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040
2011年10月01日23時 |
<安東和雄>
観光協会ロビーの床に座って見張りをしていた安東和雄は、右手の平で口を押さえあくびを一つした。
地べたに座っていると、どうしても眠気に負けてしまうようだ。
ロビーとは間切りのパネルで隔てられているだけの「事務室」から、パイプ椅子を引きずってきて座る。18時から21時までの3時間、仮眠を取ったのだが、やはり疲労感は残っていた。
その手にあるベレッタM92Fは、見張り用としてに与った矢田啓太の支給武器だ。
しかし、和雄はこの銃を啓太に返すつもりはなかった。
休養は一応取った。
じゃぁ、もう矢田に用はない。さっさとリタイヤしてもらうだけだ。
和雄はパイプ椅子に座ったまま後ろを振り返った。
ロビーの隅に二階へと続く階段があり、その階段のさらに後方、開け放たれた両開きの扉の向こうに幅3メートルほどの廊下が見える。
ロビー部分と給湯室や宿直室といったバックヤードを繋ぐ廊下だった。
宿直室で矢田は眠っている。見張りの交代のとき、あいつも疲れた顔をしていた。
おそらく今は深い眠りについているだろう。簡単だ。ドアを開け、この銃をぶっ放せばそれでいい。それでもう一ポイント取れるんだ。勝ち残る可能性がもう一つ上がるんだ……。
向きなおし見張りを続けながら、和雄は首を振った。
首を振っても、迷いや呵責は飛ばなかった。
*
和雄の両親、実親は死んで久しい。
そして、和雄は二人の死を当然のものとして受け止めていた。
父親はヤクザ崩れで、暴力を振るう事でしか自己表現の出来ない男だったし、母親は母親で、水商売のストレスのはけ口を子どもに求めたからだ。
和雄は思う。
交通事故で二人が死んだとき、俺は悲しまなかった。……もともと愛情なんてひとかけらも与えてはくれなかったのに、どうしてその死を悲しむ必要がある?
和雄と弟の俊介は、この時点で離れ離れとなっていた。
引き取り手のなかった和雄たち兄弟は、最終的にそれぞれ孤児院や養護施設に送られたのだが、俊介が当時5歳と幼なすぎたためその時点では幼児施設に送られたからだ。
和雄が収容されたのは「慈恵館」という、全国あちこちにあるカソリック系の施設だった。
慈恵館での生活は、それなりに幸せなものだった。
孤児院の名前に違わない(たがわない)、信心深い館長が和雄を守り育ててくれたからだ。
2年後、中学に上がる時に和雄は慈恵館を出た。
この辺りの事情は、その頃から緩和された準鎖国政策が関連する。鎖国政策が緩められたことで、様々な物資や情報が流入してきた。
その一つとして慈善活動が一種ステイタスであるという考えが広がったのだ。慈愛だけではない、「何か」が内在する現象だった。
だが、和雄たち孤児にとっては喜ばしいことではあった。
身寄りのない子どもを引き取って育てるという活動が「流行」したからだ。
この頃、和雄は安東家の目にとまり、その後しばらくして正式に養子として迎え入れられた。
……そして、和雄は笑顔を失うこととなった。
決して安東の家でぞんざいな扱いを受けたわけではない。
しかし、そこには和雄が求めていた愛情はなかった。
安東の養父は、公立小学校の校長で地元ではそれなりの名士だった。また、名士であることに注力を惜しまない男だった。
孤児を引き取るという慈善活動も、そのポージングの一つでしかなかったのだ。
あったのは「契約」。
寝るところは与える、幾ばくかの小遣いも与える。だから、お前は可愛らしい子どもを演じてくれ。あわれな孤児の身から助け出され、安東の家に感謝している子どもを演じてくれ。
あからさまに口にする事はないが、安東の養親からはそんな意図が感じ取れた。
和雄は、安東の家で生きていくためにその期待に答えた。
元来頭のいい少年ではあったから、勉強にかける時間を増やせば学年トップクラスの成績を維持することが出来たし、「安東の家に感謝している子ども」を演じるのもわけなかった。
ただし、かろうじて保っていた子どもらしさや無邪気さが次第に損なわれ、その代わりに大人びた雰囲気を纏っていくことになるのは仕方のないことだったが。
「俊介……」和雄は弟の名をつぶやいた。
制服の内側、胸ポケットから一枚の写真を取り出す。
両親が死んでからのどさくさの中、一枚だけ持ち出した兄弟一緒に映っている写真だった。
撮ったのは母親だと記憶している。何の気まぐれだったのか今となっては知る由もないが、兄弟そろっての写真を撮りたがったのだ。
背景は、当時住んでいた大阪の下町だ。
夕陽に照らされ紅い顔をした幼い兄弟の姿が、幸せそうに笑う姿がそこにあった。
なぜ、自分たちは笑っているのだろう? 笑えるような生活ではなかったはずなのに……。
「俊介……、兄ちゃん、頑張るからな」
写真を裏返す。
そこには、ある施設の所在を示す住所が書かれていた。幼児施設を出た俊介が収容された国立の孤児院の住所だ。
公設の養護施設における劣悪な環境は、有名な話だ。
選手防衛軍兵士の養成所と化しているという噂すらある。
そんな場所に、弟が、たった一人オレが愛情を感じる存在が、いる。
金。そう、このプログラムで優勝すれば、一生涯の「生活保障金」が手に入ると聞く。
金があれば、オレがこのゲームに勝ち生活保障を受けることが出来るようになれば、オレたち兄弟は救われるんだ。
オレは安東の家から出ることが出来る。
プログラム優勝者の息子など安東の家からすれば払い下げだろう。たとえ家に帰ることが出来ても、体よく追い払われるに違いない。……願ったりの話だが。
生活保障金の月額がいくらか知らないが、兄弟二人、生きて行くぐらいの額はあるだろう。
これはチャンスだ。
オレたち兄弟が、特に今も辛い毎日送っているはずの俊介が幸せをつかむチャンスだ。
たとえそれがクラスメイトたちの屍の上にあるものだとしても。
「俊介……、兄ちゃん、頑張るからな」和雄は再びつぶやいた。
弟の俊介のためにそれからの兄弟の生活のために、優勝を目指したい。
もちろん、それだけではない。単純に、死にたくないという思いもある。
しかし、弟のために、という思いも偽りのない事実として和雄の中に存在する。そして弟のことを思えばこそ、和雄は人を殺すという忌むべき自分の行動に耐えることが出来た。
三度(みたび)、つぶやく。
「俊介……、兄ちゃん、頑張るからな」
*
と、ロビーの大窓に何かが映っていることに気がついた。
「えっ」
ロビーの大窓の端、自分から見て左斜め後方で何かが動いた。
振り返った和雄の瞳に映るのは、ある女子生徒の姿。
華奢な中背の体躯にショートカットの茶髪。そして、その上がり気味の猫目をさらに吊り上げ憤怒の表情を浮かべているのは……筒井まゆみだった。
まゆみがいるのは、二階へと繋がる階段の上り口のあたりだ。
自分とは3メートルも離れていない。
「う、わっ」
全身の血の気がどこか彼方へ飛んでいく感覚とともに、座っていたパイプ椅子から床へ落ちた。
パイプ椅子が不快な音を立て倒れる。そして、和雄は尻餅をついたまま後ずさりをした。
な、なんで! いつの間に! いや、そんなことよりもっ!
こっ、殺したはずなのにっ! オレは、たしかに筒井をマシンガンで撃った! ほら、あいつの制服のあちこちに弾の痕や血のりが着いている。手だって足だって血だらけだ。なのに、なんで!
そんな混乱を知ってか知らずしてかまゆみが和雄のもとに駆けより、右手を高く上げ振り下ろしてきた。その手の中には、なにか針の塊のようなものが。
け、剣山!?
身をかわしたくても、身体が強張り動くことが出来なかった。
ただ顔をそむけ、目を瞑る。
切り裂く音とともに、右のこめかみからあご先にかけて鋭い痛みが走る。
薄く開けた視界に鮮血が散るのが見えた。
手の平を自分の頬にあてる。べっとりとした感触。見ると手の平は赤黒い血に染まっていた。
唇も切られたらしく、鉄臭い味が口腔に広がる。しかし自らの血を視覚することで、味わってしまうことで、和雄にかけられていた呪縛が解ける。
立ち上がる動作に乗せて「てめ、なんで、生きてやがる!」右足で思いっきり、まゆみのみぞおちのあたりを蹴り上げた。
しかし、和雄の足に奇妙な感覚が走る。
硬い。
なんだ? 人を蹴ったことなどないが、人の身体ってのはもっと柔らかいんじゃ?
ざわり。和雄は、背筋に何か冷たいものをあてられたような気がした。
リビング・デッド。死者蘇生。オカルトめいた単語が頭によぎる。
そう、そもそもマシンガンの弾で穴だらけになって生きている、こいつがおかしい。だからか? こいつ、もう死んでいるから、こんなに硬いのか? ……ん、な、馬鹿なっ。
一方、蹴り上げられたまゆみは顔をしかめたものの、たいしたダメージを受けていないらしく、ニヤリと笑みを浮かべ体勢をもどしつつあった。
ああ、オレ、何やってんだ!
なおも強張る身体を叱咤し、足元のベレッタを取り上げ、まゆみへと向ける。
ガチリ、撃鉄をあげたところで、まゆみが体当たりしてきた。
銃はあっさりと和雄の手元を離れ落ちてしまった。そのままカラカラと木の床をすべり、ちょうどロビーとバックヤードをつなぐあたり、開かれた扉のあたりで止まった。
体当たりしたまゆみが和雄が確保していたもう一つの武器、ダイバーズナイフ(元はまゆみの支給武器だ)を拾い上げる。
銃と和雄の対角線上には、まゆみ。
ダイバーズナイフは取り上げられた。
マシンガンをが入っている和雄のディパックも、まゆみの背後だ。
矢田啓太から信を得るためにマシンガンを隠しておいたことが、仇となってしまった。
「死にやがれ!」 まゆみがその華奢な身体に似合わない獣のような声で、吼えた。
<残り21人/32人>
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安東和雄
生谷高志らを殺害。筒井まゆみを殺し損ねたことに気づいていない。
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