OBR1 −変化− 元版


085  2011年10月02日09時


<坂持国生>

 
 依然、永井安奈 は気を失ったままだった。
 向かいのソファに横たわる彼女にそっと視線をやり、坂持国生 はため息をついた。
 一階の客間、侵入者避けに雨戸を閉めているため、中は薄暗い。部屋の隅に置かれたピアノの黒艶のボディに、明り取りのろうそくの光がぼんやりと映っていた。
 足の低いテーブルの上に置かれているのは、彼女の荷物からでてきたスタンガンとジグ・ザウエルだ。
 彼女が支給武器らしきものを二つ持っているのは、危惧すべき事態だった。
 やっぱ、誰か殺したのかなぁ。
 でも、彼女、児童公園のひどいのを見て、悲鳴上げたしなぁ。気絶したしなぁ。そんな子が人殺しなんてするのかな。それに、銃も使われてないみたいだし、永井の服には血もついてないし……。

 優勝した後の精神状態を考え、なるべく自分の手を汚さないようにしてる彼女の戦略が、功を奏していた。
 実際に、安奈は誰も殺していない。ただ、他のクラスメイトたちの心情を煽り操っただけだった。だから、安奈の衣服に血痕がつくことなく、銃も使われていないかった。
 このことが、結果として、国生や鮫島学を惑わせていたのだ。

 と、「う……ん」唐突に永井安奈がうめき声をあげた。身体を動かしたので、ソファから落ちてしまう。
 せいぜい4,50センチの高さからだし、床は厚いカーペットで覆われていたので、たいした衝撃ではないはずだが、やはり驚いたのだろう。
「きゃっ」
 安奈は軽く叫び、パチパチと瞬きをした。
 そして、目の前の国生をまじまじと見つめ、「……坂持くんち?」訊いてきた。
 状況を把握していないぼけた質問に苦笑しながら、「永井さんが気絶した公園の近所の家だよ」と答える。
 安奈は、「ああ、プログラムだったけ……」肩を落とし、はっと息を呑んだ。
「こ、公園の死体は……?」
「ああ、ひどかったね。可哀想だけどそのままにしてきた」
 国生は、児童公園で集団自殺を遂げたらしい田中亜矢(木沢希美の友人)らの亡き骸を思い出し、顔をしかめた。
 あちこちに飛び散る肉片。漂う死臭。たしかにそれは、ひどい光景だった。
 国生に近付き、身を寄せてくる。その身体は小刻みに震えていた。

「怖かったろうね。俺らは大丈夫だから、安心しなよ」
 ああ、やっぱりこの子は普通の女の子だと思いながら、国生は優しい声をかけた。
 安奈は「委員長と野崎くんと、誰だったっけ?」と返してきた。
「今この家にいるのは、鮫島と俺と、君の三人だよ。他に野崎と羽村もいたんだけど、出て行った。野崎は矢田を捜しに。羽村はわからない……」

 国生は立ち上がると天井を見、「鮫島! 永井さんが目を覚ましたよ!」と学を呼んだ。
 聞こえたらしい。やや間をあけて、ドアが開く音がした。



 今までどうしていたのか、どうして武器を二つもっているのか。
 学の質問に、安奈はつかえつかえ答えていた。
 安奈が言うには、ずっと一人でいたらしい。ジグ・ザウエルが彼女の支給武器で、スタンガンは、教会で死んでいた越智柚香のスポーツバックの中から出てきたと言うことだった。
 もちろん無条件に信じていいものではないが、彼女のことを普通の女の子だと思っていた国生は、「信じていいかな」と考えていた。
 学はといえば、国生に身を寄せる安奈に厳しい視線を送っているように見えた。
 ……実は、安奈に頼られている国生自身に向けられた嫉妬の視線だったのだが、学が彼女に恋愛に近い感情を持っていることを知らない国生は、察することが出来なかった。

 と、「ま、ここはまだ禁止エリアになってないし、身体を休めるといいよ。……装弾されていた弾は抜いてあるからね」学が肩をすくめた。
 テーブルの上に置かれたジグ・ザウエルを見、安奈が頷く。
「俺も、ちょっと休む」
 学は素っ気無く言うと、二階の書斎へと上がっていった。
 テーブルにかけられたクロスの端を指先で弄びながら、「私、疑われてるのね……」安奈が不安そうな声を出した。
 取り繕ってもかえって不安にさせるかなと思い、「ま、仕方ないよ。こういう事態だし」と答えておく。
「……坂持くんは、優しいね」
 少し黙ってから安奈が言う。そして、国生の手をおずおずと握ってきた。
 もちろん、学と国生のコンビを崩壊させ、二人を争わせようという狙いを持った安奈の行動だった。
 そうとは知らない国生は、どぎまぎしながら立ち上がる。
「水、飲んでくるよ。ちょっと喉が渇いちゃって」
 すると、安奈はふと思い立ったという様子で、「それなら、私のバックに梨が入ってるから、それ食べなよ。お腹も膨れるよ」と、言ってきた。

 安奈が取り出した梨(毒が入っているかもしれないことを、安奈自身も知らない)を受け取りながら、「これ、どうしたの?」訊いた。
「教会にあったの」
 実際には、吾川正子(安奈に殺意を煽られた飯島エリが絞殺)の支給武器だったのだが、安奈はそんなふうに答えた。
「そか、じゃ、食べよか」
 キッチンへ向い、シンク下の収納スペースの扉を開け、扉のポケットに挿してあった小振りの包丁を取る。客間に戻った国生が慣れた手つきで梨の皮をむき出すと、安奈は面食らった顔をした。
「上手、だね」
「え?」
「男の子なのに、包丁使いがうまいなって思って」
「ああ……。御世話になってる伯母さんが、厳しい人でさ。色々仕込まれてるんだ」
 国生が香川の出身で、病気の治療通院のために兵庫県にきていることは、割合に有名な話だったため、その辺りには注釈入れなかった。
 伯母は躾(しつけ)に厳しい人だった。
 しかし、それは、自立心の強い国生には、喜ばしいことだった。
 香川時代は、「男子は台所に立つな」という前時代的な思想の母親に邪魔をされて、何も出来なかった。プログラム担当官の仕事をしていた父親、追随する母親。
 俺は両親には恵まれなかったけど、いい伯母さんを持った。
 おそらくはもう会えない伯母の丸い顔を思い浮かべ、国生は「家に帰りたいな」と思った。
 そう、帰りたい。厳しくて優しい伯母さん夫婦の家に。
 だけど、家に帰るためには、最後の一人にならなければならない。そのためには、クラスメイトを殺さなくてはならない。そしたら、俺は、あのサイテーだった父親と同じ場所に落ちてしまう……。



 暗い表情を浮かべる国生を気遣うように、安奈が「凄いねー。私なんてお菓子しか作れない」冗談めかして言った。
 少し落ち着いてきたように見える。
「女の子らしくて、いいよ」
 国生が笑いかけると「今度、作ってあげるね」安奈も笑った。
 今度か……。そんな日が来たらいいな。
 思いは口にせずに、梨を切り、皿に並べた。
「さ、食べよか。ちょっと残しておこうな。鮫島も食べるだろ」
「うん」
 二人して、梨に手を伸ばした。と、手が滑ったのか、安奈が梨を落とした。苦笑しながら、梨を口に運ぶ。

 ……変化は、すぐに訪れた。
 国生の口腔が焼けるように熱くなり、げぇと梨を吐き出す。
「ぐ……」
 身体が瘧を起こしたかのようにガクガクと震えだした。体温が下がったような感覚。全身が痛んだ。
「なっ、なにこれっ」
 身体をくの字に曲げ、なおも吐きつづける国生に、安奈が慌てた声を向けた。驚きのあまり何も出来ないらしく、呆然と立ち尽くしている。
 ひとしきり吐くと、少しだけ楽になった。
 梨が傷んでいたようには見えなかった。おそらく毒が仕込まれていたのだ。
 安奈も知らなかったらしい。彼女の慌てぶりは本物だった。どうやら、梨の端をかじっただけだったので服毒量が少なかったのと、もともと毒性が弱かったおかげで、即死には至らなかったらしい。
 かがみ込み、ぜいぜいと息を上げていると、安奈が後ろに回り、背中をさすってくれた。
 さらに「口、あけて、手を突っ込むか何かして、もっと吐かなきゃ」と顔の前に手を差し伸べてくる。嘔吐物で彼女の手が汚れてしまう、と思ったが、自分でやる気力もなかったので、激しく痛む口を開けた。
 
 安奈がその手を引っ込めた。

 疑問に思う間もなく、安奈が逆手を口の中に突っ込んでくる。
 きらり、何かの刃が光を反射した。安奈が握っていたのは、先ほど国生が梨を切った包丁だった。そのままでいたら、口の中を突かれ、国生は大怪我を負っていただろう。いや、死んでいたのかもしれない。
 がちっと、金属的な音が客間に響く。
 国生はかろうじて歯で包丁の刃を噛み、勢いをとめていた。
 弱りきった国生に大きな力出せるはずもなく、完全に止めることは出来なかった。口腔を包丁で突きつけられ、国生の口元から血が溢れた。カーペットが赤黒く染る。
 潰れた悲鳴をあげた。
 混乱そのままに、国生は、両脚を腹に向けて折りたたんだあと、精一杯の力で蹴り上げた。
 胸部を蹴られた安奈が仰け反る。包丁は安奈の手を離れ、ソファの上に落ちたが、その際に国生の口の端を切った。
「が、に……」
 なに、すんだよ! と怒声を上げたかったのだが、毒に喉が焼かれ、きちんと発声できなかった。蹴られたせいだろう、安奈が激しく咳き込む。そして、国生を殺し損ねた彼女は、ちっと舌打ちをした。
「楽に、してやろうと思ったのに」乾いた笑い声をあげる。

 部屋の隅まで這いずり、ピアノに手をついて立ち上がる。
 しかし、毒が効いてきたのか、口蓋を切られたからか、国生は再び吐血した。吐くためにくの字に曲がった腰を苦労してあげ、安奈を睨みつけた。
 いつの間にか、彼女は包丁を拾っていた。
「ごめんね、アタシ、死にたくないんだ」
 そのどこか人を食ったような口調は、さきほど「私なんてお菓子しか作れない」といった少女のそれとは思えない。
 彼女の包丁が一閃した。
 すでに大きな動作をする体力も気力も失われていた国生には、避けることが出来なかった。
 胸元を切り裂かれ、赤い血を吹き上げる。ピアノの鍵盤カバーの上に掛けられた真っ白なレース布に、赤い斑点模様がついた。

 血、血、赤い、血。俺は、死ぬのか……?
 国生は、もとより死は覚悟していた。担当教官のDNAを受け継いだ自分がプログラムで生き残れるとは思っていなかった。
 もしこの世に「カミサマ」が存在するのなら、そんなことを許すはずが無いと思っていた。
 どこかのタイミングでプログラムに乗った誰かに殺される場面、あるいは、自ら命に幕を引く場面を想像していた。
 誰かに殺されるシーン。
 そのときの国生は、正々堂々と勝負していた。
 そう、不良グループのリーダーである楠悠一郎に襲われたときのように(中盤戦3)。あのとき、国生は、体格の差、支給武器の差をものともせずに彼に挑み、そして勝利した。
 あの勇気を、国生は少しだけ誇りに思っていた。

 死ぬときも、きっと。楠をやっつけたときのように、正々堂々頑張って、俺、身体弱いけど、でも頑張って。だけど……、やられちゃうんだ。
 そう思っていた。
 頑張って頑張って、そのことを誇りに思いながら死ねるんだ。
 そう思ってた。
 なのに……。なのにっ。
 潰れた喉で、がぁっと吼えると、安奈が気圧された顔をした。このとき、国生の脳裏に、さらなる恐怖がよぎった。

 探知機!

 探知機が国生のポケットに入ったままだった。生徒の居場所を知ることが出来る機械。この探知機を使い、楠悠一郎は数人のクラスメイトを殺したらしい。『あなたは、天使にも悪魔にもなれる!』附属の説明書にあった鬼塚の言葉だ。
 楠は、悪魔になった。
 ……彼女は?
 ……彼女だって、悪魔だ。この女に、探知機を渡しちゃいけない!
 震える手で、ポケットから探知機を取り出した。ろうそくの灯かりに、セラミックのボディが光を返す。
 それを見た安奈が、身構えた。
 何か別の武器だとでも思ったのだろう。
 国生は最後の力を振り絞り、両手を大きくあげた。そして、そのまま前のめりに身体を倒し、探知機をテーブルに叩きつけた。がしゃり、かなり大きな音がたった。
 カーペットに横向けに倒れた体勢になった。
 充血した赤い視界を開ける。すると、狙いどおり、探知機の液晶画面に大きなひびが入り、部品が飛んでいるのが見えた。

 これで、もう、探知機は使えない。誰も悪魔にはなれない。
 さ、め、じま……。聞こえたか……。
 全身の激しい痛みに身体をよじっているうちに、あお向けの体勢になる。ゆっくりと首を首を動かし、クロス張りの天井を睨みつけた。探知機を壊したのは、そのこと自体も目的だったが、大きな音を立て上階の学に注意を促す目的もあった。本当は声をかけたかったが、毒に喉を焼かれ、大声を出して警告することが出来なかったのだ。


 ふっと、国生は思った。
 典子さんは、俺の死をどんなふうに聞くのだろう。
 国生は中川典子に恋をしていた。
 しかし、典子とは一回り近く歳が離れていた。また、中川典子の心深くに七原秋也の存在が今なお色濃く残っていることは、明白だった。
 それに、国生の父親は、彼女が巻き込まれたプログラムの担当官をしていた。
 彼女は国生を見るたびに、死んだクラスメイトのことを思い出す。無慈悲にクラスメイトたちを屠った(ほふった)国生の父親を思い出す。国生は中川典子を見るたびに、思い出す。父親がプログラム担当官だったことを、担当した生徒たちを嬉々としながら「間引いて」いたことを、思い出す。
 決して届かぬ想いだということも分かっていたし、互いの心情を思えばひどく辛い恋だった。

 だけど、たしかに、国生は中川典子に恋をした。それはとても救いがたく、とても幸せなことだった。


 カーペットの上、あお向けの国生のそばに、安奈が両膝をついた。
 両手には、しっかりと包丁が握られている。緊張からだろう、その額にはうっすらと汗が滲んでいるように見えた。
 ……探知機は壊した。ざまぁ、みろ。お前は悪魔にはなれない。
 安奈に、にっと笑いかける。まさか笑われるとは思っていなかったのだろう、ぎょっとした様子の彼女を満足気に見上げながら、もう一度、思った。
 典子さんは、俺の死をどんなふうに聞くのだろう。
 いいのにな。
 ……勇気をもって戦ったと思ってくれたら、いいのにな。一人の男が、死んだと思ってくれたら、いいのにな。

 安奈が腕を振り下ろすのが見えた。
 そして、鈍い音がすると同時、国生の胸に激しい痛みが走った。



<坂持国生死亡。残り08人/32人>


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バトル×2
坂持国生
父親がプログラム担当官をしていた。楠雄一郎に襲われたが返り討ちにした。
鮫島学
クラス委員長。政府に一矢報いたいと考えている。以前から永井安奈の裏に気づき、気にかかっていた。
永井安奈
優等生に見えて、陰では悪さをしていた。