OBR1 −変化− 元版


074  2011年10月02日06時


<永井安奈>


 今度は、黒木優子の顔から目がはなせなかった。

 黒木優子。教会で、越智柚香を殺した女。越智を殺した時の、あの冷静さ。……敵わないと思った。アタシみたいな小悪党じゃ、とうてい敵わないと思った。
 だから、直接対決を避け、教会を出た。なのに。なのに、なんで、アタシの前にこの女が現れる?
 避けたのにっ、アタシ、避けたのに!

 安奈にしては、現状把握に欠けた思考だった。
 教会と児童公園の距離を考えれば、積極的にゲームに乗っていると思われる黒木優子が駆けつけることは、至極簡単に予想できることだった。
 本当ならば、叫び声などあげるべきではなかったのだ。

 信じられないような思いで、目の前にいる女を見つめる。
 そばかすだらけの頬、愛嬌のある一重の瞳、丸まった鼻先、ふわふわの赤茶けた髪。安奈は、彼女のことを「可愛い」「きれいだ」と思ったことは、今まで一度もなかった。
 「ブスじゃないけど、ま、普通だね」そんな風にしか思ったことがなかった。
 しかし、今日の優子は違った。
 ぎらぎらと強い光を放つ瞳、唇がやけに艶っぽい。
 あれ。なんで、だ?
 混乱の中にあって、いささか場違いな思考だったが、安奈は優子のことを美しいと思った。そして、同時に怖いと思った。
「きゃぁぁぁ……あぁぁぁっ」
 全身の力を振り絞り、優子を突き飛ばす。

 よろけた優子が、体制を整え、「あ、ごめんなさい。驚かせちゃった?」と柔らかい声をかけてくる。
「大丈夫、私はやる気じゃない。だから安心して」
 そして、周囲を見渡し、顔をしかめた後、「ひどいことになってるね……。ね、永井さん、なんで、こうなってるか、あなた知ってるの?」
 その声は優しく、そして普段通りだった。
 越智柚香を殺すところを目撃している安奈でさえ、中学三年生にしては世間知があり人を見る目もある安奈でさえ、「この子は信用できる?」と判じそうになる。

「あぁぁぁああぁぁぁぁ……」
 なおも悲鳴を上げつづける安奈。その中で思った。
 ああ、この子は、こうやって生き延びてきたんだ。
 こうやって騙して、安心させて、殺してきたんだ。自分の手を汚してきたんだ。
「近寄るなっ、この人殺し!」
 恐怖そのままに罵ると、優子が虚をつかれたような顔をした。
 そして、即座にその表情が厳しいものに変る。
「見られた? 重原? 越智? ……美智子?」
 安奈が見たのは、越智柚香を殺しているところだけだったが、他に重原早苗や尾田美智子を殺していたことを知り、愕然とする。
 越智を殺したときの落ち着きぶりから、他にも誰か殺していると予想はしていたが、まさかそれが仲間の重原早苗だったとは思ってもみなかったのだ。
 さらに、優子がその友人である尾田美智子をも殺していたのは、驚きの事実だった。

 ふっと思う。
 アタシが積極的にゲームに乗ったとして、早苗を殺せるだろうか? まゆみを殺せるだろうか?
 重原早苗、筒井まゆみ(安東和雄が殺害)。日頃一緒にいた仲間の顔を、安奈は思い浮かべる。
 殺せる……。だけど……。
 だけど、そう。
 アタシなら、自分の手を汚さない。なるべくなら、他の誰かに殺させる。だって、早苗やまゆみを殺すのは、他の子を殺すのよりも、寝覚め悪いもの。後でぜったい悔やむもの。
 それを、この女はやったんだ。尾田を殺したんだ。自分の手を汚したんだ。

 さらに思う。
 ああ、やっぱり、この子、アタシよりも上手だ。
 この酷い状況。飛び散る死体。漂う死臭。
 アタシはそれを見て、乱れ、座り込み、立ち上がれないでいる。だけど、黒木は立ってる。同じものを見ているのに、黒木は立っている。アタシを騙まし討ちしようとした。
 プログラム。
 アタシはその後の生活を考えて、自分の手を汚すことが出来ないでいる。だけど、黒木は自分の手を汚している。友達だって殺している。
「あぁぁぁ……ああぁぁぁぁっ……」
 混乱の中、安奈の鼻先に唐突にオレンジのいい香りが届いた。
 ……シャンプー?
 これが、決定的だった。
 まさかっ。
 まさか、この女、越智柚香を殺した後、風呂に入ったのか? 越智と吾川正子の死体がある、あの教会で風呂に入ったのか?
 あ、アタシには、そんなことはできない。怖いし、気持ちわるいし、とてもできない。できないっ。


 全身の力が抜け、呆けたようになる。一度目を瞑り、すっと息を呑んだ。何秒か数えてから目を開けたら、黒木の手には裁ちばさみあった。
 はさみを見るまでもなく、安奈はすでに観念していた。
 アタシには、銃がある。アタシのポケットには銃が入っている。
 だけどきっと、この女には敵わないだろう。
 手を汚すか汚さないか、それは「覚悟」の差だ。アタシには覚悟がなく、この女にはある。優勝するのは、きっと覚悟を決めたヤツだ。……そう、黒木みたいな。
 殺しな、よ。アタシは、あんたには敵わない。

 ……だけど、あんたも終わりだ。

『私さ、優勝しても、そのままでいたいんだ。変りたくなんて、ない。特別になんてなりたくない。今まで通り。今まで通り、ふつーの生活をさ、送りたいんだ』
 安奈は、黒木優子が越智柚香を殺す前に言ったセリフを思い出していた。
 黒木、あんたは、普通の生活のために、今まで通りの生活のために、ゲームに乗ったんだね。
 じゃ、お生憎。
 あんたには、普通の生活は待っていないよ。
 越智を殺し、早苗を殺し、尾田を殺した。そして、アタシを殺す。他にも誰か殺した? これからも沢山殺す?
 ……耐えられないね。
 あんたはきっと耐えられない。
 だって、覚悟を決めたって、アタシよりも格上だって、所詮、あんたも普通の人間だもの。

 あんたも、普通の、人間、だもの。

 優子はもう何も話さなかった。裁ちばさみを握りなおし、振り上げる。
 そして、その腕が振り下ろされようとした瞬間、だだだっと複数の足音がした。
「やっぱ、こっちだよっ」
「永井、大丈夫かっ?」
 連なる家々の向こうから飛び交う声、それは複数の男子生徒 の声だった。

 優子の判断は素早かった。
 ナイフをしまうと、踵を返し駆け出す。
 その後姿を見つめながら、安奈はぱちぱちと瞬きをした。瞬きごとに、彼女の瞳に失われた光が蘇る。その光は、賢しく(さかしく)したたかな、彼女本来の光だった。



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