OBR1 −変化− 元版


080  2011年10月02日07時


<野崎一也>


 見終わった一也は、学の顔をまじまじと見つめた。学は黙って頷いて返した。
 モニタに広がるのは、一枚の「地図」とテキストだった。
 支給武器のセットに入っていた角島の地図のように詳細なものではなく、せいぜい等高線や主要な施設の記号が記されている程度のものだったが、支給の地図とは大きく違う点があった。
 地図の中で点滅するいくつかの光。それぞれに数字が振られている。

 テキスト部分を見るまでもなく、それが何であるかは分かった。
 首輪から発せられる電波をもとに、生徒たちの居場所がプロットされているのだろう。
 地図の上部には「10月02日05時00分現在の所在」「次の更新は10月02日12時00分」とあった。

 一也は貪るようにテキストを読んだ。
 トトカルチョはプログラムが開始する直前と、開催三日間の折り返しである二日目の正午の二度行われるらしい。二度目のトトカルチョは、賭けた生徒がプログラム開始直後に死亡してしまったトトカルチョ参加者に配慮したものだろう。
 一度目は、先ほど学に見せられた名簿のデータを元に賭けるが、二度目はこのサイトで定時更新される進行情報を元に賭ける。
 ただ、進行情報は6時間毎に更新される地図のみで、テキストはない。
 5時現在の……と、中途半端な時点での地図なのは、ページ製作時間を見てのことだろう。
 また、以前の地図は、更新毎にデータから削除されるようだった。「地図を追って、生徒たちの動きを予想してゲームを楽しんでください」という趣旨の文書が書かれていた。

 このトトカルチョのショービジネス性を垣間見たようで、政府への憎しみが強くなったが、一也は昂揚していた。心臓のドラムが激しく鳴った。
 点滅する数字は青と赤二色だった。
 支給されていた名簿と取らし合わせ、確認する。
 やっぱり……。ごくり、再び喉に唾液を落とす。青赤はそれぞれ生きているクラスメイトたちの所在だった。男子が青、女子が赤。

 地図の中ほどで青色の光を放つ「15」の文字。
 その数字の上に、一也は右手の人差し指を恐る恐る伸ばした。
 人差し指がモニタに触れた瞬間、すっと息を呑み、両の瞼を閉じる。
 啓太……。
 離れ離れになった矢田啓太の名前を心の中でつぶやく。同性だけど好きになってしまった相手の名前を口に出す。
 青い点滅。
 それは、啓太がたしかに生きていた証拠だった。少なくともこの時点では生きていた証拠だった。

 そして、画面のどこにも「2」という数字がないことに、一也は打ちのめされた。
 高志の数字がない。
 ああ、アイツは死んだんだ。
 残酷な現実をかみ締め、自然とこぼれる涙を拭った。そして、軽く頭を振った後、きっと画面を睨みつけた。
 政府は憎い。高志の死は悲しい。だけど、今考えるべきことじゃない。
 今考えるべきことは、他のことだ。
そう思いながら、クロッキー帳に<たしかに、重要だ>と殴り書き、<ここから危険なヤツとか読めないかな>と続けた。

 これに学がニヤリと笑った。
<いいぞ、その調子だ。嘆くこと悲しむことも大切だけど、いまはこっちのが大切だ>
 書いた後、
<オレにもっと知識があれば、今までの地図を取り出せたはずだ。そうすれば、時間ごとの動きを読んで、もっと正確な判断ができたのに>
 と続ける。
 学は書きながら表情を曇らせ落胆して見せたが、一瞬の後(のち)に表情を変えた。
 縁なし眼鏡の奥でギラギラと光を放つ瞳。
<これだけでもたいした情報だよ>
 おそらくは学も同じことを考えているだろうと思いながら一也が書くと、学は力強く頷いた。

 午前6時時点での生存者のうち、固まっているのは、一也らのほかは、島の中ほどに矢田啓太と安東和雄(生谷高志らを殺害)と西沢士郎だけだった。
 啓太ら三人は一緒にいるようにも見えるが、断言はできない。
 地図の寸借が大きいので、画面上は点滅が固まっていても、実際にはそれなりの距離があることも考えられるのだ。
 しかし、啓太と士郎には三井田政信という共通の友人がいたこともあって、それなりに親しくしていたようだった。おそらくは一緒にいるものと想像できた。
 安東とは途中で合流したのかな。
 思ったままに書くと、<まぁ、妥当な線だな>と学がペンを走らせた。

 残りの生徒たちは、少なくとも午前6時時点では単独行動を取っていた。

 
 ここで、一也はごくりと唾液を喉に落とした。
 そして、「行かなきゃ」と口に出して言った。
「お、おい……」
 盗聴を気にした学が慌てて遮るが、これに<大丈夫>と書き文字で返す。
「俺、サメと合流できて、よかった」
 日頃はクールなくせに、友情めいた言葉に弱い学は、ここでもやはり顔を真っ赤にした。そんな学を苦笑しながら見、思う。
 よかった。本当によかった。
 きっと、俺ひとりでこの画面を見ていても、今と同じことは思えなかったのだろう。
 ただ政府憎いで終わっていたはずだ。サメという存在が俺に勇気をくれる。サメの、「今できることをやろう」という強い意志が、俺に勇気をくれる。
 もっとプライドを持て、今できることだけを考えろと叱咤してくれる。
 サメと合流できて、本当に、本当に、よかった。
 そう、サメと合流できたおかげで、俺はこの言葉を言える。
「俺、啓太のこと、探しに行くよ」

 これに、学が一瞬唖然とした顔を見せる。
 そして、その後「お前、それがどういうことか、分かってるのか?」と目を見開いた。
「どこにいるか、分からないんだぞ」
 政府の盗聴に気にしながら走らせたペン。
 クロッキー帳には<啓太たちはもう動いてる可能性がある。危険なんだぞ>と書かれていた。
 さらに続けた。
<永井を助けに飛び出したオレが言うのもアレだけど、外に出るのは、危険なんだぞ?>
 もう一度続けた。
<永井は悲鳴で追えた。でも、矢田は違うんだぞ? 遠い。どこにいるか分からない>
 一也は穏やかに返した。
「うん。分かってる。だけど、少しでも可能性があるのなら、生きて会える可能性があるのなら、俺は、会いに行きたいんだ」
 言われるまでもなく、外に出ることの危険性、目的地があやふやなままで彷徨い歩くことの危険性は、分かっていた。
 だけど、会いたい。

 降って湧いたような勇気だった。
 たった5分前まで外に出ることを怖がっていた自分に、降ってきた勇気。
 臆病な自分に、降って湧いた勇気。
 「自分にできること」を確実にこなすサメを見たこと、思いがけず啓太の居場所(おおよその、だけど)が分かったこと。色んな要素が背中を押してくれて、今のこの気持ちが、ある。
 事の道理なんてわからない。だけど、今、この勇気を掴み損ねたら、俺はきっと、もう勇気を持てない。それだけは分かる。俺は、この勇気を掴まなきゃいけないんだ。

<それに、会ってどうするつもりだ? 結局は……>
 結局は、俺たち最後の一人まで戦うはめになるんだぞ。学は「結局は」の後を書かなかったが、言いたいことは伝わってきた。これに一也は軽く微笑んで返した。そして、ごくごく自然な口調で言った。
「俺、啓太に会ったら、死ぬよ」
「えっ」
 学は、驚きを隠し切れない様子だ。
「たぶん、ね」正直に付け足した。
 啓太には、俺よりも長く生きて欲しい。だけど、死ぬのは怖い。今の俺の心内は、前者が優勢だ。だから、俺は、今の間に、啓太を殺さずにすむ間に、啓太に会いたいんだ。


 と、ここで、一也にもう一つの勇気が落ちてきた。
 しかし、「いいのか? 言ってもいいのか?」迷った。
 迷いを断ち切るように、軽く頭を振り、すっと息を呑み、呼吸を整えた。そして、乾く唇を舌先で湿らし、強張る口元を強引に動かし、震える声で言った。
「俺さ、啓太のこと、好きなんだ」
 盗聴を考えると筆談にしたいところだが、口に出したかった。
 学の顔は見れず、目線を横に流した。どっどと心拍があがり、視界がぐるぐる回った。
 言った。ついに言ってしまった。俺がヘンタイだって、言ってしまった。
「それって……」
 学の疑問に、一也は黙って頷いた。

 プログラムが始まった当初、和田みどりには言えなかった。
 言えば、高志を好きになって、友達の美智子を好きな高志に恋をして、ずっと情けない気持ちになっていた彼女の心を救うことができた。
 分かっていたのに。分かっていたのに、勇気を持てなかった。
 しかし、今、一也はカミングアウトの勇気を掴み取った。
 
 その後に訪れた、しばしの沈黙。そして、今度は学が一也を驚かす番だった。
 軽く声をあげて笑い出したのだ。
「えっ?」
「だって、お前、さっき死ぬよって言ったときよりも、もっともっと深刻そうな顔でいうんだもの。マジで死にそうな顔でいうんだもの」
 わけがわからず、押し黙っていると学が続けた。
「笑ってごめん。死ぬことよりも、そんなことを深刻にいうお前が、ちょっとおかしくてさ」
「そんなこと?」
 思わず訊き返す。
「ああ、そんなこと。だってそうだろ? お前の性癖? あ、ごめん。言い方悪いな。お前がそうだってことなんて、いつ死ぬか分からない今の状況に比べれば、そんなこと、だろ?」
 先ほどの一也と同じく、学もまた正直なところを付け足した。
「そりゃぁ驚いたし、ちょっとキモイけどな」
 そして、にやり。いつも通りの笑みを投げかけてくる。どういうわけか、彼の表情には喜びが乗っていた。

 身体が震えた。胸が熱くなって、両の瞳が涙で滲んだ。「そんなこと、そんなこと……」学の言葉を、何度も何度も繰り返す。
 なんだか、とても。
 救われたような気分だった。
 もちろん、分かってる。サメの言葉は、今のこの状況だから聞けた言葉だ。普通の、プログラムじゃない場所で、だったら、違った反応だったのかもしれない。
 だけど、やっぱり。救われたような気分だった。

 忌むべき、憎むべき、プログラムにいたことで、救われた。
 「そんなこと」という言葉を聞くことが出来た。
 非常に皮肉なことのように感じられて、いささか複雑だったが、一也はいま、嬉しくて身体が震えるという、初めての経験をした。
 全てには意味がある。誰かの言葉だ。
 俺がプログラムに巻き込まれたことには、意味があった。
 背負ってきた重い重い荷物を、また少し降ろすことが出来た。
 もちろん、俺はまだ引け目を拭うことは出来ない。だけど、ほんの少し。ほんの少しだけ、同性愛者である自分にプライドを持てそうな気がした。
 じめじめとした劣等感の牢獄から、出ることが出来た。

 何も言わず、学に頭を下げる。
 学もまた、何も言わなかった。

 全てには意味がある。誰かの言葉だ。
 じゃぁ、プログラムにも意味があるんだろうか。……いや、そんなわけがない。プログラムには何の意味もないんだ。壊さなきゃ。誰かが壊さなきゃ……。



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バトル×2
野崎一也
同性愛者であることを隠している。矢田啓太を探している。
坂持国生
父親がプログラム担当官をしていた。楠雄一郎に襲われたが返り討ちにした。
鮫島学
クラス委員長。政府に一矢報いたいと考えている。以前から永井安奈の裏に気づき、気にかかっていた。
永井安奈
優等生に見えて、陰では悪さをしていた。