OBR1 −変化− 元版


041  2011年10月01日23時


<筒井まゆみ>


「死にやがれ!」
 まゆみは、その華奢な身体に似合わない獣ような声で吼えた。

 彼女は、彼女自身の意思を反芻(はんすう)する。
 シンプルに。アタシは何がしたい? ……決まってる。安東を、殺す!
 安東和雄 。大阪かどこかの施設の出身だという噂を聞いたことがある。痩せた中背の体躯にセンターで別けた艶のある黒髪、切れ上がった黒目勝ちな瞳。
 大人び、物静かな男だった。今まで特に悪い印象を抱いたこともない。だけどチクショウ、こいつ、ゲームに乗りやがったっ。アタシを傷つけやがった!

 和雄がロビーの奥へと逃げ込み、ソファセットの脇に置かれていた観葉樹を倒してきた。観葉樹をよけ、ソファの背を蹴る。
 と、彼女の視界に一人の女子生徒の身体が入ってきた。
 彼女が蹴ったのとは別のソファに寝かされているのは、尾田美智子(黒木優子が殺害)の姿だった。
 彼女の顔色が青白く、どう見ても生きている人間の色合いをしていないのは、大窓から入る月明かりの影響だけではないだろう。
 死んでいるのだ。
「てめ、この女、殺したのかよっ」
 この人畜無害(好きなタイプの人間ではなかったので、多少の毒は篭っている)な女を!
「違う!」
 存外に大きな声で和雄が応じた。
 至近距離で聞いたため、耳がキンッと痛む。

「何が、違うってんだよ!」
 まゆみの声もつられて大きくなった。
 振り下ろしたダイバーズナイフの切っ先が和雄の胸元をかすめ、制服の白いシャツに真一文字に血のラインが入った。
 剣山で顔につけた傷、ナイフで今つけた胸元の傷。
 どれも浅い。
 もっと、もっとだ!

 棚の上に置かれていた花瓶を投げつけてくる。
 すんでのところで避けるが、バランスを崩し膝を付いてしまった。陶器の割れる音がロビーに響く。
 この隙に和雄が踵を返し駆け出した。
 ロビーのさらに奥、低い囲いで囲まれた……事務室か何か。
 和雄の後を追う途中、彼が落とした銃を拾えばよかったと思ったが、まぁナイフで十分だと判断する。
 昔取った杵柄。
 不良グループにいた頃は喧嘩に明け暮れていたものだ。男とはいえ、こんな生っちろいヤツにアタシが負けるわけがない!

 事務室はロビーよりも一段高く床が張られていた。事務机が2×2、向かい合って置かれている。
「やめろ!」
 大声と共に、和雄が事務机の一つをひっくり返した。
 机の上に置いてあったファイルケースから書類が飛び出し、引出しの中身が床にぶちまけられる。さらにキャビネットケースを倒し、バリケードのようにしてきた。
 何かを倒すたびに、観光協会の建物に大きな物音が響く。
「な、なにすんだっ」
 再び、和雄が声を張り上げる。
「うるせぇ! てめが、先にやったんだろがよっ」
 まゆみの声も和雄の声にのせられさらに大きく波打った。

 左手に持っていた剣山を投げ捨て、ダイバーズナイフを両手に持つ。
 さっきは片手だったから、浅くなってしまった。
 今度こそはっ。
 体中の傷が痛む。逃げ出したい気持ちもある。血を流しすぎて身体がふらつく。
 だけどっ……だけどっ!
 まゆみは、倒されていない机の上に駆け上がった。
 そしてナイフを振り下ろそうとした瞬間。

 重い銃声とともに、まゆみの右腕、肩の下辺りに新たな痛みが走った。
「ぎゃっ」
 さらに、もう一発。
 今度は外れ、窓枠のあたりに穴があいた。
 振り返る。
 銃声は後ろからした!

 そこに立っていたのは……童顔の上に戸惑いの表情を乗せた、矢田啓太だった。制服姿で、その手には拳銃が握られている。先ほど和雄に体当たりをしたときに落とさせた銃だ。
 まだ他にもいたのか?
 和雄が単独行動だとばかり思い込んでいたまゆみを、驚愕の感情が支配する。
 って言うか、まさか矢田がゲームに乗ってるだなんて!
 日頃の啓太の人のよい笑みを思い浮かべながら、まゆみは現状を呪った。
 これがプログラムかっ?
 早苗も、安奈もゲームに乗っているのか?
 みんなみんな、乗っているのか?
 まゆみには、和雄を殺そうとしている自分もまた立派にその一人であるという自覚はなかった。


 背後から「……思ったんだ」和雄の静かな声が響いた。先ほどまでとはずいぶんトーンも違う。
 まゆみは身体をずらし、和雄と啓太の両方を視界に入れた。
「思ったんだ」
 あくまでも静かに和雄が繰り返す。
 こめかみからあご先にかけ、爪で引っかいたような傷。血がぼたぼたと落ち続けている(最初にアタシが剣山で切りつけた傷だ)。痛むのだろう、顔をしかめながら、さらに言葉を続けてきた。
「どうやったら、お前に気付かれずに矢田を呼べるかなって」

 ここで、まゆみは得心した。
 そうか。ダイレクトに助けを呼べばアタシも襲撃に備えてしまう。
 だから、アタシには気付かれぬよう、仲間を、矢田を呼んだのか。
 さきほどの無意味とも思えた大声や、アタシの攻撃を避けるためだと思ってた花瓶を投げつけ机をひっくりかえす動作の数々は、音を立て仲間を呼ぶ目的も含まれていたのか。
「筒井、お前の、負け、だ」
 和雄が力ない笑みを浮かべる。力はこもっていなかったが、勝利に満ちた笑みだった。
「撃てっ」
 この和雄の声に、啓太がびくりと肩をあげる。その拍子に銃口が火を吹き、まゆみの首筋のあたりを弾がかすめ、後ろの窓が割れた。
「もう一発!」
 叫びながら、和雄が啓太の脇へと移動する。

 今度は続けて三発。その全てが、まゆみの上半身にに吸い込まれた。
 焼け付く痛み、遠のく意識。防弾チョッキを越えて着弾したのかもしれない。

「ぢくしょ! てめ、安東っ、覚えてやがれっ」
 まゆみはダイバーズナイフを啓太めがけて投げつけた。
「うわっ」
 啓太が身体を仰け反る。ナイフは啓太の肩口をかすめ、うしろの壁にささった。ナイフの柄がびいいんと揺れる。
「な、なんでっ」
 啓太が驚愕の声をあげた。銃弾を撃ちこまれても生きているまゆみに驚いたのだ。
と、和雄が叫んだ。
「矢田、頭だっ。こいつ、防弾チョッキかなにか、着込んでやがる。頭を狙えっ」
「えっ、や、あっ」
 和雄に命令された啓太が、戸惑いの表情を見せた。
 なにか打ちのめされたような顔をしている。
「何やってんだよっ、早く!」
 和雄が啓太を叱咤する。

 この隙にまゆみは乗っていた机から降り、駆けた。苦渋の選択だった。
 このアタシが敵前逃亡! 冗談じゃ、ない。
 あまりにも状況が不利だった。目標は窓。矢田が撃った弾ですでに割れがはいっている。体当たりをすれば外に出られるはずだ。

 だが、ここで、まゆみの足が止まった。
 ……逃げる? 逃げてどうする? シンプルに。アタシがしたいのは何だった?
 殺す。そう、アタシは、安東を殺すっ。
 もう、剣山もダーバーズナイフも手元にはない。
  だけどっ!

「あんどうぉおおおっ」
 振り返り、呪詛の言葉を向けようとしたまゆみの両の瞳に銃口が映った。いつの間にか和雄が銃を握っていた。
 乾いた音を聞く。
 背後の窓が割れた音がした。
 さらに一発。
 今度はまゆみは銃声を聞かなかった。弾が発射されると同時に、まゆみの頭部、左半分にダメージが加わったからだ。そのまま後ろへ仰け反り、わずかに残っていた窓ガラスを割る。
 窓の枠に背を乗せたブリッジのような体勢を一度取った後、まゆみの身体は窓の外へと落ちていった。





<安東和雄>


「ざまぁ、みろ……」
 息を切らし、肩を大きく上げ下げしながら、和雄は事務室の窓に近寄った。外を見ると赤茶けた地面の上にまゆみが横たわっていた。頭蓋が割れひどい状態だ。
 さすがに死んだだろう。
 だが、和雄はさらにベレッタの火を吹かせた。銃撃の反動を感じながら、ありたけの弾を吐き出させる。
 チクショ、てめ、もう生き返るな、よ。


 「作業」を終えた和雄は振り返り、啓太の方を見た。机の配置がゆがみ、キャビネットが倒れ、様々な備品が散乱したひどい状態だった。
 その中、啓太はなにか打ちのめされたような表情で座り込んでいた。
 彼が助けに入ってくれるかどうかは賭けだった。
 あれだけの騒ぎに「した」のだ。いくら疲れているとはいえ、矢田も目を覚ますだろう。
 ここまでは確実な予想だった。
 問題はその後だった。脅えた啓太が宿直室から出てこないことも、自分と筒井まゆみの争いの行く末を見て勝った方に銃を向けることも予測できた。
 だが、尾田美智子を助けるために外に飛び出した啓太のことを和雄は思い出したのだ。
 矢田なら。黒木から尾田を助けるために危険をかえりみなかった矢田なら……。
 そして、オレは賭けに勝った。
 とにかく勝ったのだ。

「ああああああっ、ぼ、ぼく、ひっ、人を!」啓太が声を張り上げ、身体を大きく震わせた。
 相当なショックを受けている様子だ。
 何だ?
 多少の戸惑いの後、和雄はなぜ啓太がショックを受けているのか理解した。
 そうか、ゲームに乗っていない矢田にとって人を撃ったという事実は、そんなにもショックなことだったのか。
 ガツン。撲られたような、感触。
 それは、生き残るために次々とクラスメイトを屠っている(ほふっている)自分と、ただクラスメイトを撃ってしまっただけなのに大きなショックを受けている啓太を比べてしまったからだった。


 和雄はふっと息をつき、啓太の肩に手を置いた。身体から流れ出る血が、啓太の肩にべっとりとした跡をつける。
「……助かった、ありがとう」
 素直な感情だった。和雄は素直に感謝した。
 啓太がびくりと肩をあげ、涙が濡れ落ちる瞳で和雄を見つめた。和雄の腕をその震える手が掴む。離したらどこかに身体が飛んでしまうとでも思っているのだろうか。ひどく、ひどく強い力で掴まれた。
「ありがとう」
 繰り返す。
 啓太から信を得るためではない、素直に、和雄は感謝の言葉を啓太に向けていた。

 自分が啓太の立場だったら、間違っても助けになど出なかった。
 同行者と襲撃者の戦いが起きれば、その結果を待ち勝者を背後から撃つ。オレだったらそうする。他のクラスメイトの多くも、おそらくそうするだろう。
 矢田だったから、コンビを組んだのが矢田だったから、オレは助かったんだ。

 ふっと弱い笑みを浮かべる。
 ありがとう、か。……人を殺した自分には、非情にクラスメイトを殺して回っている自分には、似つかわしくない言葉だ。たった今、筒井まゆみを殺した自分には、似つかわしくない言葉だ。
 いつかは、矢田を殺そうと思っているオレには……、助けられてもなお殺そうと思っているオレには、似つかわしくない言葉だ。
 自虐をこめて、思う。

 いや、しかし、これは、ちょっと……。
 すでに啓太は崩れ落ちている。
「ごめ、オレも、疲れた」
 和雄もまた崩れ落ち、座り込む啓太に身体を預けた。



<筒井まゆみ死亡、残り20人/32人>


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バトル×2
筒井まゆみ
永井安奈 らと組んで悪さをしていた。