OBR1 −変化− 元版


034  2011年10月01日21時


<鮫島学> 


 思いついて、学はエアチェアーから立ち上がった。書斎から出、階下へ降り、台所へと向う。窓から漏れこむ月明かりが、流し台の上の食器棚を照らし、フックに吊るされたフライパンを照らしていた。
 外に灯かりが漏れないように細心の注意を注意を払い、懐中電灯を使う。
 そして学は冷蔵庫の扉を開け、缶ビールを取り出した。
 ひどく喉が渇くのは、緊張の証しだろうか。
 それとも……。

 電気がとまっているため生ぬるくなった缶ビールに口をつけながら、学は坂持国生のことを思い出していた。
 プログラム関連、脱出事件関連の情報を集めいているときに、偶然に入手した情報がある。それは、坂持国生が、脱出事件のときの担当教官の息子であるということだった。
 坂持国生の父親は、この仕事に誇りを持ち、プログラム中に生徒を「間引く」ことも積極的に行っていたようだ。
 国生は、その父に反発を感じているようだった。
 父親の死亡時、国生はたったの二歳だから、これは、話に聞いてというところだろう。
 今は、病気の治療のため親戚夫婦の元に身を置いている。
 この情報を見たとき、学は正直な所「ネットって恐ぇ」と思ったものだ。まさかここまで細かな情報が出てくるとは思っていなかったのだ。
 脱出事件に関連した政府関係の文書も数多く存在した。
 国生の情報は、思想統制院の機密文書からだった。
 国生は「思想に若干の問題アリ」ということで、統制院から一時目をつけられていたらしい。その後、「一般的反発レベル」ということで捕縛対象から削除されていたが、この文書がどこからか流出し裏ネットに残っていたのだ。  

 あの坂持が……。
 しかし、なんとなくイメージ通りという気もする。
 国生は肝臓に疾患を持っており身体も弱かったが、気は強かった。出席番号が並びで体育の授業などでコンビを組むことが多く、そういった機会を通して学は国生のキャラクターをだいたいのところは把握していた。
 負けず嫌い。芯が強い。間違ったことが嫌い。
 しかし、妙に冷めたペシミストなところもある。

 ここで学は、クックと含み笑いをした。
 まったく、俺は反政府的なヤツがよくよく気に入るようだ。
 実はもう一人、反政府的感情を持った友人が学にはいた。
 野崎一也(主人公)。
 彼の場合は、もともとは反政府感情はそれほど強くなかったらしい。
 しかし、数年前に思想統制院にあげられたことがよっぽど悔しかったらしく、ときどき政府への不満を話す時がある。
 もちろん当局にこれ以上目をつけられることを避けるため声高には言っていないし、反政府運動に関わりたいと考えるほどには思っていないようだ。
 だが、それで十分だった。
 学のヒーローを強制キャンプ送りにした政府に唯々諾々と従っていない、少なくとも精神的には負けたくないと考えている、同世代の仲間がいることが嬉しかった。
 だから、三年になって一也と同じクラスになったとき、積極的に学は一也と親しくなろうとした。
 そして、自然、一也の友人である生谷高志(安東和雄が殺害)や矢田啓太とも親しくなった。
 この二人は反政府感情を強くは持っていないようだったが、付き合っていて心地よい仲間ではあった。

 そう、仲間。
 俺は中3にもなって、初めて仲間と呼べるモノを手に入れたんだ。
 それまでの学は、そのプライドや秀でた能力ゆえまわりのクラスメイトを低くみてしまうところがあった。
 当然、仲間と呼べるような存在は持てなかった。
 この辺りを認めるのは我ながら情けないが、認めないのはもっと情けない。プライドに凝り固まった人間になるのは、矛盾しているようだが、それこそプライドが許さねぇ。



 さてそろそろ二階の書斎へ戻ろうと、学は座っていた椅子から立ち上がった。
 二階へと上がる階段へ向おうとした瞬間、学の目に飛び込んできたものがあった。キッチンに備え付けられた明り取りの中窓の向こうに、人影が見えたのだ。
「坂持……?」
 そう、それは、今先ほどまで考えていた坂持国生の姿だった。

 窓の向こう側、塀を越えさらに30メートルは離れているだろうか。住宅街の中、この家が面している舗装された道路を力ない足取りで歩いて来るのは、たしかに国生だった。
 中学三年生にしては小柄な、特徴的な体躯。
 月が出ているせいか空気が澄んでいるせいか、窓の向こう、闇の中でもはっきりとその姿を確認できた。
 制服は脱ぎ私服に着替えたらしい、ジーンズにトレーナーという姿だった。
 その手に持っているのは、何か手帳のようなもの(生徒の居場所を表示する探知機であることを学は知らない)と、拳銃。
 そしていつも以上に、いや、異常なほどに顔色を失っていた。
 真っ白、だ。
 肝臓を患っている国生の顔色は日頃からいいとは言いかねたが、月明かりを加味しても、その顔色は異常だった。

 国生の視界に入らないよう、柱の影に身を潜めながら、学は迷った。
 どうする? 声をかけて仲間とするか?
 国生なら信頼できそうな気はした。
 あいつが、ゲームに乗っているとは考えにくい。日頃の言動からも、ネットで入手した情報からも、そう判断できた。

 だが……。

 学はすっと身体を滑らし、窓とは逆側にある勝手口のドアをゆっくりと開けた。ギィと細く小さな音が鳴ったが、これぐらいなら大丈夫だろう。
 勝手口から出たさきは裏庭だった。
 ネギやトマトなどが植わった家庭菜園、その脇に無造作に置かれた如雨露。
 ここで、学は顔をしかめた。あまりにも平和な日常がそこにあったからだ。

 外壁に背を預けながら、入り口の門柱の影へと回る。途中、うち捨てられた空の植木鉢を蹴飛ばしてしまい、軽く肝を冷やした。玄関口から出なかったのは、坂持の目に入るのを避けるためだ。
 左手に握っているのは、台所で手に入れた包丁。
 右手に握っているのは、居間で手に入れたゴルフクラブ。
 坂持がこのまま進めば確実にこの家の前を通る。それをやりすごし、ゴルフクラブで後ろから殴りつける。それだけで殺すことも可能だろうし、浅ければ包丁で刺せばいい。

 仲間としてチームを組むことも考えたし、国生が政府官僚、しかもプログラム担当官の息子であったことは、大いに学の好奇心をくすぐる事実でもあった。
 出来ればチームを組み、そのあたりの話も聞きたい。
 だけど、いつかは俺は坂持を殺す。
 一度チームを組んでしまえば、おそらく殺そうとする時に迷いが生じる。
 それじゃぁ、駄目だ。
 今、だ。今、殺さなくては……。

 学は、自分が冷静に友人を殺せるほどには非人間的でないと予想していた。
 日頃親しくしていなかった生徒なら、おそらくはたいした苦もなくやれる。だが、坂持や野崎、矢田といった連中は駄目だ。一時でもチームを組んでしまえば、迷いを持ってしまうことが予想できた。
 再び、思う。
 それじゃぁ、駄目だ。
 今、だ。今、殺さなくては……。

 門柱に身を隠し、ゴルフクラブをぎゅっと握りしめ、学は皮肉めいた笑みを浮かべた。
 生きたい。
 友人らの屍を越えてでも、俺は生きたい。
 プログラムからの脱出を諦め、体制を叩こうとしているのに死を覚悟しているのに、それでもなお俺は生きたいと思っている。
 友達を殺してでも、生きたいと思っている。
 親父?
 俺は、間違っているか……?
 

 石作りの門柱に身を隠し、学は坂持国生を待ち構えた。
 包丁をズボンのベルトにはさみ、ゴルフクラブを両手で強く握りしめる。邪魔となる植木鉢をわきへのけ、タイル敷きの地面に片膝を付く。そして軽く目を瞑った(つむった)後、すっと息を呑んだ。
 ……準備万端。
 これから、俺は人を殺す。
 それも、日頃親しくしていた友人を、だ。

 予想外にというか幸いにというか、それほどに罪悪は感じなかった。
 しかし、それはそれで、学の心を冷やす事実ではあった。
 さきほど、自分のことを「冷静に友人を殺せるほどには非人間的でない」と判じた。だけど、俺、出来そうだ。友達を殺せそうだ。
 なんだか、自分という存在に嫌悪を感じそうだった。
 普通、もうちょっと迷うだろう?
 俺、やっぱ何か欠けているのかな……?
 ふっと、他のクラスメイトたちのことを考えた。
 すでに多くのクラスメイトが命を落とした。そして、生き残りの何人かは確実にゲームに乗っているのだ。
 みんなどういう気持ちで殺っているんだろ?
 誰が、というよりは、どういった心理状態で、ということに、学は関心を持っていた。
 やっぱり、びびりまくってってヤツが多いのだろうか? それとも、俺みたく比較的冷静に殺ってるヤツもなかにはいる?

 他人への興味。これは、最近の学に急激に付いてきた感情だった。
 それまでは、クラス内で孤立しないようにうまく立ち回ってはいたが、基本的にはわが道をただ歩むマイペースタイプで、親しい友人もまったく作らなかった。
 しかし三年にあがって野崎一也らと親しくなったことで、学は変ったのだ。
 友人が出きたことで、他人への興味も出てきた。
 ……女の子への関心も出てきた。あまりに自分らしくないんで、仲間の誰にも言ってはいなかったが。
 学は、永井安奈のことを気にしていた。
 それは、彼女がそれなりに可愛らしい容貌をしていたこともあったが、「普通っぽさ」の裏に見え隠れする表情に気がついたからだった。
 この変化は学にとって戸惑うものだったが、同時に心地よいものでもあった。

 親父(おやじ)の事件があって以来、俺は無意識に気持ちを凍りつかせて生きてきたらしい。
 ただただプライドだけを塗り固めて、他人を寄せ付けず自分の殻に閉じこもって。
 そんな過去の自分は、今の俺から見るとひどく……無様だ。
 俺は、当たり前の人間になる途中だった。
 変っていく途中だった。
 ……もっと、変化していく自分を見てみたい。
 プログラム当初はおぼろげにしか持っていなかった感情が、次第に膨れ上がっていく。
 もっと、変りたい。もっと、生きたい。もっと、色んな人間の感情に触れてみたい。ついでに言えば、恋愛ってやつもやってみたい。

 ……人を殺してでも?

 学はふっと笑った。
 それは、今まさに人を殺そうというこの状況下、不釣合いなことを考えているような気がしたからだったし、感情に触れたいと考えている人間が殺人なんてものを犯すのは変だなと思ったからだった。



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クラス委員長。野崎一也と親しい。