OBR1 −変化− 元版


067  2011年10月02日05時


<津山都> 


 飯島エリが恐怖にかられ教会を飛び出したその少し前、津山都は、北の集落の中ほどを慎重な足取りで歩いていた。
 このあたりは比較的裕福な家庭が多いらしく、それぞれ広い敷地に大きな家屋が建っていた。
 今、都が横にしている黒塗りの板塀の向こうにも、重厚なつくりの日本家屋が見える。
 この家にしようかと門に足を向けるが、その歩みが止まる。
 怖くて中に入ることができないのだ。
 男っぽい。気が強い。度胸がある。姐御肌。曲がったことが大嫌い。幾度となく自分が形容されてきた言葉。それが偽物、まがい物であったことを都は思い知らされていた。

 ……いけない、私がこんなじゃ、結城さんが不安がる。
 じっとりと汗で滲む額を手の平で拭いながら振り返り、後ろをぽつぽつとした足取りで歩く結城美夜の顔を見る。
 もともと男顔のうえにベリーショートの髪型をしている都と比べ、肩を越える黒髪をさらりと風になびかせ、黒目勝ちの大きな瞳を潤ませた美夜は、本当に可愛らしい女の子だった。

「大丈夫? 少し休んだ方がいい?」
 どこに向っているのか、正直あてもないのだが、リーディングしているのは自分だと、この子を守っているのは自分だと、落ち込む意気を無理やりに盛り上げる。
 都は自覚していた。この思いだけが、今の自分を支えていることをよく分かっていた。
 誰かを守る。
 その感情だけが都の生きる源だ。

 と、木塀の向こうから誰かが飛び出してき、派手にぶつかってしまった。
 いきなりのことで、体勢を崩し尻餅をつく。
「誰っ?」
 声を出したとたん、都それが誰であるかには気がつき……ほとんど信じられないような思いで、その誰かを見た。
 それは、長い髪を振り乱した飯島エリ の姿だったから。
「エリっ、エリじゃない」
 喜びの声を上げる。

 都はクラスでは目だって人数の多い、女子体育会グループの一員だ。
 その中で、実は飯島エリとはさほど親しくしていたわけではない。しかし、同じグループにいたこともあり、他のクラスメイトに比べれば言葉を交わす機会は多かった。
 そう、結城美夜などよりは(つい先ほどまでの「この子を守らなきゃ」という思いはすでに消し飛んでいた)。
 欲を言えば、雑ぱくな性格で気の強いエリよりも、大人しく「守られるタイプ」だった香川しのぶ(死亡)あたりがよかったのだが、この際ぜいたくは言ってられない。
 そして、何よりも自分とより近しい関係だった者と再会できたことが嬉しかった。

 しかし、エリは恐怖に歪んだ顔を見せた。
「いやぁぁぁぁ」
 腕をメチャクチャに振り回し、襲ってくる。
「なっ」
 エリの打撃は、普通の生徒相手ならばそれなりに効果もあったのだろうが、都は全国レベルとはいかないまでも、少なくとも県大会レベルでは常に好成績を残してきた空手部の強者(つわもの)だ。
 腰を落とし腕を立てた構えを取り、エリの攻撃をやすやすと受け流した。
「エリ、落ち着いて!」
 構えを解きながら声をかけるも、エリの表情は変わらない。
 仕方なく、「ああっ」短く切った掛け声とともに、幾らか手加減した中段蹴りをエリの腹部に沈ませる。

 これが意図した以上に効いたようで、エリがあぶくのような唾液を吐きながらアスファルト敷きの地面に膝をついた。
 ここで都は、エリの膝がこれよりも前から傷ついていることに気がつく。
 誰かに襲われたんだろうか? だから混乱しているんだろうか? そう思いながら、「ごめん、エリ、大丈夫?」立ち上がるエリに手を貸そうとする。
 エリはいやいやと首を振り、目の前に立っていた結城美夜を突き飛ばし駆け去っていった。
 一瞬間、その後姿を呆然と見ていた都だったが、すぐにある「事実」に気がつき青ざめた。

 禁止エリア!

 首から下げていたパスケース、その中にしまわれていたこの島の地図を、懐中電灯を使ってあわてて照らす。
 飯島エリが駆けて行った道は、そのまま島の西岸(Eの1エリア)へとたどり着いていた。
 記憶どおり、そのエリアはすでに禁止区域になっていた。
『禁止エリアに入ったら、首輪が爆発するからなー』
 スタート前、説明時の鬼塚千博教官の言葉が頭に過ぎる。
 そして、エリに押しのけられた拍子にバランスを崩し座り込んでしまっている(ほら、普通の女の子はこうだ。私には誰かを守る義務があるんだ)美夜の首元を見た。
 月明かりにメタリックな光りを返す首輪。

「エリ、ダメっ、そっちは禁止エリア!」
 悲痛な叫び。しかし、エリには届かなかったらしく、走るスピードを緩めなかった。
 視線を落とせば、都の足元に結城美夜が尻餅をついている。どうやら手足をすりむいたようだ。
 このとき、都は迷わなかった。
 結城さんとエリ、どちらを選ぶ? ……そんなの、決まってる!
 エリの後を追い、都は駆け出した。
 駆け出した拍子、あるものを踏んだが、そんなことはどうでもいいと無視する。

 中背ながらスラリとした体格のエリは足も長く、テニス部で鍛えたその駆け足はなかなかのものだったが、都の運動神経はその上にあった。
 出だしの十数秒の遅れを、それよりもはるかに速いスピードで縮めていく。



 思い出すのは、普段の教室の風景。
 グループのリーダーだった佐藤君枝(死亡)は、尾田美智子(黒木優子が殺害)のことが気に食わなかったらしく、公然と悪口や当てこすりを言っていた。
 自然、グループ内にも同じ空気が流れ、飯島エリも似たような行動を取った。
 大人しい気質の香川しのぶ(死亡)も、グループの意向に従った。
「あの子、むかつくよね」
 これが彼女らの合言葉だった。
 美智子が可愛らしく男子にもてた。ただ、それだけが気に食わない。だから、美智子のどんな些細なミスもどんな言葉尻もあげつらい、大きな声で批判した。追い詰めた。

 もちろん、その感情が、汚らしい嫉妬の裏返しだったことを彼女たちは理解していたが、君枝たちは決して「美智子イジメ」をやめようとはしなかった。
 冷静に考えれば、当てこするほどの失言や行動を美智子がしたわけではない。
 だけど、皮肉った。美智子に見える形で皮肉った。
「どうしてそんなことをするの?」聞けば、彼女たちは答えたに違いない。
 だって。……だって、むかつくんだもの。

 この美智子イジメに関し、グループ内で独自のポジションを取ったのが越智柚香と都だった。
 二年からの編入生で、前の学校でイジメにあっていたという柚香は「私は、やらない。やるなら私の見えないところでやって」と言い、このイジメには加わらなかった。
 イジメに加わることで、当時のことを思い出すのが嫌だ、とはっきり言っていた。
 普通に考えれば、過去の経験から自身にイジメの矢が向くことを恐れ、一緒になってやってそうなものだが、柚香はその選択を取らなかった。
 これを、都はまぶしく思ったものだ。
 都も一応は「私は、やだな。そういうこと。適当なところでやめときなよ」と言っておいたが、これはさほど意味のある言葉ではなかった。
 まわりから見られている「曲がったことが大嫌い」という看板を維持するために、ポージングしてみせただけだったから。

 もちろん、柚香にもそれなりの打算はあったのだろう。
 グループのリーダーである佐藤君枝は、美智子に見せる顔とは別に、内側、いったん仲間と認めた者に対しては、都以上に姐御肌な気質を見せていた。
 決して高圧的なリーダーではなく、個々の意志を尊重するリーダーだった。
 香川しのぶが重原早苗(黒木優子が殺害)に虐められたときは率先して守る、頼りがいのあるリーダーだった。
 学校指定の白ベストに刺繍されている小さなハートマーク。
 それは、家庭科が得意だった香川しのぶがつけた、このグループが仲間であることの証だった。
 柚香の「イジメに加わらなくても、このメンバーとリーダーなら、私がイジメられることはないだろう」という打算。それは正しかった。

 打算交じりの柚香の言葉。だけど、柚香の言葉は「ホンモノ」だった。
 それに比べ、都の言葉は「マガイモノ」で「ニセモノ」だった。
 だって、君枝たちは柚香の前では決して美智子をイジメなかったけれど、都の前ではやったから。
 これ以上の答えが一体どこにあるというのだろう。



 ……自殺した和田さんはホンモノの凛々しさを持っていた。ユズもホンモノの心を持っていた。
 だけど、私は、ずっと偽り生きてきたマガイモノだ。
 マガイモノの人生を私はずっと生きるのか?
 いや、だ。そんなの、嫌だ。

 目の前を走るエリの背中が、しだいに近付いてくる。
 あと、少し、もう少し……。
 その距離が一メートルまできたところで、都は地面を蹴り、エリに飛び掛った。
 エリを守るために。



<残り15人/32人>


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バトル×2
津山都
空手部。姐御肌で頼られていた。