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051
2011年10月02日02時 |
<野崎一也>
始めは、倒れた木の幹に見えた。
用心のため懐中電灯の灯かりを落としているので月明かりだけがたよりという暗寂の世界、一也らが進む小道の10メートルほど先に何か大きなものが倒れていた。
「あれって……」
隣りを歩く中村靖史に訊くと、靖史は無言でうなづいて返した。
島の北側は、海に落ち込む切り立った崖になっていた。
一也らが歩いているのは、その海岸線に沿うように走っている小道だ(Bの6エリア)。
北の山の裾野から延びる雑木林が道の左側に大きな陰を作っているが、逆手、海側は柴のような低い草が覆っているだけの爽やかな光景で、こんなときでなければ、格好の散歩コースのようにも見える。
隠れていた平屋を含むポイントを禁止エリアに指定され、移動することとなった一也たちだが、話し合った結果、この海岸線沿いの小道を伝い、北の集落へと向うことにした。
特にあてがあるわけではないが、ほんの二時間ほど前にした銃声(観光教会で安東和雄が筒井まゆみを撃った音だった)は南東から聞こえた。
安全を第一に考えると、北西に進むのが妥当だと思えたのだ。
しかし、目の前に横たわる「それ」が、この島に安全な場所などどこにもないことを告げる。進むごとにはっきりと見えてくるのは、誰かの亡き骸だった。
制服を着ている。男子だ。仰向けに倒れている。血溜まりも出来てる。
ちょっと小柄な感じ。
ここで、一也の心臓が軽くジャンプした。
小柄な男子といえば、仲間内では幼なじみの生谷高志(安東和雄が殺害)だ。高志はすでに放送で名前を呼ばれた。
もしかしたら……。
だが、その亡き骸は高志のものではなく、小島正(西沢士郎と一緒にいたが、野本姫子の死に驚いて遁走)のものだった。
一也はここでほっと息をついた。
もちろん、高志の亡き骸に手を合わせたいという思いはあるが、亡き骸に手を合わせるということは、彼の死を現実のものとして受け入れることに他ならなかった。
死体を見ない限りは、高志の死に現実味を感じなくてすむ。
一也はそう思っていた。
おくれて、一也は小島正の死を悼んでいない自分を恥じた。
「ごめん、小島」
謝罪のあと、握っていたコンバット・マグナムを小石交じりの地面に置き、手を合わせる。
死体に近付くと、それまでは磯の香りに打ち消されていた、鉄臭い血の匂いが強くした。
横で中村靖史と木沢希美カップルも、神妙な面持ちで手を合わせている。
正の遺体は、ひどいありさまだった。
誰かに繰り返し撲られたのだろう、顔中が腫れあがり青あざがいくつも出来ている。
どんよりと虚空を見ている瞳はすでに濁っており、男にしては長いまつ毛の先には細かな血玉が固まりついていた。
左側頭部から血が大量に流れた痕があって、出血元らしき部分に手を当てるとぐにゃりと柔らかい。どうやら頭蓋が割れているようだった。
正の傍らには血のこびり付いたこぶし大の石も落ちていた。
全ての打撃痕がこの石でつけられたかどうかは分からないが、側頭部への一撃はこの石で行われたようだ。おそらくこの左側頭部への打撃が致命傷になったのだろう。
小島正は、同じサッカー部の西沢士郎(生存)や、ハンドボール部の田岡雄樹(集団自殺)などと親しくしており、一也とはほとんど交流はなかった。話したのも数度程度だろう。
「気をつけて……」
正は、つい先ほどの定時放送までの死亡者リストに名前があがっていなかった。
この数時間に命を落としたのだ。彼を襲った者はまだこの近くにいると見ていいだろう。
正の遺体を整え、立ち上がる。
そして、注意深く周りを見渡した瞬間、一人の男子生徒の姿が目に飛び込んできた。
大柄でもっさりとした体躯、丸く刈り込まれた頭、大ぶりの鼻。
靖史と同じ写真部の藤谷龍二(ふじたに・りゅうじ、ほぼ新出)だった。
龍二は、一也らが進む小道の左側10メートル先、潅木に覆われた斜面に立っていた。あちら側が高部になるので見下ろされている感じだ。そして、その手に銃を握っていた。
一也の視線を追った中村靖史が、龍二の姿を認める。
ごくり。靖史が唾液を喉に落とす音が聞こえた。
「中村ぁぁ」
藤谷龍二が口を開く。ひどくしゃがれた、いつもとは別人のような声だった。
表情も大きく違う。日頃の龍二なら、もっとおっとりとした表情をしているはずだった。もちろん、プログラム進行下、普段通りにしていられるはずもないのだが……。
「ねぇ、藤谷くんの手、見て」
木沢希美が囁く。
言われて気がついた。藤谷龍二は左手に銃を持っており、そして、その逆手、右手の甲のあたりに鉄製らしい突起物が見えた。
あれは、ナックルか何かか?
丸みを帯びたフォルムを持った、指の握り山を覆う打撃用の武器だ。一歩、龍二が足を進める。その拍子に、手の甲のあたりに月光があたり、それが何であるかはっきりと浮かび上がる。
やはり、ナックルだ。しかも……。
「血だよな、あれって」
ナックルは薄いグレーの着色を受けていたが、そのほうぼうに赤黒いものがべっとりとこびり付いていた。
足元に横たわる小島正の遺体に視線を落とす。
小島は撲られて死んだようだ。ならば……。
一也は、正の遺体に手を合わせるために地面に置いていたコンバット・マグナムを、震える手でゆっくりと拾い上げた。
やったかどうか、聞くまでもなかった。
「藤谷、なんでお前が」
靖史が苦悶の表情を浮かべながら言う。一也自身は藤谷龍二とはさほど交流がなかったが、同じ部活をしていた靖史はごくごく親しくしていた。日頃親しくしていた友達に銃を向けられる。それは、たしかに痛みを伴う事実に違いなかった。
*
一瞬の空白。
その後にバンッ、バンッと、クラッカーのような音が二度したかと思うと、一也の肩口に鈍い痛みが走った。
「ぐっ」
「野崎くんっ」
木沢希美が放つ短く切った悲鳴。これに被せるように、龍二が叫びにも似た怒声をあげた。
「走るぞ! あいつは駄目だ、どうかなっちまってる!」
そう言ったあと、威嚇のためにコンバット・マグナムの引き金を引く。両手でしっかりと構えたのだが、予想以上に反動が強く仰け反ってしまった。さらに、手の平から腕にかけて痺れたようになってしまう。
鬼塚の説明書に「反動が強い」とあったが、嘘ではないようだ。
痺れた腕を振って目を覚まさせ、崩れた体勢を整え、走り出す。
希美の手を握り半ば引きずるように中村靖史が後に続いた。
駆け出した背後から、再び銃声が聞こえた。銃弾は、道の左手を覆う雑木林の中に吸い込まれていく。
一也たちは、小道を北の集落へ向って走った。
駆けるうちに、まっすぐだった道がつづら折となり、それにともない、それまでは海が見えていた右手もうっそうと茂る雑木林になってきた。
この場合、視界の悪さは良くもあり悪くもあった。
どうする。どっかに隠れるか?
次いで、もう一発。中村靖史が大きく仰け反る。
見ると、腹のあたりを押さえていた。
「中村!」
「だ、大丈夫」
しかし、その顔は蒼白だ。
ここで、一也はひとつの判断をした。しかし、すぐにその思いを打ち消す。
冗談じゃない。どうして自分だけそんな目に。そうも思った。
迷う、迷う、迷う。
その間にも、時おり藤谷龍二が発砲し、銃声が雑木林に響く。
駄目だ、このままじゃ、みんなやられちまう。
「な、別れて逃げよう」
意を決し、一也は言った。
「え?」
疑問符を返してくる中村靖史に、一也は打ち返す。
「これじゃ、いくら逃げても隠れても見つかっちまう。俺、いったん残って、お前らを見送る。藤谷は、俺がもらうよ」
「で、でもっ。それじゃ、お前……」
靖史の言いことはそのままの形で伝わってきた。
「俺のほうが傷が軽い。大丈夫、俺は死なない。そんな気がするんだ」
まったく根拠もなかったし、むしろ簡単に命を落とすような気もしたが、一也はそう答えておいた。
かっこつけたいわけでもないし、逃げ切る自身もない。靖史たちを自分のせいで危険に遭わせることに、拒否心を抱いたわけでもなかった。
むしろ、この判断を口に出してしまったことに激しく後悔していた。
また、振り返り、藤谷龍二に銃を向け戦うことも考えた。その結果、クラスメイトを殺すことになってもいいと考えた。
さらにいえば、深手を負っている中村靖史の足をかけ転ばし、自分ひとり逃げることも考えていた。
生き抜くために超法規が認められているプログラム。何をしてもいいんだ。どんな姑息なことをしてもいいんだ。
そんなことも思った。
だけど。だけど、矢田啓太(現在は安東和雄と観光教会にいる)。
一也は、同性ながら恋をしてしまった友人のことを思っていた。思ってしまっていた。
大事な親友だった高志とは結局会えなかった。でも、啓太はまだ生きてる。俺は死ぬ前に絶対啓太に会う。
そして、啓太が俺のことを許してくれるか、同性なのに、啓太のことを好きになってしまった俺のことを許してくれるか、聞くんだ。
絶対、聞くんだ。
そのためには何をしてもいいのか? クラスメイトの命を踏み台にしてもいいのか?
……駄目だ。そんなことをしたら、きっと啓太は俺のことを許してはくれない。
啓太は俺のことを受け入れてくれない。
「そんなことできないよっ」
靖史が駆けながら叫ぶ。彼の迷いは分かった。
これまでの言動を聞く限り、このプログラム進行下でも彼はごくごく誠実に生き抜こうとしている。そんな靖史にとって、一也の提案はひどく重いものに違いないのだ。
「木沢」
「え?」
「木沢のこと、守りたいんだろ?」
一也は、数メートル後ろを息をきらし走る木沢希美のことを持ち出した。
靖史は沈黙を返す。しかし、その表情には確実な変化が見られた。
「死ぬなよ」靖史が沈痛な面持ちで言い、「お願いだから……」希美もその後に続いた。
「当たり前!」
笑って返そうとしたが、うまくいかなかった。
すっとひと呼吸を終えてから、木沢希美の手を引いた中村靖史が道をそれ、茂みに分け入っていく。一也は立ち止まり、靖史らが雑木林の向こうに消えていくのを見届けた。
後ろを振り返る。道がつづら折になっているのでよく見えないが、藤谷龍二が追ってくる気配はした。
腹を撃たれた靖史とは違い、銃撃はかすめただけだったので、傷自体はさほど大きなものでないはずなのだが、出血が止まらない。
見ると、月明かりの下、一定の間隔を空けて血痕が地面に残っていた。危惧した通り、これは追い手である藤谷龍二にとって格好の目印だろう。
見えた。
龍二の姿が見えた。あちらにも視覚されたようだ。
鬼さん、こちら、手の鳴る方へ。場違いとも言えるフレーズが頭に過ぎる。
……さぁ、命がけの鬼ごっこだ。
一也は再び駆け出した。
<小島正死亡 残り19人/32人>
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野崎一也
同性愛者であることを隠している。好いている矢田啓太に会いたい。いまは中村靖史らと一緒にいる。
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