OBR1 −変化− 元版


084  2011年10月02日09時


<鬼塚千尋> 


 分校の二階、教室をひとつ丸ごと使った「本部」。窓に板を打ち付けており、外からの光が望めないため、照明は点けっぱなしになっている。
 スタッフの人数が多く、大型モニターのほかに数台のパソコンやサーバ、種々の機材を動かす発電機などなど熱を放つ機器が多いため、空気はよどみ勝ちだ。ファンを大車輪で動かしていた。

 ぼんやりと空を見つめながら、鬼塚は「中途半端、か」とつぶやいた。
 中途半端。
 鬼塚は、先ほど一也が洩らした言葉を聴集していた。
 思う。
 彼は、何をもって自分のことを中途半端だと言ったのだろう?
 盗聴記録から見ると、野崎一也は何か考え事をしていたようだ(一也らの筆談は本部に気取られていなかった)。そして洩れた中途半端という言葉。彼はその言葉にどんな思いを込めたのか……。

 資料によると、野崎一也は思想統制院に収監された経歴を持っている。
 だけど、それは統制院の制度が出来た頃、混乱期の話で、結局「粛清対象外」という判断が下り、開放されていた。
 当時の統制院は、未熟な制度だった。
 たいして反政府心を抱いていなかった者まで捕縛していと聞く。
 彼もその一人だったのだろう(実際そうだった)。

 野崎一也は、資料上、思想統制院絡みの経歴以外は目立つ所の無い、普通の生徒だった。
 事実、鬼塚もまったく注目していなかった。
 しかし、自分自身のことを中途半端な存在だと感じている鬼塚にとって、「俺って、中途半端だ」という一也の言葉はそれなりに大きく聞こえた。
「野崎……一也。ちょっと話してみたくなったな」
 腕を組み、そんなことを考えていると、事務官の彼が、「鬼塚さん、お電話です」と言った。
 時折、トトカルチョに参加している政治家などから進行に関する質問を受けることがある。
 おそらくはその類だろうと、鬼塚は立ち上がった。



「……そうか、萩が。知らせてくれてありがとう。じゃ、切るな」
 特殊回線を切った鬼塚千尋は、しばし呆然としていた。
 様子をうかがっていた事務官の彼が「萩って何ですか?」と訊いてくる。
 一瞬話すかどうか迷った。
 しかし、「ちょっと表現がずれているが『乗りかかった船』ってやつだ」と思い直し、「俺も、よくよく話したがりだなぁ」と苦笑した。
 鬼塚は進行のチェックを補佐官に指示し、事務官の彼と先ほどの休憩スペースへと向った。事務官の彼もまた先ほどと同じくコーヒーを二人分ついでくる。

 今度は業務中のためあまり時間がないのだが、鬼塚は例によって質問から入った。どこか人を試すような話運びが、鬼塚の癖だ。
「プログラム制度ってなんで続いてると思う? さっき話したプログラム補助金の話は抜きで」
「この国では、一度始まったことはやめにくいから……」
 事務官の彼の答えは、ある意味満点だった。
 概ねお上の意向に唯々諾々と従う大東亜共和国民で、この種の考え方が出来る人間は珍しい。
「そうだな。だけど他にも、ある」
 彼自身も先ほどの答えであっていると思っていたのだろう、鬼塚の言葉に怪訝な表情を見せた。

「これも、つまんない話さ。政治家の面子だ」
 意味がわからないという顔をする事務官に、鬼塚は気安い口調で続ける。
「さっき『萩』って言ってたろう。これは、萩浦大臣のことだ。頭の一文字を取って『萩の大老』とか呼ばれてる」
「ああ、あの偉いおじいちゃん」
 若者らしいくだけた物言いに苦笑する。
「そう、国でトップレベルの権力を持ってたじじいさ。最近じゃ、他の勢力に押され気味だったけどな」
 コーヒーカップに口をつけ、「で、プログラムにこのじじいの面子がかかっていたんだ」軽い口調で言うと、事務官の彼の前にあった疑問符の数が増えた。
 そして、賢しい(さかしい)彼は、そんな反応をやはり楽しまれていることに気がつき、「もう。相変わらず人が悪いっすね」と膨れて見せた。

「萩のじじいの家は政治家を代々輩出していてな。彼のひいじいさんがプログラム制度の立ち上げに関っている。ほとんど中心人物と言ってもいいほどに」
 早く結論を聞きたいのだろう、事務官の彼は何も言わず話を聞いていた。
「もちろん、彼だけじゃない。他にもたくさんいた。で、プログラム設立後、6、70年の間に、権力の持ち手があっち行きこっち行き……。栄枯盛衰なんかしちゃったりしながら、萩のじいさんの家だけが残ったのさ」
「面子」
 ここで、話の道行きが分かったらしい。
 事務官の彼が何とも言えない顔をした。
「そう、権力者の、面子、さ」権力者のという言葉に力を込め、ぶつ切りの台詞を返す。

 プログラム制度がどういう理由で作られたのか、正確に推察することは出来ないが、それなりの思想があって作られたのだろう。
 ……鬼塚からしてみれば、正気の沙汰ではないが。
 今となっては、誰の目にも悪制度であることは明白だ。
 少子化問題が叫ばれる昨今、若い力を殺す制度に何の意味があるだろう。
 戦力を上げたいのなら、さっさと徴兵制を導入すればいいのだし、『戦略上必要なデータ』とやらは軍費にかける予算を上乗せすればいい。
 いらないのなら、やめればいい。プログラムの恩恵を受けている者たちだって、正面切っては反対できまい。
 だが、何かをやめるということは、その制度が間違いだったと認めるということだ。プログラム制度の立役者たちの面子を潰すということだ。

「馬鹿らしい話だろー」
 鬼塚がおどけた口調で言うと、事務官の彼は「そうですね……」と言い、「なんか、嫌になっちゃいますね」とひきつった笑顔を見せた。
 権力者の都合に翻弄される子ども達。本当に馬鹿らしい話だった。

 事務官の彼が言ったように、この国で一度転がり始めたことは止めにくい。
 また、権力者の面子の問題があった。
 だが、半世紀以上の歳月が過ぎ、その最後の権力、萩の大老が倒れた。聞いた話によると、一命は取り留めたが復帰は難しいらしい。
「今ごろ、萩の権力に寄りかかっていた連中は大慌てさ。息子だの弟子だの引き継ぐ者もいるんだろうが、沈みかけた船になにをしようが、無駄無駄」
 両手を広げ、ひょいと肩をすくめる。
 それまでに数年はかかるだろうが、萩の権力が消える。
 そうすれば、守らなくてはならない面子はなくなるのだ。

 何年かすれば、プログラム制度を廃止しようとする気運が盛り上がるだろう。
 もちろん、正義感からではない。別の権力者が、プログラム制度設立に関りのない権力者が、人心を掌握しようとして行うのだ。
 それまでに5年かかるか、10年かかるか。あるいはもっと長く。
 ……まぁ、今現在プログラムに巻き込まれている彼らには関係の無い話だが。

 鬼塚はもう一度肩をすくめ天を仰いだ。
 古びた分校の板天井、切れかけた蛍光灯がチカチカと点滅していた。




<残り09人/32人>




<中川典子>


 典子は受話器を置くと、大きく息をつき、ぎゅっと手のひらを握った。
「国生くんが……。プログラムが……」
 シブサワからの情報は驚きの連続だった。
 萩浦大臣の権力が落ちるということは、プログラム制度の終焉が一歩近づいたということだった。過去、萩浦大臣を暗殺しようとした過激な組織もあった。これは失敗し、その組織は殲滅させられている。それから大臣は身辺警護を増やしたそうだが、暗殺を避けられても、病は回避できなかったらしい。
 人は歳をとる。身体も弱る。当然のことだ。
 これは、国も制度も同じことだ。不墜のものなんてこの世には存在しない。全てのものはやがて消える。壊れる。そう、先ほど落としたコーヒーカップのように。
 萩の権力にかげりが見えた。外圧も高まってきている。様々な組織が様々な方法で制度と戦っている。

「歴史の波」
 思わず口をついで出る言葉。歴史の波が立ち始めていた。何年かかるか分からないが、近い未来、プログラムには終幕が訪れるだろう。
 胸が熱くなり、肩がぶるぶると震えた。
 そして、最後に表情が曇る。
 それは、坂持国生のことを思い出したからだった。これから先、制度が終わるまでにプログラムに巻き込まれる少年少女たちのことを思ったからだった。彼らは殺し合いを演じなくてはならない。
 例えば彼らが10年遅く生まれていたとしたら。そうすれば、死なずにすむのだろう。不運という言葉で括るのも忍びない、非業な運命だった。



<残り09人/32人>


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バトル×2
鬼塚千尋
プログラム担当官。見せしめを行わなかった。