OBR1 −変化− 元版


035  2011年10月01日21時


<鮫島学> 


 耳を澄ますと、誰かの低い足音がした。
 慎重に足を進めているようで意外に時間がかかっているが、じきにこの家の前を通り過ぎるだろう。
 国生とは出席番号が前後していた関係で、学習班や体育の授業でコンビを組むことが多かった。
 最初はなんでこんな貧弱なヤツとチームなんかと思い、ほとんど無視を決め込んでいたのだが、次第に坂持のキャラクターが見えてくるにつれ、心証が変った。
 坂持は肝臓を患っておりたしかに体は弱かったが、芯が強く皮肉のスパイスを効かしたユーモアも持っていた。
 付き合っていて楽しい友人だった。

 だけど、俺はその友人を殺すんだ。
 しかも、冷静に。……ああ、なんか、俺ってば冷たい人間?
 まぁ、事実なんだから仕方ないか。
 でも、こんなことを考えるだけマシなのかな?
 ここで学が考えるのは、再び「ゲームに乗っている生徒の心理」だった。
 みんな、どんな気持ちでやってるんだろう……。
 ゴルフクラブを握りなおす。手に汗は、かいていなかった。
 ちょっと、手に汗ぐらい握れよ、俺。

 顔をしかめ皮肉めいた笑みを浮かべ……。と、何か鈍い物音がし、その後カラカラと何かがすべるような音がした。
 様子を伺いたいが、自分が隠れている石つくりの門柱や、コンクリ塀が邪魔となって、外道を見ることが出来ない。
 1分、5分……。
 待っても変化は無かった。
 おかしい。学は軽く首を傾げた。
 とっくに坂持がこの家の前を通ってもいいはずなのに、なんでだ? さっきの音は?


 やがて学は意を決した。
 門柱の陰から身を起こし外道の方を見ると、そこにはアスファルト敷きの道路に倒れこんだ坂持国生の姿があった。
 プログラム中に着替えたのだろう、制服ではなく、ジーンズにトレーナーという姿だった。力なく、学の方に頭を向けたうつ伏せの状態で倒れている。
 右手は前に伸ばした状態で、左手は腰の辺りにあった。
 首はやや左に傾いでおり、その表情が見える。玉のような汗をかき、顔色は真っ青だった。
 そして、伸ばした右手の先、50センチほどのところにごつい感じの自動拳銃が落ちている。
 どうやら先ほどのドサッという音は坂持が倒れた音で、カラカラという音は拳銃が地面を滑った音だったらしい。

 だけど、何があった?
 疲労からか? それとも? いや、騙して油断させているのかも……。
 ふっとそんなことを考えた学は、いや、と首を振った。
 自分はたしかに身を隠していた。気がつかれているはずは、ない(学は、国生が生徒の居場所を示す探知機を持っていることを知らない)。
 もし気がつかれていたとしても、銃を落として見せたりする必要性がないじゃないか。
 やはり、疲労か何かで倒れたと思って、大丈夫だろう。

 学は、銃(コルトガバメントだ。モデルガンを触ったことがある)を拾い上げ、グリップを握りスライドを引いた。
 薬室に収まっている第一弾が見える。
 当たり前だが、装弾してある。
 坂持はすでに誰かを撃ったのだろうか? すでに誰かを殺したのだろうか?
 ふっと、思う。
 さきほどネットで仕入れた情報によると、坂持の父親は十数年前、プログラム進行官をやっていたらしい。そして、プログラム中に対象クラスの生徒に殺された。
 その父親のことを坂持は憎く思っていたようだ。
 出来れば、その辺りの話を聞いてみたい。
 プログラムが始まって以来、どこで何をやっていたのか聞いてみたい。もし、誰かを殺してしまったのなら、どういった心理でやったのか聞いてみたい。
 だけど。やっぱ、駄目だ。いったん仲間になったら、今度こそ殺せなくなるのかもしれない。
 それに。
「俺、もっと、変りたいんだ」つぶやく。
 喉がからからに乾いており、自分でも驚くほどにしゃがれた声になった。

 学は、コルトガバメントを握りなおすと両手で保持し、右手の親指でスプリングの重い撃鉄を起こした。
 銃口を国生へと向ける。
 そして……一呼吸。

 確かな反動とともに、劈くような(つんざくような)銃声が闇にこだました。



 銃音とともに、国生の左の肩口から10センチほど離れたアスファルトの地面が弾け飛び、小さな穴があいた。

 チッと、舌打ちをひとつ。
 素人である自分たちに銃の取り扱いは難しい、銃を持っているものがすなわち有利とは限らないと予想していたが、まさか自身がその実証をするはめになろうとは。
 と、国生の身体がピクリと動いた。

 しまった、さっきの音で気を付かせてしまったか?
 目が開いてしまったら、さすがに迷うかも知れねぇ。
 早く撃たなくちゃ……。

 そして、学がまさに撃とうとした瞬間。「ノリ……コ、サン」国生がこんな言葉を漏らした。その後、ガクリと首が落ちる。
 どうやら、正真正銘気を失ったようだった。しかし、学は戸惑っていた。
 ノリコサ、ン?
 たしかに、そう聞こえた。
「ノリコさん?」
 人の名前だろうか。クラスにそんな名前のヤツいたっけな……。
 名簿を思い浮かべて見るが、該当する者がいない。
 他のクラスの女? 坂持、好きな女がいたのか? 範子? 紀子? 乃利子?
「……あっ!」ここで、学ははっと息を呑んだ。
 典子。中川典子? 脱出事件のときの女か?
 まさか。考えを打ち消すが、頭の芯の部分は「中川典子だ」と判じていた。

 全くの別人、他のクラスや他校の生徒だとか、俺の知らないTVアイドルの可能性もある。だけど。プログラム進行中、プログラム担当官だった男の息子が「ノリコ」という名前を口にした。
 中川典子。
 これで、間違いがないんじゃ。
 確証ともいえない理由だったが、学はそう思った。

 中川典子。
 十数年前、プログラムからの脱出に成功した生徒の一人。
 もう一人の七原秋也は脱出先のアメリカ国で命を落とした。
 ……では、中川典子は?
 関心を持って調べていないので分からないが、生きているのならば帰国しているとみていいのでは? その後、どういった経緯で坂持と中川典子が結びつくのか、見当もつかないけど…
「中川典子だ」
 呆然と立ちすくむ。そして、学はもう一度舌打ちをした。
 これで坂持を殺すわけにはいかなくなった。
 少なくとも、「ノリコさん」が誰のことなのか聞くまでは。他にも聞きたいことはいくらでもある。プログラム進行官をしていた父親のことは、その最たるものだ。

 学は一旦膝を付くと、坂持の力を失った身体を抱き上げた。クラスいち背が低く痩せた身体だけあって、やすやすと抱きかかえることが出来た。
 そして国生の身体を持ち上げたことで、その身体の下敷きになっていたある物が姿をあらわす。
 坂持の身体を立てた自分の膝で支え、苦労しながらその「ある物」を拾い上げた学は目を見張った。電子手帳ほどのサイズの小さな機械。
 液晶スクリーンの中央に、寄り添うようにして青いポイントがふたつ、点滅していた。

 学の明晰な頭脳が答えをはじき出す。
 探知機かなにか、だ。
 この二つのポイントが選手を現しているに違いない。
 なら、右下の「10メートル」という表示は寸借だろう。
 つまり、坂持は少なくともふたつの支給武器を持っていることとなる。
「やったのか?」
 坂持はすでに誰かを殺したのか?

 ほとんど初めて、国生への危険信号を学は感じた。
 坂持はゲームに乗っている? 一時でも、坂持とチームを組もうというのは、危険なことか?
 しかし、ノリコサン。坂持が気を失う前に残した言葉の意味を知りたい。
 学を支配する好奇心が、国生をこの場で殺すことに拒否反応を示す。もちろん、その好奇心が、後々自分の命を脅かす可能性は十分に認識していた。
 好奇心は猫をも殺す。そんな言葉が頭をよぎる。
 迷った。迷った。
 やがて、学はふっと肩をすくめ、「でも、やっぱ、知りたい」皮肉めいた笑みを浮かべた。



<残り22人/32人>


□□  バトル×2 1TOP ご意見ご感想 更新お知らせ登録

 
バトル×2
鮫島学 
クラス委員長。野崎一也と親しい。