OBR1 −変化− 元版


033  2011年10月01日21時


<鮫島学> 


 キーボードの上をすべり続ける指先。やがて、「んっ」と息をついた鮫島学は、凝り固まった肩や首筋を軽く伸ばした。
 エアチェアーに背もたれながら、天井を仰ぎ見る。
 懐中電灯の灯かりは当てていないが、パソコンディスプレイの灯かりで青白く天板が光っていた。
 窓から灯かりが漏れないよう、厚くカーテンは引いているので外は見えないが、曇天の狭間に星が見えているはずだった。
 中背の身体をさらに伸ばし、三白眼を強調する縁無しめがねを外し、目頭を抑えた。半日以上パソコンの前に座っていたのだ。全身が悲鳴を上げ始めていた。

 北の集落の中でも北寄りにあるこの近代的な民家に身を潜め、「作業」をはじめてから約二十時間が経っていた。
 二階の書斎にあったノートパソコンに自動車のバッテリーを繋ぎ電源とする。
 問題は電話回線だったが、裏回線を使いクリアした。
 パソコンを自作できる知識と技術を持っている(一也が自室で使っているパソコンは、学が組み立てたものだ)学だったが、限られた素材、代用品を使っての作成は初めてのことで、この作業には想定外の時間を食った。
 しかし、それからは、時折休息や睡眠を取りながらも、スムーズに作業を進めることが出来た。

 作業か……。
 身体を伸ばしながら学は舌打ちをした。作業と言っても、たいしたことは出来ていない。学は後悔の念に駆られていた。
 親父(おやじ)を強制キャンプ送りした政府のことを、ずっと恨みに思ってきた。
 いつか、横っ面を叩いてやろうと思ってきた。
 だけど、俺は何の技術も身につけようとはしてこなかったんだ。
 まぁ、コンピューターに関しては、そこそこの知識技術を持っていると自認しているが、それも素人よりは多少詳しいというレベルにすぎない。
 せめてハッキングの高い技術を身につけていれば、随分と違ったのに。
 ……ま、今さらそんなことを言っても仕方がないけどよ。
 俺は今出来ることやるだけだ。

 学は努めて意識を前向きに置こうとしていた。
 それはその方が精神的に余裕が出、作業にいい影響を及ぼすと判断したからであり、単純に自分の能力が劣っていると思いたくなかったからであった。

 学は将来はコンピュータの道に進むつもりだった。
 これは、父親の影響だった。
 学の父、鮫島正樹は、もとコンピューター技師で、同じくプログラマーをしていた母と一緒にソフトウェア会社を設立していた。数年前、画期的なセキュリティソフトウエを開発。
 一躍、業界の雄となろうとしていたときに、「事件」は起こった。
 反政府運動に荷担した罪で、樺太の強制労働キャンプ送りになってしまったのだ。
 その寄与の割合が小さかった……と言うよりは、もともと思想的な理由ではなく、ただ単にビジネスを理由として加担しただけだったので銃殺刑は免れたが、今はその生死はようと知れない。
 強制労働キャンプの過酷さは有名なものだ。父親が生き延びている可能性はとても低い。
 ビジネスとあらば危険も辞さないバイタリティがあった彼が死んでいるとは、学にはどうしても思えなかった。
 
 だから、いずれ帰ってくる。生きているのならば、いずれ強制キャンプから帰ってくる。そのときの為に、オレはメッセージを残しておかなくてはならない。



 眠っていたパソコンに命を吹き込んだ後、学はプログラムについて出来る限りの情報を集めた。
 特に留意したのは、今も彼の首を覆う爆弾入り首輪についての情報。
 さらに、十数年前に実際に起こったという生徒脱出事件についての情報も集めた。
 もともとネット、とくに裏ネット、大東亜帝国ではアクセスの制限されている海外のサイトや、アンダーグラウンドのサイトには出入りしており、裏的情報の収集には自信があった学だ。
 さほどの苦労もなく、プログラム関連の機密情報を入手することができた。

 まず首輪については、盗聴器が仕込まれていることを確認できた。
 まぁ、このあたりは予想できたことだ。
 次いで学が一番欲しかった首輪の外し方の情報だが、実は十数年前までは多少の知識があれば素人でも外すことが出来たらしい。しかし、この抜け道を利用してプログラムから脱出した生徒が現れたため、バージョンアップされ取り外しには専用の機器が必要となっている。
 どうやら、首輪を外しての脱出は諦めた方がいいようだった。
 首輪の取り外し以外ついては、この十数年プログラムのシステムだとか仕様は基本的に変っていない。

 そして、プログラムそのものについての情報。
 この点に関し学が驚かされたのは、「プログラムの基盤が揺らぎつつある」ということだった。
 これには、生徒脱出事件も絡んでいる。
 事件の概要は、数名の生徒がプログラム会場からの脱出に成功し、なおかつ担当教官を殺害したというものだった。事件があったのは香川県で、殺された教官の名は、坂持(プログラム中は「坂持金発」と名乗っていたらしい)。
 この事件のときに逃げ出した生徒の名は、七原秋也と中川典子。
 この二人は、脱出後アメリカ国に渡ったようだ。
 そして反政府組織の力を借りつつ、各種の人権団体や、メディア、米政府に働きかけを行い、大東亜共和国で行われているプログラムの実態を知らしめようとした。
 しかしこの時点では大きな反応はなく、また七原秋也が渡米後数年でホールドアップか何かに遇い命を落としたため、進展もみなかったようだ。

 だが、それから十年ほどの間に、大東亜共和国を取り巻く国際情勢が変った。長く準鎖国政策を取っていたこの国は、他国の技術進歩から徐々に取り残されだしたのだ。
 経済的優位があるからこそ、鎖国政策は成り立つ。
 その前提条件が、崩れた。
 これは国にとっては忌々しき事態で、政府は長年の鎖国政策をゆるやかにだが解きはじめていた。
 このあたりの動きは、学も体験として感じていたことだった。外国製品や海外の書物は、学が子供の頃は極端に手に入りにくかったのだが、今は物によってはさほどの労力を使わなくとも入手できるようになっている。
 また、彼の父親が学に教えたパソコン技術の多くは、外産のものだ。

 この動きに伴ってプログラムの基盤が崩れ始めているとは、学にとっては思っても見なかったことだった。
 しかし、考えてみれば当然のことだ。鎖国政策を緩めるということは、海外からの情報や物品が流入すると同時に、国内の情報も海外に流れるということ。これによって、プログラムの情報も漏れる。
 大東亜共和国民でも違和感を感じるこの制度に、諸外国が驚かないはずはないのだ。
 また、七原秋也や中川典子らの行動もここで実を結んだようだ。
 実際、裏ネットで掴んだ情報によると、明部暗部に関わらずプログラム中止を求める外圧がかかりつつあるらしい。
 圧力の主な元はアメリカ国だ。七原秋也らが働きかけを行った国であり、大東亜共和国の敵性国家だ。
 もちろん、人道的見地からの外圧もあるのだろうが、その多くは国際政治の微妙なかけひきだろう。
 しかし、学にとって理由などどうでもいいことだった。
 大東亜共和国政府がひた隠しにしていたため、一般には広まっていなかったが、「プログラムは揺らぎつつある」。
 これはたいへん重要な情報であり、学の行動の基盤となるものだった。


 ノートパソコンに向いつつ、もう一度舌打ちをする。
 後、二十年、三十年したら、プログラム制度は無くなっているのかも知れない。もう少し遅く生まれていれば……と考えたからだった。
 しかし、まぁ、そんなことを言っても仕方がない。と首を振る。

 ……現実を見つめろ。俺は、すでにプログラムに巻き込まれた。なら、やることをやるだけだ。
 やること……これには、「他の生徒を殺してでも生き残ること」も含まれる。
 どうだろう? 自分は優勝できるだろうか?

 学は後ろを振り返った。
 書斎の入り口のドアに背もたせて置いているのは、ちょうど抱きかかえるぐらいのサイズのティディベア。一見は可愛らしいぬいぐるみだが、その中にはリモコン爆弾が仕込まれている。
 それなりに凶悪な支給武器ではあるが、その効果が単発、つまり一度きりでははなはだ心もとない。
 銃を持っている者すなわち優位とは限らないが、それにしても不利だ。
 一応この家でゴルフクラブを入手したが、おそらくはどこかのタイミングで俺は命を落とすのだろう。
 だが、みすみすは死なない。
 出来る限り優勝を目指してやるし、同時に政府の横っ面も叩いてやる。

 「政府の横っ面を叩く」ために、学は自身の技能と照らし合わせ出来る限りのことをやろうとしていた。
 高度なハッキングの技術があれば、この首輪を制御しているコンピューターに入り込み機能解除を企んだのだが、残念ながら学にはそれほどの技術はない。
 学が考えたのは、かつて七原秋也や中川典子がやったことを自分なりの方法でやってみよう、ということだった。
 十分な準備をしてから、タイミングを見計らい、大東亜共和国政府に圧力をかけてきている外国勢力にコンピューターを使ってアクセス。
 各種の人権団体、メディア、諸外国政府……。
 そして、プログラムの実態をぶちまけるのだ。それも「プログラムに参加中の生徒」として。

 大東亜共和国のネット環境は、大東亜ネットというクローズドネットなので、海外に出るにはスキルが必要だったが、その手のことに関して学は玄人はだしだった。
 また、「ぶちまける」にはかなりの語学力が必要だが、これもクリアーしていた。
 これは日頃裏ネットで「遊んでいた」ことが好を奏した。
 裏ネットは海外ネットに存することが多く、当然出てくるのは英文等である。翻訳ソフトを使う手もあるが、ああいうのは実にいい加減な翻訳しか出来ない。結局は自分で読み書きした方がいいのだ。
 ここで、学はふっと笑った。
 遊ぶために必要にせまられ覚えたことが、こんなところで役に立つとはな。

 おそらく、それなりには衝撃的なものになるだろう。なにせ、プログラム参加中の生徒が諸外国に働きかけを行うのだ。
 これによって対外勢力は勢いづくはずだ。
 自分の行動によって、プログラム制度の終焉を近いものに出来たら……。成功したときのことを思うと、爽快だった。

 とりあえず、準備はほぼ終わった。後は、ハデに圧力をかけてきてくれそうな勢力にぶちまけるだけだ。
 だけど、我ながら、弱い。
 もっとインパクトのあることは出来ないだろうか? 他に何かないだろうか?

 学の父親は、ちょうど学がパソコンに興味を覚えだした頃にキャンプ送りとなった。その頃の学にとって、縦横無尽にコンピューターを使いこなす父親は「ヒーロー」以外の何者でもなかった。
 また、反抗期を迎える前、父親がまだヒーローである時代、学がまだ長じる前に、いなくなってしまったからだろうか、学にとって父親は今尚ヒーローだった。
 いつかは乗り越えるべき、ヒーローだった。

 ……なぁ、親父。俺、どうして脱出を考えないんだろう?
 学は「プログラムからの脱出」をほとんど諦めていた。それは、首輪のシステムに穴がないことを確認したからであり、自分のパソコンスキルと照らし合わせ不可能だと判断したからであった。
 でも、普通なら、出来る限り脱出しようと策略をめぐらせるはずだ。なのに、なぜだ? なぁ、親父。なんでだと思う?
 遠く……父親の声が聞こえたような気がした。
「その代わり、出来ることをやろうとしているからだよ」
 そう、その代わり、俺はプログラムの体制にパンチを加える。そうだよ、親父。俺は政府にパンチを叩き込むんだ。
 今から俺がすることで、どれだけの打撃を加えることが出来るのか、正直な所、分からない。
 だけど、親父。俺、やるよ。
 だから、親父。見ててくれ。
 樺太のキャンプにだって、何かしらの情報は届くんだろ? そのうち、親父は家に帰ってくるんだろ? だから、親父、見ててくれ。



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