OBR1 −変化− 元版


055  2011年10月02日03時


<三井田政信>


 午前3時、北の山のふもと、雑木林を静かに進む影があった。
 位置としては、農機具倉庫から北東に一キロ強。
 その影は、優子の「一番近くにいる生徒の居場所を教えて」に対して「北に一キロほどの所に」と鬼塚が答えた生徒だった(つまり一回目の質問に対し、鬼塚は「嘘のカード」を使わなかったことになる)。
 鬼塚が答えた頃よりも多少の時間を経て、東へ数十メートル進んでいるその生徒の名は……、三井田政信
 頭に巻かれた白地のタオルの下にのぞくテンパ気味の髪、目じりの落ちる細い目、にやけた印象を与える口元。そのひょろりとした長身の体躯を覆う服装はスタート時から変っておらず、やや着崩した制服姿のままだった。
 ディパックは肩がけされ、右手に支給武器のショットガン、左手に優子から奪ったワルサーPPK9ミリを握っていた。

 政信が進む道は、雑木林の中をうねうねと走る未舗装の林道だ。
 たいして人の手も入っていないので、ところどころ樹木の太い根が地面から顔を出し、大きな石や岩がそのままにされ、ひどく歩きにくい。
 ほとんど唯一「真面目」に取り組む部活、バスケットボール部の練習で鍛えているとはいえ、軽い疲労を感じつつあった。
 睡眠は取っている。
 他の生徒が他の選手の襲撃に脅え、眠れない夜を過ごしている中、政信は十分な休養を取っていた。
 眠っている間に誰かに襲われて死んだら……?
 もちろん、懸念はする。
 しかし、歩みを進めながら、政信は笑みを浮かべるのだ。
 ……そんときは、そんときっしょ。
 思うのは、「出来るだけ痛くなく殺して欲しいな」ということだけだった。
 痛くなく死ねるのなら、それとは感じずにこの世界からいなくなるのなら、それはそれでいいのかもしれない。

 でも、ま、出来れば死にたくないんだけどさ。やりたいことだって、あるんだけどさ。

 政信は生まれ持った性質ゆえか、このプログラムにさほどの現実味を感じていなかった。
 撃たれれば、刺されれば、痛い。
 相手だってそう、俺だってそう。……そんなことは分かっている。
 右手のショットガン、左手のワルサーPPK9ミリを交互に見比べる。
 例えばこれから先誰かを殺そうとしたとき、ショットガンを使えば、その誰かはハデに壊れてしまう。俺はきっと、命のやり取りに現実味を感じてしまう。そんなのは嫌だ。俺はまだこのままで、いたい。
 でも、この小さな銃なら? 黒木から奪ったこの小さな銃なら?
 きっと相手の損傷は、そんなに大きくないだろう。
 なら、大丈夫だ。なら、俺はまだ俺らしくいられる。

 政信は血の気が苦手だった。
 目の前で誰かの命が壊れていく所なんて見たくないと考えていた。
 しかし、誰かを殺さなくては生き残れないのなら、クラスメイトを殺さないと生き残れないのなら、それはそれで仕方のないことだとも、思う。
 ただ、生き抜くために「真面目」に戦おう、などとは少しも思わなかった。

 殺して回るのは出来る限り他の誰かに任せて、最後の最後、その誰かとてきとーにバトって……、勝てばそれでよし。負けたら……。あんま考えたくないけど、負けたら、世界が「三井田政信」というカケラを失うだけだ。


 世界のカケラ。
 ご贔屓にしてる漫画の主人公のセリフの一つに、政信のお気に入りがある。
 近未来の中南米。テロ組織と戦う主人公たち。時には相手方の兵士をも、殺す。
 とある場面、戦闘の後、敵の兵士の死体を前に主人公の少年が思考する。
『僕がまだ小さかったころ。世界は僕のものだった。15歳になった今、自分は世界が作ったカケラの一つでしかない事に僕は気付き始めている。僕はささやかで、なんの力もない。でも、もし、僕が死ねば世界は確実に「カケラ」の一つを失う。僕はまだ、世界の一部でありたい。壊れてちらばってしまいたくない…』
 友人の西沢士郎(生存)の漫画で、政信のものではないが、彼の部屋で何度も何度も読み返しているのでほとんどそらで覚えている言葉だった。
 なんとなく気に入っていただけの主人公の台詞が、今の政信には染み入る。
 漫画の主人公、カルも15才の設定だった。

 カルは俺と同い年で戦場に身を置いていた。俺も、プログラムに巻き込まれ、戦場にいる。
 ……ああ、俺ってば、漫画の主人公みた……いだ。

 ふっと思う。
 だから? 漫画みたいだから? クラスメイトと殺しあうだなんて、そんなことが自分の身に降りかかるだなんて、とても思えないから? だから、俺はプログラムにあまり現実味を感じない?
 政信はぶんぶんと頭を振った。
 間違えるな。これは現実だ。
 でも、きっとカルも、「なんで、僕はこんなことやってるんだろう」と考えながら、敵の兵士を殺しているはずなんだ(カルがそんなことを考える場面は出てこないけど)。
 死にたくないから。生きたいから。だから、カルは戦う。
 ……じゃぁ、俺は?
 俺は、カルほどには、強く生きたいとは思えない。
 けど。けど、だけど、やっぱ、俺はまだ世界のカケラ、世界の一部でありたい……。

 カルを思い出したことで、西沢士郎のことを思い出した。
 万時にいい加減な政信は、ともすれば友人を苛立たせてしまうところがあったが、彼は粘り強く親交を続けてくれていた。外見は、鋭い瞳をした二枚目で、いっそ冷たささえ感じさせるクールな容貌なのに、どこかのん気で穏やかな男だった。
 そこだけを見れば、同じバスケットボール部の矢田啓太と同じような質なのだが、真面目一方な啓太とは違い、夜遊びや女遊びも好きで、放課後よく二人で街に繰り出したものだ。
 その士郎はまだ生きている。
 死ぬ前に、もう一度会いたいな……。
 ふっと思う。


 と、ここで、あるものを目に留め、政信は立ち止まった。
 雑木林の中を走る未舗装の林道。ここらは木々がそう生茂っているわけではないので、月光がそれなりにあたりを照らし明るいのだが、その月が薄い夜雲に覆われつつあるせいか、それでも足元が暗い。だが、「それ」ははっきりと視覚できた。
「これって……」
 林道の両脇はずっと丈の高い茂みに覆われていたのだが、その一部に比較的新しい踏み分け道があったのだ。
 意を決し、茂みの中にスニーカーを履いた足を踏み入れた。
 すでにその誰かに倒されていた野草にさらに力が加わったせいか、青臭い草の匂いがあたりに漂った。



 五分後。高木、低木が入り混じった雑木林。政信は、野本姫子(木田ミノルのトラップにかかり死亡)の死体を前に立ちすくんでいた。
「お嬢……」
 かつて、姫子と付き合っていたとき。裕福な彼女の家と名前の符号がおかしくて、からかって呼んでいた愛称だ。
 姫子は、血だまりの中、身体を横たえて死んでいた。その腹部から後背にかけて太い杭のようなものが突き抜けており、政信は「モズのハヤニエ」を思い出してしまい、顔をしかめた。
 膝を付く。
 柔らかい腐葉土なので流れ出た血の大部分は地面に吸い込まれたのだろうが、それでも姫子の死体の周囲には血が残っており、政信の膝には濡れた感触が走った。
 そう言えば、さきほど放送で流れた死亡者リストにお嬢の名前があった。
 そのときは、「ああ、あいつも死んじまったんだな」としか思わなかったのだが……。
 もちろん、一時は付き合い、身体を重ねることも多々あった女だ。その死は他のクラスメイトと並列ではなかった。

 しかし……。
 政信は黒木優子のことを考えていた。
 そう、黒木だ。あいつのインパクトが大きすぎて、お嬢の存在が霞んでしまっていたんだ。
 つい何時間か前に「バトった」クラスメイトの顔。
 少し赤茶けたふわふわの長い髪。一重だけど愛嬌のある瞳。そばかすもチャーミングだった。教室での彼女はさほど可愛いとも思えなかったのだが、プログラムが開始し数時間。黒木は輝いて見えた。
 それはきっと、彼女が必死だったからだろう。真面目だったからだろう。
 黒木は真面目に、なりふり構わず生きようとしていた。
 ときには身体を使うことも厭わず、ときにはその持てる知識を振り絞って。
 そんな彼女は、政信の目には「さいこーにカッケー女」として映っていた。
 あの場面、殺そうと思えば優子を殺すことは出来た。
 だけど、それはもったいない。彼女にはまだ、世界のカケラでいて欲しい。そう思ったのだ。

 日頃の政信はいい加減を絵に画いたような男だったが、真面目に頑張る者を評価する……プログラムに関しては、ことが殺し合いだから評価すべきではないのかも知れないけど……だけの度量は持っていた。
 それは、部活動、バスケットに関しては、政信自身真面目に練習に励んでいたからだろう。
 そんな政信だったからこそ、日頃の行いの悪さをしても、仕方のないヤツと親しまれていたのだ。


 
 政信は、思う。
 黒木優子はまだ生きている。さきほどの死亡者リストには載っていなかった。
 俺もまだ生きている。
 俺たちはまだ世界のカケラ、だ。
 だけどここに、世界のカケラであることをやめてしまった女がいる。壊れてしまった世界のカケラが、ある。
「ごめんな」
 死体には簡単な弔いの後があった。理由も無かったが、政信は士郎がやったのではないかと考えた。
 刺さった杭は抜かれていなかったので、苦労しながらも姫子の死体から杭を抜き取る。
「ごめんな」
 俺、お前のこと、悲しまずにいるとこだった。
 最後に彼女を見やり、ハンカチをその顔にかけてやった。
「ごめんな」
 手をあわせる。

 もともと、互いのことを好きあっているかどうかよく分からない付き合いだった。さほどの時間をかけずに別れてしまった付き合いだった。身体だけ、SEXだけで結びついているような付き合いだった。
 だけど、その死は、やはり悲しいものだった。
 姫子の制服のジャケットを少しずらし、ネクタイをほどき、抜き取る。
 政信の手の平が、乾ききっていなかった姫子の血で濡れた。

 自分のネクタイはすでに外してあった。
 政信は、カッターシャツのボタンを外し大きめに開いていた首元に姫子のネクタイを巻いた。
 首に一重。余った部分は胸元に垂らした。
 これは、そう、ちょっと太めのチョーカー。どうだいお嬢。似合っているかい?
「ひひゃはっ」
 得意の下卑た笑みの後、一瞬硬い表情を乗せ夜空を見上げた。
 折り重なった梢の先、うす雲に覆われつつある月。
「ごめんな」
 俺、お前の仇を討とうだなんて思えない。お前を殺した誰かを憎めない。
 だって、きっと。きっとその誰かも真面目なんだ。きっと真面目に生き抜こうとしてるんだ。
 だけど……。

 政信の頬に一筋、一筋だけ、涙のあとがついた。
 そして、思う。……願う。

「神様……」
 神様。
 俺はまだ世界のカケラでいたい。俺は俺らしく、いい加減に、てきとーに、生きていたい。
 分かってます。クラスメイトを殺さなくては、そんなささやかな願望すらも叶わない。
 けど、でも、やっぱ、誰かを壊したくはない。
 お嬢みたいな壊れたカケラを作りたくはないんです。……だめですか?


 我ながら、「らしく」ない。
 そう思う。いつもの俺なら、決してこんなことを考えたりはしない。
 もっといい加減に。もっとてきとーに。それが、俺だ。いや、「てきとーな」俺だからこそ、そのときどきの感情でゲームに乗ろうと思ったり、乗りたくないと思うのかもしれないな。
 政信は苦笑とともに立ち上がった。


 そんな政信の背後、雑木林の木々の影には、脅えた眼をした木田ミノルの姿があった。
 政信はまだ気がついていない。



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バトル×2
三井田政信 
バスケットボール部。いい加減な性格。クラスの女子とも複数交際している。黒木優子を襲おうとしたが、機転を利かされ退けられた。