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064
2011年10月02日05時 |
<吾川正子>
「いい加減にしてよ!」
吾川正子(あがわ・まさこ)がバスルームから出た瞬間、廊下を挟んだ調理室から飯島エリのいらだった声が洩れ聞こえてきた。 驚いた拍子、脇に抱えていたバスタオルを落としてしまう。
拾おうとかがみ込むと、濡れ髪から水滴がこぼれ落ちた。
次いで、ばたばたと足音が響き、飯島エリが調理室から飛び出してくる。
廊下の端々に置いたロウソクの灯かりに、エリの憤怒の表情が揺れた。
エリは正子を睨みつけると、無言で階段を駆け上がっっていった。とんとんと木板を足で叩く音が続く。
突然の出来事にどぎまぎしながら、開け放たれたドアに手をかけ調理室を覗き込んだら、今度は越智柚香(おち・ゆずか)が飛び出してき、ぶつかってしまった。
座り込む正子に「あ、ごめん」と一言、柚香が部屋を出て行く。
エリの後を追ったのだろう、階段板を踏む音が遅れて聞こえた。
「いったい、何が……」
柚香の後を見送り、ぼんやりと立ち尽くしていると「わたしが、私が悪いの」この教会に立てこもっているメンバー最後の一人、永井安奈の涙声がした。
礼拝や何かしらのイベント時の必要性からだろうか、一般家庭よりも広い作りの調理室、中央に置かれた木作りのテーブルにつき、うつむき加減だ。
「また私、気弱なことを言っちゃって……飯島が怒るのも無理ないわ。ああ、私、死んじゃいたいっ」
数時間前に聞いた永井安奈の言葉を思い出す。
そう、いつかは私たちだって殺しあうことになるのかもしれない。
このまま教会を含むエリアが禁止区域に選ばれなくて。私たち四人だけが生き残って。そうしたら、私たちも殺しあうのかもしれない。
そんなことは、誰もが分かっていた。
だから、越智さんがリードして刃物を床下収納にしまい込んだ。だから、四人、出来るだけ波風が立たないようにしている。
それなのに、永井さんが不穏なことを口走りすぎるから、飯島さんが感情を爆発させてしまったんだ。
「越智さんが行ってくれたから、きっと大丈夫」
日頃から大人しく、友達の後をついていくタイプの正子だったため、誰かを慰めるという役まわりに戸惑いながら声をかける。
しかし、安奈は「もう、ダメっ、私、死んじゃいたいっ」と首を振るだけだった。
死ぬ?
繰りかえす言葉に、正子の心拍がドキリとあがる。
死ぬ? ……私よりも先に死ぬ?
心臓のあたりを鷲づかみにされるような感覚。身体に血液がまわらなくなったような息苦しさ。それは、正子の身体を蝕む喘息の発作にも似た感覚だった。
テーブルに伏せ肩を揺らしながら嗚咽を漏らす安奈をどうしてよいか分からず、ただおろおろと「大丈夫だから」を言いつづけていると、戻ってきた柚香が笑顔を見せた。
「エリ、だいぶん落ち着いたよ」
柚香の優しい口調に、安奈が顔を上げ「ほんと? あ、ありがとう」と言葉を押し出した。
心強いなぁ。
安奈に負けず劣らず動揺していた正子だったが、柚香の言葉にほっと胸を撫で下ろす。
なにせ。なにせ、永井さんに先に死なれたら、困るんだもの。
柚香のおかげでいくぶん落ち着いたのか、ふと気がついたという様子で安奈が「髪、濡れてる」と言った。
「ごめんなさい、床に水滴落ちちゃうね」
突然の騒動で乾かすのを忘れていた。
正子はあわてて、まだ拭き取りきれていない濡れ髪をバスタオルで拭った。
「お風呂、どうだった?」
今度は柚香が声をかけてきた。
「うん、さっぱりした」
『お風呂』は柚香の提案だった。
数時間前に二階に上がった柚香とエリだったが、神経が高ぶったせいか眠れず、調理室に戻ってき、「ね、お湯を沸かしてお風呂にしない?」と言ったのだ。
ガスや電気は止められているのだが、水道は生きていたし、調理室の収納スペースに置いてあったカセットコンロと大鍋を使えば、お湯は沸かせる。
幸い、炊き出しにでも使うのだろう、カセットコンロも大鍋も複数あり、時間はかかったが湯船いっぱいのお湯を沸かすことができた。足し湯の用意も出来ている。
順番はくじで決めた。最初が正子で、次いで越智柚香、永井安奈、飯島エリの順番だった。
*
バスルームに柚香が向った後、安奈が「わたし、ダメね」ぽつりとつぶやいた。
「みんな、頑張ってるのに、わたし一人参っちゃって。飯島さんをイライラさせちゃって」
「そんなこと……」
「ううん、そんなこと、ある。……やっぱり、私、死んじゃいたい」
どうしよう。
正子は戸惑っていた。
放っておいたら、このコ、死んじゃうかも。このコが死んじゃったら、わたし、きっと死ぬのが怖くなる。どうしよう、どうしよう……。
自殺。
それは、プログラム開始よりも前から、正子を捕らえてはなさない言葉だった。
いつ死のういつ死のうと思いながら、ここまで来てしまった。
死ぬための道具はある。
皆には話していないが(「死」に取り付かれた彼女は、他の人間の安全に思い至れないでいた)、支給武器の「秋の味覚セット」のうち一つには毒が仕込まれているらしい。
毒を使えば、それと分からずに一瞬で死ねるだろう。苦しいのも痛いのも一瞬だろう。
死にたい、早く死にたい。
ずっとそう思いながら、梨を食べ、ぶどうの粒をつまんできた。
だけど、死ねない。まだ、死ねない。
正子はぶるると肩を振るわせた。
お湯で温まったまでは良かったが、どうやらいったん上がった体温が下がってきたらしい。
これを見た安奈が「上着、取ってきたら? 私はもう、大丈夫だから」と言ってくる。
上着や荷物は二階の寝室に置いてあった。依然青ざめた顔をした安奈を一人置いていくのは気がかりだったが、すぐに戻ってくるのだからと調理室を後にする。
そして、ふと足を止めた。
どうせ、死ぬのに、お風呂に入る必要なんかあるんだろうか。風邪を引かないようにする必要があるんだろうか。
……いけない、これ以上考えちゃ、いけない。
これ以上考え詰めたら、死にたい死にたいと思いながらまだ自殺していない理由に、気がついてしまう。
心の根っ子が叫ぶ声に、気がついてしまう。
二階へあがる階段は一階部分の奥まった位置にあり、その対面には礼拝堂につづく両開きの扉があったが、礼拝堂の窓ガラスには雨戸がないので、外部からの侵入を防ぐために施錠してあった。
階段を踏みしめあがる。
と、野崎一也(主人公)のことを思い出した。
野崎くん……無事、かな。
午前0時放送の死亡者リストには、野崎一也の名前は挙がっていなかった。
その後、一也の身に何も起こっていないのならば、彼が自殺という道を選んでいないのならば、まだ生き長らえているはずだった。
野崎一也は、クラスで目立つタイプの生徒ではなかった。
顔立ちは決して悪くないのだが、華はない。運動神経もそれなりだし学力もそれなり。友達はちゃんといるけど、その輪の中心にはあまりならない。
ベースは悪くないのだが、女の子の注目を集めるには残念ながら一味足りない、そんな生徒だった。
しかし、正子はそんな一也のことが気になってしかたなかった。
正子をとらえたのは、疑問に感じたのは、一也がときおり見せる寂しそうな表情であり、周りをうらやむような表情だ。
それは、一也が同性愛者であり、そのことに悩み、異性愛者である周囲の人間を羨ましく思い、引け目を感じているからに違いなかったが、正子の知るところではなかった。
野崎くんは、私と同じ表情で、みんなに引け目を感じている。羨ましく思っている。だけど、彼は明るく笑っている。友達と一緒に馬鹿をやったりしている。
野崎くんが周りに羨望の目を向ける弱さは、どこから来るのだろう?
それでも明るく笑う強さは、どこから来るのだろう?
気になって気になって仕方がなかった。
一也の弱さとその裏返しの強さの意味を知ることが出来たら、自分も変れるような気もした。
<残り16人/32人>
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吾川正子
喘息持ち。毒入りの果物を支給されている。自殺を考えている。
飯島エリ
テニス部。気が強い。ナイフを隠し持っている。
越智柚香
テニス部。明るい性格。
永井安奈
重原早苗らと組んで陰で悪さをしていた。
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