<黒木優子>
優子は携帯電話を開け、電源を入れた。
液晶パネルやダイヤルボタンにオレンジ色の光がともる。ボタンを操作し電話をかけると、一瞬の沈黙の後、呼び出し音が続いた。
やがて、がちゃり。
『……鬼塚だ』
先ほど定時放送で聞いたプログラム担当教官、鬼塚の若い声が響いた。
ここで、優子は言葉に詰まった。なんと言い出してよいか迷ったのだ。だが、向こうが間延びした声で『黒木、だなぁ』と言ってきたので、優子の心臓が軽くジャンプした。
どうして、私だと分かったのだろう?
……ああ、そうか。
優子は嘆息ついた。きっとこの携帯電話にも、首輪と同じように発信機か何かがついているのだろう。首輪と携帯電話の位置を照らし合わせれば、誰かは分かる。
「はい、私、黒木です」
『ちょーと、待ってくれぇ』
何かを操作する電子音。
一旦、携帯電話を口元から離したらしく『あ、この子か』と遠く声が聞こえたかと思うと、『すまんすまん。黒木、優子だなぁ。……おー、すごいな、もう二人も殺しているじゃ、ないか』と続いた。
どうやら戦績はコンピューターにレポートされているらしい。
そういえば、プログラムって戦略上必要なデータ取りと称されているんだっけ。と、今更のように思う。
「……質問、よろしいでしょうか」
優子はすぐに本題を切り出した。時間がない。
『おお、ついに質問してくれるかぁ。プログラム開始以来、ぜんぜん電話をかけてきてくれないから、先生、どうしたのかと思ってたぞー』
からかうような物言いに、多少カチンときたが、そんなことに拘っている時間的余裕は、彼女にはなかった。
「私の近くに……、すいません、ちょっと待ってください」
質問を口に出しかけた彼女は、ここで言いよどんだ。
私の近くに誰がいますか? これじゃ駄目だ。取れる情報は少ない。もっと頭を使わなきゃ。
一番近くの……。そうだ、「一番近くにいる生徒の居場所を教えて」。
これだ。「近くに誰かいるのか」もカバーしているし、これからの行動の目安にもなる。
もっと他にいい聞き方があるのかも知れないし、さほど気の利いた質問にも思えなかったが、考え詰めている時間はなかった。それに、これで今の時点で必要な情報は十二分に取れる。
優子は乾く唇を動かした。
「一番、近くにいる生徒の居場所を教えて」
『ほー、いい聞き方だなぁ。ちょっと待て……、Dの6、雑木林にいる生徒が黒木に一番近いなぁ』
Dの6エリアは、この農機具倉庫から北へ一キロほどだ。結構な距離がある。
三井田はあの後、遠く移動したらしい。また、重原らとの戦いを聞きつけて近寄ってきたクラスメイトもいないようだ。
と、彼女の背筋に何か冷たいものが走った。
嘘のカード。もしかしたら、この答えは嘘じゃないのか? いや、いきなり嘘のカードを出すだろうか? だけど、いや、でも……。
迷う。迷う。迷う。
ここでふいに、「三井田なら、どうするだろう?」と彼女は思った。
頭に、三井田政信の声が響く。「分かんないもんは、しゃーないっしょ」
あいつなら、そう考えるだろう。たしかに、あれこれ考えていたって仕方がない。分からないものは、分からないんだ。なら、悩むだけ時間の無駄だ。
もちろん全面的に信用するのは危険だけど、五回のうち四回までは正しい情報を得られるんだ。
なら。なら、とりあえずは、信用しよう。
「それじゃ」
優子が電話を切ろうとしたとき、唐突に『今はそんな余裕ないだろうけど、時間が出来たら、せんせーとお話しよーなぁ。せんせー、黒木のこといろいろ知りたいぞー』と鬼塚が言ってきた。
「は?」
思わず聞き返す。
相変わらずのからかうような口調のなかに、なんとなくだが真実の声を聞いたような気がしたのだ。
本当にこいつ、私と話しがってる? なんで?
そして一瞬の沈黙の後、思いがけない真面目な口調で、鬼塚は『まぁ、とにかく、頑張れ……』と続けた。そして電話が切れる。
ツーツーツー……。
携帯電話からもれる音を聞きながら、優子は軽い違和感を感じた。
なんで? 最初の説明にしろ、その後からの定時放送にしろ、ずっとからかうような、プログラムを楽しんでいるような口調で話していたのに。なんで?
……聞いてみようか。
なんであんたは、プログラム担当官なんてやってるの?
あんたは、私たちに同情してるの? それともプログラムの進行を楽しんでいるの?
聞けば「嘘のカード」を使わずに答えてくれそうな気がした。
まぁ、でも。
「分かんないもんは、しゃーないっしょ」
そう、これだ。
三井田の、一度は戦った男の考え方を模すことは気味の悪いことだったが、考えてもしかたがないのは事実だ。
担当教官の心のうちを今知ったって、どうにもならない。同情してくれていようが、楽しまれていようが、自分たちが殺し合いをしなければならないことに変りはないのだから。
三井田、三井田。
自分が思いもかけず三井田の影に囚われていることに、優子は驚いていた。
なんで? あんなに恐ろしい目にあったのに。
農機具倉庫の鍵を外し、扉を開ける。
ぎぃぃという軋んだ音とともに、冷たい外気が夜風とともに吹き込んでき、彼女は首をすぼめた。
*
農機具倉庫の外には、ただ静けさが広がっている。左手の雑木林の上、浮かんだ月は、夜雲に覆われつつあった。闇夜となってしまうのだろうか?
出来れば懐中電灯は使いたくなかった。自分はここにいます、とサイレンを鳴らしながら歩くようなものだ。
鬼塚が答えたポイントは、この農機具倉庫から遠く離れていた。これは、ホントだろうか? それとも「嘘のカード」なんだろうか?
……分かんないもんは、しゃーないっしょ。
そう、分からないものは仕方がない。けど、まったく警戒せずにいるのは、ただの馬鹿だ。
湿った地面に一歩踏み出す。農家の母屋へと繋がる未舗装の道路の脇に、仕事で使うのだろう、軽トラックが見えた。
優子は、ディパックを肩にかけると、ゆっくりとした足取りで歩き出した。
目的地は、北の集落。
夕方殺した重原早苗の話によると、北の集落の大きな家にテニス部の越智柚香と飯島エリ、喘息持ちで身体の弱かった吾川正子が隠れているらしい。
まずは彼女たちのチームに入れてもらう。後は、頃合を見て彼女たちを殺す。
少なくとも三人のチームを組んでいるんだ。三人もいれば、中には有用な武器もあるだろう。
その後は、その武器を使わせてもらう。
信用してもらえる自信は、あった。
越智柚香、飯島エリ、体育会女子グループのリーダー格だった佐藤君枝(安東和雄が殺害)は、美智子が気に食わなかったようで、よくちょっかいを出してきてた。
そんなこんなで、彼女たちのグループとはグループ同士での交流はなかったけど、柚香は彼女たちのグループの中では「穏健派」だった。
柚香と自分はそう険悪ではなかったし、面子からして、三人の中心になっているのは、柚香だと想像がついた。
……なら、大丈夫、大丈夫だ。
一人頷く。
大丈夫。
自分はクラスメイトとトラブルらしいトラブルを起こしたことがない。
よっぽど混乱していなければ、招き入れてくれるはずだ。
現に日頃親しくしていなかった重原早苗でさえ、私を信用したじゃないか。三井田だって私が乗っていると知って、驚いていた。
……大丈夫。
優子は、ほとんど生まれて初めて自分が「普通の女の子」であったことに感謝していた。
外見も普通、さして切れそうにも見えない。けど、だからこそ、私はこのプログラムで生き残ることが出来ている。
普通だということは、相手から警戒心を持たれにくいということだ。
これは、アドバンテージだ。
柚香たちが男子生徒を迎え入れるか? 不良グループの羽村京子を迎え入れるか? 日頃から暗く何を考えているのか分からない所のあった結城美夜を迎え入れるか?
いや、彼女たちはたぶん招きいれようとしないだろう。
実際にゲームに乗っているかは分からないけど、羽村たちは「危険」に見えるからだ。警戒が必要なクラスメイトだからだ。
……けど、私はきっと大丈夫だ。
もちろん、私自身が相手を警戒することは怠ってはいけない。
誰だって死にたくない。どこかのタイミングで、柚香たちもゲームに乗り出すかもしれない。
優子の歩みが次第に力強いものとなってくる。
もちろん、警戒は怠らない。
ふっと、思う。三井田、私、次に会う頃には強力な武器を持っているかもよ?
月明かりに浮かぶ優子の表情には、たしかな笑みが浮かんでいた。
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その生徒は、暗がりの中を歩いていた。
と、ふらり。足元が泳いだ。
「まずいな……」
たちどまり、ぶなだかなんだか知らないが、うねった幹を持つ大木に肩をあずける。
大小の樹木、手前には竹やぶのようなものが見える。
まずい、大分疲れてきている。昨夜のプログラム開始以来、ろくに眠っていないんだから、当たり前の話だけど。
そろそろ休養を取らなくちゃなぁ……。
あたりに気を配りつつ、地面に座り込む。落ち葉の積もった腐葉土の地面。その感触は決して気持ちのいいものではない。その生徒は顔をしかめ、腰を一旦上げると政府支給のディパックの上に座りなおした。
夜空を見上げる。少し夜雲が出てきたようだった。
弱まってきている月の光りに「あるもの」をあてる。それは、一枚の写真。ポラロイドカメラで撮られた写真だ。
東の集落のはずれの果樹園。その脇のあぜ道の落ちていた写真。
そこに写っているのは、フラッシュの明かりに顔をそむけた……、黒木優子だ。
手に持っているのは、何か刃物か?
ピントが全然合っていないので判断つきかねたが、映っている人物が黒木優子であることはたしかだ。
昨日の昼ごろ、自分がいた場所の近くから銃声が何度も聞こえ、様子を見に行った。
結局、死体も何も見つけられなかったから、そのときは誰が誰を撃ったのか分からなかったけど、その代わりにこの写真を拾った。
その後の放送で流れた死亡者リスト。
流れた面子から考えて、修学旅行で友達と写真を撮ろうとしていたのは、尾田美智子だと考えていいだろう。一度、教室でポラロイドカメラで和田みどり(入水自殺)らと写真の撮りっこをしているところを見たことがある。
驚いた。
息を呑む。
黒木、ゲームに乗っているんだ。
てっきり、他の生き残りの女の子たちと一緒にいるのかと思っていたけど。彼女、ゲームに乗っていたんだ。
……彼女は要注意だ。
ぎゅっと下唇を噛んだ後、ゆっくりと立ち上がりディパックを肩かけする。
もう一度、夜空を見上げる。折り重なった梢の間、流れの速い夜雲が月の光を掠め取っていた。
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