OBR1 −変化− 元版


050  2011年10月02日01時


<永井安奈> 


「うまくいったかな」
 調理室から出て行く飯島エリと越智柚香を見送ったあと、永井安奈はほくそえんだ。
 後ろ髪を自然に肩におろし、前髪を左から右に流しピンでとめた髪型。卵型のつるんとした顔には、はっきりとした二重の瞳と、やや厚い唇がのっている。
 目立つほどの美人ではないが、決して十人並みでもないと自覚している、自身の容貌だった。
 プロポーションも悪くない(大事な「商売道具」、磨く努力は怠っていない)。
「なにか言った?」
 つぶやき声が薄く届いたのだろう、一緒に調理室に残った吾川正子 が訊いてきた。
 小柄で貧相な身体に、色気の足りない貧相な顔。あ、でも肌の白さはちょっと羨ましいかな。
 安奈はそんなことを思っているとはおくびにも出さず、「ううん。ごめんね、取り乱しちゃって。吾川さんのおかげで楽になった」と返しておいた。
「そんな……」
「それより、そっちこそ大丈夫?」
 正子は安奈の質問に答える代わりに、小さなスプレー缶のようなものを持ち上げて見せた。彼女は重症の喘息患者で、発作止めのエアゾール剤が手放せないらしい。

 一見は大人しく見える安奈だが、その実はかげで相当の悪さをしていた。
 クスリにこそ手を出していない(あたり前だ。自分の身体は大切にしなくちゃ)が、売春や盗みは日常茶飯事だ。
 早苗や筒井まゆみはその仲間で、心のつながりもそれなりにあった。だから、重原早苗や筒井まゆみの死を聞いたときは、嘘ではなく本当にショックを受けたものだ。
 ああ、もう一緒に悪さは出来ないんだな、と悲しい気持ちにもなった。
 だけど、安奈がそういった感情に囚われたのは、ほんの少しの間だった。

 だって。と、安奈は肩をすくめる。
 だって、早苗もまゆみも所詮他人だもの。
 人は人。アタシはアタシ。
 他人の死をいつまでも悼んでいたって仕方がない。今はせいぜい保身にいそしまなきゃ。
 ドライな現代っ子の彼女らしい、切り替えの早さだった。

 では、なぜ泣きつづけていたのか。いや、泣き真似をしていたのか。
 それは、様々な意図があってのことだった。

 まずは、柚香たちを疲弊させ、いらだたせること。
 本来ならば、柚香たちはもっと早くに休む予定だった。だが、安奈は情緒不安定を装い、彼女たちを調理室にとどめた。結果、飯島エリはいらついていたし、リーダー役を務める越智柚香も疲れきった表情を見せていた。

 また、「いつかは、アタシたちも殺しあうんだという事実をみせつけること」は最重要だ。
 最初、彼女たちのグループに加わったときは、すきを見て自らの手を下し殺すつもりだった。
 武器は持っている。
 安奈は上着のポケットにそっと手をそわせた。ポケットの中には、彼女の本当の支給武器である小銃、シグ・ザウエルP239が入っている(柚香たちに支給武器としてみせたヘアブラシは、安奈の私物だった)。
 しかし、途中で考え直したのだ。
 相手は三人。
 喘息もちで体の弱い吾川正子はともかくとして、テニス部の飯島エリと越智柚香相手だと体力的に劣る。一人殺したあとで残りの二人に取り押さえられては意味がない。

 例えば今ここで吾川正子を撃ち殺す。
 はっきり言って銃なんか撃ったことがないし、この口径の小さな銃じゃ、一発で仕留めることなんてできないだろう。
 連続する銃撃音が柚香たちに届かないはずはない。
 いくら武器を持っているとは言え、警戒心を強めた運動部二人を相手にしては敵わないに違いない。
 そう、安奈は判断していた。

 だから、泣き、わめき、「いつかは、アタシたちも殺しあうんだ」と柚香たちに感じさせなければならなかった。
 その結果、どこかのタイミングで彼女たちの一人が動き出す。
 うまくいけばその誰かは他の二人を殺してくれるだろう。もし、失敗しても、少なくとも場は相当に混乱するに違いない。なら、そのときは混乱に乗じて自分から仕掛けていけばいいのだ。
 どちらにしても、一人銃器を隠し持っている自分の有利に変わりはない。

 また、安奈は「その誰か」がかなりの確率で飯島エリになると踏んでいた。
 越智柚香はとにかく和を大切にしているし、吾川正子にはそれほどの覇気は感じられない。
 ならば、やはり飯島が最有力候補だ。
 そう思った安奈は、さきほど「みんな、殺しあっているのかなぁ」と言ったときも、「でも、いつかはっ」と言ったときも、極力エリの目を見て話しておいた。
 マインドコントロール。
 そんな大仰なものではないが、そのあとのエリの顔色や表情を見る限り、十分に精神操作できたものと考えられた。

 もちろん、自分が犠牲者になっては元も子もない。
 みなの行動、とくに飯島エリの動きに注意を払う必要はあった。



 他にも仕掛けておく必要はあった。手は多いほうがいい。
 安奈はぽつりと呟いた。
「死にたい、な」
「え……」
「あ、誤解しないでね。もう気持ちはもち直してるから。冷静に思うの」
 正子は沈黙を返してきた。
 安奈はテーブルに伏せると、喉を震わせて泣き声を作った。
「だって、死んじゃえば楽になるでしょ。誰にも殺されなくてすむし、誰も殺さなくてすむ。それに、四人最後まで生き残ったら、せっかく仲良くしてるのに、アタシたち殺しあわなきゃいけないんだよ」
 この安奈の言葉に正子がはっとした表情を見せる。
「そんなの、いやだ。ならアタシ、その前に自殺したいな」
「じ、自殺」
「うん、自殺」
 上目使いに正子の表情を盗み見る。
 正子は元々青白かった顔をさらに白くし、紙のようにしていた。
 あらら、そんなに効いちゃったのね。ごめんね、自殺するのはアタシじゃなくて、あ、な、た。

 自殺。
 よし、これから吾川にこのキーワードをすり込んでいこう。
 うまくいけば、自分から戦線離脱してくれるかもしれない。

 安奈は人の心を操るのがむかしから上手かった。
 そして、そんな自分の行動に楽しみを見出していた。
 親や教師の前で「いい子ちゃん」を演じ、自分の都合のよい方向に待遇を持っていくのは得意中の得意。
 重原早苗に「悪いことってのは隠れてやるからかっこいいのよ」と声をかけ仲間に引き入れたときも、不良グループに嫌気がさしていた筒井まゆみに同じようなことを言ってやっぱり仲間に引き入れたときも、平静をよそおいながら、その実、狙いどおりの結果に嬉々として喜んだものだ。
 まぁ、その後、彼女らと親しく付き合っていくうちに純粋に「友達付き合い」も楽しんでいたが。

 ……ほんと、早苗たちと悪さをするのは楽しかった。
 早苗、まゆみ、あんたたち死んじゃったのね。
 まだ、そのへんにいる? じゃ、二人仲よく空の上で見ててよ、アタシが勝っていくところをさ。

 もちろん安奈は、殺人への禁忌を持っている。
 当たり前。アタシは異常者じゃないわ。
 でもね。
 ここでまた、安奈は肩をすくめる。
 でもね、仕方ないじゃない。たった一人しかおうちに帰れないんだから。



<残り20人/32人>


<吾川正子 あがわまさこ> 


「自殺……」
 安奈の言葉を復唱した吾川正子は、軽く咳をした。
 胸が急に重く苦しくなってくる。
 いけない、発作の予兆だ。
 目を瞑り息を整えしのぐ。そうしているうちに、発作前特有の「嫌な感じ」はどこか遠くに去っていった。
 ふっと息をつく。
 発作止めのエアゾール薬を吸引すれば、発作を止めることは出来るのだが、医師から乱用を止められていた。使いすぎると薬自体の副作用が強く出て余計に危険なのだ。

 自殺、か。
 それは安奈に言われるまでもなく、プログラム開始以来、正子の頭の中をぐるぐると旋回しているフレーズだった。
 いつ死のう、いつ死のう、と思い続けている。
 また、安奈が「自殺したい」と言ってきたことで、正子には焦燥感が出てきていた。
 もし、永井さんに先に自殺されたら。そしたら、私、死ぬのが怖くなってしまうかもしれない。そんなの、私は嫌だ。私は死にたいんだ。
「生きてたっていいことなんかない」
 これもまた彼女にはお馴染みのフレーズだ。
 小さな頃から自分を支配する重症喘息のおかげで、学校は休みがち。
 勉強は遅れるし、なかなか親しい友達もできない。
 家が近い希美ちゃんがいなかったら、私は確実にこのクラスで浮いた存在になっていただろう。
 ああ、ほんと、生きてたってろくなことはない。
 いっそ、死んで新しい人生でも歩んでみたいな。今度はもちろん健康な人生を。

 この考えが間違っていることはわかっていた。
 病気をしても前向きに生きている者はいくらでもいる。
 例えば、同じクラスの坂持国生(生存)。国生は肝臓を患っており、あまり経過もよくないようだった。しかし、彼は至極前向きに生きている。
 その輝きは彼女にとって眩しいものだったが、同じ光を身に纏いたいとは思えなかった。
 長患いの身の上を悲観し、健康な人たちにどこか引け目を感じる毎日。
 こんなではいけない。そう思うこともある。だけど、どうしても彼女は国生のようにはなれないのだ。


 そう、私、死ぬしかない。
 プログラムに優勝したって、この脆弱な身体を抱え生きていくだけだ。
 なら、死んで新しく生まれ変わった方がいい。

 死ぬ為のツールは彼女の元にあった。テーブルの上に置かれた果物かご。そこには彼女の支給武器である「秋の味覚セット」が積まれている。
 その中身は、梨と柿とみかんが数個ずつ。
 プログラム開始から時間を経て、その数は少しずつ減ってきていた。
 正子は、思う。
「いつ、あたるんだろうな」
  思わず口に出して言ってしまったらしい。
安奈が「何か言った?」と訊いてきた。
「ううん、なんでも」
 そういや、私もさっき、彼女に同じようなことを訊いたっけ。

 ほんといつあたるんだろ。
 正子は、スタート地点の分校近くに捨ててきた「説明書」のことを思い浮かべていた。説明書にはプログラム担当官の鬼塚の印がおしてあり、そして彼の字だろう、おそろしく汚い字でこう書いてあった。
『おめでとう! キミには別に食料を支給するよ! でも、気をつけるんだ。このうちの一つには毒が仕込まれているからね』
 ほんと、いつあたるのかな。私、早く死にたいんだけどな。

 本来の正子は、気のやさしい女の子だった。
 いつもの彼女なら、今していることの意味を把握し、こんな馬鹿げたことはやめていたに違いない。
 しかし、今は死への欲望にとりつかれてしまっている。平静を失っている。

 目の前の席に座る永井安奈が浮かべていた泪を拭うと(可哀想に、彼女は死ぬことが怖いんだ)、果物かごからぶどうを取り出し、ひと粒つまんだ。
 そして、口へ運ぶ。
 正子は、安奈がぶどうを食べる様をじっと見ている。しかし、それでも、正子は気がつかない。

 そう、必ずしも正子自身だけが毒入りの果物を食べるかどうか分からないのだ。
 ぶどうを食べた安奈が、今この瞬間死ぬことも十分にありえることだ。
 さきほど柚香が梨を切ってくれたとき、正子は「誰かに先を越されるのが嫌で」まっさきに手を伸ばし食べた。だけど、皆に出す前に柚香が一切れつまみ食いすることもありえること。

 正子はその可能性を見落としていた。
 彼女は自分だけが、ロシアンルーレットをしていると思っている。この悪趣味なゲームに他の三人を巻き込んでしまっていることに思いが至れないでいる。
 無意識の殺意。
 彼女もまた、クラスメイトを殺そうとしていた。



<残り20人/32人>


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バトル×2
永井安奈
重原早苗らと組んで、陰で悪さをしていた。