OBR1 −変化− 元版


057  2011年10月02日03時


<木田ミノル>


 藪の向こうに見える三井田政信の表情は、普段とあまり変らなく感じた。 
 どこかにやけた印象を受ける、気の抜けた顔。だけど、彼なりに警戒心は持っているのだろう、先ほどミノルが立てた物音に気がついている風であるにも関わらず、近寄ろうとはしてこなかった。
 どうしよう、どうしよう。
 ミノルはだらだらと汗を流していた。額をつたい頬をつたい、首筋に落ちる汗。藪の中に隠れるために取った中腰の体勢のまま、流れる汗を手の平で拭き取る。

 震えるミノルの思考。その中で、ミノル はグループの中心だった楠悠一郎のことを考えた。
 楠悠一郎との関係は主従関係そのもので、ミノルは一方的に搾取され仕える立場だった。傲慢で残酷な、そんな男だった。
 
ほとんど無敵だと思っていた楠さんですら、もう死んじまった。
 俺は? 俺は生き残れる?
 ……まさか! 俺みたいな何のとりえもないヤツが生き残れるわけがない。力もない、頭も良くない、運動も駄目。友達もいない。……楠さん? あの人にとって俺はただのパシリだ。俺には友達なんて、いない。いなかった。
 取り得もなく、そのうえ、卑怯で卑屈で……。
 ああ、俺ってなんて情けないんだろ。こんな俺が生き残れるわけがない。

 頭を強く振り、落ちていく思考に喝を入れる。
 でも、でも、俺だって、死にたくなんか、ない!
 三井田。三井田、死んでくれよ。三井田なんて、勝手に死んじまえば、いい。俺の責任じゃないところで、死ねばいい。
 俺が仕掛けた罠にかかったら? ……それも、俺の責任なんかじゃ、ない。勝手に罠にかかって勝手に死んじまう三井田が悪いんだ。俺のせいなんかじゃ、ないんだ。

 と、ここで、藪の向こう、5,6メートル先に立つ三井田政信が一歩踏み出した。
 その拍子に、彼が両手にポンプ式のショットガンと小銃(黒木優子から奪ったワルサーPPK9ミリだった)を持っているのが見えた。
 それまでは藪に隠れて見えなかった政信の武器が見えたことで、ミノルの恐怖心はさらに増す。

 ごくり。
 震える喉に唾液を通し、ミノルは地面に落ちていた枝木を拾う。再び喉に唾液を通したあと、ミノルは自分の後方にその枝木を投げた。
 政信から見て、ミノルが隠れている位置よりもさらに先で、カサリと音が立つ。
 同時に、政信がはっと息を呑んだのが分かった。
 見ると、政信の視線は自分が隠れている茂みよりも遠い位置を向いていた。
 本来よりも離れた場所に隠れていると錯覚させるために枝木を投げたのだが、どうやらうまくいったようだ。
 後は身を低くして、三井田が罠にかかるのを待つだけだ。

 そうだ、そのまま進め。そして、トラップのラインを踏みやがれ。
 ミノルは下唇を舐め湿らせた。
 少し間を空けて、意を決したように政信が言った。「俺は、銃を持っている! 隠れても無駄だっ。それに出来るだけ俺は撃ちたくない!」
 彼の今の心境を素直に表した言葉だったが、ミノルには届かなかった。
 撃ちたくない? 嘘つけ。銃を二つも持ってるヤツが乗っていないわけがないじゃないか。
 身体をさらに低くし、銃撃に備える。
 撃つとしても自分が隠れている場所よりも後方を撃つはずだが、油断はできなかった。茂みの隙間から政信の様子をうかがう。

 一歩。政信が一歩踏み出した。さらに一歩。
 ミノルの心音のボリュームは天井なしに高まっていく。その華奢な身体は、瘧を起こしたようにぶるぶると震えていた。ここで音を立てては元も子もない、そう思い、必死で押さえようとするがうまくはいかない。
 助けて。助けて。
 誰か、助けて。
 人なんて殺したくないんだ。死にたくないんだ。殺したくない、死にたくない、殺したくない、死にたくない……。



 みんなみんな死んでいく。
 クラスメイトたちの顔が浮かんでは消えていく。自分が殺した香川しのぶと野本姫子の顔、恐ろしかった悠一郎の顔。
 そして、遅れて、筒井まゆみ(観光協会にて安東和雄を襲撃するも返り討ち)の顔が浮かんだ。
 彼女は先ほどの死亡者リストに入っていた。
 三年に上がる前に不良グループから抜けてしまった、かつての仲間だ。
 ……筒井も死んだんだ。
 政信の様子をうかがいながら、思う。
 何事もシンプルに捉え、行動する、さっぱりとした裏のない女だった。
 グループから抜けるときも、呆れるぐらいにあっさりと「じゃ、アタシ、抜けるから」と一言で離れていった。
 もちろん、摩擦は生じた。リーダーの悠一郎は、そういったことにペナルティを科すタイプだった。抜けた当初のまゆみには生傷が絶えなかったようだ。
 しかし、まゆみは動じなかった。

 その頃、彼女に、なんでそんなに頑張るんだと訊いてみたことがある。
 まゆみは、軽く笑って、「アタシはね、アタシのやりたいようにやるの」と言っていた。その表情があまりに自然だったので、ミノルも「強ぇ、オンナ」と笑って返した記憶がある。

 自分なんかじゃとても真似の出来ない生き方だった。
 結局、羽村京子が取り成すまで暴力は続いたけど、アイツはへこたれなかった。
 ほんと、俺なんかには真似できない。


 まゆみのことを思い出していたのはほんの一瞬だったが、プログラムに巻き込まれて以来忘れかけていた日常を見たような気がした。
 ……ろくな毎日じゃなかったけど、だけど、いいこともあったような気がする(具体的に思い出せないのが情けないけど)。俺はそこに、帰りたい。
 身体の震えが不思議なほど治まった。
 政信は、スピアトラップのラインの近くまで足を進めいている。
 後、少し、後少し……・。

 しかし、ここで、ミノルの思考にノイズが入った。
 目の前に、吐きもどしている自分の姿が見える。その傍らには、スピアトラップにかかり命を落とした三井田……いや、筒井まゆみの姿が。
 困惑。
 な、なんで? 俺は筒井なんて殺しちゃ、いない。筒井がこの島のどこで誰に殺されたかも知らない。なのに、なんで?

 遅れてミノルに嘔吐感が襲った。
 必死で押さえ込むが、喉元まで吐寫物があがってきたようで、口腔内にそれこそ「吐きそうな」感覚が走った。
 人を殺すことに身体がついていっていないのだ。
 
 まゆみの言葉を思い出す。「頑張る理由? そんなの、決まってる。アタシはね、アタシのやりたいようにやるの」
 筒井?
 まゆみの顔が再び脳裏に過ぎる。
 筒井、お前、何が言いたい?
 ……やりたいようにやる、やりたいこと、やりたくないこと。
 俺は生きて帰りたい。情けなくてぱっとしない人生だったけど、これから先、いいことがあるかもしれない。これまでにだってあったのかもしれない。そう、俺は生きて帰りたい。
 でも、人なんて殺したくないんだ。もう、吐きもどしたくないんだ。

 一歩。政信がまた一歩足を進めた。ほとんどラインの間際だ。その顔にはさすがに緊張感が張り付いていた。
 ああ、あいつも死にたくないんだ。そう、思った。

 そして、ゾッとした。今から自分がしようとしていることに。
 嘘、だろ。なんで……?
 なんでっ!

「危ない!」
 自分がどうしてそんなことをするのか。分からなかった。分からなかったが、とにかく。ミノルは隠れていた茂みを飛び出していた。
 途中、左の足首が痛み、ああ、そういや野本の死体を見たときに転んで足をひねっていたんだっけ、と思った。
 突然の展開に驚いて動けない政信を突き飛ばす。
 ラインを踏んだ感触はなかった。
 しかし、シュッと風を切る音がすると同時、ミノルは腹部に鈍い痛みを感じた。



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バトル×2
木田ミノル 
不良グループの使い走りをしていた。香川しのぶを殺害。