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048
2011年10月02日01時 |
<安東和雄>
二階へとあがる階段の壁には、はけで擦り付けたような血糊がべったりとついていた。
「筒井さんの……だね」
後をついている矢田啓太が震え声をあげてくる。
和雄
は、「ああ」と小さくうなづいた。
振り返り、啓太の顔を見ると、彼は心配そうな顔をした。
「大丈夫」
と啓太を鎮める。
筒井まゆみに剣山でつけられた傷は、右のこめかみから右目のまぶたを越えあご先にまで至っていたが、幸いなことに眼球を傷つけてはいなかった。
支給の医療キッドで簡単に治療しただけだが、どうやら血も止まったようだ。
和雄は他に胸元も切られており、血のついた上着は脱ぎ、私服のジップアップシャツに着替えていた。
シャツの下には、筒井まゆみの亡骸から奪った防弾チョッキを着込んでいる。
支給のディパックは二人とも背負っていた。
死体を辱めることで啓太のいらぬ不安を煽ってしまいそうだったが、防弾チョッキは、捨て置くには勿体の無さ過ぎる支給武器だった。
啓太は、まゆみの亡骸を見る勇気もなかったかったらしく、和雄が作業する間、事務室で震えていた。
「オレたちと戦う前に、どこかで怪我をしたんだろうな」
表情も変えず、和雄は嘘をつく。
「み、みたいだね」
啓太が素直に同意する。
どうやら彼は積極的に和雄を信頼しようとしているようだった。一緒にいる者が安全だと思いたいのだろう。愚かだけど、争いを好まない彼らしい心理ではあるなと、和雄は考えていた。
実は支給武器がサブマシンガンであったことも話していた。
非常に危険な賭けだったが、マシンガンをいつまでも隠しておくメリットは薄かった。
移動時にはマシンガンを晒しておいたほうが他の選手への牽制になるだろうし、襲われたときに即座に反撃できるだろう。
啓太は、和雄の「マシンガンを見せることで、プログラムに乗っているんじゃないかと疑われるのが嫌だったんだ」というとってつけたような理由にも一応の納得をしたようだった。
ここでも、「一緒にいる者が安全だと思いたい」心理が働いたに違いない。
和雄が、機会あるごとに「一定人数になるまでは複数でいたほうが戦略上いい」と強調していることもおそらくは作用しているのだろう。
二階に上がったところで、「じゃぁ、二人で手分けしてチェックしよう」指示する。
本当は二階へなどあがりたくはなかった。
彼女がどこから侵入したかはあやふやにして、さっさとこの建物から出たかった。「銃声を聞いてやる気になった誰かがやってくるかもしれない。早く建物を出たほうがいい」そのための理屈はある。
しかし、啓太は彼女の侵入ルートを気にしており、探索を無碍に(むげに)否定するわけにもいかなかった。
仕切りすぎると不信感や不満を持たれてしまうかもしれない。
できる限り自然を装い、まゆみがいたはずの和室を和雄が担当した。
啓太が震えながら他の部屋へと入っていくのを見届けてから、引き戸を開け、和室の畳を踏む。
部屋の様子は昼間と変わっていなかった。
10畳ほどの和室。正面に窓、入り口から向かって右手には和机や座椅子、座布団が寄せられている。そして、左手には押入れ。
押入れの戸を開けるとき、和雄の手が震えた。
10時間ほど前に、この戸を開けた瞬間、まゆみが飛び出してきた。とっさにマシンガンの引き手に力が入り銃撃できたため、運良く難は逃れたが、何かのタイミングがずれていたら、自分は死んでいたのかもしれない。
ごくりと、恐怖とともに喉に唾液を落とし、深呼吸する。
そして、恐る恐る戸を開けた。
押入れの中はがらんとしていたが、血溜りや血糊、弾痕があちこちにある。彼女のディパックは押入れの隅にあった。
つくづく危ういバランスに立っているのだなと、再認識する。
啓太がこれを見たら、おそらくすべてを悟るだろう。
筒井まゆみの元々の怪我が和雄によるものだったと。彼女が襲ってきたのは、和雄への復讐の意味もあったと。
眉を寄せ、ふっと息を落としてから、彼女のディパックを取り出す。
案の定、ディパックには銃の痕があった。これは、彼女が「誰かに襲われたとき」についたものと誤魔化すことができるだろう。
押入れを慎重に閉め、戸や畳に戦いの痕跡がないか、再度確かめる。
そして、「矢田!」声を張り上げた。
どたどたと廊下を走る音がし、啓太が和室の中へと入ってくる。まゆみのディパックを見、身体をこわばらせた。
どきりと心拍があがる。
大丈夫だろうか? うまく誤魔化せられるだろうか。
あまりまじまじとディパックを見つめてほしくなかったので、「どうやら、そこから入ってきたみたいだ」和雄は、窓の外を指差し、彼の注意を変える。
窓の外には松の古木があり、その幹や枝木がせり出してきていた。
「あれを伝ってきたみたいだな」
「筒井、運動神経よかったものね……」
窓に近づいた啓太が頷く。
まゆみは小柄でいかにも身軽そうな体躯をしており、実際に機敏だった。これが、彼女の仲間の重原早苗(黒木優子が殺害)だったら、肥満体の彼女だったら、こうすんなりとは納得させれなかっただろう。
「矢田を呼び止めたときに、窓を閉め忘れたみたいだ。すまない」
啓太の背に謝りの言葉を入れ、和雄はまゆみのディパックの中身を晒した。
水と携帯食料などを取りだす。防弾チョッキの説明書もあったので、それも頂いておいた。
さて、長居は無用だ。
「さ、早くここから出よう。銃声に気がついた誰かがやってくるかもしれない」
先陣切って和雄が部屋を出ると、啓太もおとなしく後を続いた。しかし、出る直前になって、振り返り、首をかしげた。
「どうした?」
ひやりとした汗をかきながら和雄が訊く。
覚られてしまったのか?
嘘がばれたのか?
身体に緊張感が走る。マシンガンはまだディパックの中だ。戦いになった場合、ワンテンポ遅れてしまう。
啓太は頭をぽりぽりとかき、「ううん、なんでもない」と返してきた。
その顔色に大きな変化はない。おそらくは大丈夫だろう。
そっと出入り口の扉を開け、観光協会の建物を後にする。
月明かりに、果樹園が浮かび上がっていた。
昼間は明るい日差しを浴び、どこかのどかに見えていたが、今は闇深い恐ろしい風景に見える。
また、これからの移動には大きな危険がついて回る。
ディパックからサブマシンガンを取り出し、慎重な足取りで和雄は進み始めた。
と、ここで、「安東」啓太が話しかけてきた。
「うん?」
「安東は、誰かの一番になったことある?」
「いや、ないな」
即答だった。
死んだ両親からは、暴力しか受けなかった。孤児院のスタッフは愛情を注いでくれたが、それは、孤児全員に等しかった。名士を気取る安東の養親とは「契約」の間柄でしかなかった。
「なんで、そんなことを?」
訊くと、啓太は青ざめた顔でただ首を振って返してきた。
<残り20人/32人>
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安東和雄
生谷高志らを殺害。生涯補償金を得、弟と暮らしたい。
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