OBR1 −変化− 元版


049  2011年10月02日01時


<越智柚香> 


「ほら、泣かないで……」
 越智柚香(おち・ゆずか)は、優しく永井安奈に声をかけた。
 しかし、彼女は伏せていたテーブルから一瞬顔上げ赤く腫らした目を見せた後、またわっと泣き出してしまう。
 さきほど流れた放送の死亡者リストに、安奈の友達だった重原早苗の名前が入っていた。それがよほどショックだったのだろう、放送以来、安奈は泣きつづけている。
「も、泣いたって仕方ないでしょ。いい加減にしてよ」
 飯島エリが、長く伸ばした髪をかきあげ、いらだった厳しい口調で言う。
 これに、きっと顔をあげた安奈が、「友達が死んだのよ! それを悲しんで何が悪いのよっ」と応戦した。

「はい、はい、落ち着いて。せいぜい泣いときな」
 エリが、やってられないわという感情を滲ませながら椅子から立ち上がった。
 決して実身長が高いわけではないが、痩せているのと頭が小さいので高く見えるすらりとした体躯、その細面には、いかにも気の強そうな吊りあがった瞳ときりりとひきしまった口元がのっている。
「ダメだって、エリ」
 柚香がたしなめると「分かってる、でも、この子みてるとイラつくんだよな」エリは顔をしかめた。

 ここは、北の集落の中ほどにある教会だ。
 教会といっても小さな島のこと、民家に礼拝堂が併設されているだけという小規模なものだったが、礼拝堂がついている分、周囲の家々よりも敷地が広く、また、建設されてそう年月が経っていないらしく、建物自体が真新しかった。
 (彼女たちがこの建物に身を潜める直前に出会った重原早苗は、「教会」と認識しておらず、黒木優子には「大きな家」と話していた)
 彼女たちが今いるのは、住居部分一階の調理室だった。
 人が多く集まる機会の多い施設だけに、普通の民家の台所より広く、設備も整っていた。

 柚香はスタート直後、出順の近いエリと一緒に北の集落へと向った。
 途中で、前を歩いていた吾川正子(あがわ・まさこ)と合流、北の集落にたどり着いた柚香らは、この教会に忍び込むことに決めた。
 教会を選んだのは柚香だった。
 とくに信心しているわけではないが、出来るだけ殺し合いとはかけ離れた場所にいたかったのだ。
 忍び込む前に、安奈の友人の重原早苗(黒木優子が殺害)に出会ったのでチームに誘ったが、彼女には断られてしまった。
まぁ、誰も信用できないという気持ちは分からなくもない。
 その重原さんも、もう死んでしまった。
 いったい誰に殺されたのだろう。
 柚香は自分たちの行く末を思い、ふっと肩を落とした。

 泣いている永井安奈を見る。彼女が加わったのは、重原早苗が去った後のことだ。
 柚香らが教会の窓を割り入り、雨戸をしめている時に彼女が現れた。
 誘うと、いちもにもなく彼女はチームに加わった。
 重原早苗と会ったことは伝えてあったが、暗がりを追っていくことはやはり怖かったのだろう、そのまま留まっていた。

 それから丸一日。
 教会に立てこもるメンバーは増える事無く、柚香たちは4人で過ごしている。
 同じテニス部で仲の良かった飯島エリとは気心が知れているし、永井安奈とはグループは違えどそれなりに親しくしていた。吾川正子は大人し過ぎるきらいはあるが、彼女も普通の女の子だ。
 大丈夫、うまくやっていける。
 そう、彼女は思っていたのだが……。



「そうだ、果物でも食べよう、私、用意するわ」
 柚香は立ち上がると、テーブル上の果物かごの中から梨を一つ取り、キッチンスペースへと向った。
 調理室のあちこちに燭台やろうそくを灯しているので、室内は明るい。その様子を、安奈の対面席に座っている吾川正子がぼんやりとした様子で見ていた。
 茶色くぱさついたショートカットの髪、その肌の色は色白を通り越して青白く見える。
 もともと喘息持ちで日頃から元気があるとはいえない彼女だが、今はすっかり覇気を失ってしまっていた。
 いけない、みんな相当まいって来てる。
 プログラム開始から丸一日が過ぎ、それまで比較的平静を保っていた彼女らにも次第に澱んだ影が落ちつつあり、柚香は危機感を持っていた。
 とにかく、このメンバーで殺しあうことだけは避けなくちゃ。

 床下収納庫の上に置いていた米びつを除け、収納庫の中にしまいこんでいた包丁を取り出す。
 行きがかり上、このグループのリーダーのような立場になってしまった柚香がまず最初にしたことは、この教会内にあった「凶器となりえるもの排除」だった。
 はさみ、包丁、カッターナイフ、その他刃物は全てこの収納庫に入れてある。
 もちろん、その気になれば、こうして取り出すことは出来る。
 しかし、「収納庫の扉の上に置いていある米びつを取り除きし、収納庫の扉を開ける」というワンクッションの動作が重要だと柚香は考えていた。

 次々とクラスメイトたちの命が失われていくこの状況、外にいる「やる気になった生徒」の存在はもちろん恐ろしい。
 だが、窓という窓には雨戸をしめているし、しっかりと施錠している。
 外からの攻撃はそう心配する必要がないと思えた。
 彼女が恐れているのは、何よりも恐れているのは、「この4人で争うこと」だ。
 幸いと言ってよいのか、4人の支給武器は、心もとない、または全く役にたたないものばかりだった。
 柚香の支給武器はスタンガンで、エリが防犯ベル。そして、永井安奈と吾川正子にいたっては、ヘアブラシと「秋の味覚セット」だった。
 正子の支給武器が秋の味覚セット……梨や柿、みかんが数個ずつ支給されていた……だと聞いたときは、政府のタチの悪い冗談に憤りを感じたものだが、こうして彼女たちの空腹を癒してくれるのだからあながち悪くないのかもしれない。

 まぁ、内部紛争を恐れる柚香にとっては、自分たちの支給武器が殺傷能力に乏しいという事実は望ましいことだった。
 だけど、混乱のうちに例えば台所の包丁を使って殺し合いが始まらないとも限らない。
 だから凶器となりえるものを排除したのだ。

 柚香の支給武器であるスタンガンは、一般的にイメージされる箱型のものではなく、バトン型のものだった。切っ先を丸めたナイフのような形状をしている。
 電圧は弱めに設定してあり、せいぜい相手を驚かす程度の威力しかないそうだ。
 スタンガンと防犯ベルに関しては、防御的な意味が高く攻撃に使われることはなさそうなので、支給されたそれぞれが持つこととしていた。


 梨を切り終えると、「じゃ、しまうわね」と柚香は包丁を床下収納に入れ、重い米びつを扉の上に置いた。「この場から危険物は消えた。安全なんだ」という、柚香のくどいほどのアピールだった。
 柚香がテーブルにつくと、エリが「ね、修学旅行っぽくしようよ」と言ってきた。
「……修学旅行?」
 まっさきに梨に手を伸ばしていた吾川正子が怪訝な顔で言う。
「ほら、好きな子だーれ、みたいな会話をしようよ。こんなことにならなければ、私たち修学旅行中だったんだよ。告白大会って、修学旅行の夜の定番じゃない?」
「あー、いいね!」
 柚香が返すと、エリは軽くウインクしてきた。
 雑駁(ざっぱく)な性格で日頃からつい物事を言い過ぎてしまうエリだが、安奈に厳しくあたってしまったことを彼女なりに反省しているのだろう。
 場の雰囲気を明るくしてくれたのだ。
 見ると、不安げに梨を口に入れていた正子の顔色に朱がさしていた。
 ああ、彼女にも好きな人がいるんだ。この会話で吾川さんも元気になってくれたらいいな。
 柚香は思った。

「私はねー、西沢くんが好きー」
 ことさらに明るい口調で、柚香は、西沢士郎の名前を出した。本当は矢田啓太が好きだったのだが、とりあえず一般受けする名前を出しておいた。
「あー、私も西沢がよかったのに」
 と、エリが口を尖らせる。
 彼女もあわせただけだろう。どちらかと言えば、士郎の友人の三井田政信のほうが彼女の好みのはずだ。
 この様子がおかしかったのか、永井安奈がくすりと笑った。
 そして、泪を拭い「私も、西沢くんがいいな」言う。
「あらら、西沢くん大人気だね。ま、かっこいいからねー。……じゃ、吾川さんは?」
 柚香が聞くと、正子がびくりと肩を上げた。
「私は……、野崎くん」
 これにエリが軽口を叩く。
「野崎かぁ、意外な線だね。かっこ悪いとは言わないけど、地味じゃない?」
「うん……、でも、なんとなく気になるの」
 ぼそぼそと聞き取りにくい声で正子が言う。
 野崎一也。エリが言うとおりあまり目立つ生徒ではない。
 へぇ、意外な名前がでたな、と柚香は笑った。
 そういや、矢田くん、野崎くんと親しかった。今は……、一緒にいるのかな。

 しばらくとりとめもなくクラスの男の子たちの話をしていたが、「みんな、今も殺しあってるのかなぁ」安奈が穏便でないことを言い出す。
 これに、温まりかけていた場が凍りついた。
「バカっ、何言ってるの。そんなことやってるの一部の悪いコだけよ。みんな、私たちみたく普通にしてる」
 はず、と言いかけた柚香の言葉に安奈がかぶせる。
「でもっ、いつかはっ」
 そう言うと安奈は震えだした。ぼたぼたとテーブルの上に泪が落ちる。
 ……怖いのだ。
 柚香は立ち上がると、安奈を後ろから抱いた。
 そして極力優しい口調で言う。
「大丈夫、だから。ね、怖がらないで。そう、いつかは私たちも死ぬ。でもそれはずっと先のことよ。少なくともここにいる限りは大丈夫」
 安奈がいつかは自分たちも殺しあうんだと言いたいことは分かっていたので、後に続ける。
「いつかは私たちも……。でもね、それもずっと後のこと。そう言うことはさ、4人、最後に残ったら、そのとき考えようよ。今、私たちで争うのはひどくバカげたことだよ」
 柚香の意図は伝わったのだろう、安奈が何度も頷いた。



<残り20人/32人>


<飯島エリ> 


「じゃ、私たち、上で休むね」
 安奈が落ち着くのを見届けてからエリは柚香を誘い、立ち上がった。
 彼女たちは二人ずつ交代で休憩を取っていた。休む場所は二階の寝室。おそらくは神父家族が使っていたものだろう。
「吾川さん、永井さんのことよろしくね」
 柚香が正子に声をかけると、彼女は力なく頷いた。
 調理室から出、二階につづく階段を上っていると、柚香が「永井さん、かなりまいってるね……」と言った。
「私、あのコ嫌い。そりゃ、重原が死んで悲しいのは分かるけどさ。私たちだって吾川だって、親しいコが死んじゃってるのに。ちょっと弱すぎだよ」
 エリが正直な所を返すと、柚香は顔をしかめた。
「エリ……」
「分かってる、出来るだけ仲良く、でしょ」
 分かってるなら、いい。という様子で柚香はため息をついた。ひどく疲れた顔をしている。

 ふん、いつまでこうしてられるか分かんないわよ。
 エリは心の中で毒づいていた。
 出来る限り和を保とうする柚香のリーダーぶりは、エリの目からしても確かなものだった。
 そのおかげで、今まで比較的心穏やかに過ごせてきている。
 だけど、いつかはこの和も崩れるに違いない。
 そう、いつかは。
「でも、いつかはっ」
 さきほどの安奈の叫びにも似た言葉が、耳元に張り付いてならなかった。

 先に階段を上る柚香の後を追いながら、エリはぶるぶると胴震いをした。
 怖い、死ぬだなんて、怖すぎる。
 明り取りのために手に持った、政府支給の懐中電灯を眺め見る。こんなものでも、力いっぱい撲れば、相手に傷を与えることが出来るだろう。
 そして、上着のポケットに入れたペーパーナイフの感触を確かめた。これは、教会内の刃物を床下収納庫にしまうときに、そっと取り出しておいたものだ。
 ごくり。唾液を喉に落とす。
 まだ、早い。まだ。20人ほど生き残っている今の状況で事を起こすのは、得策じゃ、ない。やるのは、もう少し後だ。
 
 でも、私にそんなことが出来るのだろうか?
 ぶるぶると頭を振り、「でも、いつかはっ」永井安奈の言葉を舌の上で転がす。
 そうだ、私たちだっていつかは殺しあうんだ。やられる前に、やらなきゃ……。

 教会に身を潜めてから、いや、このプログラムがスタートしてからずっとエリの中でたまり続ける恐怖心。その裏側には、灰暗い(ほのぐらい)殺意が貼り付いていた。



<残り20人/32人>


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バトル×2
越智柚香
佐藤君枝ら体育会女子グループの一人。教会に立てこもっている。