OBR1 −変化− 元版


076  2011年10月02日07時


<西沢士郎>

 
 廃屋の中は、家具は持ち出されているし、埃もたまっていたが、予期してたほどには荒れていなかった。
 西沢士郎は、埃をはらった木床にひざを抱えて座っていた。
 どこかクールな印象を受ける、全体に小作りな整った顔立ち。上半身は包帯で巻かれおり、その上から直接制服の上着を羽織っている。下は部活のサッカーパンツ。右ひざの下のあたりにガーゼが見える。
 爆風で、右頬と頭髪を多少焼かれており、頬にもガーゼをあててある。前髪を焦がすに留まったので支給武器の小刀を使って切ってある。
 身体が焼けるように熱かった。そのくせ、寒気もする。身体の節々が痛む。
 加賀山陽平らの集団自殺に巻き込まれて負った火傷がもとか、木田ミノルのトラップにかかり抉られた腹の傷がもとか、感染症を起こしているらしい。
 支給の医療セットにあった薬は使ったが、効果は上々とは言えなかった。

 隣には、置いたディパックを枕に眠りこけている矢田啓太の姿が。
 二人からやや離れた位置、汚れで曇り気味の窓際で外を監視しているのは安東和雄だ。手には銃を持っている。

 士郎は数時間前まで北の山の雑木林に身を隠していたが、爆風や木田ミノルのトラップによって受けたダメージは深く、疲労もたまってきたため、里に下りていた。
 どこかの家に潜り込んで休むつもりだった。
 そこで、この廃屋の敷地で二人と出会った。新たな遭遇にどきりと脈をあげたが、大きな傷を負って弱っており戦意が見えなかったのが幸いしたのか、迎え入れてくれた。
 ……「二人は」と言うのは、語弊があるのかもしれない。
 お人よしの矢田啓太は当たり前のように怪我の心配などをしてくれていたが、安東和雄の表情の端々からはためらいが出ていた。啓太が先に受け入れてしまっただけで、合流は本意ではないのだろう。
 
 彼らはプログラムの途中から一緒に行動しているそうだ。
 少し意外だった。
 士郎が覚えている限りでは、彼らは元々はほとんど接点なく暮らしていたはずだ。
 孤児院あがりで苦労しているせいか、冷めた雰囲気のある安東和雄。円満な家庭で育っていることが伺える穏やかな性格の矢田啓太(啓太の両親は実際には離婚しかけていることを士郎は知らない)。
 タイプもぜんぜん違う。
 その割には、彼らは信用しあっているようだった。
 平和主義の矢田啓太は分かる。しかし、人嫌いというほどではないが、普段あまり他人と深く関わっていなかった安東和雄が矢田啓太に心を許している風なのは驚きだった。
 プログラムが始まってから、合流してから、二人の間に何があったのか、事象だけは聞いていた。筒井まゆみを協力して下したりもしたらしい。
 事象、起こった事柄は聞いたが、ここに来るまでに彼らが何を考えたは、聞いてはいない。
 二人は、プログラムを経て、何か一体感のようなものを得たのだろう。
 
 だけど……。
 ごくりと唾液を喉に落とす。
 たった一人しか生き残れることができないプログラム。生きて帰りたいのならば、最後の最後には殺しあわなくてはならない。彼らも結局は殺しあうのだろうか?

「大丈夫か?」
 あからさまに不調な状態の士郎に、和雄が声をかける。
 啓太も心配してくれていたが、彼自身も困憊しており、休む番が来たとたん、深い眠りに落ちてしまっていた。
 とても、大丈夫とは答えられず、「水……」欲求を口に出す。ぜいぜいと息が乱れた。
 和雄は困ったような顔をした。
「この家の水道は止められてるし……」
 視線を空のペットボトルに落とす。すでに三人の水は飲み干していた。
 と、ここで、「ああ」と、和雄がひざを打つ。
「裏手に井戸があったな」
「井戸?」
「こんな島で水質汚染も何もないだろうから、塞がれてなければ飲めるな、きっと」
 和雄が水を汲んでくると言ってくれたが、一刻も早く喉を潤したかったので、士郎も立ち上がる。

 寝ている啓太を見下ろす形になった。
「いい奴だな」
 思ったことをふっと口に出すと、「ん?」和雄の反問が返ってきた。緊張感にいぶかしむような表情が足された。
「矢田、いい奴だな」
 真新しい包帯に包まれた自分の身体を見下ろし、言う。
 羽織っているだけでは歩きにくかったので、上着に袖を通す。
 支給された簡易医療セットに入っていた包帯は既に使っており、泥に汚れていた。啓太が彼に支給された分を使って治療してくれたのだ。上着も彼のものだ。
 和雄は裏口に回りながらふんと鼻を鳴らすと、やや考えてから、「矢田、いい人って言われるのが嫌だったみたいだ」口を開いた。
「嫌がってた?」
「ああ」
「それって……どういう?」
「単なるいい人で終わるばっかだったらしい。それが嫌だったらしい。……だけど、今は、たぶん。……うん、きっとそうだ」
 一人で納得してから、「矢田、今は積極的に『いい人』になろうとしてるような気がする。『いい人』でありたいと思っているような気がする。だから、西沢を受け入れたんだろうし、傷の手当てもしたんだろう」そう言って、肩をすくめた。
 裏口から表に出る。
 和雄の言ったとおり、古びた井戸が見えた。使えるだろうか?
「そうしてれば、神様が助けてくれるとでも思ってるんだろうよ」
 続けた馬鹿にしたような言葉。しかし、隠し切れない感情が見え隠れする。

 ああ、認めているんだな、と思った。
 なんだか、少しうらやましかった。そして、三井田政信や死んだ野本姫子に会いたいと思った。

 井戸には木の蓋があったが、とくに留めてはおらず、すぐに取り除くことができた。士郎の腰くらいの高さで、つるべはあったが、バケツが見当たらなかった。家をうち捨てたときに廃棄してしまったのか。
 しかたなく、つるべのロープに空のペットボトルを巻きつけ、ボトルの中に石を入れて重しにした。
 石は埃と土で汚れていたが、気にしてはいられない。

 ……苦労したが、和雄も手伝ってくれ、なんとか水を汲み上げることができた。
 息せき切って口をつけたので、むせる。そして、気を落ち着かせてから、飲み干した。石についていた土がじゃりじゃりと喉をついたが、水と一緒に吐き出すのがもったいなくて、そのまま飲んだ。
 これぐらいで死ぬことはないだろう。 
 体力は既に限界に近かった。自由の利かない体が疎ましかった。
 ああ、どうしてこんなことに、と身体を震わせる。
 情けなくて、つらくて、怖くて、涙が自然にこぼれた。

 体を蝕む病魔とともに士郎を苦しめるのは、下劣な優越感だった。
 先ほど、木田ミノルを睨み合いになったときに感じた優越感。「ゆっくりと痛めつけてやろう」そんな残虐な気持ちにすらなった。結局、ミノルが仕掛けたらしいトラップに邪魔され、彼を殺すことができなかったが、あのときの快感を士郎は忘れられないでいた。
 しかし、同時に感じる嫌悪。
 いやだ、俺は人なんて殺したくない。ましてや、人殺しに愉悦なんて感じたくない。俺は変わりたくないんだ……。
 頭を振り、自らを叱咤する。

 まだまだ水分が足りなかったので、井戸を覗き込みながら、ロープを引く。
 そんなことをしているうちに、いつしか口をついて出る言葉。
「金なんていらないから……」
 ロープを握ったまま涙をぬぐう。
「え?」
 思いがけず、和雄の厳しい声が返ってくる。
「金なんていらない……。帰りたい……」
 誰に言うとでもなく、切なる思いを吐いた。
 プログラムに優勝すれば、生活保証金が手に入ると言う。
 そんな汚れた金などいらなかった。ただ、かつての平和な生活に戻してほしかった。
 拝金主義の父親を嫌いながらも、その庇護から逃れることができない自分に嫌気がさしてはいたが、三井田政信ら友人にも能力にも恵まれた、総じて幸せな日々だった。
 三井田……。野本……。
 大切な友人たちの名前。飄々としてた三井田政信。自分と言うものをしっかりもっていた野本姫子。
 金なんていらない。
 強く思った。
 金なんていらないから、あいつらとまた馬鹿をやらせてくれ……。
 家が金持ちであることにある種のコンプレックスを感じていた士郎らしい思考だった。

 数メートル下に、水の円が見えた。この井戸は割合に直径が大きいので、広い円だ。太陽を背にしているせいか、表情は映っていないが、きっと情けない顔をしているのだろう。 
 と、「じゃぁ、俺がもらってやるよ」声が降ってきた。
 士郎の後ろで影が動く。
 愕き、目を見張る。振り返ると、真後ろに和雄が立っていた。
 ひょろりとした中背。制服のズボンに、黒地のジップアップシャツ。すっきりとした細面の右のこめかみからあご先にかけて、刃物で切りつけられた傷がある。筒井まゆみに襲われたときの怪我だと言っていた。
 そして、その切れ上がった瞳に憎悪が見えた。
「え?」
 何を?
 疑問を感じた瞬間、和雄に井戸に突き落とされる。
 一瞬の落下。ざばんと音を立てて、士郎は着水した。上から見た感じから、予想はしていたが、深い。一メートル七十センチの体身では、足がつかなかった。
 ざばざばと水を掻き分ける。
「た、助けっ」
 てくれ、と最後まで言えなかった。口を開けたことでたらふく水を飲んでしまった。
 衣服や包帯が水を含み、身体に重みが増す。水難事故で衣服がどれだけ危険な要素になるか、テレビなどで何度も聞いた。慌てて矢田啓太に貸してもらった上着を脱ごうとするが、濡れて纏わりつき、うまくいかなかった。
 激しく動いたことで腹の傷も開いたようだった。

 肩に何かの衝撃を受ける。
「がっ」
 悲鳴を上げる。見上げた瞬間、和雄がいびつに丸いものを投げ入れるのが見えた。
 大きな石だった。今度は右のこめかみのあたりで受ける。があんと頭蓋の中で音が踊り、額が割れ、鼻から温かい血がつっと流れた。
 一瞬、気が遠くなり、沈みそうになる身体を叱咤し、必死で浮き上がろうとするが、叶わなかった。
 視界が暗くなる。
 水と傷に、あっという間に力を奪われ、士郎は水を掻くことができなくなった。
 それは、死を意味していた。



<西沢士郎死亡。残り11人/32人>


□□  バトル×2 1TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
西沢士郎
加賀山陽平らの無理心中に巻き込まれ、やけどを負っている。木田ミノルに襲われたが、退けた。