OBR1 −変化− 元版


072  2011年10月02日05時


<野崎一也> 


 坂持国生 は、中川典子から「歴史の波」という言葉を受け継いでいた。
 そして、一也もまた歴史の波を感じ始めていた。

 歴史の……波。
 中川典子はすでにその波の一部になっている。海外メディアに訴えようとしているサメも。坂持も。
 比べて。……比べて?
 ここで、一也は青ざめた。すっと血の気が引いたのが自分でも分かる。
 比べて俺は、何をしてる?
 サメと坂持。目の前にいる二人は、そりゃぁ、死にたく無いって思いもあるんだろうけど、ちゃんと自分が死んだあとのことを考えてる。俺見たく、ただ「政府が憎い」とぼやくだけじゃなく、ちゃんと行動してる。
 比べて、俺はなんだ?
「中途半端、だな」
 小さな声でつぶやく。
「俺って、中途半端だ」
 こんな無茶苦茶な制度を続けている政府を憎く思う。だけど、何の行動もしてない。啓太に会いたいと思う。だけど、探しには出れない。会えたとしても、啓太を殺しかねない。
 どっちつかずの中途半端。矛盾。口だけ。

 自分がどうしようもなく矮小な存在に感じて、一也は意気を落とした。
 ベッドの上、震える身体を両腕で抑える。
 と、一也が紙片を読んでいる間、パソコンになにやら打ち込んでいた学が、エアチェア−くるりと回転させて向きなおすと、指先をくいくいっと二度動かし、一也を呼び寄せた。
 立ち上がり見に行くと、パソコンの画面には何もかかれていないメモ帳ソフトがアクティブになっていた。
 なんだろうと一也が怪訝な顔をすると、学の指先がキーボードをすべり、
<俺って、すげぇだろ>
 という文字が表示された。
 同時に浮かぶ、皮肉めいたそれでいて得意げな表情。
 一也はくすりと笑い、<すげぇ、よ>と打ち込む。
 本心だった。
 期待していたハッキング能力は残念ながら持ち合わせていなかったけれど、それでも彼がしようとしていることは「凄い」。ただ政府憎いでしかいられなかった自分とは、雲泥の差だ。
 そんな思いを込めた、「すげぇ、よ」だった。
 これを見た学が<当たり前だろ、俺を誰だと思ってるんだ>と打ってよこす。

 思わず吹き出す。
 それは、こんなことになる前、教室や自分たちの部屋で幾度となく繰り返してきた軽口のたたきあいを思い出したからだったし、数時間前に聞いた羽村京子の言葉を思い出したからでもあった。
 数時間前、藤谷龍二から受けた傷跡を手際よく治療してくれた羽村京子を誉めたとき、彼女は「当たり前だろ、あたしを誰だと思ってんだ」と返してきた。
 そのとき、「サメが言いそうなセリフだなぁ」なんてことを考えていたのだけど、まさかこんなにも早くそのセリフを聞けるとは思っても見なかった。

 学流のやり方で、落ち込んだ一也をほぐしてくれようとしたのだが、意図した以上の効果が出た。
 一也の、深い深い沼地に沈み込んでいた思考が浮き上がる。
 暖かい気持ちになる。
 こんな単純な好意が、今の一也には何よりもありがたいものに感じられた。
 友達っていいなぁ。
 ふっと考えてから、苦笑いをし首を振る。
 こんな恥かしいことを考えたことがバレたら、何と言ってからかわれるか分からない。
 ん、でも……。
 にっと笑った後、一也はキーボードを叩き、<友達っていいなぁ>と出してみた。

「ば、ばっかや……ろ」
 これを見た学が、思いがけず頬を赤らめた。
 そして、「しまった」という表情を見せた後、ぷいっと横を向いてしまう。
「なっ」
 てっきり馬鹿にしたような反応が返ってくるとばかり思っていた一也は、学の予想外の反応に驚き、耳まで真っ赤になっている学と、日頃のクールな彼の振る舞いのギャップにさらに驚く。
 ひたすら照れくさそうな顔をしている学に苦笑しながら、「なぁんだ、案外可愛い所あるんだ」と含み笑いをしていると、「あのなぁ」と学が口を尖らせた。



 一也は思い出していた。
 こんなことになる前、幼なじみの生谷高志や、鮫島学、矢田啓太らとつるんでいたことのことを。
 一也らが集まるのは、だいたいが学の家だった。樺太キャンプ送りになっている夫の経営していた会社を継いだ学の母親が忙しく、不在が多かった。
 中学三年生が親の目が行き届かない場所に集まる。
 それは、ごくごく自然な流れだったろう。

 放課後、まずは高志と俺とで学の家へ行く。
 何をするでもない、ただ喋る。
 俺と高志が馬鹿話をしている横で、サメがタバコを吹かしながらオンラインゲームをしているときもある。
 そうしているうちに、バスケ部、部活を終えた啓太がやってくる。
 ときにはそこに、啓太と同じバスケ部の三井田政信(生存)が混じることも。
 何をするでもない、ただゲームをしたり、しゃべったり。表に出てミニバスケをすることもあったし、映画を見に行くこともあった。
 話し好きでお調子者の高志が、馬鹿を言う。
 吸えもしないのにサメのタバコに手を伸ばした俺が、咳き込む。
 それを見た啓太が、柔和な笑顔を見せる。
 サメが、皮肉っぽくからかう。
 決してなにか強い絆で結ばれていたわけじゃない。たまたま気があって、なんとなく同じ時を過ごしただけだ。ただ、同じ時を過ごしただけだ。同じ時をすごしただけだ。
 何気ない、だけど心地よい時間。
 あの時間がかけがいのないものだったなんて、俺は知らなかった。
 そう、プログラムに巻き込まれた今、高志が死んだ今、あの心地よい時間を過ごすことはもうできない。

 死んだ高志のことを思った、失われた時間を思った一也のほほに、すっと一筋涙のあとが残った。
 学はひたすら照れくさそうに顔をそむけていたので、気がつかなかったようだ。
 坂持国生には……気づかれたらしく、彼は何ともいえないような表情をしていた。

 思う。

 知らなかった。クールなサメにこんな一面があっただなんて。友情めいた言葉に弱いだなんて。
 でも、あのままの友達関係を続けていたら、きっと。俺は同じ一面を見ていたに違いない。
 高志の新たな一面も。啓太の一面も。
 坂持とは普段つるんでいなかったけれど、でもそのうち親しくなっていたのかもしれない。
 啓太は俺を友達として受け入れてくれたかもしれない。男なのに、自分のことを好きだといってくる友人を、許してくれたかもしれない。
 逆に、蔑んできたかもしれない。
 幼なじみの高志とは違って、啓太との友達関係はまだまだ浅い。いくらお人よしの啓太だって、生理的に嫌なものは嫌だろう。でも、俺はそれで強くなっていたはずだ。
 傷ついて強くなって優しくなって……、いつか、自分にプライドを持てていたはずだ。
 俺は、男なのに男が好きな自分を蔑んでいる。プライドをもてないでいる。
 だけど、いつか。だけど、いつか、プライドを持てていたはずだ。そう、サメのように。

 同性愛者であること。俺は少しずつ少しずつこの事実を飼いならしてきた。少しずつ、同性愛者の自分を認められるようになってきていた。
 5年後、10年後。俺は胸を張って「当たり前だろ、俺を誰だと思ってるんだ」「俺って、すげぇだろ?」なんてことを言っていたはずだなんだ。
 なりたい職はまだなかったけれど、漠然とした未来は描いていた。進む道は持っていた。
 俺には、俺たちには、可能性があった。未来があった。
 なのに、なのに……。


 と、「きゃあぁぁぁ……ああぁぁあああ……ああっ」波打つ悲鳴が切れ切れに響き、一也の思索を遮った。
 立ち上がり、窓のそばに駆け寄る。
 悲鳴はこの家ではなく、外から聞こえた。近くは無い。かといって遠くも無い距離感。
「あああああ……っ」悲鳴はいまだ続き、朝もやの静寂を切り裂く。
 とりあえず女子生徒だということは分かるが、誰の叫び声かは一也には判断つかない。
 同じように立ち上がっていた坂持国生が探知機を操作し、「ダメだ、最大寸借、50メートル四方にしてもヒットしないよっ」と言ってくる。
 どうやら直径50メートルの輪の中には入っていないらしい。
 しかし、漏れ聞こえるボリュームからして決して遠いわけではない。
 どうしてよいか分からずただ立っていると、後ろからぬっと手が伸び窓枠をつかんだ。
「永井、永井かっ?」
 上ずる声、それは学の声だった。

 永井って、永井安奈?
 なおも続く女子生徒の悲鳴、一也にはそれが永井安奈(飯島エリらを心理操作)の声だと識別することはできなかった。
 ……なんで、サメには永井ってわかったんだ?
 素朴な疑問が浮かんだあと、心配げな表情をしている学を見て、あっさりと答えを見つけた。
 もしかして、サメ、永井のことを?
 こんなときながら、日頃のクールな物言いからおよそ恋愛と結びつかなかった学の行動に、一也は唖然とした。



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