OBR1 −変化− 元版


046  2011年10月02日00時


<鬼塚千尋> 


「嫌な話だ」
 繰り返すも懲罰会議にかけられてもおかしくない鬼塚のセリフだったが、今度は事務官の表情は動かなかった。
 この会話が始まって以来ほとんどはじめて、鬼塚が真面目な顔をしたからだろう。
「嫌な話だけどな、島の連中にとっちゃ、バカにできない話だ。この角島(つのじま)は、全国的にも珍しい、プログラム会場となることを自ら志願しているエリアでなぁ。十数年に一回ぐらいのペースでプログラムが実施されているんだ」

 プログラム会場の選定は、意外に難しいものだ。
 連鎖火災の問題や遮断される交通網の問題から基本的に都市部はさけられるし、戦闘が行われた場合に甚大な被害が出そうな施設があるエリアもふさわしくないとされる。
 また、広範なエリアの一部を会場としようとした場合、囲いの電流フェンスなどの設置に費用が嵩む。
 もちろん、「都市部での戦闘データを採る」「特殊施設での戦闘データを採る」などと名目が立てられ、都市部や特殊施設を含むエリアが会場となることはある。
 しかし、事前の折衝や安全対策、後処理には膨大な時間と費用がかかるため、レアなケースとなっていた。

 自然、角島のような過疎の島に白羽の矢があたることが多くなるのだが、過疎のエリアにも住民感情というものがある。
 ……お上に逆らわない気質の大東亜共和国民とはいえ、逆らうとヘタをすると国家反逆罪で強制キャンプ送りにされるので表立って逆らう者はいないとはいえ、やはり、居住区が殺し合いの場になることを歓迎するような者はいない。

 そんな中、角島の存在はたしかに稀有なものだった。
 角島がはじめてプログラム会場となったのは鬼塚が生まれる前の話で、そのときは通例通り、政府から押し付けられた形だったらしい。
 しかし、このとき、島民たちは気が付いてしまった。
 あるいは、他のエリアの住民達が気が付かない振りをしていた「利権」や「役得」に目をつけてしまった。

 戦闘の跡は、政府お抱えの清掃会社が後始末をしてくれる。
 後始末の実際は目立つ部分だけで、現実にはその大半を島の住人たちの手で片付けしなくてはいけないのだけど。
 もちろん、プログラム誘致に反発する住民もいるのだけど。
 プログラム会場となったことで落ちる「プログラム補助金」は、鬼塚の言うとおり、たいした額ではないのだけど。
 だけど、逼迫する島の財政事情を考えれば、決して馬鹿にできない金額なのだ。
 また、プログラム会場となることを積極的に受け入れている角島に支給される補助金の額は、他のエリアに支給されるそれよりも多かった。
 鬼塚は、この金額の差に政府の人心操縦術を感じる。


「嫌な話だ」
 鬼塚が繰り返すと、事務官の表情がさらに暗くなった。
「嫌な話だけどな、島の連中にとっちゃ、バカにできない話だ」
 もう一つ、繰り返す。
「だけど……」
 鬼塚の言葉に、事務官の彼は反意を示した。
 ……鬼塚が何を言いたいのか。どうして「馬鹿にできない話」なのか。事務官は分かっているに違いない。しかし、反発せずにはいられなかったのだろう。
 そんな彼の心情を把握したうえで、鬼塚は話を続けた。
「プログラム会場になる度に、島の暮らしはいい方に変っていってる」
 年若い事務官は黙り込み、コーヒーカップの持ち手を指先で弄びはじめる。

「プログラムのおかげで、それまでは医者のいなかった島に小さいけど病院が出来た。それまでは二月に一回しかこなかった物資船の航路が増設された」
 事務官はやはり黙って聞いている。
 しかし、心なしか、その表情が青ざめ始めていた。
「高齢化の激しい島にとって医療の確保は死活問題だし、物資船の増設は涙が出るぐらいありがたい話さ。個人的な話をすれば、オレぁ、早産の子どもでなぁ。病院ができる前の角島だったら、死んでいたかもしれないんだとよ」
 それは、事故で亡くしている鬼塚の両親から、幾度となく聞かされた話だった。
 島に総合病院ができる前は、島の妊婦は、内地の病院で入院出産していたのだが、事務官に話したとおり、鬼塚は早産の子どもで、予定日よりも随分早く生まれた未熟児だった。
 島に病院ができる前だったら……治療が間に合わず恐らくは死んでいたという。

 島の中央部に、今までこの島で死んだ対象クラスの生徒たちの慰霊碑がある。
 補助金で作られたものではなく、島民で出し合った金で作ったものだった。粗末な慰霊碑だが、そこには島民の最後の良心が刻まれているように、鬼塚は思う。
 鬼塚の両親は生前、この慰霊碑によく手を合わせていた。また、鬼塚にも手を合わせさせていた。
 彼らは言っていたものだ。
「千博、お前は、この子達のおかげで生きているんだよ。プログラムのおかげで生きているんだよ」と。

「嫌な話だろ?」
 もう一度鬼塚が言うと、事務官の彼はゆっくりと目を瞑り、そして頷いた。
 ああ、ほんと、嫌な話だ。
 鬼塚は思う。
 ……だって、そんな話を聞いたら、「プログラムなんて必要ない」と言いにくくなってしまうじゃないか。 


「この島は、若者達の死を見届けることと自分たちの生活の向上を、秤にかけたんだ」
 うつむいた彼のつむじをたっぷり30秒ほど見つめてから、鬼塚は続けた。
「まぁ、角島は珍しい事例だけどなー。でも、昔の景気のよかった頃ならともかく、経済破綻しかけているあちこちの地方政府にとっちゃ、プログラムから落ちる金はありがたいんだよなぁ」
 そして、軽い口調で「気分悪い話だよな」と閉めた。
 重い話だったが、鬼塚が話すトーンは終始明るかった。
 さらに数十秒あけて、やっと事務官が顔を上げた。
 彼が仕事をしている時には決して見せない、真剣な表情(それはそれで問題があるかもな、と鬼塚は苦笑する)。
 重い口を開き、乾いた声で言う。
「でも、政府の命令で会場になるのと志願するのとでは……違うと思います」
 内容はともかくとして、鬼塚の世間話をするような気安い雰囲気に呑まれたのだろう、彼は正直なところを話してきた。
 ……プログラム進行本部に身を置いている事務官としては、とうてい認められないセリフだったが。

 鬼塚は皮肉めいた笑みを浮かべた後、「そうだなぁ。島から出たオレは、そう思うよ」と言った。
 「島から出た」を意識して強く言った。島から出た、都会の便利な暮らしに慣れ親しんだ「今の鬼塚」は、たしかにそう思う。
 でも、この島にまだ残っていたとしたら、この島の不便な生活を続けていたら……。
 年若くあけすけだが賢しい(さかしい)事務官の彼は、言葉の裏の意味を読み取った。
 ぎゅっと眉を寄せ、唇の橋を歪め自嘲めいた笑みを見せ、そして、言う。
「……難しい話ですね」

 ああ、難しいよ。それに、別の「難しい話」もあるしな。
 別道の話なので出さなかったのだが、似たような話として、「プログラムで商売をしてる企業、業界」の問題がある。
 年間50プログラムとはいえ、プログラム実施にあたり必要となる物資やサービスは多岐に渡り、そのそれぞれを生業としている企業がついて回る。
 軍事関係物資、食料品、備品、PCハード、ソフト、人材……。
 また、物が動けば、運輸業、保険業なども関連してくる。
 間接直接に「プログラムで飯を食ってる」企業、人間というのは意外なほどに多いものだ。

 鬼塚は、先に言ったように、プログラムの制度そのものには存在意義はないと思っている。
 だけど、一部の人間と限定するにはあまりにも多く者がプログラムから利益を得ていることを、鬼塚は知っていた。
 1947年にプログラム制度が始まってから半世紀以上の年月が過ぎた。
 あまりにも時間が経ちすぎていた。
 その間に、プログラムは地面に根を下ろし、地中を這った。這って這って這って……多くの大東亜共和国民を絡め取ってしまった。
 プログラム制度があることで成りたっている企業、業界。
 プログラムに依存し生きている角島のような脆弱な地方政府。

 もちろん、当然の話だけど、プログラムがなくなっても、プログラムから落ちる金がなくなっても、そういった者たちの暮らしが立ち行かなくなるわけじゃぁないだろう。
 プログラムがなくたって人は生きていける。
 プログラムに依って飯を食っていた連中は、……データ解析官やら担当教官をやって金を稼いでいるオレも含めて……、別の養い口を探せばいいだけのことだ。

 だけど、排気ガスが空を汚すことを知っていても、人は車に乗りつづける。
 農薬が及ぼす人体被害や環境被害を知っていても、人は虫のついていない野菜を好む。
 エコカーがある。無農薬野菜もある。
 でも、排気ガスも農薬も、決してなくならない。
 それは、排気ガスと農薬が……必要だから、だ。
 プログラム補助金の制度は、厳しい締め付けの一方で「飴と鞭」の使いわけが上手い政府が用意した、甘い甘い飴だった。
 一度しゃぶった飴の甘さを、人は決して忘れない。
 たとえ、その代償として、少年少女の死を身近に感じなくてはならないとしても、だ。



 ここで鬼塚は、どうでもいいやと、他人事のように肩をすくめた。
「さー、おしゃべりはお終い、だ。分かってるだろうが、この話はオフレコにしてくれよ」
 いつもの軽い調子で笑いかける。
 これで呪縛がとれたのだろう、事務官の表情に明るさが戻り、いつもの飄々とした雰囲気を見せ始めた。
 そして、何か軽口を返そうとしたのだろう、事務官は口を開きかけたが、思いとどまり、黙って頷いた。
 立ち上がろうとした彼は、ふと気が付いたという様子で「……島の出身だから、島のことをよく知っているから、代理の担当官に選ばれたわけですか……」と言い、また表情のメートルを下げる。
「僕だったら、そんな状態の島を出たら二度と戻りたくは……すいません」
 言い過ぎだと思ったらしく、ぺこりと頭をさげた。

 これに、「いや、自分から志願したのさ。オレはこの島のことをよく知ってるからってな」と応えると、事務官の細面に、驚愕の感情が張りついた。
 心底おどろいた、という顔をしている。
 鬼塚は、そんな彼の反応を満足げに眺めてから繰りかえした。
「この島がプログラム会場になることを志願するように、オレは担当教官になることを志願したんだ」
 そして最後に、「つまらん話につき合わせて悪かったなぁ。さ、仕事に戻ってくれ」と膝を手の平で軽く叩いた。

 これを受け、事務官はゆっくりとソファから立ち上がる。
 本当は、鬼塚が志願して担当教官となったその理由を聞きたいのだろう。
 話を切られたことに不服そうな顔をしていたが、コーヒーカップと敷いていたソーサーを持ち、「片付けときますね」と背を向けた。
 立ち去ろうとして、ふっと足を止める。そして、くるりと振り返った。
「鬼塚さんって、やっぱり掴みにくい人ですね。んで、人も悪いです。食えない人です」
 たしかに、今までの話と、自ら志願して臨時の担当教官に収まったという話は矛盾していた。「掴みにくい人だなぁ」と彼が思うのも無理はなかった。

 鬼塚は鬼塚で、事務官に薄い笑いを返す。
「お前も、十分、食いにくいよ」
 互いにこの相手なら大丈夫だと思い、話しているのだが、それでもなかなか言えないセリフを繰り返すことができる彼のことを、鬼塚は気に入っていた。



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