OBR1 −変化− 元版


052  2011年10月02日02時


<野崎一也> 


 一也は、雑木林の中をうねうねと走る幅二メートルほどの林道を懸命に駆けていた。
 四方に目を配り、針葉樹を両側に従える未舗装の道を走り抜ける。
 体育祭のクラス対抗リレー選手に選ばれることはないが、補欠程度には滑り込める足だと自認している。
 比べて、追走者の藤谷龍二の運動神経は、お世辞にもいいものではなかった。マラソン大会や体育の時間のジョギングで、重い足音を立てて走る姿を何度も見たことがある。
 一瞬、「このまま逃げ切れるか?」と昂揚するが、背後から聞こえる銃声が意気を切り裂く。

 ゾッとした。死を身近に感じた。
 死ぬのか? 俺は死ぬのか?
 圧倒的な恐怖。次第に身にまとう空気が重い水のようになって、思うようなスピードが出なくなってくる。息が乱れ、喉元からひゅーひゅーと風を切る音が漏れた。
 死ぬ! このままだったら、俺は死ぬ!
 全身の毛穴が開き、こめかみのあたりに痛みが走る。
 噛みあわない歯と歯が、ガチガチと音を立てた。
 プログラム開始以降、一也の身体にまとわりついて離れなかった恐怖感。ここに来て、耳元で奇声を放ち始めた恐怖感。

 恐怖感とともに心を抉る(えぐる)のは、自己嫌悪の感情だった。
 先ほど、生まれて初めて銃を撃った。
 反動は予想以上で驚かされたが、それ以上に驚いたのは、銃を使うことにさして拒否感を持たない自分自身だった。
 撃たれたから? 目には目を? ああ、ほんと、ロクでもない!

 潮の香りが鼻先を掠めた。
 右手数十メートル先、落ち込んだ崖の向こうには、黒々とした海が広がっているはずだった。
 打たれた肩口を抑えながら林道を出、向って左手の藪の中へを分け入る。
 振り返ると、分け入ったあとが月光によって明らかにされており、木葉に落ちた血もまた、月光を受けテラテラとねびた照り返しを放っていた。
 また、このあたりの木々や藪は薄く茂っており、身体を隠すには至らない。
 それでも……一也は走った。とにかく走った。
 木立の間を抜け、坂を下り、四肢を使って斜面を登った。

 しかし、藤谷の気配が消えることはなく、今の自分が追われる立場であることを思い知らされつづける。
 ああ、駄目だっ。戦うしか、ない。そう思った瞬間のこと。
 横道から何か黒い塊が飛び出してき、一也は派手に衝突してしまった。
 その衝撃に視界が点滅する。
 また、尻餅をついた拍子に、コンバットマグナムを落としてしまった。

 失ったのと同じスピードで回復した視界、登り勾配になっている斜面を背に座り込んでいるのは一人の女子生徒だ。
 お互い尻餅をついているので今は身長をはかりにくいが、それでも痩せ型の一也と比べて一回りは大きく見える大柄でがっしりとした体躯、軽くウエーブを描く長い茶色の髪、くっきりとした眉の下で強い光を放つ瞳……。
 それは、普段からその素行の悪さで有名な羽村京子だった。
「痛ってぇな! 何すんだよっ」
 あちらにも不意の衝撃だったらしく、顔をしかめながら罵声を浴びせてくる。
 再び怒声を上げようとした京子に、「そんなことより!」一也は後ろを振り向き、指差した。
 藤谷は、もうかなり近いところまで来ているはずだった。
 慌てていたため必要な情報を口に出せなかったのだが、京子には伝わったようで、思いがけず落ち着いた口調で「ああ、さっきからドンパチやってたの、あんたか」と返された。


 藤谷龍二は一也が考えていた以上に接近していたようだ。
 京子が言葉を返すのとほとんど同時に、藪の中から姿をあらわした。
 そして、未舗装の林道に折り重なるように座り込んでいる一也と京子の顔を見比べ、「……ちくしょう、野崎まで女連れかよ」妬ましげな目で見てくる。
「なっ……」
 一也は驚きの声をあげた。
 藤谷龍二には温和な印象、穏やかな印象しかなかったので、ゲームに乗っていること自体がすでに驚きだった。
 しかし、女の子とどうこうというイメージこそ彼にはなく、その種の事柄に羨望の眼差しを向けてくるとは予想もつかなかったのだ。「野崎まで」というのは、いったん別れた中村靖史木沢希美カップルのことを指し、今一緒にいる(と言ってよいか分からない状況だけど)羽村京子のことを指しているのだろう。
「藤谷、どうしたってんだよ! なんでお前がっ」
 本当に、本当に信じられなかった。

 しかし、龍二は答えず、ぶるぶると震える手で拳銃を向けてきた。
 その間、10メートルほど。
 すぐ脇にいる羽村京子の存在も勿論気になったが、とにかく今は藤谷龍二、だ。
 茂みから、ごつごつとした上半身を覗かせている龍二の顔を見つめ、ごくり、喉にゆっくりと唾液を落とした。


 と、「あいつ、やばそうだね」一言、羽村京子が立ち上がり両足でしっかりと地面を踏みしめたかと思うと、龍二に銃を向けた。
 一也が持っていた拳銃、コンバット・マグナムとはまた違う、銃身の延びた猟銃のような……。
 ……えっ?
 ここで、一也はわが目を疑った。
 何の冗談だ、と思った。
 羽村京子の握る銃の銃身が、どう見ても「おかしかった」。

 普通の銃の銃身は、まっすぐ先に延びている。そう、それが普通だ。
 だけど、京子の持っている銃は、「銃身がL字型にまがっていた」。
 銃身が手元から先、残り三分の一ぐらいのところからぐにゃりと曲がっていたのだ。
 この銃口があさっての方向を向いた銃を使いこなすために、京子は龍二に背を向け首だけを振り返らせる形で、狙いをつけている。
 狙いは肩越しにつけてはいるがとにかく扱いにくそうだったし、何よりも暴発の危険性が気にかかった。
 あんなのの引き金を引いたら暴発するんじゃないのか? そう、思った。

 一也の動揺を知ってか知らずしてか「拾って」龍二を睨みつけながら京子が小声で囁く。
「えっ?」
「ほら、早く自分の銃を拾いなって!」
 京子の迫力に首をすぼめながらキョロキョロとあたりを見渡したが、どこに落としたのかコンバット・マグナムが見当たらない。
「ちっ、役に立たない男だね! 早く見つけろよ」
 役に立たないってなんだよ……。
 厳しい言葉に多少なりともグサリときたのだが、そんな一也の様子に頓着する事なく「警告! 一歩でも動いたら、あんたを撃つよ!」京子は龍二に気勢を吐いた。

 脅しつけることで、一也が銃を拾う時間を捻出しようとしているのだろうが……。
「羽村っ」
 そんな先の曲がった銃じゃ、意味がないって。
 一也が言おうとした瞬間、藤谷龍二がヒステリックな笑い声を上げた。
「ばっか、そんな銃で撃てるかよ! 暴発して勝手に死んじまえっ」
 これに、京子が「そんなの、撃ってみなきゃわかんねーだろ!」焦り声で返す。
 それは無理があるよ。
 そんな銃の引き金を引いたら、暴発するに決まってる。
 こりゃ駄目だ、早くコンバット・マグナムを見つけなきゃ。
 一也がそう思い、目線を地面に落とした瞬間。
「撃つよっ、伏せて!」
 ドンッ。劈く(つんざく)ような銃撃音があたりに響いた。同時に空気がびいいんと振動する。
 それは、至近距離、羽村京子が握っていた先の曲がった銃から出た音だった。
 濃い火薬の匂いが一也にもとどく。



 どきどきと胸が鳴った。
 恐る恐る目豚を開けると、銃を撃った衝撃におされた京子が再び尻餅をつき、座り込むところだった。
 相当な反動だったらしく、身体を仰け反るようにしており、スカートの裾がまくれあがっていた。

 生きてる!
 驚く一也に京子は全く頓着しなかった。そして、「ほんっとに撃てるんだ、この銃」聞き捨てならないセリフ吐く。



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