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060
2011年10月02日04時 |
<安東和雄>
午前4時現在、矢田啓太と安東和雄は一軒の廃屋の前にいた。
エリアとしてはEの6、プログラム会場である角島(つのじま)のちょうど中央部にあたる区域だ。
このあたりは平地になっており、のどかな田園風景の中、田舎作りの家屋がぽつりぽつりと肩を寄せ合っているのが見渡せるのだが、この廃屋は北の山から続く高台を背にしていた。
家屋は平屋建てで、うち捨てられてからすでに何年もの年月が経っているらしく、瓦が剥げ落ち虫食いになった屋根のあちこちから野草が生えていた。
建物本体の腐敗も進んでおり、しっくいの壁が崩れている。
草木が伸び放題になっている庭地の隅にはニワトリ小屋が見え、錆びついたトタン屋根が月灯かりにねびた光を返していた。
また、建物が背にする登り勾配の斜面は雑木に覆われており、湿った空気が流れ落ちていた。
家に入るのは明るくなってからのほうがいいだろう。暗闇では侵入側が不利だ。
和雄はそう考え、野草が生え放題の地面に座り込み、崩れかけた石塀に背もたれた。
筒井まゆみに剣山で傷つけられた顔の傷は、右のこめかみから右目のまぶたを越えあご先にまで至っていたが、幸いなことに眼球を傷つけてはいなかった。
支給の医療キッドで簡単に治療しただけだが、どうやら血も止まったようだ。
胸元も切られており、血のついた上着は脱ぎ、私服のジップアップシャツに着替えていた。
「あのさ」
啓太が話しかけてくる。
「ん?」
「さっきさ、誰かの一番になったことあるかって訊いたよね」
「……ああ」
ややあってから啓太は「えと、訊きかた間違えたみたいで……。あの、安東ってさ、3組の大塚と付き合ってたことあったっしょ」と続けた。
予期してなかった話の運びだったので、多少驚きながら「ああ。……それが?」返す。
「あれって、大塚からだったんだろ」
よく知ってるなと苦笑し、無言でうなづく。
「それって一番ってことじゃないの?」
ここでやっと、突然啓太が彼女の話を持ち出した意図を理解する。
「安東は、大塚にとっての一番になったってことじゃないの?」
見れば、彼の肩は小刻みに震えている。
死の恐怖に震えているのだ。それでも聞きたい事柄なのだろうか。と思いながら、「うーん、どうだろうなぁ」と濁した返事をする。
和雄は一時期、隣のクラスの大塚恵と付き合っていた。
どこで何を見初めたのか分からないが、彼女から近寄ってきたのだ。
だが、結局二ヶ月ほどで「思っていたのと何か違う」と言われ、振られた。甘い言葉の一つもかけこない和雄が不満だったらしい。
和雄は和雄で、「どうやら自分は恋愛に向いていないらしい」と思っていたので、渡りに船と、彼女の申し入れを受け入れた。
終始あっさりとした和雄に、彼女はさらに不満そうな顔をしていた。
「嬉しかった?」
「え?」
「彼女の一番になったとき、彼女に告白されたとき、嬉しかった?」
少し胸が詰まった。
嬉しくなかったと言えば嘘になる。
荒れた両親に育てられた。その両親が事故で揃って死に、養護施設に行った。その時点でたった一人の肉親だった弟の俊介と離れ離れになった。
養護施設は「慈恵館」といい、全国あちこちにあるカソリック系の施設だった。その名に恥じない院長以下スタッフにはよくしてもらったが、所詮は他人同士としか思えなかった。
その後、縁あって安東家の養子となったが、自分は名士を気取る養親の虚栄心の道具にしか過ぎないことにすぐに気がつかされた。
そんな中、大塚恵が好きだと言ってくれたのだ。
嬉しくないはずがない。
しかし、和雄は分かっていた。大塚恵は和雄のことを何も知らなかった。彼女とは、告白されるまで一度も話したことがなかった。彼女は、勝手にイメージを膨らませ、幻想に恋をしただけなのだ。
恵の作り上げた幻想に、和雄は付き合いきれなかった。
だから、程なくして分かれた。
それだけの話だと思っていたのだが……。
「一番か……。そんなこと、考えたことなかったな」
言葉自体は啓太の質問への返事にはなっていなかったが、内に込められた感情は届いたようだ。啓太が顔をほころばせた。
ああ、そうか、あのときオレは、誰かの大切な存在になれていたのか。
和雄の顔に薄く朱が入る。
たとえ恵の幻想だったとしても、それは喜ばしいことだった。
「でも、なんでそんなことを?」
訊くと、啓太が少し詰まり、そして、意を決したように「僕、いっつも、その他大勢なんだよね」口を開いた。
「その他……」
「うん。なんかさ、矢田くんっていい人っぽいよねーとか言われるんだけど、そっから先に進まないんだよね。友達もできるんだけど、親友……って言うの? そういう強い結びつきになったことがないんだ」
ふうんと鼻を鳴らし、「家族は?」訊く。
啓太は目を伏せて返した。
そして、「うち、壊れちゃってるから」変わらない穏やかな口調で只ならぬ台詞を吐く。
「両親、あんま仲よくなくてさ。今度離婚するらしんだけど、どっちも浮気してて、相手がいるんだ。だから……」
中学生の瘤(こぶ)が、両親それぞれの相手から、もしかしたら両親からも疎まれているというわけか。
ふっと、死んだ自分の両親のことを思い出した。
彼らも決して仲は良くなかった。事故で二人して死んだが、それがなかったら、いずれは離婚していただろう。
少し、驚いていた。
普段教室で見る矢田啓太は、穏やかな笑みを絶やさない人間だった。おっとりとした波風のない人生を送っているものとばかり思っていたが、彼なりに思い悩んでいたのだ。
「でも、そんな僕を好きだって言ってくれた人がいてさ」
銃を持つ啓太の手はやはり震えている。
何かを話していないと恐怖に押しつぶされそうになっているのか、ただ単純に思いの内を誰かに聞いてほしいのか。
「実はさ、その相手が……、なんていうか、あんまり嬉しい相手じゃないというか……」
話の向きが変わった。
怪訝な顔を和雄がしていると、「詳しくはいえないけど、普通じゃない相手……そんなこと言ったらダメか。えと、嬉しくないけど、そいつ自体はいい奴で……、ごめん、うまく話せないんだけど」
友人だと思っていた野崎一也から告白された啓太の複雑な心境からでる、言い澱みだった。
また、一也の名前を出さないにしても、同性愛という秘密をばらさないのは、啓太の誠実さの表れでもあった。
「結局、そいつの想いを受け入れることはできないんだけどさ、だけど、僕なんかを好きだって言ってくれる人がいるってことが嬉しいんだ。誰かの一番になれたことが嬉しいんだ」
啓太は、話すことで何かを昇華しているようだった。
このとき、全てなくならないにしても、想い自体を受け入れることはできないにしても、身体の中から、同性愛に対する偏見や嫌悪感が抜けいてく開放感を啓太は味わっていたのだが、もちろん、和雄には具体的なところは想像できない。
だが、啓太の味わっている感情がどのような種類のものであるかは、分かった。
「……良かったな」
軽く笑うと、「うん、良かった」啓太は素直にうなづく。
「ほんとに良かった」
言い聞かせるような口調。
「やっと、そう思えた。プログラムに巻き込まれてからずっと考えてたんだけど、やっとそう思えるようになった」
「良かったな」
もう一度言うと、啓太は、唇の端に恐怖を残しながらも、穏やかに笑った。
「ありがとう」
言葉が自然に出た。
「え?」
啓太の反問。
「いや、なんでもない」
軽く頭を振り、「さ、身体を休めよう」和雄は話を切った。
「じゃ、先に僕が見張りをするよ」
「ああ、頼む」
ありがとう。
背を預ける石塀の冷たさを感じながら目を閉じ、そして、心の中で繰り返す。
オレは、誰かの大切な存在になれていた。オレは一人じゃなかった。大切なことに気がつかせてくれて、ありがとう。
と、ここで、和雄はひゅっと息を呑んだ。
心拍が増し、身体が震える。
……殺さなくてはならないのに。矢田も殺さなくては、生き残ることができないのに。……こんな状態で、オレは矢田を殺せるのか?
啓太に気取られないよう注意しながら、歯を食いしばり、両手をぎゅっと握り締め、薄く目を開ける。
夜明け前、闇は深まりを見せていた。
<残り16人/32人>
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安東和雄
孤児院育ち。生谷高志らを殺害。優勝者報酬の生涯補償金を得、弟と一緒に暮らしたい。
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