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078
2011年10月02日07時 |
<藤谷龍二>
エリアとしてはEの3、家々が連なるその間にぽかんと開けた空き地、その中ほどに藤谷龍二はいた。
上半身裸、下半身は下着だけという姿で、一人の少女を組み敷いている。
龍二はクラスでも目立って大柄なので、小柄な彼女は押し潰されそうだった。
少女の名は、結城美夜。
ふらふらと一人で歩いていたところを押さえ込み、衣服をはいだ。
美夜自身に目立つ怪我がないのに、着衣の制服、茶色地のブレザーが血に汚れていたことは少なからず龍二の警戒を誘ったが、彼女からは何の覇気も感じられなかったため、警戒心を解いた。
誰かと一緒にいたところをやる気になったヤツに襲われて、結城だけが生き残った。
結城の服についた血は、一緒にいた誰かのだ。
結城が呆けたようになっているのは、そのときのショックからだ。
実際は、美夜が禁止エリアに突き飛ばした津山都の血だったのだが、とにかく龍二はそう判断していた。
羽村京子が撃った弾丸は龍二の太ももを掠めただけだったので、大事には至ってなかった(まさか、あんな曲がった銃からまともに弾が出るなんて!)。
朝陽に光る美夜の透けるような白い肌。
無骨な喉にごくりと唾液を落とし、龍二は美夜の肌に手を伸ばす……。
*
藤谷龍二は、5人兄弟の次男だった。
上に歳の離れた兄が一人、下に弟が一人、妹が二人。両親は共稼ぎで忙しく夜遅くならないと帰ってこれず、兄弟身を寄せ合うようにして育ってきた。
長兄はしっかり者で、龍二たち弟妹の舵取りをこなしてくれた。
母親のかわりに食事を作り、弟がイタズラをすればきちんと叱り、妹が父母を恋しがって泣けば眠りにつくまであやしてくれた。
それでいて学業成績もよかったので、近所の者は「いいお兄ちゃんがいてよかったねぇ」と口をそろえて言ったし、両親も長兄のことを誇りに思っていたようだ。
「リュウジくんも、お兄ちゃんを見習いなよ」
ときおり心無い言葉を浴びせられることもあったが、龍二はさして気に病まず、「うん、がんばるよ」と大らかに受け止めていた。
兄への対抗心がまったくなかったかと言えば、嘘になる。
兄と比べられることに反抗心を持たなかったかと言えば、嘘になる。
しかし、兄は出来すぎてて、本当に出来物のようで、強い劣等感や対抗心を抱くには、あまりにも遠い存在だった。
そして、もともとの性質がそうだったのか、兄がしっかりし過ぎていて頼ることに慣れてしまったのか。
卵が先かひよこが先か、龍二自身にも両親にも分からぬまま、龍二は至極おっとりとした性格、誰かの陰となり生きることを好む性格に育った。
学校の友人関係は、とくにそうだった。
常に友人の後ろに立ち、穏やかに笑う。
遊び先から何から決定権は全面的に友人たちに委ね、ただ後ろをついていく。
しかし、その生活が一年前に一変した。
長兄が台風の影響で増水した川に落ち、死んだのだ。父母は泣いたし、弟妹は泣いたし、もちろん龍二も泣いた。泣いて泣いて泣いて、そして、ふと気がついたら「お兄ちゃん」が死んだ長兄からバトンタッチされていた。
……大変だった。
長兄が当たり前のようにこなしていた事柄が出来ない。
上手にフライパンを扱うことが出来ない。
イタズラをした弟を叱りつけることが出来ない。
泣く妹をあやすことができない。
必死に家事を覚えようとしたら、学業がおろそかになって成績が落ちた。
今度は、近所の者達は何も言わなかった。
「リュウジくんは、お兄ちゃんの代わりにはなれないのねぇ」 こんなことを言えば、弟妹のために頑張っている龍二を傷つけることは明らかだからだろう。
だけど、目では語っていた。
少なくとも、龍二はそう思った。
善良な隣人や親戚が、夕飯を作る手伝いに来てくれたとき。「ちっちゃい子のことは任せなよ」と弟妹の面倒を見てくれたとき。「お前はお兄ちゃんの代わりにはなれないんだ。お兄ちゃんより劣るんだ」そう言われているような気がして、心が潰れそうだった。
そして抱く劣等感。
死んだ者と比べられること(事実と違っていても龍二にはそう感じられた)に対する焦燥感。
学業成績は芳しくなかったが、決して頭の悪い少年ではなかった龍二は、そんな感情を抱くことが馬鹿げたことだと分かっていたが、どうしようもなかった。
表面上はおっとりとしたいままでの看板を掲げながら、悩み苦しんでいるうちに……プログラムに巻き込まれた。
恐ろしかった。
僕なんかが優勝できるはずがない。
この一年の間にゆっくりと根を下ろしていた劣等感が華を咲かせ、龍二を支配した。
怖い、怖い。やらないと。やらないとやられる。
そして、気が付いたら、目の前に小島正の姿があった。このとき、正はほっとした様子を見せたように記憶している。
「ああ、藤谷か……」
そんなことを言いながら近寄ってきた。日頃の龍二の振る舞いから安全な生徒だと、一緒にいても大丈夫だと、そう判断してくれたのだろう。
しかし、龍二は怖かった。
怖かったから、正に襲いかかった。拳には支給武器のナックル。殴りを強化する目的に作られたものだ。
殴って殴って殴って……、拳がいい加減痛くなったら、今度は近くに落ちていた石で正の頭を殴った。
このとき、龍二ははっきりと快感を覚えた。
もちろん、人を殺すことに対する禁忌はある。
自分が殺した小島正の死体を見て後悔の念も感じた。
だけど、それ以上に、「誰かの命を自分が踏みにじった」「誰かよりも自分が高い立場にある」そう思えることは快感だった。
兄の死からずっと、もしかしたら生まれてからずっと、誰かの陰となっている自分にコンプレックスを抱いてきた龍二にとって、それは……快感だった。
誰かを殴る。殺す。
何かどす黒い存在に自分がなったような気がしたが、そうしているうちは、「殺される恐怖」から逃れることができる。
誰かを傷つけているうちは、誰かに酷いことをしているうちは、逃れることができる。
そして同時に、自分は誰かの上あるのだと、誰かを支配しているのだと、もう自分は誰かの陰ではないのだと、感じることができた。
それは麻薬のような快感だった。
だから、野崎一也、木沢希美、そして中村靖史らを見たとき、小島正の支給武器だった拳銃、グロック19を向けた。
手は震えたし身体も震えたけれど、恐怖から逃れることは出来た。快感に浸ることが出来た。
*
膝を少し擦りむいていたが、美夜の身体はきれいなままだった。
プログラムに巻き込まれて以来、シャワーなど浴びる余裕などなかったに違いないのに、汗みどろになっているのに違いないのに、ふっといい香りがした。
家々の間、草が伸び放題の空き地に組み敷いているので、つぶれた草の青臭い匂いがしたが、それを打ち消すほどに美夜の身体からはいい香りがした。
「これが、女の子の香りなんだ」
そんなことを思いながら、美夜の豊かな白い胸に手を伸ばし鷲づかみにする。
痛むのか美夜の眉がぎゅっと寄った。
それを見た龍二の性欲、独占欲、征服欲がさらに掻き立てられる。
文字通り滅茶苦茶にしてやりたかった。傷つけて傷つけて、もう二度と立ち上がれないようにしてやりたかった。
拳に力を込め、美夜の顔を殴りつける。衝撃で横を向いた美夜の鼻から血が流れた。
「女の子を殴るなんて!」
龍二本来の穏やかな理性が嫌悪感を示す。しかし同時に沸き立つ快感。
あぁ、僕はいまなんてことをしてるんだ!
ひどい、ひどい、ひどい。
こんなひどいことやっちゃ駄目だ。
黒い、黒い、黒い。
僕はどんどん汚れていく。穢れていく。
あ、でも、……気持ちいい。ああ、なんて気持ちいいんだろう。汚れるのってなんて気持ちがいいんだろう!
西沢士郎が感じ、忌み嫌った感覚に、龍二はすっかり囚われてしまっていた。
龍二の股間は熱く固く勃起していたが、それは生まれて初めて抱く女の身体に反応したわけではなく、誰かを痛みつけることへの快感からだった。
厚い唇が歪み、にやけた笑いが龍二の顔に表れる。
「ふはっ」
いつしか笑い声が漏れていた。
「あははははっ」
もっと! もっとひどいことを!
目を覆うような。頭を抱えるような。もう僕なんて消してしまいたいと思うような! 周りの誰よりもっ、周りの誰よりも汚れれば! 僕は誰かの陰じゃなくなるっ。
そしたら。そしたら、怖くなくなる! もう誰かに脅えないですむ! だからっ、だから、もっともっとひどいこと!
小島正から奪った拳銃を制服のポケットから取り出し、美夜の額にあてる。
しかし美夜は何の反応も示さなかった。
見かけたときと同じ、ただぼうっと虚空を見つめている。
なぁ、命乞いしろよ。お願いですから助けてって言えよ。そしたら助けてやるよ
ふっと浮かぶフレーズ。
ああ、ひどい。助ける気持ちなんてないのに。犯した後殺すつもりなのに。僕はなんてひどいことを言うんだろう。……でも、そしたら僕は怖くなくなるかな? 死んだお兄ちゃんに勝てるかな? 誰かの陰じゃなくなるかな?
乾いた唇を舐め、ごくりと唾液を喉に落とし、そして言う。
「な、なぁ、命乞いしろよ。お願いですから助けてって言えよ。そ、そしたら助けてやるよ」
どもりどもり言った瞬間、龍二の身体がぶるぶると震え、その股間から白濁した液体が飛び出した。まだ挿入もしていないのに飛び出した。
今まで感じたことのないような、信じられないような快感だった。
気持ちいい、気持ちいいっ。
「あはっ、あははははっ」
そして、虚空を見つめているとばかり思っていた結城美夜の視線が一定の方向にあることをに気が付く。
「なんだ?」
見ると、美夜の視線の先には一体の人形があった。
黒い着物姿の少女体の和人形。空き地の浅く生えた雑草に半ば埋もれるように横たわっている。両目の部分に埋め込まれた真っ黒な石。眉上で切りそろえられた髪型。
なんだか、結城さんに似ているな。
そんなことを思った後、龍二の顔に残忍な笑みが浮かんだ。
最初に見かけたとき、結城さんはこの人形を大事そうに抱えていた。いまもじっと見つめている。
……ぶっ壊そうかな。メチャクチャにしちゃおうかな。
そしたら。そしたら、結城さんはどんな顔するかな。
泣くだろうか? 叫ぶだろうか? 「お願いだからやめて!」って言うだろうか。ああ、黒く、黒く。僕はどんどん汚れていく……。
龍二は、今はまったく感情が見えない美夜の横顔を眺め、裸の腕をゆっくりとあげ、銃を人形に向けた。
……知らなかった。
美夜の感情のスイッチがどこにあるのか。
それがどれだけ危険なのか。美夜がこれまで何をしてきたのか。龍二は知らなかった。予想すらしていなかった。だから、龍二は人形に銃を向け、撃った。ガンッと殴られたような感覚と反動。漂う火薬の香り。
同時に、美夜の人形が跳ね上がった。
「ふはっ、ふはははははっ。どう? 結城さん、これ、どうよ?」
勝ち誇った笑みを浮かべ、組み敷いた美夜の顔を見る。
美夜は相変わらず無表情で、彼女が泣き叫ぶ様を期待した龍二は少なからず落胆した。
と、突然、龍二の喉元がが燃えるように熱くなった。
「ごぶっ」
いったい何が? と声を出そうとしたら、代わりに吐血した。
ここでやっと、自分が美夜に抱きしめられていることに気が付く。
ああ、なんだ、つまんない。結城さんもその気になってしまった? それじゃ、つまんない。僕は女の子としたいんじゃないんだ。……いや、そりゃしたいけど。
でも、目的はすることじゃないんだ。僕がしたいのは……。あれ?
全身の力が抜け、中腰になっていた身体がゆらぎ、倒れる。
美夜が抱きついたままだったので、どうっと重い音がした。
倒れた拍子に地面に顔をこすりつける。自らの血で染まった土を舐める。止めどなく吹き上がる血液。自分の喉下から溢れる血。慌てて喉のあたりを両手で抑えるが、指と指の間からどくどくと赤い物が流れ続けた。
まずい、これって、まずいんじゃないの?
痛みはなかった。ただ、すうっと血の気が引いていくのは分かった。
そして、いつの間にか座った体勢になっていた美夜の顔を見上げた。
美夜の顔には憤怒の表情を浮かんでいた。
その、白く透き通るような白い肌、ほんのりと紅くそまったほほ。黒目がちな大きな瞳。ぽってりとした厚い唇。その唇が、いや、口元全体が赤く染まっていた。
……え?
そして、この後、龍二の全身の毛が文字通り総毛立った。
にぃぃぃ、美夜の口元がゆがみ、笑みがこぼれたのだ。
すでに怒相はなく、満面のと形容してもいいような笑み。
美夜の笑う紅い口元からぼとりと何か紅いものが落ちた。紅い血に汚れた皮膚片。いや、肉片。
の、喉を噛み千切られた?
もちろん一少女の顎にそれほどの破壊力があるわけもなく、ただ、噛み付かれただけだったが、龍二にとって不幸なことに頚動脈を傷つけられていた。
本来ならば、失血によるショックで即死もありえる場面。しかし、さらに不幸なことに龍二には死するまで微小な時間が与えられた。
「あがぁあぁぁ」
潰れた悲鳴をあげる。
恐ろしかった。死ぬことではなく、傷ついたことではなく、死んだ兄に勝てなかったことではなく、結局陰から出られなかったことではなく、目の前にいる少女の紅い笑みが、ただただ恐ろしかった。
ドンッ、痙攣する身体、握った銃から弾が飛び出し、美夜の腹部を撃ちぬいた。
しかし、まだ、美夜は笑っていた。
ああああっ
恐怖に呑まれながら死んでいく龍二。その傍らで美夜はまだ笑っていた。
まだ笑っていた。
<藤谷龍二死亡。残り10人/32人>
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藤谷隆二
野崎一也らを襲ったが、突如現れた羽村京子に邪魔をされ、逃げ出した。
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