OBR1 −変化− 元版


079  2011年10月02日07時


<野崎一也>


 八畳間ほどの広さの居間、その中ほどに置かれたソファから立ち上がり、腕時計を見た一也は青ざめた。
 こうしている間にも啓太は命の危険に晒されている。
 ずっとここにいても彼と会うことはできない。啓太に会いたいのならば、捜し歩かなければならないのだ。
 しかし、一也はその勇気をもてないでいた。
 ふっと目線を落とし、別のソファに寝かしてあった永井安奈を顔を見る。
 学らの話では、彼女は児童公園の惨状にショックを受け、気絶してしまったらしい。
 たしかに、学らから伝え聞いた公園の様子は凄まじく、普通の女の子である安奈が気絶するのも無理はないと思えた(一也は安奈の強かさを知らない)。

 外には死体がいっぱいだし、その死体を作った奴らがうろついている。
 ……怖い。そう、俺は外に出るのが怖いんだ。
 一也は素直に自分の感情を受け止めていた。
 そして、「ああ、俺はやっぱり映画の主人公にはなれないな」と思い、自虐めいた笑みを浮かべる。
 一也はヒーローアクションものやサスペンスタッチの映画が好きで、よく観に行っていた。それらの映画の主人公たちは、単独行動を何の迷いもなく行い、目的を果たし、仲間や恋人の元に戻ってきていた。
 映画を観ているときは、いつもそんな主人公たちに我が身を重ねていた。
 「自分だって同じようなシチュエーションになったら同じような活躍ができるんだ」なんて、皮肉屋の一也にしてはいささか子どもじみたことも思っていた。

 ……だけど。だけど、どうだい? 俺は外に出ることさえ出来ない。
 自分がほとほと嫌になり、首を振り、ソファに座りなおす。

 ちょうど腰を落としたところで、とんとんと誰かが階段板を踏む音が聞こえ、二階の書斎にいた坂持国生が居間に顔を出した。
 そして、「永井さん、大丈夫?」と幼い声をかけてくる。
「まだ気は取り戻してないけど……」
 一也が答えると、「公園、ひどかったもんなぁ」とつぶやき、その惨状を思い浮かべたのだろう、顔をしかめた。
「サメは?」
「ああ、鮫島はまだ……、遺書の続き、書いてるよ」
 遺書を書くというのは、盗聴を意識した一也らの隠語で、「作業をしている」ということだった。
 諸外国にプログラムの実態をぶちまけ、プログラムにかかる外圧に勢いをつけ、プログラムの終焉を近づける。
 そのための準備はほぼ完成したらしく、すでに発信しはじめているということだった。
 今は発信と同時進行で「ぶちまける情報」の精度を高めているらしい。

「そっか」
 学の手があいていれば一緒に靖史らを迎えに行こうと思っていた一也は少なからず落胆したが、すぐに「そんな甘いことを考えちゃ、駄目だ」と自分を叱咤した。
 外に出るということは、イコール、多大な危険に身を晒すということだ。
 坂持に頼むという手もあるけど、自分の臆病さを仲間の危険に変換しちゃ、いけない。
 軽く首を振ったあと、「あのさ、永井の様子、見ててもらっていい? ちょっとサメのところ行ってくる」勢いよく立ち上がる。
 作業をする学の背中を見、勇気を貰うつもりだった。
 弱い自分に激励を入れるつもりだった。
 二階へあがり、書斎のドアを開ける。
「サメ……」
「え、あ、何?」
 デスクの上のノートパソコンに向かい作業をしていた が、思いがけず慌てた様子で振り返った。
 また、振り返る前に何か一つウインドウを落としていたようにも見えたので、戸惑いながら、「永井、身体大丈夫かな?」と先ほどの国生と似たようなセリフを吐く。
「ああ、気絶と言ってもショックを受けただけみたいだし、どこも怪我してなかったし、大丈夫だろ」
 パソコンに向き直りながら学が答え、さらに続けた。
「連れて来ておいて何だけど、俺は別の意味で心配だな」
「危険ってこと?」
「ああ、気をつけてくれ」

 安奈の持ち物をチェックしたところ、スタンガンと拳銃(ジグ・ザウエル)が出てきた。
 銃の弾は抜いておいたが、支給武器らしきものを二種類持っているということは、たしかに危険な事実だった。
「良く取れば、スタンガンは誰かの遺体から拾った。悪く取れば、殺した誰かのもの、だね」
 装填された弾丸や予備弾の数から推察するに、使用された形跡がなかったため、チームとしては前者よりの判断になっていた。
 実際には、スタンガンは、階段から落ちて気絶した越智柚香(その後黒木優子に殺される)の懐から奪ったもので、銃が安奈の支給武器だったが、もちろん、一也らは知らない。
「スタンガンは私物って可能性もある」
 この学の言葉に一也は軽く笑った。
「私物? 羽村とか素行の悪いヤツらが喧嘩のために持ってたってのなら分かるけどさ」
 この思考の差は、普段の安奈をよく見ていたか見ていなかったの差でもあった。
 学は安奈のことを気にかけていたため、よく見ていた。彼女の裏の顔に気がついていた。比べて、一也や国生は、安奈のことをさほど気にとめていなかったため、彼女のことを普通の女の子だと思っていた。
 安奈の危険性に気がついている学。
 しかし、だからこそ、学は彼女を決定的に疑えないでいた。

 彼女の普段の行いからすれば、スタンガンを持っていても不思議ではない。そして、銃は使われた形跡がない。
 ……なら、彼女はまだ誰も殺していないのではないか?

 そんな学の思考とはややずれた位置で、一也は彼のことを気づかっていた。
 好きな子を疑わなくちゃいけないのって、辛いだろうな。
 学から直接聞いたわけではないが、安奈の叫び声を聞いて飛び出したときの様子、彼女をこの家に連れて帰ったときの様子から見て、推察は間違いではないと思えた。
 書斎の隅に立てかけられていたクロッキー帳を何気なく取り上げる。
 この部屋の主は水彩画の趣味があったようで、クロッキー帳には島の風景が描かれ、絵の具やパレットも置かれていた。

 肩を落としていると、「羽村は?」と学が声をかけてきた。
「ああ、なんか、部屋に篭りっきり(こもりっきり)だねぇ」
 安奈の悲鳴が響いたとき、彼女を連れて学らが戻ってきたとき、それぞれに京子は部屋から出てきたが、「好きにしなよ」と言うだけだった。
 あまりにあっさりとした反応だが、彼女らしいと言えば彼女らしい。
 と、ここで、学が別のクロッキー帳を手に取り、何事かを書きなぐり、ノートパソコンの画面を切り替えた。
<ちょっと見てもらいたいものがある>
 一体、何だろう?
 疑問を感じつつ、一也はデスクに近寄った。



 始めは理解できなかった。
 県政府のPRサイトの奥の奥。
 画像に張られたリンクを飛び、一見広告にしか見えないバナーを飛び……、そんなことを繰り返した後(のち)、いきなりパスワード入力画面が出た。学がパス(パスなんて、どこで知ったんだ?)を叩き込み、そして現れたページ。
「これって……」
 思わず口に出してしまい、慌てて「このぬいぐるみ、サメの支給武器なんだよね」と誤魔化す。
「ああ、そうだよ」
 デスクの隅に置かれたティディベア(学は、リモコン爆弾内蔵であることを話していない)に目をやりながら学が答える。
 頼むぜ、おい。とでも言いたげな学に向けて手を合わせ、「ごめん」とゼスチャーして見せた後、「政府もひどいのをよこすよなぁ」と笑った振りをした。
「ああ、ほんと。ぬいぐるみでどうしろってんだよな」
 学がニヤリと笑う。どうにかうまく誤魔化せたようだ。

 当り障りのない会話を続けながら、筆談を進める。
<オッズ表?>
 一也の端的なコメントに、学もまた<そう>と短く返した。
 現れたページにはいくつかのテキストの他、「兵庫県神戸市立第五中学選手一覧」と銘打たれた名簿が載っていた。
 見慣れたクラスメイトたちの名前、その名前をクリックすると詳細なプロフィール画面がポップする。身体能力、学業成績、所属する部活動、家族構成……。
 そして、表の最右列に入力された数字。その数字がオッズ値であることは、容易に推察された。
 つまり、プログラム対象クラスの生徒たちを競走馬に見立てて、悪趣味な賭博をしている者たちがいるということだ。
<これは、政府の部外秘ページ。賭けやってるのは、主に政府の高官たちだ>
 学が表情を変えずペンを走らせる。
<これってさ、サメがやろうとしていることに、めっちゃプラスにならない?>
 思ったままに返すと、学が薄い笑みを浮かべた。
 そして、<いい反応だ>と書いた後、<嫌悪よりも先にそういうこと書くか、普通?>と続ける。言われて見て初めて気がつく。たしかに本来ならば嫌悪を強く感じるべき場面だった。

 あまり嫌悪を感じなかったことに少なからずショックを受けた一也だったが、
<まぁ、そういう反応をくれると、こっちもやりやすい。嘆かれても始まらないしな。リアリストなのは良いことだ>
 続く学の殴り書きを見て意気を上げる。
 そうだな。これ以上、政府に怒ったり憎んだりしても仕方ないな。
 それよりも今できることを考えなきゃ。
 そう思った一也の眉がふっと寄った。
<よくこんなページ覗けたね>
 プログラムは戦略上必要なデータ取りと称され、対象クラスの生徒たちは尊い犠牲とされる。その裏でこんなことが行われていることが一般に知れるのは、政府にとって好ましくないに違いない。
 一体どこからこんな情報を? と一也が怪訝に思うのも無理のないことだった。

<何年か前に、孫がプログラム対象になった高官が……>学が途中でペンを止め、クロッキー帳のページを戻した。
「これ、読んで」学が声を出さず口を動かした。
 差し出されたページを見ると、そこに書かれている文字は学のものではなく、坂持国生のものだった。
 ざっと目を通した一也は、「なるほど」と口パクを返す。
 情報元は、中川典子だった。
 いや、正確には中川典子が所属する反政府組織、反プログラム組織のスポンサーが、情報元だった。
 驚くべきことに、そのスポンサーは中央政府の高官だ。
 1,2年前に、中央政府官僚の重鎮がプログラムを止めようとして、「国家反逆罪」の適応を受け射殺されるという事件があった。彼の孫がいるクラスが、プログラム対象に選ばれてしまったのだ。
 その重鎮は死んだが、中央政府に動揺は残った。
 それまでにも政府役人の娘や息子がプログラム対象となることは多々あったのだが、彼ほどの地位にある者の子どもが選ばれることはなかったのだ。
 それはただの確率の問題で、ババ抜きのババが政府高官にも回ってきただけのことなのだが、それまで持っていた「我々特権階級にあるものは大丈夫だ」という根拠のない自信は撃ち砕かれ、彼らは動揺した。
 揺れ動く振り子の中には、政府高官という立場にありながら反政府運動に荷担する者も現れた。
 その一人が、件のサポンサーというわけだ。
 このトトカルチョに関する情報は最近得られたもので、中川典子が所属する反政府組織では今のところ様子を見ているようだった。

<大打撃になるね>
 一也が書くと、学が黙って頷いた。
 ただでさえ諸外国から批判を浴びているプログラム。トトカルチョが行われていることが諸外国に知れれば、さらに批判は高まるだろう。
 致命的な、と表現してもいいぐらいだった。
<政府も知られれば危険だって分かってるだろうに。こんなことやめればいいのに>
 一也の書き文字の下に<それだけ政府がアホだってことだ>学がペンを走らせる。
 そして、<もう一つ、見てもらいたい情報がある。今のオレらにとっては、こっちのが重要かもしれん>と続けた。



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バトル×2
野崎一也
同性愛者であることを隠している。矢田啓太を探している。
坂持国生
父親がプログラム担当官をしていた。楠雄一郎に襲われたが返り討ちにした。
鮫島学
クラス委員長。政府に一矢報いたいと考えている。以前から永井安奈の裏に気づき、気にかかっていた。
永井安奈
優等生に見えて、陰では悪さをしていた。