OBR1 −変化− 元版


061  2011年10月02日04時


<坂持国生>


 長い長い夢を見ていたような気がした。

 目を覚ました国生の視界に一番最初に入ってきたのは、クロス模様の天井だった。凝った作りのライトカバーが見えるが、もちろん灯かりはついていない。
 その代わり、ロウソクでも立てているのだろう、水中華のように揺れる淡い光が部屋中を覆っていた。
 起き上がりあたりを見渡そうとしたが、全身が痺れたようになっていて首を横にすることも出来ない。
 やっとのことで視線を足元にやって、国生 は自分がベッドに仰向けに寝かされ、掛け布団をかけられていることを把握した。

 先ずは手の平を開け閉めし、少しずつ感覚を解きほどしていく。
 ここはどこだろう?
 一瞬、自分が知らない間にプログラムに優勝し病院に運ばれたのかと思ったが、病院特有の消毒液の匂いがしない。
 ……体が弱くて病院と縁が切れない俺が思うんだから間違いない。
 ほんと、ここ、どこだ?
 これまでの行動を思い返す。
 プログラムに巻きこまれて、南の集落の漁具倉庫に隠れて、楠に見つかって殺されかけて、なんとか倒して、そんで? そうだ、楠が持ってた探知機と銃を手に入れたんだ。
 それから北の集落を目指して。
 はっと息を呑む。
 それは、探知機に誘われて「見てしまったもの」を思い出したからだった。
 あれは? あ、あれは、いったい……。
 に、逃げ出すように「あそこ」を出て、また探知機にヒットが出た。その家の前まで来て……それから? あれ、そこから先の記憶が、ない。

 と、「お、目を覚ましたか」いきなり声がし、目の前が暗くなった。
 誰かが自分の顔を覗き込んでいることは分かったが、その誰かは光源を背にしているので顔が見えない。
 見えなかったが、その表情が曇ったのは分かった。
「身体、痺れてるのか?」
 苦労しながら頷くと同時に、今自分に話し掛けているクラスメイトが誰であるかに思い至る。
「サメ、ジ、マ?」
 声が出た。
 そう思った瞬間、身体に電流のようなものが駆け巡り急激に感覚が戻ってきた。
 凝り固まった身体を叱咤し、痺れたようになっていた四肢に力を込める。苦労しながら身体を横にすると、「大丈夫みたいだな。ビビらせんなよ。この状況で動けないヤツを抱え込むつもりはないぜ」と、多少人間味に欠ける言葉をかけられた。

 鮫島、だ。
 その身体をずらしたおかげで見えるようになったのは、ロウソクの泳ぐような灯かりに照らされているのは、日頃から親しくしていた鮫島学の顔だった。
 少し染色の入った短髪に、縁なしめがねをかけた理知的で神経質そうな顔。
 今は陰となり見ることが出来ないが、そのめがねの奥には目つきの鋭い三白眼が座っているはずだ。
 それより何より「動けないヤツを抱え込むつもりはない」と言い放つキャラクターを持っているのは、国生が知る限りでは彼だけだった。
「久しぶり」
 プログラムが進行する中、呆れるほどに平凡な挨拶だと思ったが、この男を前にするならこれくらい捻くれていた方が似つかわしいとも思う。
 これに「相変わらずだな」と学が返す。
 どっちもどっちだよ、苦笑いを浮かべながら身体を起こし、あたりを見回した。

 思ったとおりロウソクが洋室の中央に置かれ、弱い光の元になっている。
 八畳間ほどの広さだろうか、床はカーペットに覆われており部屋の二面は背の高い本棚がしめていた。
 一瞬「書斎」という言葉が頭によぎり、重厚な木の机の上に並べられた辞書の背表紙を見、さもありなんと頷く。また、この部屋の主には絵の趣味もあったらしく、部屋の隅にはスケッチブックや油彩絵の具のセットなどが置かれていた。
 そして、その机の上に置かれたノートパソコンに灯かりがついていることに気がつき唖然とした。
 そのままの表情で学の顔を見る。



 学は一冊のスケッチブックを持っていた。
 ページは開かれており、そこには学の神経質そうな右肩上がりの書き文字が並んでいる。
<首輪につけられた盗聴器のことは知ってるか?>
 書かれている内容に驚き、学の顔をまじまじと見つめた。その首元でメタリックな光を放っているのは、爆薬が内蔵されているという首輪。
 そして、学がページをめくると同時にさらに驚かされた。
 それは、そこに<プログラムについてどの程度知ってるんだ? 脱出事件の担当教官の息子さんよ>と書かれていたからだった。
「なっ」
 なんでそんなことを知っているんだと言いかけ、盗聴器のことを思い出し両手で口をふさぐ。

 学はそんな国生の混乱を知ってか知らずしてか、マーカーを手に取ると<うまいぞ。その調子で盗聴されていることに注意してしゃべってくれ>と書きなぐった。
 ページをもう一度めくる。
<パソコンをどうやって動かしたかは面倒だからはしょる。俺が裏ネットに出入りしてたの知ってるだろ? そこでお前さんの情報を手に入れた。盗聴器のことも裏ネットで知った>
 書かれている文字を読んでいると、学が「お前さ、いきなり気絶するんだもん。どうしたかと思ったぞ。……プログラムが始まってからどうしてたんだ?」と口に出して訊いてきた。

 どうやら彼なりに進行は考えているらしい。
 国生は、導かれるままにここまでの行動を話した。
 楠悠一郎に襲われ辛くも勝利した部分では、学は「やっぱ楠はゲームに乗ったか。ま、ヤツが死んだのは自業自得だな」とごく冷めた口調で返してきて、その表情は変わらなかった。
 人を殺してしまった国生のことを気づかって言っているのか、それとも本当に当然と思って言っているのかは判断つかない。
 一瞬、こいつを信用していいのか? と迷いが生じたが、殺すつもりなら気絶しているうちにやっているはずだと思い直した。

 学自身がそれまでどうしていたかも、スケッチブックには書かれていた。
 彼は最初にこの家に侵入して以来まったく動いていないらしい。
 また、支給武器が何の役にも立たないティディベアだったことから、学はゴルフクラブや包丁で武装していた。
 (学はティディベアに爆弾が仕込まれていることを話さなかった)

 何気ない会話をよそいながら、学がスケッチブックのページをめくる。
 そこには<次に書いた通り話してくれ>と書かれ、細かな指示が載っていた。
 指示された通り、先ず「あのさ、あのパソコンって……」と訊く。
「ああ、あれ? ほら、俺って機械類に詳しいだろ。なんとかして電源繋いだんだ。回線は死んでるからただの箱なんだけどさ、家に遺言でも書こうと思って。ここにうちのメアド入れてお願いしときゃ、後でこの家の人がうちに送ってくれるかも知れないっしょ」
 開けられたスケッチブックには、パソコンのハードディスク音や学自身が立てたキータッチの音を気にしていると書かれていた。
 盗聴器がどの程度の集音能力を持っているのか知らないが、至近距離で鳴っている音は政府側に届いているだろう。たしかに、何かしらの「説明」が必要だった。

 学がパソコンを使い具体的に何をやっているのかが気にかかったが、とりあえず「手紙を使わずにわざわざメールでってのが、鮫島らしいね」と答えておく。
 これはスケッチブックに書かれていない国生のアドリブだったので、学がニヤリと笑った。
「俺も……、書こうかな、遺書」
「え?」
「俺も家の人に遺書を書くよ。ノートとエンピツ貸して」
 我がことながらせいぜい学芸会程度の演技だったが、素人なんだし仕方ないやと肩をすくめる。
<そんなにうまい説明とも思えないけど、まだまだキー音は立つしな。これ以外に思いつかなかった>
 スケッチブックに学はそう書かれていたが、
 学の立てた(これからも立てるらしい)キー音や、これから国生が事のあらましを書く音のカバーを同時に出来ており、なかなかに効果的なものだと思えた。

 さすがに頭がいいやなどと思いながら、スケッチブックを受け取る。
 そして、あらかじめ書かれていた学の質問に国生は答え始めた。
 学の「質問」は端的にまとめられたもので、かつて香川県でプログラム担当官をしていた父親のことや、自分がそんな父親に嫌悪していること、どうして香川県から伯母の住む関西にやってきたのかなどをスムーズに伝えることが出来た。
 また、質問の他に、学が何をしようとしているかも書かれていた。
 ネットを通し、諸外国のメディアや人権団体にプログラム制度の実情をぶちまけようとしている彼の行動は、国生にとっては驚きの事実だったが、
<俺はハッキング能力を持っていないし、その他たいしたスキルも持っていない。どこまでやれるかは分からないけどな>
 スケッチブックにはそんなことが書かれており、そのページを国生が読んでいるとき、学は本当に悔しそうな顔をしていた。
<そんなことないよ。これだけのことが出来るなんて凄いよ>
 思ったとおりのことを書くと、学は寂しそうに笑った。

 そして、プログラムや国生について情報を得たというWebページのいくつかを見せられ、その情報密度に驚かされた。
 10年以上も前のことで世間的な認知や関心は弱まってきているようだが、やはりそれでも重大な「事件」だったのだろう。
 隠密裏に研究をしている者がいまだにいるらしい。
 国生のことは事件の枝葉でしかなく関心もそう高くないようだが、それでもかなりの情報が抜かれていた。
 また、かつて香川にいた頃、思想統制院に目をつけられていたことを知り、ぞっとした。
 幸い、「一般的反発レベル」ということで調査対象からすぐに除外されたようだが、関西に来てからもそれが続いていたらと、文字通り背筋が凍る。

 思想統制院のシステムはここ数年で出来たばかりだ。

 コンセプトは「危険思想の芽を若いうち(年のことではない)から摘んでおこう」というもの。
 思想鑑別所とは名前も内容も似ているが、統制院の方が比較的軽い罪のものが捕らえられる。
 しかし、捕縛の対象者を選ぶ基準があまりにもあやふやであるため、意図された捕縛対象者が見逃され、たいして反政府心を持っていない者が捕らえられたりしている。
 クラスでは野崎一也(主人公)が捕縛されたことがあるらしいが、思想統制院ができた当初の混乱期のことで、すぐに「一般的レベル」と分かり釈放されたらしい。
 その結果、一也は少なからず政府を憎く思っているようだし、一也と同じような目にあった者の話はよく聞く。
 思想統制院のシステムは、政府自ら反政府心を煽っているようなものなのだ。

 プログラムの存在だってそうだ。
 命を奪えば、その家族の恨みを買う。毎年二千人近い若者の命を奪う制度に、どれほどの存在意義があるのか……。

 また、プログラム制度の基盤が揺らいでいる、プログラム制度の情報が諸外国に洩れ停止の圧力を受けていることをも学は掴んでいた。
 そして、そこに学は攻撃をかけようとしている。


 長く続いた準鎖国政策がたたって、経済が傾き始めた。
 政府は苦渋の選択を取り、鎖国政策が緩められた。それに伴い国内の情報が海外に洩れた。プログラムの存在が諸外国に知れた。
 国際社会からの批判を浴びる。人道的な要求、政治的なかけひき。
 今現在、政府はその批判を突っぱねている。だけど、未来永劫そんなことを続けることは不可能だ。
 ……すでに大東亜共和国は、経済的優位性を失っているのだから。
 歴史の波。そう、少しずつ少しずつ歴史の波が立ち始めている。
 波に呑まれるのは俺たちじゃない、こんな馬鹿馬鹿しい制度を続けているこの国の政府だ。大人たちだ。

 典子さんはその波の一つになりたいとも言ってた。
 秋也さんが死んで迷って組織から抜けて、普通の人になって数年がたって、ほんと今さらだけど歴史の波になりたいと言ってた。
 鮫島。
 鮫島は裏ネットを使って、外国にプログラム制度の裏側をぶちまけるつもりらしい。
<これによって対外勢力は勢いづくはずだし、政府にとってはたまったもんじゃないはずだ。自分の行動によって、プログラム制度の終りを近いものに出来たら、ちょっと、爽快じゃねぇか?>
 スケッチブックにはそんなことが書かれていた。
 使う言葉は違えど、鮫島も歴史の波になろうとしている。
 そう、俺だって……。


 スケッチブックに目を落とす。
 そこには<ノリコサンって、中川典子のことか? 気絶する前にお前、たしかにそう言ってた>と書かれていた。
 ペンを取り、最初に<長くなるよ?>と書く。
 学が、彼らしからぬ真面目な表情で力強く頷いた。

 どこから書こう。何を書こう。
 鮫島はあの事件についてかなりの知識を持ったみたいだけど、俺が知ってる「事実」を彼は知らないようだ。彼にこのことも「ぶちまけて」貰えば、さらに波は荒く高くなる。
 まずは、典子さんと出会ったときのことから……。



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バトル×2
坂持国生
香川県出身。父親がプログラム担当官をしていた。楠雄一郎に襲われ、返り討ちにした。