員長……、梨、剥いたの。食べない?」
 出来る限り明るい声を出す。鮫島学は自分のことを好いているらしい。断りはしないだろう。
 学がさきほどの戦いに気がついていないようなら、毒で弱らせる作戦が最も確実で安全だった。坂持国生は、たまたま少量しか食べなかったので毒では死ななかったが、上手く行けば即死が狙える。

 すると、「ん……、何?」という篭った(こもった)声が聞こえてきた。
 寝ぼけた感じ。どうやら、本当に寝ていたらしい。そっとドアを開ける。攻撃を警戒し一応飛びのいたが、襲ってくる様子はなかった。
 この部屋は、他の部屋よりも一回り広い。
 入り口から見て左手にベッド、右手は本棚が一面を占めていた。入り口側の壁もドア以外の部分は本棚が占領している。そして、向かいの大窓に向けて重い木のデスクが置かれ、窓には厚いカーテンがかけられていた。
 カーペットではなく、フローリングだった。
 また、この部屋の持ち主には絵画の趣味もあったようで、部屋の隅に、パレットやクロッキー帳、絵の具セットなどが寄せてあった。
 デスクの上には灯かりのついたノートパソコンが置かれ、脇には小さなティディ・ベアがあお向けに寝かされていた。
 ティディ・ベアは、書斎にはいかにも不釣合いな品だったが、先ほどの子ども部屋の様子を思い出し、「子どものぬいぐるみが、こっちの部屋にも来たのかな」と思い直す。

 ベッドの上の掛け布団は脹らんでいた。潜り込むようにして横になっているのだろう。
「委員長……」
 声をかけるが、今度は反応がなかった。どうやら眠りに落ちたらしい。
 安奈は乾く唇をペロリと舐め、湿らせた。喉がカラカラに乾いていた。ドアは開けたままにしておき、部屋の正面、デスクの方へ音を立てないように慎重に進んだ。梨の乗った皿をノートパソコンの横に置く。
 そして、ジグ・ザウエルを両手でしっかりと構えた。
 殺せば、罪悪感。当たり前の生活は送れなくなる。
 だけど、今のところは、大丈夫。坂持を殺したけど、アタシはうまく自分をコントロールできた。大丈夫。大丈夫。
 自分に言い聞かせながら、引き金に力を込めた。
 ぱんっという高い音とともに、両手首に強い衝撃が走る。金色の薬莢が宙を舞い、穴の開いた布団から出た羽毛が舞った。
 もう一発、撃った。さらに、もう一発。
 そのたびに羽毛が布埃とともに、部屋に浮き上がった。じわり、掛け布団から赤いものが染みだしてくる。


「やった……」
 構えていた銃を下げ、嘆息をつく。国生の場合とは違う。今度は始めから殺すつもりだった。このことが、これからの自分にどう影響してくるのか……。
 ここで、羽毛が鼻をくすぐり、安奈は、くしゅんと一つ、くしゃみをした。
 と、それが合図だったかのように、背後で何かが動く気配がした。
 驚き、振り返ると、カーテンの裏から誰かが飛び出してくるところだった。茶色地の制服を着た中背の体躯、弱く茶の入った短髪、縁なし眼鏡の奥に光る三白眼……。それは、鮫島学 の姿だった。
 両手にしっかりと握られているのは、ゴルフクラブ。
 驚いた安奈めがけて斜めに振り下ろしてくる。
 それを身をよじり避けようとしたが、叶わなかった。左肩で受ける。肩を起点に、左手の指先までと頭のてっぺんまでの上下に、じいんと痺れが走った。
 もとよりさほど運動能力の高くない安奈。頭部への直撃を避けることができただけでも上出来だった。

 痛み、痺れるが、左腕の感覚は失われなかった。どうやら、肩の骨を砕かれるには至らなかったようだ。
 第二撃は、ベッドに駆け上がり避けた。
 布団を踏みつけると、ぐにゃりとした感覚が足を伝いあがってくる。
 掛け布団を掴み、学に向けて投げる。うまくすっぽりと頭から被せることが出来た。
 片腕でジグ・ザウエルの弾を一発吐き出させる。反動で狙いは大きく外れ、弾はあさっての方向に飛び、窓ガラスを割った。

 えと、これで三発! 残り五発っ。
 足元に視線を落としながら、残りの弾数を頭に叩き込む。ジグ・ザウエルの装弾数は、七発プラス薬室の一発しかない。込めなおす余裕もない。無駄撃ちはできなかった。
 剥いだ掛け布団の下には、丸めた敷布団があった。
 そして、赤い液体が入ったペットボトルが4本並べられ、そのうちの一本に、銃弾でつけられたらしき穴が開いていた。
 ペットボトルは一人二本の支給だ。学と坂持国生のものをあわせたのだろう。
 部屋の隅に置かれた水彩画の道具を見る。
 そうか、赤い絵の具を水にといたんだ!
 極めて簡単なトリックだったが、見事騙されてしまった。

 日頃は人を騙す立場だった自分が逆に騙される。それは屈辱以外の何者でもない。状況の不利さ加減よりも、こんな簡単な罠に引っ掛かった自分が悔しかった。
 そうしている間にも、布団から脱出した学がゴルフクラブを構えなおし、襲ってくる。
 これは、何とか避けることが出来た。
 リアリストの安奈らしく、即座に気持ちを切り替える。優勝後の生活は気にかかったが、今そんなことを気にしていたら、死んでしまう。
 今、考えるべきことは、考えなきゃいけないことは、「どう、勝つか」。その一点だけだ。
 その後のことは、その後! できる。アタシならきっと、自分を誤魔化せるっ。罪悪感を消せる。だから。だから、今は、戦うことだけを考えろ!
 冷静に、冷静に!
 同じフレーズを繰り返す。
 戦力を計れっ。状況を読め! 
 安奈は、せりあがる緊張感や恐怖感を抑え、冷静に分析した。
 相手は男子。しかも運動神経がいい。委員長は、球技大会や体育祭のリレーのクラス代表に、たいてい選ばれてる。基本体力に欠ける自分と比べるまでもなく、鮫島学の運動能力は、クラスでも最高レベルにあった。頭も切れる。だが、武器としての戦力はこちらに分があると見えた。

 痺れの回復した左手にスタンガンを握り、スイッチを入れる。
 薄暗い書斎に、バチバチと火花が散った。
 学はこれを見て一瞬気圧された顔をしたが、すぐにまたゴルフクラブを振り上げた。しかし、今度はゴルフクラブの長いリーチが学にとっては災いし、本棚の角をガチリと叩き、攻撃には至らなかった。
 衝撃も大きかったのだろう。
 学はうめき声をあげてゴルフクラブを落とした。拾おうとしゃがみこむ。

 このチャンスを見逃す手はない。
 安奈はベッドから飛び降り、しゃがみこんだ学の背中めがけ、ジグ・ザウエルを二発続けて撃った。薬莢が舞う。一発は外れ、フローリングの床板に穴があき、ひびが走った。
 後の二発目は、学の腰あたりに命中し、血が噴出した。
「ぎっ」
 学の身体が反転する。
 やった、と喜んだのもつかの間、反転する学の両手にゴルフクラブが握られているのが見えた。
 避ける間もなかった。
 前頭部に衝撃がきて、安奈の視界が揺れた。鼻から血も流れた。

 しかし、殴られたときにはずみで引き金に力が入ったらしい。
 ぱんっと乾いた音がこだまし、ゴルフクラブを握っていた学の右手の甲に紅い華が咲いた。
 悲鳴を上げた学の手からゴルフクラブが再び落ちるが、安奈もまた力を失いジグ・ザウエルとスタンガンを落としてしまう。
 銃は部屋に残ったが、スタンガンがフローリングの床をすべり、退路確保のために開けておいたドアを越え、廊下にまで行ってしまった。
 学はゴルフクラブを拾うと、窓際に一歩下がり、何を考えたのか窓に向けて放り投げた。
 もとから安奈の撃った弾で穴とひびが入っていた窓ガラスが、これで完全に割れ落ちる。激しい音が鳴った。
 ジグ・ザウエルを拾い、困惑していると、学は自分の腰の辺りに手をやり、大ぶりの包丁を取り出した。安奈同様、ベルトに挟んでいたらしい。


 体力には欠けるが頭の切れる安奈、学の戦略を即座に読み取る。
 ……委員長は、たしか右利きだ。左手一本ではゴルフクラブを扱えないと考えたんだ。
 銃を拾わなかったのは、その暇がなかったのか、残りの弾数を読んだのか。
 ゴルフクラブを捨てたのは、アタシに取られることを警戒したんだな。
 まさしく、安奈の推察どおりだった。
 学は銃の評価が低い。それは、過小評価と言ってもいいぐらいだった。また、室内ではゴルフクラブはやはりリーチが長すぎたし、片手ではうまく扱えないと判断したのだ。
 あと、三発。
 ジグ・ザウエルの弾丸の数を頭の中で確かめる。
 そして、ベルトに止めていた包丁を取り出し左手に持った。頭部へのダメージからか、両手がしびれていたが、学に悟られないように意識を強く持つ。

 額が割れ、血が流れている。
 安奈は、唇に流れ着いた自分の血をぺろりと舐めた。鉄臭い不味い味。
  しかし、気合は入った。
そして、学に強い視線を向けた。部屋の中央入り口よりに安奈が、窓のそばのデスクの横に学が立ち、互いに睨みあった。



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バトル×2
坂持国生
父親がプログラム担当官をしていた。楠雄一郎に襲われたが返り討ちにした。
鮫島学
クラス委員長。政府に一矢報いたいと考えている。以前から永井安奈の裏に気づき、気にかかっていた。
永井安奈
優等生に見えて、陰では悪さをしていた。