OBR1 −変化− 元版


043  2011年10月01日23時


<黒木優子> 


 放送を聞き終えた黒木優子 は、ゆっくりと立ち上がった。
 そして、制服のスカートについた白い化学肥料を手で払う。
 潜んでいる農機具倉庫は八畳間ほどの広さで、木張りの壁や天井のすき間から月明かりが漏れ入っていたが、他に光源がないため、薄暗かった。
 その木床を覆う白い粉は、つい数時間前に対峙(たいじ)した三井田政信がショットガンで棚ごと撃ち落した化学肥料だ。

 立ち上がった優子は、そのままそろりと足を進めた。それにあわせて、木張りの床がぎっぎと軋んだ音を立てる。
 一時からこの付近は禁止エリアとなってしまう。
 早々に立ち去る必要があった。
 出入り口の扉に手をかける。しかし、ここで優子の手が止まった。遅れてぽつりとつぶやく。
「三井田……」
 三井田はまだ近くにいるだろうか。
 何時間か前に見た、走り去る三井田の背中。地図や名簿の入ったビニールのパスケースが月明かりに反射しヒラヒラと揺れていたのが印象的だった。
 あいつは、あれから舞い戻ってきてはいないだろうか?
 もし私を殺したいなら、この倉庫の入り口近くに身を隠し、私が出たところを撃つのが一番てっとり早い。だけど……。
 
 優子は、なんとなく、そういった行動は政信にそぐわないような気がしていた。
 日頃親しくもしていなかった。
 はっきり言ってまともに話したのは、先ほどの戦いが初めてだ。
 しかし、「また会えたらいいなぁ」と言い走り去った政信の印象は、強烈だった。
 彼は、走り去るときに、「また会おう、また戦おう」と言った。
 会えたらいいなという雰囲気だった。再会を楽しみにしている雰囲気だった。その彼が、隠れ潜み自分を撃つだろうか? ……いや。それは、彼にとっては「おもしろくない」ことだろう。

 その感覚は優子にはとうてい理解できないものだったが、とにかく彼女はそう判断することとした。
 問題は他のクラスメイトだ。
 重原を殺したとき、三井田と戦ったとき、それぞれ大きな物音が立っている。やる気になっている他の生徒がそれを聞きつけて、近くにきている可能性は高い。
 優子は、激しく後悔していた。
 だが、重原早苗、三井田政信との連戦によって彼女は相当に疲弊しており、座り込んだのち、動くことが出来なかったのだ。
 多少の回復をした後は、恐ろしくて動けなかった。
 どうしよう。こうしている間にも、刻一刻と時間は過ぎてゆく。
 ずっとここにいたら、数十分後には私はドカン、だ。
 ぎりぎりまで待てば、付近にいる生徒もこのエリアから出て行くのかもしれないけど、それを期待してこのエリアに長居するのは……、もっと危険だ。

 危険? いや、そんな生やさしいものじゃない。動かないと、私は死ぬんだ。

 冗談じゃ、ない。
 優子は強く思った。
 私は、死にたくない。冗談じゃ、ない、誰が死んでたまるか。


 死体、死体、死体。
 ああ、なんて異常な時間なんだろう。こんなの、私じゃ、ない。
 でも、そう。だけど、そう。
 何度だって自分に言い聞かせてやる。この異常な時間をやり過ごせば、また普通の生活が私を待っている。いつもの毎日が私を待っているんだ。

 生きなければならない理由なんて、ない。
 もちろん、私が死ねば親や兄弟は悲しむだろう。別のクラスの友達も悲しんでくれるだろう。だけど、それだけだ。
 何かやり残したことがあるわけでもないし、将来への強い夢があるわけでもない。
 自分が生き残るべき人間だと、傲慢に思うことも出来ない。気が狂ってしまったわけでもない。
 だけど。だけど、私、生きたい。
 私……、もっともっと生きたい。

 自分をこんな目にあわしている政府には、憤りを感じる。
 なんて、理不尽なんだろう。なんで、私が人殺しなんてしなくちゃいけないんだ? 
 そして、クラスメイトを殺したのに痛みを感じない自分にひやりとする。
「ううん」
 言葉を口に出し、優子は首を振った。
 違う。そんなわけがない。私は、普通の女の子だ。
 きっと、このプログラムに勝って、家に帰って、お風呂に入って、母さんが作った暖かいスープなんかを飲むことが出来たら……、きっと私は死ぬほど後悔するのだろう。
 クラスメイトを殺したことに、狂おしいほどの痛みを感じるのだろう。
 だけど、今は感じない。
 だってそんなことに拘っていたら、私、死んじゃうもの。
 死ぬ? そんなの嫌だ。私は生きたい。死にたくなんて、ない。

 優子は思いを強めながら下唇を噛み、拳を握りしめた。

 生き抜くためにはクラスメイトだって殺してみせる。
 後何人? 後何人殺せば、私は家に帰れるの?

 ……手の平を開けると、薄暗みの中でも爪の跡がくっきりとついているのが見えた。



 とにかく、考えなしにこの倉庫の外に出るのは危険だった。
 もし、この倉庫の前に誰かゲームに乗った人間が待ち構えていたら、圧倒的に不利だろう。かといってこのまま動かなかったら、禁止エリアにひっかかって死ぬのだ。
 どうしよう……。
 いや、分かってる。自分には、頼るべき武器がある。そのへんの情報を得る事が出来る武器を私は持っている。
 だけど……。でも……。

 優子は、迷いを振り切るように軽く頭を振ったあと、制服のポケットから携帯電話を取り出した。二つ折りで丸みを帯びたシルバーのボディ。これが、彼女の支給武器だった。
 さて、この携帯電話。
 一見は普通の携帯電話だが、その機能は激しく制限されている。
 本来ならば、写真撮影やビデオ録画、家電、電子機器操作、インターネットといった多機能な機種なのだが、その全てが使えないように改造されており、通話のみが可能(私物の携帯電話は、睡眠ガスで眠らされているうちに取り上げられていた)。
 また、通話相手はただ一人に限定されており、自由にダイヤルできないようにもカスタムされている。
 優子はふっと息をついた後、ジョブキーを操作しアドレス帳を呼び出した。
 表示されている名前はただ一人、「鬼塚」だけだ。

 そう、この携帯電話はプログラム担当教官との会話のみが許されたものだった。そして、この携帯電話を特徴ならしめている事実が、もうひとつあった。
 「五回までの質問権」
 この「質問権」が、事実上の彼女の支給武器だ。
 五回までは自由にプログラムに関する質問が出来る。
 ただし、いくつかの「ルール」が設けられていた。

 携帯電話の付録としてついていた説明用紙に、政府支給の懐中電灯の光りをあてると、そこには、

 1、具体的な生徒氏名、武器名を挙げての質問は禁止。
 2、具体的な生徒氏名、武器名を求める質問は禁止。
 3、担当教官がその他不適当と判断した質問は不可。
 4、質問は五回まで。ただし、五回のうち一回は「嘘」の解答が返って来る。
 5、担当教官からコールしてくることはない。

 とあった。
 また、その下方に、ルールを設ける理由が書いてあった。
 どうやら、この携帯電話が支給されることによって過度な有利不利が生じることを、制限したルールのようだ。
 1から4までのルールは過度な有利を封じたもので、5が不利を封じたものだろう。

 そりゃそうだ、隠れている時にいきなり電話をかけてこられたら、たまったもんじゃない。
 優子は顔をしかめた。
 ルール5がある限り大丈夫だとは思ったが、やはり信用ならないので携帯電話の電源は切ってあった。バイブモードにすることも考えたが、バイブ音は意外と大きなものだ。

 具体的な氏名や武器名を禁止しているのは、例えば「プログラムに乗った生徒の名前を教えて」だとか、「マシンガンを持っている生徒の居場所を教えて」といった質問の解答を避けるためだろう。
 しかし、優子は気がついていた。
 ある程度、情報を掴んだ上で質問をすれば、質問の仕方を考えれば、かなり詳細な情報を得る事が出来る。
 例えば、ゲームが進み残り生徒が少なくなったとき、乗っている誰かとその人物がいるエリアを把握できていたら、「○の○エリアにいる男子生徒の正確な居場所を教えて」と聞けば、いい。

 「ゲームに乗っている生徒の居場所を教えて」
 「出席番号××の生徒の居場所を教えて」
 ……これは「その他不適当」に当てはまってしまうだろうか?
 まぁ、でも、雑談が禁止されていない以上、コール回数が制限されていない以上、雑談の中からも情報を得ることが可能だ。
 この支給武器はかなり有用なものだ。
 それは、分かっている。

 だけど。
「出来れば、使いたくなかった」
 そう、優子は、プログラム開始以来、質問権を使っていなかった。
 使おうとしていなかった。
 使いようによってはかなりのアドバンテージを得られる支給武器であることは理解していたが、「五回のうち一回は嘘の解答が返って来る」という制限がネックだった。
 うち四回はまともな解答が返って来るとはいえ、重要な場面で嘘のカードを出されたら? そう思うと電話をかける気持ちにはなれなかったのだ。

 しかし、今はこれに頼るしか、ない。



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バトル×2
黒木優子
尾田美智子や重原早苗を殺害。三井田政信に襲われるも、機転を利かして退けた。優勝しても普通の生活を送りたい。