OBR1 −変化− 元版


054  2011年10月02日02時


<津山都> 


 津山都はあぜ道を北に向かい、確かな足取りで歩いていた。
 右手には田畑が広がっているが、このあたり(Fの2エリア)はちょうど休田期らしく何も栽培されてはおらず、月明かりがその乾いた色を浮かび上がらせている。
 また、あぜ道の逆手にはゆるやかな土手があり、そのうえに登らずともあぜ道を併走する用水路が見てとれた。
 耳をすませば、りり、りりりと虫の音(ね)がする。
 都はふっと「秋なんだな」とこの状況下では異常とも言えるほどのん気なことを考えて、「それどころじゃない」と首をすぼめた。

 部活動、空手部の決まりだからというわけでもなく、ここ数年耳にさえかけたことのないベリーショートの髪型。その髪型と雄々しささえ感じる男っぽい顔立ちとが相まって、彼女を少年のように見せていた。
 気も強く、男勝り。
 そんな性格のせいか、その容貌のせいか、口の悪い連中からは「オトコオンナ」とからかわれるのもしばしばだ。

 ここで都は振り返り、「大丈夫? 少し休もうか」と斜め後ろをぼつぼつと歩く一人の少女に声をかけた。
 聞こえているのかいないのか、その少女……結城美夜は、あやふやな笑みを返してくるだけだ。
 日頃から口数の少ない彼女だが、合流してから後(のち)、会話らしい会話すらしていない有様だった。
 万事にこの調子でコミュニケーションはあまり取れていないが、都は美夜の様子から彼女は安全だと考えている。
 美夜の服装はまったくといっていいほど乱れておらず、もちろん返り血のようなものもついていない。支給武器だろうか、着物を着た少女体の人形を脇に抱えているが不気味といえば不気味だが、まず安全だろう。

 実は、つい先ほどまで、都は恐怖に震えていた。遠く聞こえる銃声に脅え、何でもない物音に脅えていた。
 しかし、今は落ち着いている。
 それは、守るものができたからだろう。
 できれば、友人だった越智柚香らを守りたいところだが、この際贅沢は言えない。
 
 もっとも、都は「誰かを守る」というその感情の源泉が善意にはなく、自己満足にあることを理解していた。
 ……分かってる。
 私は生きる力を奮い起こすために、誰かを守るという感情を利用しているだけだ。
 でも、それでも、私は生きることを選べた。
 理由はどうあれ、私は生きようとしている。
 これって、大事なことだと思う。どんな状況でだって、自分から生きる可能性を潰しちゃいけないんだ。今だから、生きる力を取り戻した今だから思える。和田、あんた間違ってたよ……。

 都は日頃親しくしていた女の子たちの生き残り、飯島エリや越智柚香(ともに北の集落の教会)のことを考え、今一緒にいる結城美夜のことを考え、そして、和田みどり(入水自殺)のことを考えた。



 都はプログラムが開始してからしばらくは、島の西岸にある砂浜の浜小屋の陰で震えていた。
 日頃は気の強い都だが、スタート地点となった分校の教室の中で担任の高橋教諭の死体を間近に見てしまった精神ダメージは根深く、その恐怖から抜け出せなかったのだ。
 また、支給武器が栓抜きであったことも少なからず影響していた。
 こんなものでどうやって身を守るんだ。そう思い、震えていた。
 そしてスタートから数時間がたち、白々と夜が明けたとき、彼女の目に飛び込んできたものがあった。
 浜小屋から10メートルほど先の砂浜に、一人の少女が立っていた。
 165センチと女子生徒にしては背の高い都と同じぐらいの身長、首筋のあたりで一本にまとめられた艶のある長い髪、凛とした雰囲気のある横顔……それは、和田みどりの姿だった。

 いつの間に!
 プログラム開始以来初めて見たクラスメイトの姿に、少なからず恐怖心を跳ね上がらせた都だったが、よくよく見るとみどりの様子はおかしかった。
 彼女は砂浜の波打ち際に立ち、唇を噛みじっと海を見据えてた。
 その横顔にただならぬ決意が見え、彼女から目を離せないでいると、みどりはすっと深呼吸をした。
 そして、ゆったりとした足取りで海の中へと進んでいったのだ。

 都は目を見開き、みどりが海の中へと消えていく様子を見つめていた。
 自殺しようとするみどりを止めようと考え、いやこれで一人選手が減ると考え、そんな卑劣なことを考えた自分を恥じ、様々な感情の濁流に呑まれながら、見つめていた。
 みどりが海に消えたのちは、そんな感情も途絶え、白波の立つ海面をただ見つめていた。
 (この際、近くに野崎一也がいたのだが、岩陰だったため、その存在に都は気がついていなかった)

 そして、数十分後、午前6時の初めての定時放送の死亡者リストに和田みどりの名前があがったのを聞き、我を取り戻した。

 彼女、死んだんだ。
 まるで映画を見ているような感覚、錯覚に陥っていた都は、放送により現実の世界に引き戻された。
 その後に彼女を支配したのは、奇妙な納得感だった。
 みどりが自ら命の幕を引いたことに「彼女らしさ」を感じた。
 和田は、凛々しくあることを選んだんだな。
 このプログラムで人間らしくありたいと思えば、自分から死ぬことが一番だ。そうすれば、誰を殺すこともないし誰に殺されることもない。
 本当に彼女らしい結末だった。
 ひそかに私が憧れ嫉妬していた彼女らしい、その最期だった。
 和田は誰も殺したくないから、自分から死んだんだ。
 それは、私には、膝を抱え震えることしかできなかった私には持てなかった勇気だ。
 ああやっぱり、私は和田には敵わない……。


 その立ち振る舞いから男扱いされる機会の多い都だが、実はそのことに少なからず悩んでいた。
 自分だって女の子だという思いを持っていた。
 もちろん、そのサバサバとした気性や気の強さは元来のものだが、だからと言って男扱いされることをこころよく思っているわけではなかったのだ。
 この短い髪がいけないんだと、髪を伸ばそうと考えたこともある。
 しかしそうすることで、更にからかわれそうな気がして踏み切れなかった。

 そして、和田みどりもまた自分と同じように皆に思われていることを知っていた。
 たとえば、二年の体育祭のときに都とみどりは赤組白組の応援団長を務めている。
 神戸五中の体育祭では、二年の体育委員の中から一人づつ応援団長を選出するのが伝統だが、もちろん通常は男子生徒がする。しかし、何の冗談か当時体育員だった都がまず選ばれてしまった。
 その後「どうせなら対組も女子生徒に」ということで、みどりに白羽の矢があたったのだ。
 また、悪乗りした実行委員が、他校から学ランを借りてくる手はずまで整えてしまった(神戸五中の制服はブレザーだ)。

 このときの都は、これを本当に嫌だと思った。
 ただでさえ男扱いされているのに、なんでこんなことを。そう思った。
 だが、周りが見る「都のイメージ」は、応援団長を務める彼女であり、こころよく引き受ける彼女だったので、「おお、任せな」と答えるしかなかった。
 男扱いされることを嫌がりながらも、周りから見られているイメージから離れることもできず、結局は「男っぽく」演じるという矛盾。
 この矛盾が彼女を悩ましつづけていたのだ。

 みどりと言葉を交わしたのは、打ち合わせのときが初めてだった。
 このとき、みどりの太いきりりとした眉やそのハキハキとした物言いを見て、都はさもありなんと思ったものだ。そして、この子はどうなんだろうと考えた。
 この子は、男扱いされることをどう考えているんだろう。嫌なんだろうか、それでいいと思ってるんだろうか……。
 都の疑問に、みどりは自分から答えてきた。
 打ち合わせの席でみどりは「ああ、また男と縁遠くなっちゃうねぇ」そう言ってクスリと笑みを漏らしたのだ。また、その後に彼女は「でもま、応援団長ってのも面白そうだし、頑張って体育祭を盛り上げようね」と続け、唇を真一文字に結んだ。

 応援団長を務めることでますます男扱いされることを懸念するみどりだが、引き受けた任に責任を持って取り組もうとするその表情は清々しく(すがすがしく)見えた。
 このみどりの言葉や表情に、都は激しく心を乱された。
 ああ、ホンモノだ。
 この子は私みたいにマガイモノじゃなく、本当の凛々しさを持っている。
 そう思い、意に反し凛々しさや男っぽさを演じている自分を恥かしく思った。

 その後三年にあがったときに、思いがけずみどりと同じクラスとなった。
 いつだったか、仲間の尾田美智子(黒木優子が殺害)や黒木優子らとプログラムについておしゃべりをしているみどりを見かけたことがある。
 プログラム対象クラスに選ばれたらどうするかという、この世代の子どもたちなら一度はしたことのある話題だったが、彼女は「戦う。襲われたら戦う」と答えていたような気がする。
 しかし、彼女は自ら死ぬことを選んだのだ。
 それはたしかに都には持てなかった勇気で、そのことを都は眩しく感じた。
 ああ、やっぱり彼女には敵わない。そう思った。



 都は後ろを振り返り、結城美夜の青白い顔を見た。

 守るもの。私には守るものができた。生きる意味ができた。
 和田、私はさ、あんたにずっと憧れていたんだ。私みたいにマガイモノじゃないあんたに憧れていたんだよ。
 けどね、最期の最期、あんたは間違った。
 どんな状況でだって、生きる可能性を自分から潰すなんて間違ってるんだ。
 ほら、私にだって生きる意味ができた。マガイモノの私にだって生きる意味ができたんだ。
 もったいないよ。
 ホンモノのあんたなら、私以上の意味ができたはずなのに。そう、自分から幕を引いちゃいけない。生まれてきた意味を自分から潰しちゃいけなかったんだ……。

「さ、行くよ」
 美夜に声をかける。
 目的地は北の集落で、すでに大分近付いている。
 そこには、かつて都が憧れていた和田みどりにも似た表情、凛々しさに満ちた表情がのっていた。




<結城美夜>


 ニイィィィ。
 美夜は前を歩く津山都の後姿を凝視し、唇の端をゆがめた。
 制服を着た華奢な身体に、眉上で切りそろえられた前髪の下の黒目勝ちな大きな瞳、そして透けるような青白い肌。その全てに狂気が見え隠れしているのだが、幸いなことに津山都には気取られていない。
「ねぇ、み、や、こ」
 脇にしっかりと抱えた着物を着た少女体の人形を見つめ、一言一言区切るように美夜は言う。
「今気がついたんだけどね。この子、あなたと同じ名前なの。ねぇ、どうするの? 生意気だから殺しちゃう? それともお姉さんにする?」
 しかし、美夜子……彼女が「美夜子」と名づけた人形は困ったような表情を浮かべるだけだった(少なくとも美夜はそう思っていた)。美夜はこれを「美夜子は今は他のことに力を使っているからで、今は何かを考える余裕がないんだ」と考えた。

 数時間前の定時放送の死亡者リストに、呪殺を願った重原早苗(黒木優子が騙しうち)の名前があった。
 美夜は思う。
 すごい、すごい。
 やっぱり、美夜子の力は本物だ。美夜子には美夜の大嫌いな子たちを殺す力があるんだ。
 今は……、そう、羽村京子を殺すことに力を使っているのね。そうなのね。

 ううん。いいのよ、それで。美夜子は私のために頑張ってくれればそれでいいの。
 とりあえず、この「ミヤコ」はあなたのお姉さん。だって、この子も美夜子と同じように私のことを守ってくれるって言うんだもの。
 ううん。もちろん、私には美夜子だけよ。安心して。美夜子が生意気だって言うんなら、私が殺してあげてもいい。
 だから。だから、あなたは羽村京子を殺すことに集中しててくれればいいの……。

 ……殺して。ね、殺して、美夜子。
 殺して、殺して、殺して。殺して、羽村、殺して、京子、殺して、殺して、殺しっ、殺して、殺してっ、殺して、殺して!

 ニイィィィ。執拗(しつよう)なほどに羽村京子の呪殺を願いながら美夜はその目を細め、うす笑いを浮かべた。



<残り19人/32人>


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津山都
体育会女子グループ。野崎一也とも親しい。