OBR1 −変化− 元版


038  2011年10月01日22時


<西沢士郎> 

 
 と、「くっ」ミノルが自身の口元に両手をやり、ごぼっ、嘔吐した。手と手のすき間からもれ落ちる吐瀉物が、ミノルのスニーカーを履いた足にかかり、雑木林の腐葉土に落ちる。
 死体を見たショックからだろうか。
 一瞬、彼ではないのか? と判じそうになるが、
「おっ、俺のせいじゃない!」
 叫ぶようなミノルの台詞に確信を強める。
 間違いない、彼がやったのだ。
 姫子に恋愛感情など抱いてなかった。彼女と付き合っていた政信にも、確かに美人だけど、なんであんな気の強い女なんかと、と言ったこともある。
 だけど、大切な友人だった。一緒にいて心地よい大切な友人だった。
 その姫子を、ミノルが奪った。
 燃えるような赤い目でミノルを睨み付ける士郎。

 ミノルは「俺のせいじゃない!」繰り返した。
 支給武器だろうか、刃の厚いナイフを握りしめ、胴震いしながら「俺のせいじゃない! 簡単に壊れる、そいつらが悪いんだ!」悲鳴のような声を雑木林に響かせる。
 自分勝手なミノルのいい訳に憤りながら、彼の言い回しの意味に気がつく。
 そいつら? 木田……他にも誰かやったのか?
 彼女が落としたアイスピックを拾い、ミノルに差し向ける。自身の支給武器である小刀よりは戦力になるだろう。
「ひぃっ」
 ミノルが恐怖を深め、一歩後じさった。
 藪木に彼の身体が完全に隠れ、葉や枝の間に彼の青ざめた顔が見えた。
 目立つにきび痕。寸の足らない眉。いつもは卑屈な笑みを浮かべている薄い唇。血に汚れた制服の上着。泥に汚れたズボン。不良グループリーダーの楠悠一郎(死亡)の「パシリ」として、クラスの中でも軽く見られていた男だ。
 悠一郎は喧嘩ばかりしていたが、ミノルは後ろで虎の威を借りていただけだった。
 しかし、そんな男が、クラスメイトを殺した。

 藪へと入る。
 ミノルは中腰になってじりじりと後じさっていた。
「く、来るな!」
 小石を掴み、次々と投げてくる。
 そのうちの一つが、士郎の額にあたり、一筋の血が流れた。
 見えている限りでは同程度の武器しか所持していないが、役者が違った。
 蛇に睨まれた蛙。そんな言葉すら頭によぎる。もちろん、自分が蛇だ。ドロドロとした優越感。容姿身体能力、全てにおいて自分が上だと認識した。これを舞台に例えるならば、自分が主役で、彼が脇役だ。
 ゆっくりと痛めつけて、野本を殺したことを後悔させてやろう。

 一歩踏み出すと、「や、やめてくれ……。殺さないで……」ミノルが懇願してきた。
 ひどく無様な姿に見えた。奇妙に残忍な気分になっていた。姫子を殺したこのつまらない男をどうやって殺そうかと思うと、高揚した。
 額から流れる血が頬を伝い、士郎の口元へと届く。ぺろり、その血に舌先をつけた。
 口元が緩み、笑みが浮かぶ。
 言葉など必要なかった。
 ただ、ミノルを見下ろす。
 臆病な彼は、それだけで恐怖を高める。

 さらに一歩。
 と、足先に何か紐のようなものがかかったような気がした。瞬間、何かが風を切る音を聞く。
 ここでも、士郎の反射神経が生きた。足元に感触すると同時に、とっさに後方に飛びのいていたのだ。体勢を崩し、尻餅をつくが、これで難を逃れた。
 何かが高速で通り過ぎ、脇に生えていた大木に突き刺さった。
 その際に横腹を掠めたため、肉を幾らか持っていかれた。
 幹の一部が弾け、木っ端の香りと、自身の血の香りがあたりに漂う。
 どきどきと胸が鳴った。古びた樫の木に、細い杭のようなものが刺さっていた。姫子の命を奪った杭と同じものだ。

「トラップか……?」
 おそらく、先ほど踏んだ紐が契機に杭が飛び出す仕組みになっているのだろう。
 そして、仕掛けたのはミノルに違いない。
 抜かれた腹をおさえ、震えながら、視線をミノルへと戻す。
 彼も大きく震えていた。
 そして、「ひぃっ」短く切った悲鳴を残し、慌てふためきながらどこかへと立ち去っていく。
 もう追うことは出来なかった。ギリギリのところで助かった、そう思うと、腰が抜けた。

 同時に、身体を預けていた残忍な気持ちも抜けていく。ミノルに対する優越感も消えた。
 一体何を考えていたんだ俺は、と頭を抱え込んだ。
 日ごろからともすれば優越感を持つシチュエーションが多かった。だけど、そんな自分が嫌で、抑えていた。それなのに……。
 いや、それよりも。
 ぶるぶると頭を振る。
 俺は、今、人を殺そうとした。それも、優越感を持って。相手を蔑みながら。
 思った。
 なんて、恐ろしいんだろう。プログラムは、なんて恐ろしいんだろう。
 抑えていた箍(たが)が、プログラムによって外される恐怖。同時に味あう開放感。

 この開放感に浸れば、楽になれる。そう思ってしまう自分が怖かった。

 ずるりと身体を動かし、死んだ姫子の元へと行く。
 腐葉土の地面に仰向けになっている彼女。その周りに深い赤色をした血が広がっていた。変わらず、姫子は驚いたような顔をしている。
 その目を閉じさせ、両手をあわせてやる。
 士郎の腹から流れる血が、姫子の血と混じりあった。
「野本……」
 彼女の亡骸のそばに膝をつき、囁きのような声を落とす。
「野本、俺をこのままに……。俺を変わらせないでくれ……」

 

<残り21人/32人>


<木田ミノル> 


 元いた場所、雑木林のしげみのなか、ぽっかりと6畳ほどの空間がひらけた場所に戻ったミノルは、ほうっとため息をついた。逃げるときに捻ったのだろう、右足がひどく痛んだが、歩けないほどではなかった。
 怯えた視線であたりを見渡すと、木々の隙間から、月明かりに映える北の山頂上の展望台が見えた。
 危なかった。もう少しで西沢に殺されるところだった。
 彼の残忍な瞳を思い出し、ぶるぶると胴震いをする。
 西沢士郎。
 勉強も運動もできる男で、切れ長の瞳と全体にシャープ印象の整った顔立ち。ここに来るまでに彼にも色々あったのだろう、片頬にガーゼを当てていたし、上半身は包帯に覆われ、脚にも包帯を巻いていた。そして、彼の残忍な笑み。
 ……あいつは、絶対ゲームに乗ってる。
 笑いながら、人を殺せる奴なんだ。楠さんのような奴なんだ。
 実際には誰も殺していないのだが、先ほどの士郎の有様を間近で見たミノルがそう思うのも仕方のないことだった。

 楠さん。それは、楠悠一郎(坂持国生を襲ったが、返り討ちにあい死亡)のことだった。
 学校の素行の悪い生徒たちを束ねるリーダーをしていた悠一郎は、粗暴な性格だった。
 あの人なら、嬉々としてクラスメイトを殺しただろう。日ごろから悠一郎の横暴を見ていたミノルには確信できた。
 しかし、悠一郎は早期にリタイアしていた。 

 あの楠さんが、死んだ。あの、強い、楠さんが……。
 誰にやられたんだろ? 支給武器があまりよくなかったのかな? ……でも。ざまぁ、みろ、だ。
 いつも俺のことをいいようにこき使いやがって。俺を下っ端あつかいしやがって。結局、てめぇのが、先に死んでいるじゃんか。
 ……ざまぁ、みろだ。
 無茶やってた、バチがあったんだ。
 手当たりしだいにグループの女の子に手、出してたバチがあたったんだ。俺の好きなコにまで、手、出したバチがあったんだ。ざまぁ……みろ。

 ミノルは、不良グループでクラスに一緒の羽村京子にほのかな恋心を抱いていた。
 もちろん、「楠さんの女」に不用意に近づくような馬鹿はしなかったが、とにかく。ミノルは京子のことが好きだったのだ。
 まぁ、俺なんかがせまっても、あの子が相手にしてくれたはずもないか。
 得意の自虐的な笑みを浮かべたあと、ふるふると首を振った。

 震える手が、山積みされた二つのィパックに触れる。一つが自分のもので、もう一つが開始早々に殺した香川しのぶのものだった。そして、その脇には、迷彩柄をした一冊の本が置かれていた。
 「サバイバルトラップブック」これが、この本の題名であり、殺した香川しのぶの支給武器だった。
 名前の通り、様々なトラップ、侵入者を警告する鳴子などの作り方が書かれた本で、付属にトラップに使う幅広のゴム紐やロープ、サバイバルナイフなどが入っていた。
 既に、この「キャンプ地」の周囲に、いくつかトラップを仕掛けている。
 野本姫子がかかったのは、その一つで、スピアトラップだった。
 太い木枝の先端をナイフで削り尖らせた槍(スピア)を、いっぱいに引っ張ったゴム紐に固定しておく。槍の後部につけたラインに「エモノ」が引っかかると、とたんに槍が飛び出しエモノの身体に突き刺さるという単純な仕組みだ。
 また、槍の後部には別に凧糸が付けられていた。
 対象がトラップにかかった場合、キャンプに置かれた鳴子を鳴らす仕組みだった。
 同じようなものをこの周囲にも仕掛けてある。
 士郎が近くにいることを思うと恐ろしかったが、鳴子やトラップのあるこのキャンプから離れない方がいいだろう。彼があのままこの周辺に留まるとは思えない。当座やり過ごせば安全になるだろう。

 自身の吐瀉物で汚れた制服の裾を払う。
 ああ、チクショウ、汚ねぇ。
 野本、お前のせいだ、お前のせい。お前が勝手に死ぬから、俺、ゲロを吐くハメになったんだ……。チクショウ、お前のせいだ。
 俺、死体なんかみたくないのに。
 お前が勝手にトラップにかかったから、俺、お前の死体を見るハメになっちまったんじゃんか。
 ……俺は、悪くない、悪くないぞ。野本や香川が死んだのは、俺のせいじゃ、ない。みんな、あいつらが弱いからいけないんだ。あいつらが悪いんだ……。


 高木低木が入り混じった雑木林の中、ミノルは膝を抱え、呟きを繰り返した。



<残り21人/32人>


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